*不敗*
*もくじ**きのう**あした*


2005年10月13日(木) ミッデルハニウスの並木道/ホッペマ・メインデルト




ミッデルハニウスってどこやねんっ!


ホッペマ・メインデルト 





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それでも この絵が気に入った



どうもあたしは「人物画」より「風景画」に惹かれるみたいや


というても「静物画」いうんかな・・? 果物とかああいうの


ああいうのは さっぱりなんともおもわれへん


みかんやりんごって 油絵の定番というか入門編みたいな気がしてしまう


高校のとき 美術の授業で「油絵」を描かされた


考えてみたら 「油絵セット」なんか普通もってる?


みんなは こうてたけど あたしは断固かわへんかった 笑

(ケチ・・?)


たまたま 知ってるおねーさんが 「絵」の好きなひとで

(子供相手に 絵画教室をひらいてた)

そのおねーさんが 油絵セットを貸してくれて それもっていったや


自分で(授業で)「油絵」書いてみたけど

全然 楽しいとおもえんかった


最後は 家にもってかえって仕上げたんやけど

知り合いのおねーさんが 結局かいてくれた



美術のセンセが

「あなた やればできるじゃない」 いいやがった 爆笑

もうちょっとで「絵画コンクール」みたいなんに出品されそうになったわ

(^Q^)/゛ギャハハ


(あたしが描いたんちゃうってば)(あーやばかった  ぷぷぷ)




どっかで なんかのはずみで 挑戦してみたり体験したりすることから


人間いろんな遊びや趣味も覚えたり 増えたりはするんやろし


その間口は広いほうがええのかもしれん



あたしの親はほんまに 見事といえるほどに

「放任主義」で 「勉強せえ」もいうたこともないかわりに


「こんなんしてみるか?」と なにかを強制的?にも与えたり


させようともせんかった


そんなことはない・・とは思うものの


ほんまに「子供」に対して 「将来への期待」なり「心配」なり


まったくなかったんちゃうやろか? 笑


いまでもそうおもえてしかたない


「愛」はあったとおもう


いっぱいいっぱい 愛してくれた・・とおもう




なにひとつ「おけいごごと」と言えるものに通ったこともないし


勉強系の「塾」とか「そろばん」(いまでもあるんか)「英語」
とかもないし


芸術系「ピアノ」「書道」「バレエ」 


体丈夫系(?)(笑)「スイミング」「空手」・・・etc


なんにも習ったことがない



友達に誘われて 自分からいっぺんだけ

「塾」にいきたい・・というたことがある


「へーいきたいんやったらいき」と 

塾の内容もなんも一切 質問もされんと いかせてくれた




その「塾」がこれまた めちゃくちゃ変やった


たぶん あんな「塾」日本にあそこしかなかったんちゃうかなあ



場所は ほんまにほんまに 小汚いアパートの1室

しかも 3畳か4畳半一間のアパート

(風呂もトイレもない)(トイレはたぶん共同やったんやろなあ)



なので 部屋にはいるなり 生活臭も生活感もムンムンで


すべてが1分もあれば その人(先生)の生活ぶりがわかってしまう


目の前は台所だ

台所いうより 炊事場ってやつやな  笑


さすがになかったとはおもうけど

(っちゅーか そんなとこまで観察もしてへんし 子供やったので 興味もなかった)

流しに洗い物があったら丸見えやったんやろなあ・・

(あったこともあるかもしれんなあ・・ぷ)


奥には炊事場(でも3歩でたどりつく)

後ろにはタンス

前に 小さな小さな黒板をおいて タンスと黒板のあいだはわずかに

1メートルもなかったような狭いとこに





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爆笑!


あれが各自の机やった


もちろん 畳の上に直接座る


ボロボロのせんべえみたいな座布団が各自与えられた


それも 片隅に重ねてあって一番にいったひとがそれぞれのちゃぶ台の前に

並べるんがなんとなく約束のようになっていた


先生は当時でも おそらく70歳は超えてたんちゃうやろか


子供の目やったし・・60代なんかもなあ・・


とにかく「頭が真っ白のおじいちゃん」やった



生徒は 男子が2名と女子が3名(多少の変動あり)


女子はそうでもないんやけど 男子の2人は


学校でもトップクラスの秀才やった


学校では 「かしこグループ」やおもて 口も利いたことのない男子


それが その「塾」でしゃべるようになり


・・ってゆか しゃべってみたら すごい気さくで すごい優しい人やった


全然 かしこいとこをはなにもかけてへんし 気取ったとこもない



・・で 授業いうんか・・は 全然 教科書のことなんか教えてくれんかった


(^Q^)/゛ギャハハ


ひたすら

漢字の読み書きや ことわざ?みたいなんや

(漢字の読み書きいうても 教科書にでてくる漢字やのうて

「こんなんよめんぞ」みたいな 変な漢字ばっか)


英語は ひたすらに


「発音」のしかたばっか



・・で半分は そんな勉強と残り半分は 


先生のうんちく?(体験談)ばっかし・・


マジ なにしにいっとんかわからんかった


わははははははは


人生70年?もいきとったら いろんな話も積もり積もっとるわなあ


その思い出話につきあわされとったようなもんや


そんなんで 


「全然 学校の勉強教えてくれへん」ってやめていくひとも

おったけど あたしは「塾」というんはこんなんなんや?

(むかしからあほでんねん)

と はじめのうちはそうおもてたし(ぷ)


どっちみち「勉強」したくていったんちゃうかったので


「楽しかった」からしばらくは通ったなあ


おまけに 学校一の秀才もおったので「宿題」教えてもらえる


塾では わけのわからんこと教わって


同じ生徒に 宿題教えてもらう・・という なんともすごいことをしてた


最初は秀才くんも 熱心にあたしのあほを改善しようとしてくれてんけど


「わからん」「しらん」「そんなんむずかしいからいや」


その繰り返しに とうとうあきらめた


途中からは 「宿題」を丸写しさせてくれるようになったし


もっと途中からは


(クラスは別やったので 宿題も別)


「あたしの宿題」を やってくれるようになった


がははは



そのアパートを出たところに これまた小汚い「串かつや」があった


塾がおわって みんなで 2本か3本こうて 道端で食べるねん




秀才でも串かつ食べるんやー って みょうにカンゲキしたわ



おんなじもん食べとんのに なんで頭の出来はちゃうんやろ・・


ほんまに不思議やわ


でも その一緒に食べた串かつ おいしかったな〜



結局1年か2年ほど通ったかな



「習い事」は あれだけやな〜



大人になってからは 料理教室にも エアロビクスにも

スイミングにも 「自分の選択と意思」でいったけど


どれも 長続きはせんかった




あたしにも隠れた才能がほんまはあったんかもなあ〜(ないない)


容姿と性格がええんやから 我慢しよか


ぎゃはははははははははははは




(●・・●)れお





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