羽積風narration
…どうかなぁ?

2003年08月13日(水) 宇治、お茶と源氏物語の旅

今日はらんかちゃんと宇治へ行ってきました。
シブイね!いろんな意味でね!

んでは、撮った順にご紹介〜♪
(…って、もうすぐサーバー移転なのにね。今やるか?)







というわけで早速ですが、まず食べたもの。
や〜、これはいっとかないとねぇ。イントロダクション。
早速、苦味の洗礼を受けた気分。




あちらの奥のほうに見えるのが、それでございます。
だ、だって。近くで撮ったら見学の人がいっぱい写るんだもん。




それはものすごい勢いで流れていたんですよ!びっくりした。
普段はこんなに激しくないと思われます(写真じゃわからんけど)。
川の真ん中にある公園へ渡る橋が、増水につき閉鎖になってたもの。

浮舟も今日のような日に宇治川へ身投げしていたら、
死に損なうこともなかったはず…。




出会った可愛いヤツたちです。




源氏物語ミュージアムに入りました。んー、雅。

『浮舟』の短い映画も上映されていて、人形劇だったのですが
なんと声を当てているのは、汐の大好きなあの女優さんでした…!
(んふふ…気になるぅ?)

源氏物語なんて、学校の授業でイヤイヤやっていて
受験のためにしかたなく「源氏物語は紫式部、紫式部…
清少納言とごっちゃにしない」などと唱えていたように思いますが。

今日、展示物からだいぶ物語が見えてきて
「ちょっと読んでみたいかも」と思えました。
も、もちろん現代語訳でねっ(^^ゞ
な、なんなら漫画でもいいんだけど…(弱気)

上の写真はミュージアムの近くにあった与謝野晶子の歌碑。
源氏物語を現代語訳した彼女が、源氏物語について詠ったものだそう。

与謝野晶子は『金色の…』の歌と『君死にたもうことなかれ』が好きで
少し興味があるので、彼女が訳してるのならますます読んでみたい。
で、でも全六巻…あぁ夏休みが四十日あれば読むのに(ハイ、逃げた)。




茶そば。これも押さえとかなきゃ!でしょう。

といいつつ、汐、そばは嫌いだったんですよねー。
他の麺類は大抵好きだけどそばだけはダメで…年越しも、うどん。
だけど、小さい頃に「そば、嫌い」って思ってから
かなり長い年数食べてなかったから、やや食わず嫌いになりかけ。

よし、今日はいっときましょう!そば復活DAYだ!
というわけで、にしん茶そばを注文。

…うまい、うまいよ!(+_+)
そばもおいしいし、にしんがこれまたおいしいの!




そしてこれも挑戦。

汐、抹茶自体は好きですが、抹茶味のお菓子は嫌い。
抹茶を甘くしちゃダメだよ!とご立腹な人なのです。

そしてやはりこの地域、“抹茶ソフト”なるものはあちこちの店に
たくさんあるのですが…どうやらこの店は少し様子が違うらしい。

“抹茶入りソフト”

要するに、お茶の葉を粉末にしたものを直接入れていて
着色料は使っていませんとのこと。その心意気や良し。

これが大当たり。まったく、はっきり、お茶の味。
甘みなんかより、苦味が勝ってる!
その辺の、緑なだけで“抹茶味”を騙る変な甘さのお菓子とは違うの。
後味も、すっきりさっぱりでした。




そして、自分にしか買っていないお土産(…ぉぃ)。
カルピスを思わせる爽やかデザインな缶のグリーンティーと。
手前にあるのは、“眠り袋”。
枕に入れて、緑茶の香りに包まれておやすみなさい。とのこと。
わーい、それは幸せだ。毎日茶摘の夢見て、妙に疲れて朝を迎えるぞ。

汐の希望としては、お茶の香りの香水かポプリが欲しかったのですが
そんなものはどこの土産物屋にもありませんでした。

ちなみに、茶摘姿のキティちゃんやお茶犬もいませんでした。
(おっかしいなぁ…いかにもいそうなのになぁ)





そんな感じの、宇治プチリポートでした♪

わー…地理関係も店名も書いてないなんて、
ここまで役立たないリポートもめずらしいよね。

いいのよ。私は満喫して満足だから。



2003年08月12日(火) 休み前の定番

明日から夏期休暇に入るんですけど。

今日は攻防戦でした。

今やってる仕事の指示をくれてる上司と私。

二人とも

「途中になってる仕事は
 自分の手からは手放して休みを迎えたい!」

タイプで…。

上司と私の間を何度も行き来する仕事なものだから。
今日中に完結するような仕事でもなく。

お互い相手に渡すタイミングだとかを計算しつつ…。

あんまり定時ギリギリに渡すっていうのもヤラシイし。
早すぎると今日中にもう一回こっちに来るかもしれないし。

そんなこんなでジリジリと何度か行き来した結果、
帰るときには私の机上にありました。

汐、敗北。



2003年08月11日(月) ころころと逃げて行き、いつまでも終わらせない

なんで今日は盆休みじゃないのかな〜?
てな感じで、今日も会社からお送りしますよー(T^T)

こないだ電話が一発でつながったと書いたチケットは、
席があまりよろしくありませんでした。あーん(;_;)
真ん中だけど、かな〜り後ろだ…あぅ。
イイコトばかりじゃないね。という地味な教訓。

もう、なんなのよ!?っていうくらい、
誰もかれもが愛しい日はありませんか…?

