みちる草紙

2007年03月15日(木) サン・ドニ〜コンシェルジュリ〜ノートルダム

3月14日(水)の記録

アルバム
写真の整理が全然追っつかない(ー_ー;) 200枚あります。

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この日は、何時に起きたのか正確に覚えていないが
前日鬼のように歩き回った疲れが溜まっていたようで
寝起きが悪く、6時にセットした目覚ましを何度も止めては鳴らし
7時頃になってようやくベッドを出たのではなかっただろうか。
朝食に下りて行ったのが、確か7時半を過ぎていたから。
多少身体が重いが、一晩寝たら足の付け根の痛みは取れた。
前夜は足を組むのも辛いほど股関節が痛んだものでした。

日本人女性二人組と一人の白人男性が、昨日と同じ席で食べている。
用意されたメニューも昨日と全く同じ。目新しいものは何ひとつない。
パン、コーヒー、ハム、ヨーグルトで食事を終える。
ゆで卵とシロップ漬けフルーツは、それぞれ半分ほど残してしまいました。

昨夜も思案したけれど、今日も出かけるギリギリまで悩んでいました。
それは、サン・ドニ・バジリカに行くべきか行かざるべきか・・・。
バジリカ聖堂は、パリ郊外サン・ドニにある、フランス王家の墓所です。
昨日ヴェルサイユまで行けたのだから、場所が郊外であること自体は
別に構わないのですが、問題は治安面でした。

“うらぶれた場所にあり観光客向けではない”
“何故あんな治安の悪いところにあるのかと泣きたくなった”
“駅が近づくにつれアラブ系など有色人種が多くなり怖かった”

過去に訪れた人たちの、このような感想を目にしていたからです。
けれども、果して真っ昼間でもそんなに危ないのだろうか。
危険な場所であるなら、何故ガイドブックに警告が一切ないのか。
取りあえず出かけることにして、どうするかは道々考えることに。
のろのろ支度したあと逡巡したため、10時を過ぎてしまっていました。

本日の最初の目的地は、シテ島にあるコンシェルジュリ牢獄。
メトロ1号線でシャトレ駅に行き、4号線に乗り換えてシテ駅へ。
ところが“Cite”のホームが見えたのに、電車が止まりません。
あれ?と思っていると、サン・ミッシェル駅で停車しました。
一体何を間違えたんだろう。とにかく戻らなければ。
反対方向に行くのに、日本のように同じホームからは乗れないので
階段を上り、反対方向行きのホームへ渡って乗り換えました。
で、今度もやはりシテを通過し、シャトレに戻ってしまった・・・。

ここでやっと扉上の停車駅図を見て、シテ駅に×が付いており
工事中で閉鎖されているのだということに気付きました。(遅い)
フランスではよくあること、と書かれてあったなぁ、そう言えば。
でも、それがあまりピンとこなくて、気にとめていなかった。
実はコンシェルジュリまでは、シャトレからもサン・ミッシェルからも
歩いたところで訳ない距離なのでしたが、想定外で頭が回らず。

コンシェルジュリは後まわしにして、じゃあ最初にどこへ行くか。
ひとまず1号線に戻り、パリのシンボルの一つである凱旋門を見に行こう。
そこまでの途中の停車駅に、シャンゼリゼ・クレマンソーがあります。
ここから13号線に乗り換えればサン・ドニに行ける。どうしようか。

シャルル・ド・ゴール・エトワール駅から地上に出ると
堂々たる威容を見せて、凱旋門が眼前にぬっと現れました。
写真で見て想像していたより、ずっと大きなものでした。
お〜♪あれはまさしくラ・マルセイエーズじゃあ〜♪

側にあったベンチに腰掛け、惚れぼれと眺めていると
後ろから『パードン?』
と声をかけられました。見るとカメラを持った老夫婦です。
あまり流暢でないフランス語で何か言っているので
「シャッターを押しましょうか?」
と英語で訊いてみると、やはり英語圏の人たちでした。
シャッターボタンの位置を確認し、カメラを預かると
ベンチに並んで足を組んで座る二人の背景に
凱旋門がうまく収まるよう、しゃがんで撮りました。
『どうもありがとう』「どういたしまして」
凱旋門をあとにしながら決心がついた。サン・ドニに行こう。

