一度だけの人生に
ひろ



 キリスト教的

日本人の倫理は、すごくキリスト教的だ。
文明開化以来、西洋の倫理を輸入しつづけた
から、このようにキリスト教的なんだと思う。

別に。倫理とは人が作ったものだから、
それについて良いも悪いもない。

婚前交渉をした子がいた場合、イスラム的には
親が子を殺しても無罪とか。
純粋なカトリックは不貞がない限り離婚出来ない
とか。
他の倫理からみたら、他の倫理は野蛮極まる。

でも、自分から見たら、それが正しくて、
そんなことにまた、囚われてる。

一夫多妻制の国もあるとか。
私たちから見たら、野蛮でも、
向こうからしてみたら、普通のことらしい。

何が言いたいのかって、宗教など信じていないと
言っても、たとえ禁じる法律が無くても私はこう
するだろうとか、まやかしで。
イスラムに生まれれば、平気で第二の妻を持ち、
豚を食わないだろうし、不貞を働いた妻や子を殺
しもするだろう。
原理的キリスト教に生まれれば、輸血すら拒否して
死を受け入れるだろう。

いやいや、待て待て。外国人に生まれたなら、
平気でポイ捨てして、人の列に割り込み、
なんら「良心の呵責」なるものを感じること
すら、ないだろう。


私たちは誰かに作られた倫理によって縛られてる。
私たちの倫理は、宗教か法律か、あるいは「常識」
の別名。
属する集団の中で良識人で有りたいという気持ち
言い換えれば爪弾きにされたくない気持ち
言い換えれば非難されたくないという気持ち
それを倫理だの、良識と呼んで従い、実感と
かけ離れていても、苦しくても、
自らを思って、黙って耐える。

そもそも、私たち人間には
備わった「倫理」など無い

2017年06月28日(水)
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