羽積風narration
…どうかなぁ?

2003年09月12日(金) 潰れるまで「無理じゃん」と開き直らない

いろんな立場のいろんな姿勢の人たちが、

同じ場所で一つのものに取り組んでいる。

“職場”というのは、本当に不思議で難しくて楽しい。



明らかな間違いは正していけば良いけれど。

たいていは“異なる”というだけで“間違い”ではない。

構成員は個人であって、それぞれがそれぞれで

役職や性別や雇用形態や扶養の有無だけではくくれない。

“傾向”というものは確かにあるが、それだけではない。



そんなこともわからない(わからないフリをしている)

自分の評価のためだけに部下を動かそうとする上司に

当たってしまうと、大変だろうなー。



例えば恋人同士でも、

「どうせ男は女のことなんか理解できるわけがないんだ」

と言い放って、最初から相手の心を引き出そうとする姿勢さえ

見せないとしたら、どうだろう。

「女なんてみんな似たようなもんだろ」

と言って、今までの彼女と同じ扱いをするなら、どうだろう。



仕事ができるだけでは、人の上には立てない。



役職に就いていなくても、

仕事というものは少なからず人を動かすことで成り立っている。



自分の考えと違うあの人は、“間違っている”わけではないのだ。

自分の思い通りにならないあの人は、自分と“異なる”だけなのだ。

今の自分の中には存在しないが故に理解することの出来ない

“別の考え方”を知っている人なのだ。



…まぁ、そんなことは職場に限った話ではないけれど。

そんな単純なことを、テンパってたびたび忘れてしまう。



それでも、そういうことも含めて

やっぱり仕事が好きなんだと思う。



2003年09月11日(木) 所詮、剣には勝てないペン

日々、思うところはいっぱいあるのですが。
どうもここ最近、何を書いても気に入らなくて。
大量の文章を何度も消している次第です。

昨日の午後から風邪のようです。





*** *** ***

即ゴル。ひさしぶりに票をいただけて、嬉しかったのでした。

あなたは、ピクルス、好きですか?

タイトル提供は、ムーリンさまです。では、どうぞー。

*** *** ***



『ぴくるす』



窓際の席で ダブルチーズバーガーをほおばりながら



「ハンバーグが嫌いなら

 ハンバーガーを食べようとはしないだろう

 だけど

 ピクルスが嫌いなだけなら

 ピクルスを抜くか 我慢するかして

 ハンバーガーを食べればいい

 つまり

 人間関係ってそういうことだよね」



と 言った

あなたのピクルスは ちょっと理屈っぽいところ



わたしは抜くのも面倒だし 我慢するのもイヤだから

チキンタツタを食べるの



さようなら



2003年09月10日(水) 寄り添って、明るく

昨夜、月の右下に寄り添っていたのは火星ですよね?

あれぐらい慎ましやかで明るい女性なら
さぞや愛されることだろう…などと思っておりました。





そんな月と火星の下。

好きってわけじゃないけどメチャタイプの人
(↑そういうのって、あるよねぇ? (^^ゞ )
と、帰り道がいっしょになり、ラッキー♪

今まであまり仕事以外で話す機会はなかったんだけど、
家のこととか趣味のこととかいろいろ話してくれました。

とてもやさしい口調と少しの毒が好きだなぁ…
と思いながら、相槌を打ちつつ歩くのでした。





少し遅いバースデープレゼントに添えられた手紙を見て、感動したり。





寝る前に交わしたメールがうれしくて、泣いたり。





派遣も一ヶ所に長くいると、大切な人たちもできてきてしまう。
泣かずに辞められるうちに次の職場へ移るのが理想なんだけど、もう遅い。





*** *** ***





ライコスがインフォシークになってアドレスが変わったので、
サイト内リンクを貼り直しました。
地味〜ぃに動いてるのに、何も増えたわけじゃないのが悲しい。

リンクしてくださってるサイト管理者様、
お手数ですが気の向いた時にでもリンク修正おねがいします。
しばらくは自動ジャンプしてくれるので大丈夫です。

…って、トップページに書くの忘れちゃったな。



2003年09月09日(火) 共有

今月は欲しいCDがたくさんあるなぁ。


うちは、彼氏と私で同じCDが欲しいと思った場合

それぞれに一枚ずつ買うあたりが

将来的に別れる気満々で、ちょっとどうかと思う。


同棲とか結婚とかしてる人たちって、

そういう時どうしてるんだろ〜?


あまり趣味が被っていないので、

なんとなく無駄が少なくて良かったと思う。


気持ちや時間を共有するのに比べれば

CDの共有ぐらいどうってことないだろうに。



2003年09月08日(月) つきあいきれない

今日は朝からとても楽しい日で

上がってしまう口角を押さえながら

ハイテンションに過ごしていたのだけれど、

19:30を過ぎると急にせつなくなって泣けてきた。



2003年09月07日(日) 小学生の頃

昨日あんな日記を書いたせいか、今日は
コバルト文庫でも通用しないような
チープで爽やかな恋愛劇の夢を見てしまい、
照れながら昼寝から目覚める。

勝手に夢に引っ張り出して
相手役をさせてしまった男性には
非常に申し訳ないことを…
事故だと思って諦めるが良いね(…身勝手さに絶句)

っていうか、すいません。
コバルト文庫はほとんど読んだ記憶がないです。
う〜ん…確か小学校半ば頃、
学級文庫にあったのを三冊ぐらいは読んだかも?

