一度だけの人生に
ひろ



 学生(二度目)

学生と言うテーマは二度目。

そろそろ学生も終わりです。
言ってみると意外な気もするけれど、
人は、物心ついてから社会に出るまでは
ずっと学生なんですね。

学生でない僕の人生は、
まだ始まっていないわけです。
そう考えると、まだまだ幼いわけですね。

「幼い」って言葉はなんとなくマイナスのイメージです。
「大人」って言葉はなんとなくプラスのイメージです。
どうしてそうなのか、考えてみると不思議な気もする。

「大人とは裏切られた青年の姿である」by太宰

大人になるってことはいっぱい傷つくこと、
裏切られること、赤っ恥をかくこと。
そしてそれに慣れること。
傷つくことに慣れること。
裏切られることに慣れること。
恥かくことに慣れること。

そして傷つけることに慣れること?
裏切ることに慣れること?
恥かかせることに慣れること?

ずっと学生だったから、
学生の良さなんて、分からなかったけど、
実際、お終いの気配が感じられてくると、
それとともに分かってきたような気もする。
どうしてこう言う具合でしか
感じることが出来ないのかな・・・。
失ったときの喪失感でしか、
そのものの大切さを知ることが出来ない。

「世の中の、どこに立っているのか、
どこに腰掛けているのか、甚だ曖昧なので、
学生たちは困っている。世の中のことは何も知らぬふりして
無邪気を装い、常に父兄に甘えて居ればいいのか。
又は、それこそ、「社会の一員」として、仔細らしい顔をし、
世間の大人の口吻の猿真似して、大人の生活の要らざる手助けに
努めるのがいいのか。いずれにしても不自然で、くすぐったく、
落ち着かないのである。諸君は、子供でもなければ、
大人でもない。男でもなければ、女でもない。」
『諸君の位置』

「今の学生諸君の身の上が、
なんだか不憫に思われてきたのであります。
学生とは、社会のどの部分にも
属しているものではありません。
また、属してはならないものであると考えます。
学生とは本来、青いマントを羽織ったチャイルド・ハロルドで
なければならぬと、私は頑迷に信じている者であります。
学生は思索の散歩者であります。青空の雲であります。
編集者になりきってはいけない。役人になりきってはいけない。
学者になりきってさえいけない。
老成の社会人になりきることは学生にとって、
恐ろしい堕落であります。学生自らの罪ではないのでしょう。
きっと誰かに、そう仕向けられているのでしょう。
だから私は不憫だと言うのです。(中略)
学生本来の姿とは、即ちこの神の寵児、
この詩人の姿に違いないのであります。
地上の営みにおいては、何の誇るところが無くっても、
その自由な高貴の憧れによって
時々は神と共にさえあるのです。
この特権を自覚したまえ。この特権を誇りたまえ。
いつまでも君に具有している特権ではないのだぞ。
ああ、それはほんの短い期間だ。
その期間をこそ大事になさい。必ず自身を汚してはならぬ。
地上の分割には与(あずか)るのは、それは学校を卒業したら、
嫌でも分割に与るのだ。商人にもなれます。
編集者にもなれます。役人にもなれます。
けれども、神の玉座に神と並んで座ることの出来るのは、
それは学生時代以後には決してありえないことなのです。
二度と返らぬことなのです。」
『心の王者』


太宰の随想です。

神と共にあることが出来るのもあと少しです。

2003年05月10日(土)
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