*** *** ***

今日は即興ゴルコンダに書かせていただいた詩をば
載せさせてくだされ。

タイトル『。』提供は、たもつさま。

句点というとどうしても終止符ということで
終わりのイメージがあるので、
終わりを感じさせない前向きにハッピーに可愛い詩を
書きたいと最初にイメージしたのですが、
あっさり楽なほうに流されて思いっきり終止符です。
汐、意志薄弱。でも、自分ではそんなに嫌いじゃない。

書き方としては、詩より詞寄りになってしまったけれど。
しよりしより…漢字って便利だね。

今回このお題で書いてみて、
今まで何も意識せずに使っていた“。”を
妙に意識するようになってしまいました。
…が、たぶん三日と続きませんね…えぇ、汐なので。

嘉村さんとみいさんが参加していらっしゃるところに
いっしょに参加できただけでも、ちょっと嬉しかったり。
YOUさんの詩に出逢えたことにも感謝。すごかった…!

*** *** ***

『。』


 さようなら。



最後の 。 は
自分を納得させるため

これでいいんだ
という思いを込めて

ゆっくりと力強く書いた マル

正解の マル



 さようなら。



最後の 。 の
円で囲まれた空白に

伝えきれない
思いを凝縮して

ゆっくりと力強く書いた マル

隙間のない マル



2003年08月10日(日) こうやってまた縁遠く

彼氏と一緒に難波なぞをうろついていたのですが、
わざわざ服屋の前ばかり通るように引っ張っていきやがんの。

「おまえはもうちょっとこういうものに興味を持てー」
とか言いつつ。とはいえ別に買ってくれるわけではないらしい。

ほっといてくれぇ。服ごときにかける金はねぇよ。

あんなこと言うくせに、ちょっと露出度高めだと怒るんだぜ?
自分といっしょに出かけるんじゃない日に胸元開いた服着てると
機嫌悪いんだぜ〜。もうっ☆ヤキモチ焼きさんなんだからぁ♪

(どうせ読んでないと思って好き放題書いてたら
 私が気持ち悪くなってきた…うげぇ。罰当たり)

本に出す五千円はアリだけど、
服に出す五千円はナシでせう。



2003年08月09日(土) 今日も絶好調に支離滅裂な思考で

今日は歯医者の後、時間が空いたので梅田へ出て
劇団☆世界一団の『世界一団の博物館』を見てきた。

二時間という時間、狭い板の上に、あらゆるものが詰まっていた。





昨日は雨の中、自転車で転んでしまいカゴが大きく曲がった。

そのせいで今日、自転車に乗るとどことなく平衡感覚がおかしい。
自転車をまっすぐにしても、カゴがまっすぐにならないからだ。

人間というのは単純なものだなぁ…と思うのは、こういう時だ。

止まっているとわかっているエスカレーターに踏み込み、
止まっている心積もりでありながら、前につんのめるような時だ。





友達と「幸せとはなんだ?」という話をしていた。

とりあえず大辞林を引くと、以下のようなものだった。
「“幸せ”とは“仕合わせ”であり、巡り合わせが良いことである」

これではまるきり運次第であり自らの力では掴めないもののようで、
この定義は非常に不満に感じた。

幸せがすべて運に左右されてるとは思わないけれど、
出会いによって幸せになることは確かだ。私は確かに恵まれている。

カッコヨク生きている人との出会いには本当に感謝している。

ちゃんと泣かせてくれる人、自然に笑わせてくれる人
奮起させてくれる人、大好きな人がたくさんいる。





ここ最近は荒俣宏監修の『知識人99人の死に方』という本を読んでいる。

タイトルどおり、世間によく知られた99人の死にスポットを当てたものだ。

とはいえ、死の瞬間だけを切り取ったものではなく
死を見つめるということは生を、人生を見つめることだ。

「人は死してはじめてその人格が完成する」
などと言われるが、当然ながら人間というのは
「あの人は○○な人だった」「○○だけれど□□な一面もある人だった」
といった、ひとことふたことで語れるようなものではないと思う。

