一度だけの人生に
ひろ



 桜桃 

私は学校に在っては
いつも冗談を言っている。
それこそ「心には悩み煩う」ことの多いゆえに、
「表には快楽」を装わざるを得ない、
とでも言おうか。
いや、私は学校に在るときばかりか
人に接するときでも、心がどんなに辛くても
体がどんなに苦しくても、ほとんど必死で
楽しい雰囲気を作る為に努力する。
そうして、その人と別れた後、
私は疲労によろめき、お金のこと、時間のこと、
将来のこと、自殺のことを考える。
いや、何をするときでも基本的に自分はそうである
自分ではもっともおいしい奉仕のつもりで
いるのだが、人はそれに気づかず、
A(自分の名字の頭文字)は軽薄で、いい加減で、
冗談ばかり言っている、すこぶる安易、
と私を蔑む。
人間が人間に奉仕するというのは、
悪いことだろうか?
もったいぶって、なかなか笑わないと言うのは
善いことであろうか?
つまり、私は、くそ真面目で興ざめな、
気まずいことに堪えきれないのだ。

自分は極端な小心者なのだ。
それがいわゆる「普通の人」を装って
みんなの前で必死におどけてみせているのである。
それが辛くて、やけ酒に救いを求める。
やけ酒というのは、自分の思っていることを
はっきりと主張できない、もどかしさ
いまいましさで飲む酒のことである。
いつでも、自分の思っていることをはっきり
主張できる人はやけ酒なんか飲まない。

私は議論をして、勝った試しがない。
必ず負けるのである。相手の確信の強さ
自己肯定の凄まじさに圧倒せられるのである。
そうして私は沈黙する。
しかし、だんだん考えてみると、
相手の身勝手さに気がつき、
ただこっちばかりが悪いのではないのが
確信せられてくるのだが、
一度負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも
陰惨だし、それに私には言い争いは
殴り合いと同じくらいいつまでも不快な
憎しみとして残るので、怒りに震えながらも
笑い。沈黙し、色々考え、ついやけ酒と言うことに
なるのである。

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どんな人でも、
どんなに人を憎んでいても、
その人に大まじめで「死ね」とは
なかなか言わないものだ。

どんな人でも、
どんなに人が目障りでも、
その人に大まじめに「目障りだ」とは
なかなか言わないもの。

どうしてだろう?
このケチ臭く、卑怯な心が
「思いやり」とか「優しさ」と
言うものだろうか?
曖昧なことは人を追いつめる。


2001年12月05日(水)
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