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一月ほど前になりますが、このHPをご覧くださった、お子さんにピアノを習わせていらっしゃるお母様から、メールをいただきました。 そのメールには、先生が変わったことでお子さんに起きた変化が、ご家庭のお母様の目を通して、わかりやすく書かれていて、それは、指導者の側から見たのでは判らない…と思われるものでした。
おそらく、心あるピアノ指導者であれば、これを読んで、何か感じることがあると思います。 私だけが読むのでは勿体無いと思い、許可を得た上で、掲載させていただきます。
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私の子供の体験ですが、お話しさせてください。 私は全く弾けない読めない親です。 大手教室の個人で習っています。 1年前先生の都合で先生が変りました。 その先生良く褒めてくれてはじめはうれしくしていたのですが、練習の時間が前と比べて少なくなりました。 私が「もう少ししたら」と声をかけたら「大丈夫これくらいで○もらえるから。」 ある日は練習してなくて○もらってさすがに褒めてもらっても??だったようです。 私もそんなものなのかな。 と思って気にしてなかったのですが・・・・ とうとう「今の先生では、私上手にならないと思う。上手になりたいから先生かえてほしい。」 と子どもの口から・・・びっくりしました。 私も早く先生に相談すればよかったのですが、もう信頼関係も無くなってしまっていて困りました。 相談して、またこの先生に習っても信頼してないからだめだなあ。と思ったので お店の方に相談して1番演奏が上手で厳しい先生にかえていただきました。 大きい子を多く指導されていて厳しい、鍛えられるといわれています。 今は子どもも8歳なので厳しくいくないですが、指導は細かくてなかなか○がもらえません。 その方が燃えるらしく絶対今度こそ○もらうぞ〜頑張るぞ〜と練習に励むようになりました。 どうして○じゃないのか指導があるので「ここと、ここが出来ていないから」とわかって練習も出来ています。 演奏も「先生凄い上手。先生に習っているから絶対私も上手になる。」と子どもも信頼しています。 我が子の場合で他の子がそうなるとは思いませんが。 素人の私が思ったことは、演奏が上手な先生はやっぱりコツを知っています。 目から鱗・・・スラーがきれいにつながったり、鍵盤の押し方で音が変ったりすると 先生のもっているもの、知っていることしか教えられないから、やっぱり演奏が上手な先生がいいかなと思いました。
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| 2004年09月06日(月) |
8月1日のlesson de ラ・パレット… |
レポートが大変遅くなってしまいました。
真夏日連続日数を更新中の暑い日でしたが、いつも以上に大勢の皆様に集まっていただいて、充実した一日となりました。 レッスンを受けてくださった生徒さんにとっても、大勢の聴き手がいる前でのレッスンは、張り合いのある、充実したものだったのではないかと思います。
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11:00〜 プレ・インヴェンションより 春(W.Fバッハ) グリーグ ピアノ名曲集1より 妖精のおどり バッハ インヴェンション4番
12:00〜 クラマー・ビューロー60練習曲より、 No.40、42 バッハ フランス組曲No.5より バルトーク ミクロコスモス3巻より
13:00〜 クラマー・ビューロー60練習曲より、 No.40、42 バッハ フランス組曲No.5より Mozart / Valiationen Menuet de M.Duport KV 573
《休憩&お話》
14:45〜 BEETHOVEN ソナタ op.7 CHOPIN エチュード op.25-8 DEBUSSY 喜びの島
16:15〜 Mozart / Valiationen Menuet de M.Duport KV 573 Poulenc / Les soirees de Nazelles より数曲
