職業婦人通信
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2005年06月15日(水) じいさんの足跡

母方のじいさんを、私は知らない。

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[じいさんは職業軍人で、
太平洋戦争で船を撃沈されて死んだ]

というのが、私がじいさんについて知っていたすべてである。

じいさんが死んだ時、うちの母ちゃんは
ばあさんのお腹の中にいたので
母ちゃんもじいさんと会ったことはないのだ。

母でさえ会ったこともないじいさんについて
ばあさんに訊ねたこともなかったし
正直なところ、それほど知りたいとも思っていなかった。

ところが。

最近になってはじめて、叔母(母の姉。じいさんの長女)が、
じいさんの乗っていた
『沖鷹(「ちゅうよう」と読む)』という軍艦のことやら、
生前、じいさんが軍でどういう仕事をしていたかなど
じいさんの生前の足跡を追っかけることを
ライフワークにしていることを知った。

叔母によれば
じいさんの乗っていた「沖鷹」がどのように沈んだのか、
じいさんは船ごと沈んだのかどうかなど
沈没時の様子がまったくわからないのが
一番残念だという。

乗船名簿も散逸してしまっているので
生き残りを探す術すらないのだそうだ。

そこで、なんとなく思いつきで
インターネットで調べてみたら、
生き残りの方が、最近になって
「沖鷹」についての本を出されていることがわかった。

早速amazonで取り寄せて読んでみたら
なんと、その本の中に、
紛れもない、うちのじいさんの名前が。

書籍の中とはいえ
初めて生身のじいさんと対面したような気がして、
なんだか泣けた。

その中で
うちのじいさんは、沈みゆく船の中から必死に天皇陛下の写真と国旗を持ち出し、
部下を叱咤して脱出用のボートに乗せていた。

その行為(自分の脱出よりまず写真と国旗)の是非なんかどうでもいいんだけど、
とにかくただ、本を通じて、じいさんが生きていたこと、
呼吸をして、物を考えて、何らかの信念で行動しようとしていたこと、
その血脈が私にまでつながっていることなどが
とても重く尊いことに思えた。

何よりも嬉しかったのは
その本を叔母に贈ったら
叔母が泣いて喜んでくれたことであった。

本には、「沖鷹」の生き残りの人たちが
その後も交流を続けていることも書かれており、
叔母はその人たちにもコンタクトを取ることに成功したらしい。
彼女のライフワークに新たな進歩があったこと、
それに私が少しは協力できたことも、ちょっと嬉しかった。

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新聞でこんな記事を読んだけど、
戦争で失った生命に思いを寄せる人たちは
まだまだ、たくさん日本にいる。

私の世代はそういう人たちの話を聞いておくべきなんだろうな・・・


千代子 |MAIL
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