| 2003年03月13日(木) |
先日、大師のSさんが遊びに来られました 其のニ |
当時、転院するという事で パパのいる13Fに挨拶に見えられた時は
「先生から”お近くの病院に行かれたほうが”と言われて ・・・つらいのよ。」
と言われ、先生から「1年のお命でしょう」という お話だったと伺っていた。 けれども、実際の話はこうだった。
M先生は転院の話をした時、こう言ったという。
「Sさん、Sさんは抗がん剤が全く効かないので、 お近くの病院に入院されて、家に帰れる時は 自宅に帰ってゆっくり出来るようになさったらどうでしょう。 お近くの病院にはこれまでの経過を詳しく書いて、 何かあればお近くの病院と連絡を取り合って行きますから。」
Sさんのご主人はぱんなパパ同様、 入院する度に自宅に帰りたがったという。 患者の気持を尊重するというM先生らしいお言葉だったと思う。 Sさんのご主人も奥様もそれで近くの病院に行く事にしたという。 Sさんの選択が正しいとか、間違っているとか、 そういう次元の話じゃない。 患者が良く知っている近所の、歩いて数分の所にある病院で、 帰りたい時に帰れる場所にあるということが患者にとっては大きい。 ぱんなパパだって、そうだった。 ただ、パパはM先生が大好きだったし、 最後までM先生だという事を喜んでいた。 もしもM先生が自宅近くの病院にパパと一緒に 転勤にいたならば、パパは迷わず近くの病院に 行く事を望んだろう。
Sさんが最後に入院されたM病院という ご近所の病院は、先生と看護婦さんが 本当に一丸となって看護してくれたという。
「告知され、再発の告知も受けられて 病院に来られた患者さんは初めてだ。」と言い、
「これから先、そういう患者さんが 増えてくるだろうから勉強させて欲しい」
とも言われ、判らない事があれば本当に M病院の先生ががんセンターのM先生に 電話を入れてあれこれ聞いていたという。
それに引き換えパパが点滴だけを受けに行った K病院はどうだろう。 「がんセンターから電話1本ない」と まくし立てるだけで、患者の事など何も考えていない。 こんな病院が存在していていいのだろうか? ・・・悲しいが、こういう病院が実は本当に多いんだけど。
Sさんは、子どもに傍に付いて貰う事を嫌がって、 奥さんを頼り、身体がいう事を効かなくなると イライラをぶつけたり・・・。 甘えたり、イライラをぶつけることが出来るのは やはり妻だけなんだろうな。。。 「寂しいから早く来て」なんて言った事も無いご主人が、 そういって奥さんを待つようになったと言う。 真夏に亡くなられたんだけれど、 亡くなる数時間前まで1時間くらい ウォー、ウォー、と吠えていたという。
「暑いからビールが飲みたいなぁ」 「去年の今頃はビールを飲んでいたのになぁ」
と良く言っていたという。 お小水はぱんなパパとは違い、 管を入れて貰っていたのでオムツを当てる事は無かった。 点滴だけでも栄養剤だから便は出るのだそうで、 2度程浣腸されたが、「出た」という程は出ない。 ぱんなパパは催すけれども、それこそ紙で拭けば 色が付く程度にしか出なかった。
がんセンターに限らず、どこの病院でも多分、 痰が絡むと自分で出す力をつけるために、 自分でなんとか出すように言われる。 リキむとキズが痛むんだけれど、それもまたリハビリ。 でも、SさんはS先生という一番下に付いている先生に 痰を機械で取って貰っていた。 S先生は痰を取るのがとても上手かったらしい。 元気な人だって吸引で痰を取られると苦しいんだけれど、 S先生はとても上手で、
「本当はダメなんだけど、コッソリ内緒で取ってあげるね」
と言って、夜中に病室からこっそりSさんを連れ出して、 処置室で取ってくれていたという。 だから外来などでバッタリS先生に会うと
「Sさん、ボクの顔を見ると嫌じゃない? 吸引苦しかったもんね」
と言って笑いあうと言っていた。
がんセンターに居る時からSさんは
「俺は死ぬのは怖くないし、覚悟している。 でも、苦しいのは嫌だ。安楽死はして貰えないのか?」
とM先生や看護婦さんに聞いていたという。 その度に先生や看護婦さんからは
「安楽死は問題が多くて今の日本では 認められていないんですよ。 だからどんなに患者さんが望んでも、 また、医師が望んでも出来ないんですよ。」
「そんなことを言わないで頑張りましょうよ」
そういう会話が何度かあったと言う。
転院先の病院では、ご主人が自分の先生に
「ともかく楽になりたいから例えどんなに家族が望んでも、 延命はしないで欲しい」
と言ったと言う。 先生も
「判りました。 その時は楽に逝けるように最善の努力をさせて頂きます。」
と言ったという。 7月下旬から個室に入って(状態が悪くなる前から希望して 個室になったそう)奥様がずっと泊りがけで泊まっていたそうで、 食事も洗濯も着替えもお風呂も歩いて2、3分の自宅に帰れば 出来るから泊まりだといっても奥様はそう苦痛ではなかったろう。 最後はご主人が、聴診器を当てようとする先生の手を振り払って
「治らないから聴診器も当てなくて良い」
と言って嫌がったと言う。 奥さんもそのたびに先生に謝るも、先生は気にするでもなく、 気丈な旦那さんだと言われたと言う。 心臓が強く、カルテ上では本当に危ない状態なのに 本人は本当に良く頑張っていたという。
ご主人が亡くなったのは午後10時だった。 容態がおかしくなるまでお話が出来たという。 亡くなった時、フランスから来ていた息子さんが 先生に許可を貰ってビールを買って来た。 ビールに脱脂綿を湿らせて、口を湿らせてあげたという。 お酒を欠かす事の無かった、 お酒が大好きだったお父さんのために・・・。
今でも風邪を引いたりすると奥様はその病院に行かれるので、 お菓子を持ってお世話になったナースステーションに 行かれるという。 私たちもそうだけれども、 「お世話になったから」という気持を患者が素直に持てるか、 持てないかは全て看護婦さんや先生側にある。 こちらから「お世話になりました」とご挨拶に行こうという 気になるというのは本当に懸命に看護している証拠であり、 懸命に治療されていた証。
今はお酒とタバコが好きだった同士、 Sさんとパパと14FのYさんは、 あちらの世界でお酒を酌み交わしていることだろう。
☆ つづく ☆
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