1号線でシャンゼリゼ・クレマンソーに行き、13号線のホームに出ました。
ここからサン・ドニ・ユニヴェルシテ行きの電車に乗ります。
乗客層が1号線とどこか違い、確かに異様な雰囲気に満ちていました。
有色人種が多いというのは本当だ・・・しかも薄汚い恰好をした・・・。
女性が多いところを選び、空いた席に身体を固くして座りました。

私の向いには、バックパックを膝に抱え耳にイヤフォンをさした
若い白人女性が腰掛け、ゲームのようなものを必死にいじっています。
途中で乗ってきた黒人の男性がその隣に座り、そちらをじっと見ている。
女性はバッグからがさごそパニーニを取り出し、かぶりつきました。
電車に乗っていて驚くのは、そこでものを食べる女性が案外多いことです。
その女性もゲームをしながら、周囲の視線お構いなしに食べています。
隣の黒人が何かしきりに話しかけていましたが、聞こえないらしく
まるっきり無視。もしかして、イヤフォンはそのためのものなのか?

停車駅で私の隣の人が降り、入れ替わりに乗り込んできた
恰幅の良い大男が、人に思い切り身体をぶつけてドカンと座りました。
カチンときた次の瞬間、「うっ!くさっ!Σ(|||☉☉)」
何年風呂に入ってないんだ・・・というにほひを漂わせたおっさんの腕が
私の腕に密着している。ひい!た、助けてくれ気持ち悪い・・・!!
女の子に相手にされない黒人の視線が、目を合わせなくても
こちらに時々投げられているのを感じます。
様子を窺っている?私だってお前なんか相手にしないぞ。
鞄を膝の上でしっかり抱え、殊更に渋面を作ってそっぽを向いていました。

そのうち、隣の不潔なおっさんが連れの老婆と共に降りて行きました。
老婆は家財一切を詰め込んだような乳母車を引きずっていました。
ううむ、やはりあの人たちは・・・。

バジリク・サン・ドニ駅は思った以上に遠く、なかなか着きません。
無事目的地に行けるのだろうか。思わず神に祈ったりしてみる。
自分が今、危うい心もとない状況に置かれているということを認識しつつ
他に多くの乗客がいることと、まだ午前中であるという事実が
恐怖を和らげ、少しの勇気と落ち着きを与えていました。
まさか、乗っている全員がグルになって襲いかかる訳じゃないだろうし。
でも、万一暴行を受けたりした場合、周囲の人は見て見ないふりを
するんだろうか。降りて通報してくれる人はいるのだろうか・・・。
ふと顔を上げると、向いにいた黒人はいつの間にかいなくなっていた。

実際、乗っていたのはほんの20分程度だったのかも知れませんが
絶えず気持ちを張り詰めていたためか、遥かに長く感じられました。
とうとう、無事にバジリク・サン・ドニに到着。心の底からの安堵。
ホーム端の階段の途中に、浮浪者風の男がべったり座り込んでいる。
それをよけて上り、駅の外へ出ました。

ビルには洋服屋のテナントだとか、商店の類はぽつぽつとありますが
パリ市中とは違い、そこは寂れて静まり返った下町という風情。
ずっと以前住んでいた椎名町(トキワ荘が有名)の駅前に似ている・・・。
地図がないので、出口の右と左、どちらに進めば良いのか判りません。
左側には、目立った飾りも何もない広場がありました。
その先の建物の一階に観光案内所を見つけ、そこに向いました。