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昨年もそうだったのですが、8月というのは、コンクールシーズンのため、コンクールの課題曲を弾いてくださる生徒さんが大勢いらっしゃいます。 その点で、聴講される先生方にとっては、いつも以上に興味深い内容だったのではないでしょうか。 今回は、コンクールの課題曲となっている同じ曲目を弾いてくださった生徒さんが2名、しかし、それぞれの生徒さんに、北川先生がおっしゃることは、違っていて、それも興味深く感じます。 これは、全く違うことを要求する…というよりも、それぞれの生徒さんの能力に応じて、その時に、最も必要とすることをおっしゃる…というもので、なるほど、確かに、先生のアドヴァイスを受けた後の演奏は、大きく変わっていて説得力があります。 北川先生は、決して、演奏をご自分の好みに変えようとなさるわけではないので、生徒さんも、受け入れやすいのかも知れません。
前半の小学生の生徒さんと、後半の留学先から戻られた生徒さんが、モーツァルトの同じ変奏曲を弾いていらしたのも、印象的でした。 両方をお聴きになった方は、同じ曲目だから…といって、小学生と大人では同じことを要求されるのではない…というのが、如実に分かったのではないかと思います。 音楽というのは、本当に奥深い…。そういうことを、言葉ではなく、音楽で教えていただいた気がします。
この日のもうテーマの1つでもあった、『柔軟性のある演奏』というのも、言われてみれば当たり前のようにも思えるけれど、余り一般に重要視されていない気もする、興味深い考え方でした。 これは、今、私自身が最も考えたいテーマの1つでもあったのですが、教える際に、将来、どのような演奏を目標として指導していくか…という根源的な問題でもあります。 ソリストとしてだけでなく、室内楽や伴奏、また協奏曲などで、他の奏者と合わせて音楽を作っていくときに、この『柔軟性のある演奏』ができる…という能力は欠かせないものである…というのは、言われてみれば、非常に納得がいくものでもありました。
今回、初めて、前半と後半の間の休憩時間に、昼食をとりながら、北川先生を交えて雑談をする時間をとってみました。 お話をしているうちに、前半のテーマめいたものの復習になっていたり、後半への予告になっていたり、そのほか、日頃の疑問も質問したり…と、レッスンを聴講するのとは違った角度から、ピアノを弾くことや教える事について、考えるヒントを沢山いただいた時間となりました。 これによって、会場の雰囲気が和やかになったのも、嬉しいことでした。
会場準備のお手伝いの手が足りずに、聴講を申し込まれた皆様に数日前にメールでお願いしなくてはならなかったのですが、それに対して、大勢の方が名乗り出てくださったのが、心強く、また、聴講皆様の北川先生への敬愛の気持ちを感じたできごとでした。 改めて、お礼申し上げます。
お陰様で、この公開レッスンも、丸二年続けることができました。 3年目の第1回目は、10月3日となります。 皆様のお申し込みをお待ちしています。
今の日本社会に於いて、あらゆる面での二極化が進んでいる…というのは、しばしば聞かれることです。 実際、生活していても、この二極化現象を肌で感じることも多く、「勝ち組」とか「負け組」などという言葉が流行るのも、このような社会の実態と深い関係があるように感じています。
このような時代背景の元、ピアノのレッスンが影響を受けないわけがありません。 販売されているテキストも、楽譜がきちんと読めて、楽しんでピアノに向かえるように…というモノから、如何にして、テクニックを磨いていくか…というものまで、様々です。 もちろん、こういうことは、今に始まったことではありませんが、それにしても、その分かれ方が、よりハッキリしてきているような気がします。 プロを目指して研鑽するお子さんと、趣味の情操教育として取り組んでいるお子さん…というのもありますが、そういった表面的なことよりも、親御さんにとって、音楽がどのような意味を持っているか…とか、謙虚に学ぶ姿勢をお子さんに教えられるか…の方が、実際には、大きな影響があるようにも見えます。
確かに、二極化というのは、取り組んでいる生徒さんにとっても、指導者にとっても、保護者にとっても、楽な面(というと語弊があるかも知れませんが)があるように思います。 本格的にやりたいお子さん、やらせたい親御さにとっては、良いライバルに恵まれた中で研鑽するのは、魅力的なことでしょうし、趣味で楽しく…というお子さんも、自分のペースで学ぶことができたほうが、ストレスが少ないでしょう。