小学生ぐらいって、
冒険物と探偵物ばかり読んでたなぁ。

王道では、ガリバー・ホームズ・赤川次郎・ケストナー
あたりを読み倒したような(作品名と作家名が混ざってるし)

で、三年生ぐらいまでは自分でも「冒険、探検♪」って言いながら
知らない町へずんずん行ってしまうような危険なコでしたね。

漫画はほとんど読まなかったし、テレビゲームもしなかったな〜。

そんな本を読んで、知らない町を探検して、
ハンダゴテ片手に前髪を焦がしながらロボットを作って、
男子とサッカーをしたり、将棋を指したりするような毎日でした。



2003年09月06日(土) “して”じゃなくて“してて”なのが、いい

『ゆっくり片思いしてていいですか。』

雑誌『ダ・ヴィンチ』は毎月買っているけれど、
こういう柔らかい特集は久しぶりなのでは。

表紙の写真・フォント・色など
いろんな質感が気持ちよくマッチして。

(っていうか、この表紙写真じゃ
 せっかく選ばれた本が何なのかわからなくて
 宣伝にならないねー…という余計なお世話)

さて、片思い。

素敵です。

個人的には、両思いになる寸前ぐらいのところが
いちばん好きです。

もう、お互いに好きなんだろうけど
それをまだ言葉で確認していない段階。

なんか、その辺のところを。

答えを出そうとせずに、先を見ようとせずに
余裕を持って漂っていられればいいな〜…と思います。

「ずるい」とか「ぬるい」とか
「そんな恋は偽物だ」とか、言われてもね。

どうせ恋なんてどこまで行っても独りよがりな夢でしかないのだから。



2003年09月05日(金) へいほー♪ってちょっと楽しそう(…違う)

いろんな人がいろんなことを教えてくれるから面白い。

今日は『孫氏の兵法』について教えてもらいました。

汐は戦物は嫌いだし、歴史物は苦手なので
その存在は知らなかったのだけれど…(^^;

今度、書店で立ち読みして気に入ったら買ってみよう。
ビジネス書として面白いらしい。



*** *** ***



藤原力丸さんの掲示板でうちの日記が

「辛辣」

と書かれていましたが、あれは誉め言葉に違いない(断言)。

どんなにやわらかいペンネームを付けてみても
所詮、私の書く文章は私しか表せないということですじゃ。

などと言いつつ、即ゴルで書く詩なんかは
さっぱり私のことを表していませんなぁ…おとーめとめとめ♪
              (おかめ納豆CMのリズムで↑)

というわけで、今日もいってみよ〜ぅ。
タイトル提供は、セッカヤナギさまです。



*** *** ***



『てのひらこびと』



わたしのてのひらこびとと

あなたのてのひらこびとが

     ぎゅっ

  ぎゅっ

ぎゅっ

 ぎゅっ

   ぎゅっ





こいびとたちの hand in hand

こびとたちの hug



2003年09月04日(木) 『ジーキル博士とハイド氏』(スティーヴンソン・著)

『ジキルとハイド』を今更ながら初めて読みました。

「ジキルとハイドのように」という言葉はよく使う(?)けれど、
そういえば読んだことないなぁ…と思って。

ん〜…

人はそんなに悪を秘めていないと思う。





最近の少年犯罪などに関する意見で、よく

「近頃の子供は、幼いうちに
 虫の羽根をちぎるとか蛙に空気を送り込んで破裂させるとか
 そういう遊びをちゃんとやってきてないから、
 いい歳になっても“命を奪う”というのがどういうことなのか
 という感覚が掴めずに、安易に人を殺したりするんだ」

というようなものを見かけるのですが。

何言ってんだ、ばか。

虫やら蛙に対してそんな残虐なことをできるやつこそ、
いい歳になったら平気で人間を殺せるようになるんじゃないのか。

(↑統計はそんなこと示してやいないだろうが)

上記で言うところの虫や蛙というのは、
殺人の疑似体験としての扱いでしょう。

小さな疑似体験によって大きな殺人を食い止めることが
できるというのなら、ゲームはどうなんだ。

「簡単に人を殺せるゲームが悪影響」

というのも、よく出た意見ですが。どっちなんだ。

そのゲームの死ぬ場面がとてもリアルに残虐なスプラッタなら、
疑似体験として機能するので、殺人には至らないということか?

…はぁ?何言ってんだ、私。





てな感じでわけがわからなくなってきたのですが、
何が言いたいのかというと。

“人間は底に残虐性を秘めているものなんだ”

ということが正当化されて書かれているように読めて、
この本からは嫌な感じを受けた。ということです。

“みんな本当はメチャクチャに壊したり汚したりしてしまいたい
 欲望を持っているけれど、それを理性で押さえて生きているのだ”

なんてことにされちゃうと、困るわけです。





もし、仮に。

人間がみんなそういう欲望を底に持っているのだとしたら。

・小さな疑似体験をすることで命を奪うことの嫌悪感を体感し、
 大きな殺人に至るのを防ぐ

・小さな疑似体験を積み重ねることで命を奪うことの快感を得、
 欲望は徐々に大きくなり、やがて小動物、そして殺人に至る

・小さな疑似体験を積み重ねることで欲望を小分けに発散し、
 大きな殺人に至るのを防ぐ

・小さな疑似体験を全く犯さず、欲望を根本から断ち切る

・小さな疑似体験を全く犯さず、
 ある日欲望を大爆発させて突然大きな殺人に至る

といった、いろんな可能性を孕んでいるわけです。





人はそんなに悪を秘めていないと思う。





…というようなことが、この本を読んで汐が思いめぐらせたことでした。

ちっとも書評になってないし。支離滅裂で申し訳ない。



2003年09月03日(水) 以上

今日は何を書いても暗黒の文章になるので簡潔に。

彼氏とは今日から六年目に突入だー。長ぇ。

会社のクーラーがこの夏ずっと壊れている。暑ぃ。


 < 少しまえのこと  もくじ  少しあとのこと >


汐 楓菜 [MAIL] [活動記録]

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