楓蔦黄屋
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2021年06月15日(火) 癸子・虫

あー。
ずっと好きだったweb日記が趣旨を変えてしまったー。

web日記って言い方も今時どうかと思うけども。

昔から、楽しいこと、嬉しいこと、面白おかしいことだけを描いたものが好きで、
それは主にギャグ漫画のことなんだけども、
だからギャグ漫画かいてた人が急に泥臭いのかきはじめると勘弁してくれよと思うタイプ。

それは漫画よまなくたって知ってるからいいよ。

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セラピーとはいえ人に子どもの頃の傷をほじくり返して喋らせるのは危険なんだそうだ。
とある社会福祉法人にて購入したメンタルクリニック的な冊子にそう書いてあった。
へー、と思った。

大人になるにつれ、そういう出来事も自分を構築する部品になっている。
子どもの自分と大人の自分がすっかり癒着して、たとえいびつでもバランスを取り合って
トラウマ込みで自分を形作っているのだから
そこを解体してしまうと、今の自分ごと壊れてしまう恐れがある、みたいなことらしい。

私は子どもの頃の傷をわざわざ見つめ直したくはないタイプだ。
否応なしにフラッシュバックするときがあるがそれはメンタル強度の問題ではない。
たいていフィジカルが疲れてるだけだと最近気づく。

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そのweb日記はそれはたいそう面白くて文章もうまいもんだから、
急に趣旨を変えられても面白くてうまい。
だから読んじゃう。

でも非常にしんどい。面白いから。
情景がありありと浮かぶ。世代が近いから。

作者さんの心はたぶん淡々としているんだろうと思う。
自分の子どもの頃を見つめ直せる状態なんだろうと思う。
だから別に、読む人を不快にしてやろうと思って書いてるんでもないと思う。

何より、タダで書いてるもんなんだし、そこは自由でいいと思う。

でも私も、もう人生も折り返し地点に到達しようという年齢になって、
わざわざ自分の心をしんどい位置に置きにいくのはもう面倒だ。

なのでフォローをはずした。
はずさないと読んじゃうからさ。面白いから。

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そういえば子どもというもんは
砂をポッケにつめて帰ってきたり、だんご虫をポッケにつめて帰ってきたり
するもんだと思ってたがどうも別にそうじゃないらしい。

うちの子どもは虫が嫌いだそうだ。
砂がポッケに入っていたこともない。
だからいい子、といいたいわけでは別にない。

うちの子どもは苺も嫌いだからだ。
果物全般好きではない。唯一好きなのはチョコバナナだ。
だから苺のショートケーキも好きではない。
そんな子どもがこの世に存在するのかと衝撃だった。
私は苺が大好きだ。果物も大好きだ。

私の好きな食べ物は、我が子は大抵そんなに好きではない。
「食べる?」と聞いてもいつも「いい」と言われる。
おかげで、子どもができたにも関わらず好きなものを譲った、という経験がない。

親はいつも、親の分まで子どもに食べ物を譲ってくれて、
私も親になったら自然とそういう気持ちになるのだろうかと思っていたが、
そういうわけでそういう気持ちにいまだなったことがない。
きょうだいがいればまたタイプの違う子どもができたかもしれないんだが
あいにくうちの子どもは一人っ子なので確認しようがない。

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うちの子どもだけでなく、どうやらその友達も、とくに虫好きな子はいないと
こないだ聞いた。へー。

そうか、じゃあ子どもが虫を家に持ち込んでギャーみたいなことは私は経験できないんだな、と思ったところで
そもそも私は虫がそこまで苦手じゃないことに気づく。

別に好きでもないんだが、なんというか、ゾワゾワくるギリギリの一歩手前で我慢できるというか。

私は子どもの頃、ダンゴムシでよく遊んでいた。アリも眺めていた。

カブトムシの幼虫なんかも触れる。毛虫も大丈夫。
カマキリにはあの表情にちょっと意志を感じて怖いがまあつまめる程度には平気。
チョウチョが苦手な人もいると聞いたときには驚いた。蛾も好きじゃないが嫌いでもない。

うちにはよく小さい蜘蛛が出没するが、私はなぜか蜘蛛は家を守ってくれるものだと思っているので
「目立つところに現れたらうっかり掃除機で吸っちゃうかもしれないでしょ。
 家具の裏か、玄関にいなさい」と話しかけたりしている。

タランチュラだとちょっとビビるだろうなあ。
でも火を通してカニみたいに赤くなればたぶん食べられる。
(逆にシャコは火を通しても赤くならないのでちょっとウッとなったことがある)