「ボンジュール」
『ボンジュール。何かご用でしょうか?』
そこには眼鏡をかけた親切そうな男性がいて、英語を話します。
「サン・ドニ・バジリカ聖堂へはどう行けば良いのでしょう?」
『そこですよ』
男性は通りを指差します。
「この通りを真っ直ぐですか?」
と言いながら指された方を振り返ると、本当にすぐ真後ろに
バジリカ聖堂の建物がどどんと建っていました。気付かなかった!
「ああ!こんな近くに!有難うございます」
すると男性は、パンフレットを色々と取り出しながら
『どちらの国から来られたのですか?』と訊きます。
「日本です」
『これは日本語で書かれたものです。どうぞお持ち下さい』
そう言って、何種類ものサン・ドニの観光案内をくれました。
「有難うございます。オールヴォワール」

寂れた場所にあっても、やはりここはれっきとした観光名所なのでした。
建物の正面にはトラックが何台か停まり、道路が掘り返されています。
ヴェルサイユ宮殿も工事中だったな・・・3月だからかな。(フランスも?)
右手の入口で、見学に訪れた何人かのご老人が入場券を買っています。
パリ・ミュージアム・パスを見せると、券をくれ、扉の方を示される。
お年を召した男性が、先に入って重い扉を押さえていてくれました。

中に入ると、そこは広く高く、ひっそりした静寂の空間でした。
見上げれば、数多の色を鏤めた見事なステンドグラスの薔薇窓。
石柱が幾重にもドームを形づくり、引き込まれそうに高い天井。
年月の経過に黒ずんだ石の色。蓋の上に石像の横たわる多くの棺。
ここは、フランス代々の王者が仲良く枕を並べて眠るお墓なのです。

地下のクリプトに入ると、夭折した王太子ルイ・ジョゼフと
両親の刑死後、幽閉生活のすえこれも幼くして病死したルイ17世の
横顔のレリーフが、通路の両側にそれぞれ向き合ってありました。
長年真偽が問われ、本物とのDNA鑑定結果が出たルイ17世の
ミイラ化した心臓が容器に納まり、レリーフの下に安置されています。
近づいて見ると、からからになった心臓は、細いワイヤーで
容器の中に宙吊りになるよう固定されていました。

そこを過ぎると、黒い墓石が二列に六つ、床に埋め込まれ並んでいます。
中央の二つがルイ16世と王妃、手前がルイ18世のもの。
ルイ16世夫妻の遺体は、当初マドレーヌ墓地に葬られており
王政復古後、掘り出されてサン・ドニに改葬されたので
安置されているのは完全な遺骸ではなく、それらしき一部に過ぎません。
墓石も、歴代諸王のに比べ、装飾を省いた簡素なものです。
老人のグループがひたひたとそこを通りながら見て行きました。
『見てごらん、あれがマリー・アントワネットの墓だよ』
英語で囁いていました。

クリプトを出て、聖堂の中を隈なく見て回りました。
窓という窓に嵌め込まれた鮮やかな大小のステンドグラスが
日光をかざして、冷たい石壁を美しく彩っています。
中世期に建てられて以来、王が死ぬ度に遺体を運んだ場所。
ここまで足をのばす観光客は稀なのか、見学者はごく僅かで
堂内はしんとしており、自ずと厳かな清澄な気分になります。
並んでひざまづき祈りを捧げる、ルイ16世夫妻の石像がありました。
王冠を戴くルイは、祈祷台の上で聖書を前に両手をあわせ
アントワネットはヴェールを被り、俯いて何か押し頂くように
両手を胸の前でゆったり交差させています。

不思議に清々しい気持ちで聖堂を出ました。13時前でした。
思い切って来てみることにして良かったと思いました。

再びメトロ13号線に乗り、パリ市内に戻ります。
何故か勇気が漲り、今度は少しも怖くありません。
また女性の多い一角を探し、本を読んでいる東洋人女性の隣に
腰を下ろしました。向いに座ったロングコートの大柄なおばさんが
大きなバッグの中からサンドイッチを取り出し
むしゃむしゃ食べ始めました。また食べてる。また女の人。
なるべく見ないよう視線を落としていましたが、気になって仕方がない。

シャンゼリゼ・クレマンソーで1号線に乗り換え、コンコルドで降りました。
昨日の夕刻訪れたコンコルド広場、昼間は違う表情を見せている。
そこからほど近いマドレーヌ教会に向かいました。



つづく


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