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2007年06月21日(木) 食いつぶされたオシムの遺産(千葉)

降格圏内まで順位を下げたJ1の千葉が2連勝。とりあえず、圏外からの脱出に成功した。と言っても、前々節の甲府戦、前節の大分戦ともに辛勝であり、このまま上昇気流にのれるとは思えない。この先については、予断を許さない

しかも、連敗中、監督批判をしたストヤノフ(ブルガリア代表)が、無期限自宅謹慎に処せられる「おまけ」までついた。アマル・オシム監督は、ストヤノフの処置について父親(イビチャ・オシム日本代表監督)に相談していると考えられるから、“ストヤノフ切り”は、親子の固い意思の表れだろう。オシム父は、スタープレイヤーの存在を認めない。どんなに力のある選手であっても、規律に従わない選手を切ってきた。

オシムが千葉の監督だったとき、ベテランの日本代表のN、韓国代表のCがオシム父に切られたことが最近出版された新書に紹介されている。Nの場合は、オシムに別メニューの練習を申し出たところ許可され、同時にサテライトに落とされたという。Cの場合は、FWとして前にはるだけで、守備をしない・走らないため、戦力外とみなされ、磐田に放出されたという。

このたびの“ストヤノフ切り”は、表面的には、N、Cと同じケースだと見られるが、果たしてそうだろうか。報道によると、ストヤノフのアマル監督批判は、サッカーの考え方の違いだとされている。思えば、ストヤノフはオシム父のサッカーに忠実な選手だった。ストヤノフの攻撃参加は、「計算されたリスク」の実行だし、彼の奔放な守備位置の取り方は、「状況に応じた選手個人の創造的判断」によるもので、どちらも、オシム父が常々選手・マスコミに力説するところだった。つまり、ストヤノフに関する限り、規律違反は監督批判というプレー以外の事項であって、サッカーの取り組み方やプレーに係るものではない。

監督批判はもちろん規律違反だから、ストヤノフを処分する――この措置は結果的には,当然のように見える。だが、選手が報道陣に対して監督批判をするというのは、これまた固い決意の下での行動である。チームがノーマルな環境ならば、監督が選手の声を聞かないことはあり得ない。おそらく、アマル体制の千葉では監督と選手のコミュニケーションが平常ではなかったはずだ。選手は選手同士で勝手にサッカーをやり、監督は監督で勝手に自分のサッカーをやろうと思っていたに違いない。両者の間には深い溝があり、そのような異常なチーム状況において、ストヤノフは大きな賭けに出たのだと思う。

筆者はストヤノフに同情する。ストヤノフとアマル監督との間の事情を知らない上で、勝手にストヤノフの肩をもつ。もちろん、筆者の判断が正しいと言うつもりはないし、推測、推察、憶測の域を出ない限りでの断言にすぎないのだが。

千葉(クラブ経営陣)は、オマルを守りストヤノフを切るつもりだろうが、その決断は恐らく正しくない。千葉の不調の主因は、アマルの指導力の欠如ばかりでなく、補強の失敗が挙げられる。もちろん、それはクラブ側の責任だ。今シーズン、千葉が降格もしくは降格ぎりぎりの順位だとしたら、クラブ経営者は責任をとって辞めるべきだ。

このたびのストヤノフの一件は、千葉のチーム状況を象徴している。選手と監督の間には、コミュニケーション・ギャップが存在する。選手と監督は、同質のサッカーを共有していない。ギャップを埋めるコーチやベテラン選手もいない。オシム父が築いた「千葉」は、今シーズン、その遺産を食いつぶしつつ、間近に崩壊が見えている。筆者の想像では、監督批判をしたストヤノフを放出しても、チームが上昇気流に乗ることはない。クラブが“ポスト・オシム”を描かない限り、千葉に明日はないのである。


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