Gだけはちょっと怖い。
が、たとえば黒や茶色の半透明のサプリなんかを
「Gのちっちゃいのにソックリだなー」とか思いながら平気で飲めたりはする。

こないだはちょっと熟れすぎたバナナをトーストの上にまるごと乗せたとき、
「うわーカブトムシの幼虫の超でかいのみたい」と思いながらムシャムシャ食べた。

今まで意識したことなかったんだが、私は少なくとも子どもよりは虫が苦手ではないのかもしれない。
何より今気づいたが、私の本名も虫に由来するものだ。
ひらがな表記なんだが、漢字で書くとバッチリ虫の字が入っている。



2021年06月06日(日) 乙酉・背面ダイエット

ダイエットもだいぶ続いてまして。
3月から始めてだいたい3ヶ月弱。

つっても◯月までに◯kg痩せる!とかいうのではなく。
かるく食事改善プラス健康のための運動、といいますか。

それでも体型がけっこう変わりました。
肩のラインがすっきりしましたね。
以前撮った横からの写真とくらべると、肩の位置がだいぶ後ろにさがって胸も上がってました。

あとは足。
むくみが軽くなったのと太ももに筋肉がついたのとで
ちょっとだけすっきりしました。

ただ、体重も体脂肪もさして変わらないし、
お腹もへこんでるはずなのに横から見ても薄くなった感じしないんですよね。

まあ3ヶ月程度ならこれで上出来上出来、と思って
お風呂場で、コンタクトいれた目でふと
鏡に映った自分の背面、腰回りを見てしまって驚愕しました。

前と横から、しかもメガネの目で見たときには
わからなかった、
その背面の腰回りと臀部と太ももの、脂肪のごってり付き具合よ。

なまじ前から見たボディラインがすっきりしてきたせいで、
ギャップもすごくて衝撃倍増でしたね。
まだそんなとこ隠れてたんか!みたいな。

まあ言い換えれば、
前がすっきりしてきたからこそ浮き彫りになった、新たな課題ともいえる。

幸い、いつもお世話になってるゆーちゅーぶの筋トレ動画に
うってつけの対策があったんで、さっそくトライ。
うわー汗だく、ものすごいきくわ。
アラフォーのかゆいところに手が届くわーここ。ほんとありがたい。ジャージの女性の某チャンネルです。部員です。

2021年05月26日(水) 甲戌・紅花栄・ファンレター

レターセットをよく買う。

今日も手紙を書いて、そうしたらお気に入りのレターセットの便せんが
みんな底をついてしまったのでさきほど買い足した。

今月は手紙をよく書いたと思う。

今日書いた手紙はいわゆるファンレターだ。
先日行ったYUKIちゃんのライブ「Terminal G」がものすごくよかったので、感想を書いた。

どんなことを書くかを軽く手帳にメモしてから便せんに向かう。
そうしないと私の場合、とりとめがなさすぎて読んでて少々しんどい長さと内容になってしまうから。
エンターテインメントのプロ中のプロに出す素人の拙いファンレターとはいえ、読んでもらえる(可能性がある)からには少しでもストレスなく楽しんでもらいたい。

絵も描いて同封。
もっとも感動した場面のイラストだ。
こういう機会でしか実はアナログ画材で絵を描くことはほぼないので楽しい。

「読んでもらえるかな」とドキドキしながら書くのはいいものだ。
読んでもらえたかどうかわからないのも、いいもんだ。

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手紙を書くのは実は体力がいる。時間もいる。
ついったーなんかに書き込むのと比べれば、踏む手数が圧倒的に多い。

SNSはスマホを手にとって、指先2、3タップぐらいでもう書き始めることができる。寝転がっててもOKだ。
ちょっと長めの文章をPCで書くときだって、イスに座って5回ぐらいクリックすればもう本文をぱちぱち入力できる。
手紙を書くならまずペンを用意して、封筒と便せんを選んで、片付いた机に座って。
封筒と便せんがなければ買わないといけない。ペンのインクが切れてるならそれも。
思い立った時間によっては明日にならないと書き始められない。

手紙本文をペンで書くのも消すのも、スマホやPCよりも時間がかかる。
手紙を書き終わって、封筒に宛先と送り元を書いて。宛先が思い出せないなら調べて。
便せんを畳んで、封筒に入れて、封をして、切手を貼る。
切手がなければ買うタスクが発生するし、もちろんポストに出さなければ完了しない。
しかも料金間違いでもあれば、切手を貼るところからやりなおし。
ネットなら書き終わればそれで公開したも同然だし、その後もいくらでも書き直せる。消すこともできる。

どちらがいいということではない。私はどちらも好きなのだ。

物事はいい面とそうでない面どちらも必ず持ち合わせている。
ならば複数のツールで、それらのいい面だけをうまいこと活用していきたい。
そうやって、大好きだということ、応援したいという気持ち、ありがとうという言葉を、いつも声を大にして伝えたい。


