へびのさかあがり


もくじ


2008年09月11日(木) 9.11


米国の同時多発テロの日は、当時西小山のウィークリーマンションに住んでいた彼女の部屋にいた。
会社を出て、食事を済ませてから彼女の部屋に入った。
テレビをつけると、壁の一部が壊れ、煙のもくもくと上がっているビルが写っていた。
そこに旅客機が近づいていって、あれよあれよという間にビルに衝突した。
僕は、よくできた映画だと思った。
しかしすぐに、それがニュース映像であることに気づいた。
とんでもないことが起きたと気づくのは、もう少したってからだった。
おかしな話だが、テロということが思い浮かばず、事故だと思った。
2機も飛行機のぶつかる事故があるはずがない。
テロという禍々しい犯罪の現場を、いま起きていることとして目撃したのだ。
しかしカメラを介して伝わってくる画像は、どこかよそよそしかった。テレビという枠の中に収まると、どんなことが起きても、それが驚きに変わらないのだ。
やがてビルは砂のように脆く崩れ去った。
今まで見たどんな残虐映像よりも、ずっと惨いことが起きているのをいま目撃している。それはさすがに分かったが、実際のところ、何も分かっていなかった。
分かってきたのは、事件の全貌をあとから活字で読んだときだった。
テレビというものの本質を、少なくとも僕にとってはどんなものであるかということを、そのとき僕は知った気がする。

付き合っていた彼女とはその後結婚して、そして別れた。
同時多発テロ事件のことを聞くと思い出すのは、あの狭いウィークリーマンションの部屋である。
2001年ときくと、そんなに最近のことだったのかと思う。もう遠い昔のことのような気がするのだ。


2008年08月14日(木) 忍び込む眼


 Googleマップのストリートビューというサービスがいまたいへん話題になっています。
 たしかに自分の住居や会社の近辺、あるいは過去に住んでいた街など、部屋にいながらにして見て歩けるのは面白く、私も最初は夢中になってしまったクチです。
 でもあとから考えると、なんだか少々気持ち悪いコトが起きているという気もするのです。

 もちろんGoogleストリートビューで見られるのは公共の道路から見える風景ばかりで、私道に入ったり、まして私有地に入ったりはしていません。
 しかし公道から見える風景は間違いなく個人の家屋や庭、あるいは非公共の建造物なのです。それを勝手に撮影してインターネットで公開するというのは、どうなのでしょう。

 法律的には、たぶん問題でないのでしょう。そうでなければあんなサービスはやらないと思います。
 しかしそれは法律がこうした新しい技術を想定していない、ということに過ぎません。
もし自分の住んでいる家やマンションを、公道からでも、パチパチと撮っている人がいたらどう思うでしょうか。やはり気持ち悪いと思うんです。場合によっては、「なぜそんなことをするのか」と問い質したくなるかもしれない。インターネットで公開するのだと言われたら、抗議したくもなるでしょう。
 でも、Googleがやっているのは要するにそういうことなんだと思う。

 公道から風景を見るということと、それを撮影するということには何か違いがあります。ましてそれをネットで公開するということとの間には、相当の開きがある。
 通行人にちょっと見られるくらいなら、公道から見えるところに洗濯物を干すことだってあるでしょう。でも、それが撮影されて全世界に公開されるとなったら話は別だと思うんです。
 これからは、家の窓を開けて夕涼みなんてことも、おちおちできなくなるのかもしれません。

 かつてさかんに警鐘を鳴らされた「総監視社会」なるものが、権力者によってではなく、民間によってじわじわと実現しているような気がして、どうも薄気味の悪い気がするのは私だけでしょうか。

<ご意見・ご感想などはコチラ



2007年03月19日(月)


その店は、僕がいつも下校する道からちょっと冒険して、迷い込んだ小さな路地の片隅にあった。
高校時代の話だ。つまりもう20年以上前である。
軒先に古ぼけたギターが吊されていた。当時ギターを弾くことに夢中になっていた僕は、引っ込み思案の性格(これも当時)であったのに、その飾りに惹かれ、勇気をだしてその店の戸を開いた。
中は薄暗かった。
よく見ると、古い楽器のようなもの、あるいは茶器や喫煙具、その他素性のわからない道具が棚に無造作に並べてある。
主人は奥の椅子に座っていた。どんな色の服を着ていたか、憶えていない。あまりに周囲と同化していて、その主人じたいが、陳列されている売り物のひとつのように見えた。