でも、そう簡単に割り切れないのが人間でもあり、音楽でもあります。 厳しく本格的に学んでいる…と思っていたのが、音楽の魅力を見失ってしまったり、基礎的なことを実は取りこぼしていたり、趣味で楽しければ…と思ってはじめたはずなのに、音楽の魅力にはまり込んでもっと上のレベルを目指したくなったり、上手なお子さんが何を弾いているか気になったり…。 そういった、お子さんの変化に、キメ細かく対応していく…という視点から眺めると、この二極化は、決して歓迎できるものではないように思えます。
一番大切なのは、指導者が、そういった現実に振り回されないことかも知れません。 情報自体も二極化している現在、それができるのは、一部の限られた人たちだけなのかも知れません…。 そう考えると、とても複雑な気持ちになります。 でも、その限られた人…というのは、決して、住んでいる地域や、頭の良さ、経済的余裕などを持つ人…という訳でもないような気がします。 むしろ、そういう表面的なことから自由でいられる感性の持ち主、そして、音楽の奥深い素晴らしさを感じることができる人…なのかも知れません。
心のアンテナを高くあげて、この二極化時代を乗り切っていきたいものです。
| 2004年06月19日(土) |
コンクールの本当の問題点 |
ピアノを熱心にされている方の中には、コンクールに挑戦されている方も、多くいらっしゃることでしょう。 これだけ、コンクールが花盛りなのですから…。
しかし、それらの多くは、『学習目的のコンクール』であって、そこでの成果が直接、プロの音楽家へ登竜門になるわけではありません。 それぞれのコンクールによって成り立ちは様々ですが、日頃、一生懸命に勉強しているお子さんや応援しているご家族の励みになるように…というのが、主な目的と言っていいと思います。
実際、ある程度、弾ける様になった段階でコンクールに出ることで、本人のみならず、ご家族のサポートする意識が高まるのは事実ですし、それが良い方向に向けば、ピアノの上達には多いに役立つものです。 また、日頃弾かないレパートリーに挑戦したり、一曲を長く深く勉強することで、新たな成長のチャンスとすることも出来るでしょう。
ところが一方で、親御さんが熱心になりすぎて、お子さんの負担になったり、せっかく勉強したことが評価されない…と感じて、自信をなくしてしまうケースもあります。 また、コンクールの曲ばかりを一生懸命にやりすぎて、基本的な勉強がおろそかになり、結局、遠回りをしてしまう、また、生徒さんや保護者ご自身は、遠回りをしていることに気付いていない…という場合もあり、コンクールを利用する難しさを感じさせられます。
けれども、コンクールの一番の問題点は、これらとは別のところにあるように思うのです。 それは、コンクールに依存してしまうと、『他人に評価される事でしか音楽を楽しめない』…という傾向があるのではないか…という事。 この“他人”とは、必ずしも、コンクールの審査員とは限りません。 コンクールのために、熱心に指導する先生だったり、その指導に応えるべく、ご自宅での練習に付き添うお母様だったり、コンクールを受けるために特別指導をしてくださる、偉い先生だったりするのです。 そういう大人に囲まれて、言われた通りに弾けると誉められ、違うと注意される…という事を繰り返しているうちに、お子さん自身が、楽曲のなかに美しさや楽しさ、面白さを見出して弾く喜び…というのが、順調に育っていきにくいのではないか…という気がします。 音楽は、演奏者が、曲の中に音楽的な喜びを見出して、はじめて、聴く人に伝え、共に分かち合うことができるものです。 そういった面から考えると、コンクールのために勉強することは、長い目で見て、そのお子さんが音楽と付き合っていく上で、プラスには働かないかも知れません。
音楽を感じる心の芽ばえは、ごく幼い頃にはじまります。 コンクールのように、他人からの評価を前提とするものは、せっかく芽ばえかけた音楽を感じる心が、育っていくのを邪魔してしまうのかも知れません。
現実問題として、音楽の本来のあり方とコンクールというのは、学習者レベルに限らず、相容れないような気もします。 このことについて上手に書く自信がないので、止めますが…。
