The color of empty sky
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2007年10月12日(金)

なにげなくも突然に、「あ」って声が出ることがある。
本当は叫びだしたいんだけどそれを飲み込んたとき、漏れ出てしまった音だ。

毎日充実していてそれなりに楽しいふりをするのに、また疲れてきた。
私だってたまには弱音はいたり愚痴ることもある、でもほっといて欲しいんだよなぁ、我侭だけど。


2007年09月28日(金)

いつの間にか夏は終わっていました。


メールでエベレストの話をしながら、携帯電話を握ったまま眠ってしまった。
10年後ぐらいにエベレストに登れるくらいになってたらいいな、と、戯れに話したところ、その人は何かにつけてエベレストを登頂した人の本を貸してくれたり、今日のエベレストの気温は何度だよなんてメールをくれたりする。
エベレストだなんて。
今までは、まるで宝くじが当たった時のことのようにその名を口にしていたけれど、誰かと分かち合うことの出来る夢というのはパステルの粉を指で擦り付けたように、淡い色がついている。
朝、窓を開けていたせいで寒くて目が覚めたのだけど、夢の中で耳と鼻が千切れそうなぐらいに尖がった寒さを味わった。


うちの果実酒は美味しく飲めている、多分暑いころに冷蔵庫にしまっておいたのが良かったと思う。
色と香りはうっとりするくらいに綺麗にアルコールに移っている。
ただ酒としては、この先時間を重ねてゆくことに耐えられるのかと不安で、多分年を越さずに飲み干してしまうのだろう。


2007年08月05日(日)

煙草を止めてから3ヶ月が過ぎた。
吸いたいと思うことはなく、たまに風に乗ってその煙が流れてきたりするのを嗅ぐと、死んだ祖父の煙草の吸う様子を思い出して、懐かしいなと思う。
今年になってから筋トレとジョギングを始め、残念ながら体重は減らないが、体脂肪率は6%くらい減り、めきめき体力がついてきて、30にもなってまだまだ人間って進化していけるんだ、と、素直に驚き、感動。
毎週日帰りで登山をしているが、すれ違う人や追い越す人に歩くの速いねと毎回声を掛けられる健脚振りで、冬の間首と腰がヘルニアになりかけて軽いうつ状態だったのが嘘のよう。

今日は芦別岳に登った後、富良野にある演劇工場へ行った、2日連続で観る事となるZABADAKのライブのため。
あまりの音響のよさに驚愕、さすがお芝居の舞台なんだな・・・


2007年06月20日(水)

通り雨がアスファルトを湿らせてゆきました。
イライラとするような気持ちは雨粒と一緒に流されたようで、窓ガラスにその水滴の走った跡が残っていて、ひんやりとした肌触りの夜風にニセアカシアの花の香りが混ざっています。

果実酒を漬けました、枇杷と苺。
色鮮やかで香りの豊かなその結晶を瓶に閉じ込めてみたくなったのです。
美味しくなるかはちょっと自信がありません、でもくたびれて夜中に家に帰って戸棚を開けて、その瓶を眺めるのが密やかな楽しみであります。

ここしばらく、仕事と山歩き以外のことをした記憶がありません。
何かしているのかもしれないけれど、気に留めることが出来ないのです。
生きるということはもっと沢山のことで構成されているはずなのに、駄目ですね、これでは。


そちらは暑いですか?
あなたの住むところでは、夜に窓を開けたらどんな匂いがしますか?


2007年03月27日(火)

春は出会いと別れの季節。
はっきりと目に見えるのは別れのほうが数多いかな。
私たちはそれぞれ、自分にとって良いほうへと向かうように歩いているはず、意識しているにせよ、していないにせよ。
だから私たちのこの先行く道が別れていようとも、私はそれを止めることはしない。
ただその道がよく晴れていることを祈り、いつかまた再開して笑い合えることを祈るのみ。


それにしても寂しいんだよなぁ、本当は。


2007年03月20日(火)

なんとなく思い立って、エヴァンゲリオンの映画を見た(youtubeで)。
映画館で見たときに比べたら、言わんとする意味がよく分かるようになっている、吐き気がするくらいに。

先日も誰かとこんなような話をしたなぁ。
抽象的で自己中心的な、リアルではなくあくまでもバーチャルでしかない世界観や生き方の話。
打ち切りたい話に限って、相手がむきになってくるものだ。
あんたの信じるものなんてつまらないし私は興味がないと、相手を傷つけないように伝えることは難しく、言葉の足りない私は酒を勧めて相手を酔い潰して逃げるしか出来なかった。
しかし、人を無理やり受け止めて負う怪我よりも、目をそむけ逃げた時の悔いのほうが長く引きずってしまうようだ。


