今日は暗い日記になります。 読んでて一緒にブルーになると思われる方は 今日は読まないほうが良いかもしれません。
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24日に退院してきたパパ。 パパは去年、食道癌で外科的治療を選んだ。 昔の人らしく「悪い所は取ってしまえばいい」という 考えからだった。 もちろんそれだけではなく、5年の生存率は 手術の方が高かったからだ。
5年生存率、手術で50%
内視鏡の先生も外科の主治医の先生も、 食道に出来た癌を「変な形だ」と言い、 主治医の先生は更に「顔つきが悪い」とも・・・。 余りにも痩せすぎて、慌てて病院に電話して診て貰っても 転移が判らなかった。 1月末にCTを撮った時は何でもなかった。 だから次の定期的なCTはずっと先だったし、 先生たちもパパの転移は予想していなかったほど パパは順調だった。
どうしてもおかしい
ママが病院に電話してGW前日に入院する事になった。 痩せすぎているから高カロリーの点滴を入れて 体勢を立て直そう。 GW中は入退院もない(短期入院や救急は別)から GW開けに退院・・・先生もそう思っていた。
「折角来たんだから、CTでも撮ろうか」
パパを執刀した先生が言った。
・・・。 その後。
間もなくして主治医が来た。
「食道はなんでもないんだけど、他の所がね・・・」
転移だった。 それも、先生が全く予期しなかった肝臓への 多発転移だった。 まるで、肝臓に散弾銃が打たれたように 数え切れない癌が飛び散っていた。
GW中に治療が始まった。 5FUとシスプラチンの組み合わせ。 恐ろしいほど、パパには良く効いた。 癌が小さくなって消え始めていた。
10月初め。 CTを撮った。
癌が大きくなっていた。 癌が抗がん剤に慣れてしまったのである。
次に行われる抗がん剤は、 まだ国立がんセンターでは臨床段階の抗がん剤という。 とはいえ、胃癌・肺癌では既に認可が下りているという。 食道癌では来年認可が下りる。 一昨年から臨床に入って、使用した食道癌の患者は たったの10名。 私が国立がんセンターで出会った食道癌の患者さんは 転移すると殆どが2,3ヶ月で亡くなる。 臨床にまで持っていける患者さんが中々いない。
その中で、この抗がん剤が効く人は20%という。
新しい抗がん剤投与中は、パパは元気だった。 素人が目に見える副作用も全くと言っていいほど 無かった。
10月24日に退院してから2日はいつもの通りのパパだった。
天気が悪いと、寒かったりすると、 「古傷が痛む」という言葉があるように、ベッドから出ない。 調子が悪い。 昨日、一昨日も天気が悪かったので「だからかな」と思った。 でも、擦るパパの背中には少しずつ付いて来た脂肪が 根こそぎ無くなっていた。
歩くのが大変そうだった。
パパが「世話をかけるな」といって泣いた。
パパやママの前では絶対に泣かないと決めていたのに どうしても我慢できなくて、トイレに行って泣いた。
パパは「川の字になって寝よう」と言った。 素直にママの横に寝た。
夜中にパパが何度でも起きる。 トイレも大変だった。 「近いうちに歩けなくなるだろう」と思った。 それほど、ヒョロヒョロになっていた。 寝言を言い、布団を全部はだけている。 夜中に起きて布団を掛けなおす。
「ああ、介護ってきっともっと大変だろうな」
と率直に思った。 10月30日はがんセンターまでは歩いては行かれない。 私が会社を休んで車椅子を押す事になる。 先生に電話を入れて30日前に診て貰おうかと思っている。
内科の主治医の先生が言った。
「こんなに抗がん剤が効いた患者は珍しいんですよ。 2ヶ月で命を脅かす状態になると厳しいお話をしてから 5ヶ月も普通の生活をなさっていたというのは、正直 ボクも余り見た事がありません。」
と。 国立がんセンターの先生が言うのだから、 パパは本当に珍しい患者だったのかもしれない。 来年いっぱいは無理でも、今年いっぱいは 何とか頑張れると思っていたのに、 この感じでは年内持たないかもしれない・・・。
変われるものなら変わってあげたい。
誰か、ぱんなの命を半分でもパパにあげる事が出来る 技術を持った人を知りませんか。
ぱんなはパパと血が繋がっていません。 パパとママは再婚同士で、ぱんなはママの連れ子なのです。 ぱんなは困った事に自分の苗字が変わったことを 覚えていました。 3歳の頃です。
色々と衝突はあったけれど(グレたりはしなかった) 高卒後、自分で専門学校を出ました。 学費を自分で出すという事がどれほど大変かを知った。
ママとの再婚の条件が 「ぱんなをひもじい思いにだけはさせないでくれ」 というのが条件だった。
ぱんな、良く覚えてる。 ママ(製薬会社に勤めてました)を迎えに行く時、 必ず大きな焼き芋や、自分の顔よりも大きなパンを 持たされて車の中でカジっていたことを。
ずっと、一緒に暮らしてきて ぱんなとパパは紙切れだけの関係じゃないと思っている。 もう親子なんだと。 自分がボロボロになろうとも、 パパの看護・介助はしてあげたいと思う。
みんなはそんなぱんなに 「自分の本当のお父さんじゃないのに偉いわね」 と言う。 パパには 「自分の本当の子どもじゃないのに幸せね」 と言う。
パパはその度に「ありがとう」とぱんなに言う。
ぱんなは「ありがとう」とパパに言われるのが嫌いだ。 当たり前の事を当たり前にしかやっていない。 「ありがとう」と言われるような事は何もしていない。 自分の出来る範囲の事しかやっていない。 だから「ありがとう」じゃなくてもっと色々と要求していいんだよ。
トイレも介助も鼻水を拭くのも痰を取るのも 汚いと思ったことは無い。
パパ、一緒にがんばろう。
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