2021年05月20日(木) 戊辰・朝晩の本

寝る直前と起きた直後のスマホいじりをなるべくひかえたい。

もともと寝つきが悪い。
PMSの時期なんか朝4:00ごろまで起きている。
(↑これもう最近何回も書いてる気がするが、年齢のせいかやっぱりまた書いてしまう)
だから別にスマホのせいで寝つきが悪くなってもいいや、といじりまくっていたのだが、
そうすると今度は首が固まってしまう。痛い。
腕も痛い。肩も痛い。背中も痛い。
痛いから熟睡できない。
寝つきが悪いのはともかくさらに熟睡できないとなるとちょっとよろしくない。

主にタブレットで本を読んでいるのだが(なので正確に言うとタブレットいじりだ)、
最近紙の本を通販で買ったのもあって、
せめてではタブレットではなく紙の本にしようと思い、
ここのところ寝る直前&起きた直後は本を読んでいる。
夜と朝で別の本を読んでいる。
今は夜が東海林さだお「大衆食堂へ行こう」、朝が夢眠ねむ「まろやかな狂気」。

どちらも小さい章にわかれているので切りがいい。
ドキドキするようなミステリーではなくエッセイやインタビューなのもいい。

電子と紙の最大の違いは、「今いるページの把握のしやすさ」にあると思う。
紙のほうが圧倒的に把握しやすい。手で触れればわかるからだ。
電子は読んだページ、残りのページを把握するのにもうワンアクション要る。
しおりもあるがそれだとさらにもうワンアクション要るうえに、しおりの位置を把握するのにもうワンアクション要る。
紙はそれらすべてがほぼノーアクションで把握できる。ノーモーションと言ってもいい。脊髄反射でわかるのだ。

寝る前と起きたあとは、そういうノーモーションでの読書が適している。

首や肩が痛くなったりもならない。
文庫本1冊ならどうしたってタブレットより軽いし、何より両手で持てるから身体の片方に負担がかかるということがない。
タブレットだと実は片手でしか持てないのだ。物理的には両手で持てるのだが、そうするとうっかり拡大してしまったりしてすごく面倒くさい。

目も断然疲れない。
紙だと印字された黒い字だけが情報として入って来、白地はあくまで背景だが、
デジタルだと白もまた「光」という情報なので、じつはけっこう過多なのだ。
印刷されたもののほうが誤字脱字なんかを見つけやすいのもこういう理屈からではないかとひそかに思っている。

かといって別に、紙のほうがいい!というわけではないんだけど。
相変わらず、電子書籍を浴びるように読んでいる。
でも、紙の本の良さがかえってわかるようになって、近年では紙の書籍もぼちぼち買っている。
あんまり買いすぎるとしまう場所がないから、整理にも頭を悩ませないとなんだけど。

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というわけで、今読んでいる朝晩の本も、そろそろ終わりを迎えようとしている。
少しずつ少しずつ読んで、足らないと思ったら何度も読み返したりして、けっこう贅沢な時間を過ごしているんだが、
やっぱり足らないと思うとたくさん読んじゃってあーあと思ったりもしてるからなかなか贅沢なだけではまままならない(まがいっこ多い)。
次に読む本は三谷幸喜。ありふれた生活シリーズはいっぱい出てるので、しばらくは読む本に悩まずに済みそうだ。
これはもっぱら夜読むようにする。軽妙なエッセイは夜読むに限る。心地いいからだ。
朝は、一度買ってなかなか読む機会がないムック本やアーティスト本なんかを読もうかなと思っている。

まろ狂3。欲しかったけどまた争奪戦に敗れ、書店に行くしかなさそうだ。

2021年05月13日(木) 辛酉・ゆるす

人と会ったあとに自分の言動を後悔するのは
けっきょく自分のことしか考えてないからだ。

相手のことをどれだけ覚えてるだろうか。

覚えちゃいないのだ。結局。

なら自分のこともとっとと忘れればいいのだ。
考えるまい。
相手も覚えてない。覚えているとすれば自分が忘れていることだけだ。

相手のことだけ覚えている人間になれればいいけど、
なれやしないのだ。結局。


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生きていると思いもよらないことが起きる。
自分の力ではどうにもならないこと。


そういうときにたまに天啓のように
頭のなかに言葉がしずかにひらめくことがある。

預かり知らぬ領域を預かってもらうために
私はその言葉を受けとる。

受けとった言葉たちがいつまでも
心の中に根をおろして咲き、風にゆれている。

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「同じ失敗をくりかえさなければいい」
って、おだやかなようでいてずいぶん厳しい条件だなと昔から思っていた。

同じ失敗をくりかえしたって、ゆるせればそれでいいと思う。
忘れればそれでいいと思う。

いつかは同じ失敗に飽きる。
それでいいと思う。


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今年の目標は「善意に従わない私をゆるす」だけど、
もっとシンプルに「私をゆるす」でいいんじゃないかな。




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