とても疲れている気分。
不幸に浸って甘える日々と、いつになったら別れる事が出来ようか。
別れたら寂しくなるかな、楽になるかな。


2007年03月16日(金) 地雷原

楽しく生きるためには、忘れるべきことは忘れ去らねばならない。
そう言い聞かせてだらだらとやってきたので、たまにふと思い返してみると、私の記憶にはどうも欠落した箇所がいくつかあるらしい。
多分これは忘れてはいないけど封印してある、とか、そういうことなんだろうな。
今日なんとなくエンヤのCDを引っ張り出して聞いてみたら、奇妙な悲しみに捕らわれて動けなくなってしまった。
その理由を思い出すことはこの先もないかもしれないけれど、この胸の焼けるような痛みの感覚は、この先もまたいつか蘇ることだろう。

それにしても、音楽という形のないものを保存しようと考えた人はすごいなぁ。
そういえば先日小樽に行ってオルゴール堂を見学したのだが、同行者がパソコンで打ち込み系の音楽(?よく分かっていない)をやる人だった。
昔の大きなオルゴールを眺めながら、ああ、これを作った人は今でいう打ち込み系の人なんだな、と、ぼんやりと考えた。

どこまでも広がる青い空、何度も何度も繰り返し奏でられる楽曲、足元は緑の草に覆われた地雷原。


2007年03月10日(土) しあわせって

現実には多分叶うことのないような幸せな夢を見て、涙を流しながら目を覚ました。
なんて都合のいい夢、本当は出来やしないのに、その人を幸せにしてあげることなんて。
だのに捨てることの出来ない思い。

それにしても自分はなんて幸せだったのだろうと、いまさら指折り数えてその数に呆然。
一般の人から比べるならば、私は負け犬でありワーキングプアにも近いといわれても仕方がないのは知っている。
だけど、尊敬する人の下で勉強しながらやりたい仕事をすることが出来、安定した給与を得て(その金額云々は能力に応じたものであるので不服はないし)、数は少ないが友人にも恵まれ、家族は安寧に暮らしている。
それらがどれだけ幸せなことであるのか、これまでろくに感謝なんざしたこともないから余計に、その幸せに打ちのめされてしまうようで。

ここでこれより多くのものを望むのは欲張りなのだろうか。
今まで希望や目標を持って、他のものを規制にしてでもそこに向かって進むことというのを繰り返してきたのだけど、ふと足を止めて考え込みたくもなる。


幸せに満たされて、叶えることも出来ない夢を見て涙を流すなんて。
こんな生き方には納得が出来ない自分がいて、その思いが心を揺るがしている。


2007年03月05日(月)

この頃なんだか幸せな気がする。
これといって変わったことがあるわけではなく、周囲の小さな幸せに目を向けて、それに感謝できるようになったからだろう、と考える。

自分のために生きよう、と考えて行動するようになった。
何かのため、例えば家族のためとか、夢のためとか、そういうもののために生きることよりも、多分難しいことかもしれない。
頼るものがなくすがるものもない生き方、身の回りをよく見て、物事を後回しにはせず、かかわる人々に感謝を。
シンプルだけど結構大変だ。

それにしてももう4月みたいな天気だなぁ。


2007年02月24日(土) 人の眠り

昔は側に他人がいると眠れなかったような気がする。
今はそうではないけれど、音に過敏になっていて耳栓をしないと眠れない時期もあったりして、そんな時はなるべく人の側では眠ることにならないよう気を使って暮らしていた。
この頃は少し慣れたのか、たまに友人などと飲んだくれて折り重なって眠ることがある。
(相手が異性であろうと同性であろうと、性的な関係に陥る可能性がない相手に限る)
以前は苦手だった、人の体温や寝息をいとおしく思ったり、その存在に安心したりもできる様になった。

そういえば人との距離のとり方も、少し無防備にさらけ出してみたり、人の良いところや悪いところも自分なりに理解して愛してみたり、というのが出来るようになってきた。
人は怖いけど、相手だって同じように私のことを怖がっているのかもしれない。
そこを乗り越えるのが、信頼ってやつの力なんだろうな。

この年になって今更分かったんだな自分は、と少し反省。


みかみ |MAIL

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