ピアノ指導者が、生徒さんに、ピアノを弾くことで何をもたらしたいか…によって、コンクールへのスタンスは、変わってくるものだと思いますが、コンクールが人の心に及ぼす影響…というのは、常に、考えるべきだと思います。 また、こういった問題は、指導者だけでなく、保護者の方にも考えていただきたく思います。 コンクールで結果を出すことと、音楽の本質的な問題は、全く別のところにある…というのを知らずにいると、せっかくお子さんの中に育った音楽の芽を、枯らしてしまうことにもなりかねません…。
| 2004年06月08日(火) |
6月6日のLesson de ラ・パレット… |
一昨年8月のデモレッスンから数えると、この公開レッスンも、今回で丁度、丸二年継続した…という事になります。
2年間、北川先生のレッスンを聴講してきて、いつの間にか、自分の中の音楽を聴く感覚が磨かれてきているような気がします。 普通の講習会や公開レッスンのように頭で考えるのではなく、聞こえてくる音や音楽が自分の中に少しずつ染み込んできて、別の曲の楽譜を見た時にも、それがどのような音楽でにあるべきか…というのが、少しずつですが、音として自然に自分の中に聞こえてくるようになったのは、驚きです。 繰り返し長く聴講すること、そして、レッスンを受ける生徒さんも、自分のレッスンだけではなく、他の生徒さんのレッスンも聴くこと…北川先生がこの公開レッスンを始める時におっしゃっていた、これらの事の意味を、実感しています。 言葉での説明よりも何よりも、あのレッスンの空間に身をおいている、その事が一番の勉強なのだ…ということ、これは、通っていらっしゃる皆様には、ちょっと大変な事なのかも知れませんが、しかし、おそらく、ホンモノの音楽を学ぶ…というのは、こういう事なのだろう…という気が、回を重ねるほどにしています。
…と、長々と書きましたが、今回のレッスンで取り上げられたのは、以下の曲目です。
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バッハ:インベンション9番 モーツァルト:ソナタK.545 第1楽章、第2楽章
バッハ インヴェンション1番 ピュイグ=ロジェ ピアノ教本より シャコンヌI(ヘンデル) ソナチネアルバムIより ソナチネOp55−1 第1楽章(クーラウ) バルトーク ミクロコスモス2巻より
ツェルニ―30番 No.28、No.29 チャイコフスキー 四季より「4月、松雪草」 ハイドン 主題と変奏曲
ショパン エチュードOp.10−8、Op.25−5 ショパン バラード3番 Op.47
シューベルト ソナタ D.784 a-moll
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今回は、初めてこの公開レッスンに参加してくださった小学生の生徒さんが、二人いらっしゃいました。 その二人の生徒さんに、北川先生がお話されていたことで、改めて、印象に残ったことが二つあります。
一つは、『ピアノを弾くということは、ピアノでお話するということ』という言葉。 課題が難しくなってくると、どうしても、音を並べるだけで、音楽にならない…という傾向が出てきてしまいますが、演奏することに喜びを感じるためにも、常に、頭においておかなくてはならない事だと思いました。
もう一つは、暗譜についての事です。 『自然に覚えるのを待っているのではなく、意識して覚える習慣をつけなくてはならない。また、指使いも暗譜のうち』というお話でしたが、暗譜に対する意識の持ち方によって、また、指使いも一緒に覚えられるかどうかによって、力のつき方が違うのは、日々のレッスンでも見ているだけに、納得できるものでした。
暗譜については、もう一つ、『譜面を見ながら弾いて頭が働く人は少ない』という話も、印象に残りました。 この“頭が働く”というのは、当然の事ながら、“音楽的に頭が働く”という意味です。 つまり、暗譜せずに弾いている間は、音楽的に頭が働きにくい…という事になると思うのですが、これは、自分自身の経験を考えても、思い当たるところがあります。
他に、スタインウェイの特徴や、ピアニストにとって、テクニックやピアノのコントロールとはどういうことか…など、普段滅多に触れることのできない、奥の深いお話を沢山伺うことができて、有意義な一日となりました。
次は、8月1日です。 興味のある方は、是非、足をお運びください。 お待ちしています。
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