妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
目次前のページ次のページ


2013年01月18日(金) 『ロマン II』(小)

【ウラジーミル・ソローキン 国書刊行会】

Iの方にもちょっと書いたけど、延々と続く19世紀的な描写はIIに入っても変わらず、結婚式、それからその後の祝宴でピークに達する観があります。
19世紀のロシア文学作品の踏襲というか模倣なんだろなぁという感じは薄々していたのだけれど、私がそこらへんに詳しくないのであまり確信も持てなかったんですが、解説で「精緻な模写」だと書いているから読む人が読めばすぐ分かるんだろうと思います。
IIの裏表紙にはあらすじが書いてあって、ロマンが殺戮にいたるその祝いの斧とやらはいつ出てくるんだ……と思いながら読むと、非常に唐突に提示されます。
ロマンはその斧の贈り手を、クリューギンだな、と言うのだけれど、読者から見ると作者からの悪意の贈り物にしか見えない。
結婚式のあたりからタチヤーナもうすでに、ひとつのセリフしか言わなくなってきていて、記号化あるいは背景と化していてなんだか怖いんですが。

斧を手に入れてからは、それまでのどこか古めかしい文体から現代的な文体へ気がつけば移行し、ロマンが家人を殺害して歩き、家人を殺害し終わってからはさらに文体は簡潔になり、最後はもはや紙の上の模様にしか見えなくなるほどに言葉そのものの意味もなくなり紙面を埋めるのは圧巻。
グロテスクだったのは最初だけで、ロマンの意味のない行動を目で追い続けている間、脳内にはなんの映像も浮かばなくなってくる。

全体の五分の四ほどを緻密に書き上げた上で、怒涛の終盤、そしてラストを読むとそんなに破壊したかったのか、と思うのだけれど、改めてIの冒頭に戻るとやはり驚くほど美しくて、ロマンの墓もひっそりと佇んでいて、破壊したかっただけではなく、ソローキンの言うところの「文学の埋葬」とはこういうことなのかと考え直したりする。
でも、だとしたら上手すぎるだろうとも思ったり、ただの悪趣味なのかもしれないと思ったり、そんな文学的背景は考慮せずに、普通に小説を読むように読むべきなのかと思ったりと色々と考えられる小説でした。



蒼子 |MAILHomePage

My追加