奥の陳列棚に、生首があった。
きちんと刈り込まれた髪を七三に分けた、謹厳実直なサラリーマンという顔つきだ。
かっと見ひらいた目でこっちを見ている。
僕が動くとその男の目も動く。

と思ったのは気のせいで、もちろん作り物の首だ。
ただ、薄暗い中で見ると気味悪いほどリアルで、僕は背中に冷や汗をびっしょりかいてしまった。
何のために、誰がそんなものを作ったのか、よくわからない。
店を出るとき、僕はその首にずっと見られているような気がしてしょうがなかった。

-----
当時、部活の同級の女の子とつきあっていた。
いや、つきあっていたと言えるかどうか。
僕はとても臆病だった。性欲を感じることが罪のように思えて、あまり女の子の近くに寄らないようにしていた。
そういう場合、往々にして欲望は妄想の中で屈折したかたちをとる。
ある日僕は夢をみた。
棚の上に彼女の生首が乗っていた。こちらの棚は妙に明るい。
彼女は目を閉じて眠ったようにしている。
僕がその唇に自分の唇を重ねると、彼女の目がかっと見開かれる。
そして僕は夢から醒めた。

-----
その店のあった場所に、その後僕はなかなかたどり着くことが出来なかった。
道を憶えるのが、元来苦手だ。
ようやくその場所に行ったとき、そこはもう更地になっていて、その建物はあとかたもなく消えていた。
そうなると、古ぼけた主人も、薄暗い棚も、そこに載っていた首も、すべてが幻だったような気がしてきた。

そうだとしたら、僕のみた夢はいったい何だったのだろうか。

手も握ることがなく別れたその女の子とは、その後ずっと会う機会がない。
ただ、重ねることのなかったはずの唇の感触だけが、妙に生々しく残っている。


2007年03月09日(金) 火事


先月の4日に、溝の口で大きな火事がありました。
ニュースにもなったので、ご存じの方も多いと思います。

火事になったのは西口商店街。どんどんお洒落になっていく溝の口界隈で、取り残されたように古い商店が軒を連ねていた場所でした。
聞いた話では、溝の口で再開発が進んだのはバブルの時代。
当時、西口商店街もその対象になっていたのですが、バブルがはじけたために計画が頓挫してしまったらしいです。

かつて溝の口の会社に勤めていた弟はそうした時代の溝の口を知っていて、「ずいぶん変わってしまった」と言っていました。
私の知っているのは「お洒落な溝の口」の時代だけです。
でも、この街で生活をすると、「労働者の街」という、溝の口のもう一つの顔がいろんなところに見えてくる気がします。
ちょっとした定食屋とか、立ち飲みやとか、娯楽施設とか。
私は、それでかえってこの町に親しみが湧いてきたのでした。

先日、平日の昼間というのに私は溝の口にいました。
火事のあと、はじめて西口商店街に入りました。
なんでそのあたりにさまよい込んだのか、今となってはよく憶えていません。

燃えたのは西口商店街の一部だったようです。古い店舗がぎゅうぎゅう並び薄暗かった路地が、建物がなくなって驚くほど明るくなっていました。
そこだけ時間が止まっているようでした。


「あー、あのそば屋も燃えちゃったのか」などと思いながら野次馬根性まるだしてのぞき込んでいると、突然、妙に悲しい気分に襲われました。
あまりに唐突で、なんでそんな感情にとらわれたのが自分でも訳が分かりません。

燃え残った黒い建物の奥の方で、誰かがしゃがみこんでこっちを見ていました。
なんであんなところに人がいるのだろう。
気のせいでしょうか。
いや、私はたしかにその人の目を見たのです。

私はその場所から慌てて逃げ出しました。

-----
西口商店街から駅への階段を上ると、いつも見慣れた改札が現れます。
JR南武線との連絡通路。人の流れが止まらない、賑やかで活気に満ちた溝の口がそこにあります。
私は馬鹿のようにそこに突っ立っていました。何か大事なことを思い出せないような気がしたからです。
迷惑そうな顔をして、ビジネスマンや学生が私をよけて通り過ぎていきました。

ようやく田園都市線への改札を通り、ホームへの階段を上る頃には、もう1か月か2か月すればこの街を去るのだと考えていました。
3月というのに夏のように暑かった午後のことです。


へび |MAILHomePage

My追加