一度だけの人生に
ひろ



 「memories」 the first volume 

注、これを読む前に22日の日記を読んでください

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自分が記憶している
最初の情景はなんとも不気味な感じだ。
多分二歳頃だろうと思うが、俺は薄暗い廊下で
おもちゃの車に乗って遊んでいる。
居間では家族が夕食を食べているのに
自分はなぜか一人で廊下で遊んでいる。
家族・・・と言っても、はっきりと
確認できる人は父親と母親の兄、つまり伯父の
二人だけであとの家族はいるにはいると
思うのだけれど、誰なのかはわからない。
なんとなく母親がいないのはわかる。
父親も伯父もニコリともせず、
夕食を食べているそんな場面である。
そして奇妙にその情景はまぶしく思い出される。

これはもしかしたら事実とは違う
記憶かもしれないが、気づいたときから
「もっとも古い記憶」というとこの場面が
いつも浮かんでくる。

自分の家族は自分が六歳になる時まで
母方の祖父と伯父が住む家の母屋で暮らしていた。
母方の祖母は麻酔の医療事故でほぼ寝たきりに
なっていて介護施設にその時は預けられていた。

祖父は俺が
二歳から三歳になるころに肺ガンで死んだ。
この祖父は俺と一つ違いの姉を溺愛し、
蝶よ花よと可愛がったらしい。その逆に
俺に対してはひどく冷たくあたったらしく、
とにかくそのえこひいきは凄かったらしい。
「こんなやつはろくなものにならない」と
いつも言われていたらしく、さすがの両親も
俺を多少哀れに思っていたらしい。
しかし、俺にはあいにくこの祖父の記憶は
わずかしか残っていない。
だからほとんど両親の話で知ったことである。
確かにうちには3歳くらいの姉と祖父が
二人で笑顔で写っている写真が多くあるが
俺と祖父が写っている写真は全くない。

しかし、祖父についての記憶も
多少あるにはある。このころになると
両親の「躾」もどんどん厳しくなり、
怒鳴り声をあげることもたびたびとなった。
そう言うときはたいてい姉弟二人そろって、
怒られることが多かったが、
(なぜかこの頃の俺と姉は連帯責任のような
形になって片方が何かすると大抵もう片方も
ついでに怒られるようになっていた)
もちろん片方だけが怒られることもあった。
そう言うとき姉の泣き声を聞くと祖父は
両親を叱って、止めるように言い聞かせたもの
だったが、俺の時は逆に「泣き声がうるさい」と
俺が怒られた記憶がある。

祖父はまもなく肺ガンで入院した。
入院中の世話は母がやっていた。
ちょうど姉が保育園に入った頃だったので
姉よりも俺の方が母親に連れられて
病院に行くことが多くなった。
俺は実感として記憶していないが
毎日のように見舞いについてくる俺に
祖父はずいぶん優しくなったらしい。
俺がはっきり憶えているのは、病院から
帰るとき病室の窓から身を乗り出して
車に向かって、
笑顔で大きく手を振っている祖父の姿だった。
その姿を見て俺はとても嬉しくて
一生懸命手を振り返したのを憶えている。

それからどれくらい後なのかはわからないが、
祖父は死んだ。

祖父の遺体は見た記憶がない。
姉が「じいちゃん、じいちゃん」と言って
激しく泣いていたのを憶えている。

葬式の記憶は全くない。
次の場面は火葬場である。
俺は父方の祖父の家に預けられることに
なってしばらく家族と離ればなれになるのだが
その、預けられる場面が火葬場だった。

姉は祖父が
大変溺愛していたこともあって、預けずに
俺だけが預けられることになったので
火葬場と周りの人々の異様な雰囲気もあって、
おそらく自分は捨てられるのだと思ったのだろう。
その時の泣き叫びようはもの凄かったと
両親は話しているし、俺も激しく泣き叫んだのを
憶えている。


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2002年05月23日(木)
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