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【急募】FictionJunctionのライブに行きたいひと - 2009年07月08日(水)

 
うっかりしていました。
チケットが1枚あまっちょります。

水道橋のJCBホールで、17時開場、18時開演です。メールかメッセで連絡よろです。


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祖父、逝く/NSSちょこっと感想 - 2009年07月01日(水)

 
父方の。

直接の死因は誤嚥性の肺炎でしたが、享年94歳なので、実質老衰です。
よく頑張った……頑張り過ぎたくらい。
肺が駄目になってしまって、酸素が取り込めなくてずっと苦しかったのだけど、最後の最後は、静かに逝ったそうです。三番目の叔父が看取りました。

一度目の危篤は妹の出産予定日で、その後持ち直し、一カ月と少し。
昨日呼び出されて飛んでいって、意識があるうちに少し会えたし、顔を拭いてあげたりとか、足を揉んであげたりとかできたので、それがちょっとだけ慰め。自己満足だけども。

病室で葬儀屋さんを待つ間、動かない喉をじっと見てました。
あたりまえだけど髪なんてふわふわで、息してないのがホントに不思議で。
コミュニケーションが難しくなってから、あんまり何もしてあげられてなくて、ごめんね、って何度も手を合わせました。

遺影にできそうな写真を探していたら、早逝した恩師の写真とか出てきて、また切なくなりました。
かわゆらしい小中学生のわたしとか同級生とかも山ほど出てきて、ほっこりもしたけれど(笑)

戦時中の話を面白おかしく話してくれて、いつも押入れからお菓子を出してくれたおじいちゃんです。
掘り炬燵で時代劇を、たくさん一緒に見た。

身の回りのものを工作するのが得意で、大学の同級生には「発明おじいちゃん」ともあだなされてました。小さい頃は段ボールにアルミを巻いてチャンバラ用の刀を作ってくれたりとか、オモチャのおうちの屋根が壊れたのをライターで溶かしてくっつけてくれたりとか、野球の硬球で肩たたき棒を作ったりとか、とても手先が器用な人でした。
#見よう見まねで2階建ての倉庫(貨物エレベーターつき)とか建てちゃったんだよ!
菊を育てるのも得意で、好きで、小学校のころはよく学校とかにも持ってきてくれてた。
一時は、にんにく酒を自分で漬けて飲んでて、夜行くと臭くてちょっとイヤだった(笑)
長身で、小柄なおばあちゃんと自転車二人乗りしてると、とても絵になった。かっこよかった。

おじいちゃんおばあちゃん、ひいおばあちゃんたちもみんな大好きだったけど、近くに住んでたから、一番よくしてくれたおじいちゃんだったかもしれない。
遠足の朝、鼻血を出したわたしの足の裏をずうっと叩いて、学校まで連れてって、先生によろしく言ってくれたりとか。

ずっとお話できてなくて、危篤になってからはごはんも一切食べられなくて、覚悟してるつもりだったけれども、やっぱり寂しいものだねえ。
墓に布団は着せられず、だわ。

×××

最近ずっと日記が暗くてごめんなさいです。
楽しいことがない訳じゃないんだけどねえ。。。
1.5時間遅れで開演したニトロスーパーソニック@JCBホールの話とか、日記書こうと思ってはいたのだががが。

ええと、佐々木しげそさんの愛あふれるドラムプレイがとてもステキでした!
あと歌を聴いてからずっと気になってた谷山紀章さんがナイスアドリブだったので、もっと好きになってしまいました!v
あとあと、いとうかなこさんご結婚おめでとうでしたー!!!
 


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古いおうちで - 2009年06月06日(土)

 
明け方、祖父母の家(すこし離れたほう)を訪ねている夢を見た。
お庭は大好きだった曾祖母が存命のころのようで、だけどわたしはもう少し育っていた。
家のつくりは嘘。お庭から向かって、左から空き部屋、ダイニング、曾祖母の部屋。

日が暮れたので雨戸を閉めてまわろうと思い、左から一つ閉め、次の窓は高い位置にあって閉めにくく、傍らに祠?もあって、どうしたらいいのか分からない。
四苦八苦しているわたしを見上げて、椅子に座った祖父が「閉めてくれてるの?」ってにこにこしていた。
母が台所から来て、なんでわからないの、今まで閉めたことないの、とか文句を言いながら中からいろいろ手伝ってくれて、祠の雨戸(!)も無事閉められた。

最後に曾祖母の部屋。
この辺りでかなり眠りが浅くなっていて、もう曾祖母は亡くなっているという認識がうっすらあるのに、縁側に座っていた曾祖母と、小さな自分が遊んでいる幻が過ぎる。
あの縁側で、あの部屋で、曾祖母は何をして、何を見て日々を過ごしていたんだろう。
そう思った一瞬、曾祖母の視点になり、一人縁側に腰掛けて、明るい光の中で庭をわたる風を見ているような気分になって、目が覚めた。

自分は幸せに育ったなあとか、
生まれてきた姪はあの広さのお庭では遊べないんだなあとか、
曾祖母はとても苦労したひとだったけれど、わたしとたくさん話した老後は幸せだったのかな、とか、
祖父がいまはあの家にいないこととか、
しあわせに育ってきたのになんでこんな風になってしまったんだろうとか、

考え出したら涙が止まらなくて、しかたがないので日記に書いてみました。
 


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