そうすいの日記
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赤信号で道路を渡る。 その時人は、少なからず罪悪感を覚える。 「俺は今、社会のルールを破っている」 自覚はある。自覚はあるが、何故だか無性に渡りたくなってしまうのだ。 周りでは大勢の人間が信号が青を示すのを待っている。 ここで自分一人が渡ることは、何か大きな間違いのような気がする。 しかし、すでにそこで踏みとどまることができないほど、渡りたくなっているのも事実だ。 待ち合わせに遅れそうだとか電車が出てしまうとか何か急ぐ理由があったかも知れない。しかし今はそんなことは関係ない。ただ渡りたいのだ。 左右を見回す。車は来ない。チャンスだ。 周りの視線は気になるが、今しかない。 今やらなければ、一生後悔するかも知れないではないか。
渡ろう。
と、こんな具合に信号無視という行為は行われる。 だが忘れてはならない。 「俺は今、社会のルールを破っている」 そう、自覚はあるのだ。 長年に渡って刷り込まれた「社会のルール」は、容易に忘れることを許さない。故に人は罪悪感とともに赤信号を渡るのだ。しかも大勢が信号待ちをする中で渡るのである。罪の意識は自然と大きくなる。 そしてその結果は何をもたらすのか。
今、信号待ちをする私を追い越して一人のサラリーマンが歩み出てきた。 ダークスーツを着たパリッとしたサラリーマンである。 彼は私の前で立ち止まると、忙しなく左右を見渡す。車は来ない。 おもむろに道路に一歩踏み出す。 信号はまだ赤である。 忘れてはならない。 「俺は今、社会のルールを破っている」 罪悪感がもたらすものとは何か。 サラリーマンは道路を渡っていく。 人目を気にするように顔を横に反らせ、自分の行為を誤魔化すようにおどけた仕草で、ぴょこぴょこと飛び跳ねるように走っていく。 考えてみてほしい。 「顔を横に反らせておどけた仕草でぴょこぴょこ走るサラリーマン」 こんな変なものが街で、しかも公衆の面前で見られるなどと誰が思うだろう。
「俺は今、社会のルールを破っている」 その自覚は極めて滑稽な動作となって具現化されるのだ。 しかし、この滑稽な動作を憎む人は希であることもまた事実である。 こんなものを憎むのはばかばかしいということもあるが、それだけではあるまい。 自分も含め、罪悪感の具現化を不思議な感慨をもって見つめてしまうものではないだろうか。
……え、急に何かと思いますよね(汗) 実は宮沢章夫氏(劇作家)のエッセイ風味で文章を書いてみようかなどと思いつきまして…。今日読んでたもので。 たぶんこんな感じ(笑)
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