だいありー

2003年07月04日(金) 思いは同じ・・・

今日はパパの相続の事で会社を休みました。
午前9時に銀行に電話し、
とりあえず後は書類を作成して
相続人、執行人の実印を押して提出するだけで
銀行は終わり。

が、郵便局と不動産の登記の問題があるので
まだまだ当分大変です。

今日はKさんとお医者さんのお母さんである
Sさんが来られました。
お昼を美味しいレストランでランチを食べました。
AさんというKさんのお友達がベンツで
我が家に迎えに来られました。
ぱんちゃん、ベンツに乗るのは
生まれて初めてでし。

(^▽^)/ うわーい






そして夜。






Kさんのご主人も合流して我が家で
お食事会をしました。
元々はSさんが「おいなりさん」作ってきて
くれたんですね。
それを皆で食べたんです。
Sさんも一人で住んでいるので寂しいんです。
とても楽しそうでした。

そのSさんの息子さん(お医者ちゃん)の
話になりました。
その中で、本当に涙した話があります。
ちょっとご紹介します。




Sさんの息子さんは東大在学中(3年生)に
「医者になる」と言って医学部に入りなおしました。
東大に在籍していましたが中途退学し、
医学部は千葉大学の医学部だそうです。
東大卒業したわけではないんですね。
どちらにしても国立だし、千葉大学の医学部も
とても有名ですよね。

ずっと千葉大学で勤めていて、アルバイトや
救急も担当していたので月50万は貰っていたとか。
現在31歳、独身です。(彼女有り)

ある日、Sさん(お母さん)が脳溢血で倒れ、
現在も左半身は絶えずしびれていてビッコひいて
歩いています。
そんなに酷くは無いけれど、ここまで回復したのは
厳しいリハビリに耐え、頑張ったからだと思います。

Sさんが倒れ、その手術も助かる可能性は五分五分
だったんだそうです。
そして、「今度倒れたら助けられない」と
主治医から言われていて、食生活は気をつけています。

その大手術の翌年、ご主人が胃癌で倒れました。
既に手遅れ。

息子さんのいる千葉大学付属病院にて治療をし、
Sさんはリハビリもままならない状態で
横浜から千葉くんだりまでご主人の世話をしに
通いました。

ご主人が亡くなった時、喪主は息子さんが努めました。
Sさんは大手術の後、リハビリも大変で喪主なんて
努められる状態ではなかったんですね。

息子さんはお父様を棺桶に入れることを拒み、
出棺間際までお布団に寝かせ、ご自分はずっと
お父様の亡骸の傍で夜は添い寝していたそうです。
・・・私と同じでした。

出棺の際も仕方ないから棺桶に入れるんだと言い、
それでも「入れないでくれ」と言い出したりも
したんだそうです。

お骨になって帰って来た時、精進落しの後
皆がいなくなってから、お骨の蓋を開け、

「まだ温かいよ・・・。
 オヤジ、熱かったろう、ごめんな・・・」

そう言ってポロポロ泣き出したと言う。

「俺が医者になったために何もしてやれなくてごめんな。
 苦しい時は酸素を送ることしかしてやれなくてごめんな。
 本当なら人の手で生かせられたんだけど、オヤジ、
 苦しむのは辛かったよな・・・」

そう言っておいおい泣いたという。
・・・私も同じだった。
私のHPにある闘病日記には葬儀に関する事は何一つ
書いていないけれど、実は私も同じ事をしたんです。
パパの兄弟たちが田舎から駆けつけて来てホテルに
泊まったので、ママとママの妹(叔母)はホテルに
泊めました。
だから、お骨になって帰って来たパパと自宅で2人きりに
なった時、それまで泣く事を我慢し、泣く時間が会ったら
パパと残り少ない時間を少しでも長く一緒にいたいと
そう思って我慢してきた。

「ああ、もう思いっきり泣いてもいいんだ・・・」

そう思ったら、パパの声が聞きたくて、
パパのぬくもりにもう一度触れたくて、
骨壷を抱いて泣いた。
子どものように声をあげて泣いた。

だからSさんの息子さんの気持は痛いほど良く判るの。
医者であるが故に満足にお父様の傍にいれなかった
自分を、この時、どれほど悔やみ、恨めしく思ったことか。

彼は、そのアルバイトを含め月給50万を蹴って、
大病を患った母が心配で、月給19万の新横浜の傍にある
労災病院に来た。




今日、その話を聞いて、私はどうしてももう一度
パパに会いたくなった。
明日は雨でもパパに会いにお墓にお線香と
お花を持って会いに行こうと思う。

出来れば、もう一度、
パパの顔を見て話がしたい。
パパの声が聞きたい。
パパのぬくもりを感じたいと思っている。

人はどうして後から後悔するんだろうね。


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