当然この本で書かれていることは、故人のほんの一部であり
故人を知る人の眼や人生観といったフィルターを通したものではある。

それでもやはり壮絶なものが多く、読むのになかなかの時間を要している。

この本の中に「作家は毎日のように遺書を書いている」という言葉があり、
私は作家ではないけれど深く納得した。





私が空の広さを知ったのは、つい最近のことだ。

そこに果てがないことを知識としては知っていたけれど、
そのことを目でも頭でもなく“感じる”ようになった。

そういう意味では私はまだ、
風の心地好さや花の美しさは知らないのかもしれない。

これから先の人生が少し楽しみだと思う。
それらを本当に知るまでは、生きてみてもいいんじゃないだろうか。

それらを超える数々の、醜いものも知らなければならないとしても。



2003年08月08日(金) 先生の夢を見た

リポビタンDとオロナミンCをよく飲むんだけれど、
アリナミンAってのもあったよなー…じゃあBはなんなんだ?
あ、チョコラBBがあった。Bが一つ多いけど。
こうなったらZまで全部そろえてみたいよな。
アリナミンはAの他にもEXとかVとかあるから便利だね。
っていうか、そもそもこの後ろに付いてるアルファベットって何。

…みたいなことを延々と考えていました。
汐の脳の用途なんて、大方その程度のもんです。

*** *** ***

中学の時に大好きだった国語の先生の夢を見た。
なんか甘えたおしてたぞ、私…(/\)恥ずっ。
いろいろ質問攻めにしてた。なぜか英語の質問までしてた。

国語の教師になりたかったのだな、汐は。
高校の途中までかな。なると思ってた。

小学生の頃から国語がいちばん好きで、
中学に入ってその国語の先生も好きで、ますます国語好きに。

卒業の時、「教育実習生として絶対戻っておいでよ」
って送り出してくださって。
私も、実習生として先生のお世話になりたいと思ってました。

とはいえ、実際に働くのは塾講師がいいなぁ…
などと考えてもいましたが(^^ゞ

私が中学生の頃から既に、
生徒の成績以外の面(素行の悪さとか問題児とか)を
親の責任ではなく学校に問うような風潮はあって。
汐はそれがすごく疑問だったのよね。やっぱり。

で、生徒の方も塾でだけ真面目に勉強して
学校の授業は馬鹿にしてるような雰囲気もあったし。

だから、生徒も勉強するために来てて
親も成績アップしか求めない塾の講師になりたいなぁ…と。
我ながら、なかなかちゃっかり考えていたと思います。

でも、大好きな先生と同じように
中学校の国語教師というのも一度はなってみたかったし。

ところが、高校の国語がつまんなくて!

紆余曲折を経て、似ても似つかぬ理数系の仕事をしている現在さ。



2003年08月07日(木) ぽつーん

“正義”と“優しさ”が、いつも相容れないのはなぜなの?

二つは本当は相容れるもので
相容れないのは、どちらかが間違っているからなのですか?

*** *** ***

「将来の夢ってなんだろうね」
という話を、メールでしてたとですよ。

そしたら相手から、

「今ちょっと夢が見えた気がする」
とか言われて、会話が終了したとですよ。

ズルーイ。自分だけ、ズルーイ o(>_<)o

というわけで、
何も見えないまま一人取り残された汐です。

そうやってみんな私を置いて行くのさ…っ。





「かわいいお嫁さんになるのが夢☆きゃは」と言っておきます。
(なぜか、死んだ瞳で棒読み)

純白のウェディングドレスは、16歳で着たので気が済みました。
(in 京都太秦映画村で仮装)

*** *** ***

あ♪今、世界一団が大阪に来てるじゃーん!
行こっかな。行こっかな。うきうき (^-^)

*** *** ***

Tシャツ一枚で土砂降りの中、チャリ爆走。
無駄に色気を振りまきながら、汐、帰宅。
あ〜もう、貼り付く貼り付く。

ライブのチケットが電話一発で繋がってゴキゲンなり。



2003年08月06日(水) 合わない

自然に距離が縮まっていくのは心地良いけれど
ムリヤリ仲良くなるのはあんまり好きじゃないなぁ。

親しくなるに連れて親しげな口調になるのはいいけれど
親しくなるためにまず親しげな口調にするのは順が違う。

ん〜、でも形から入って上手くいくパターンもあるし。

会った瞬間に「(合いそう!)」って直感したらそれも良しで。

難しいね、やっぱ。人間関係ってのは。



2003年08月05日(火) 願わくば柳のように

きつめの坂道を自転車立ち漕ぎで上ると徐々に広がるのは、
まぎれもなく夏の空。容赦なく夏の空。

*** *** ***

WMPで英語のラジオを流すようにしている今日この頃です。
とりあえず英語に触れていることが大事かなぁ…と思い。

「そんなもん理解できてないんやったら、
 いつまで経ってもただの騒音じゃ」

などと冷たいことを彼氏に言われつつ。えーん。

あたしだってさ、何かの広告みたいに

「ある日突然聴き取れるようになってビックリ!」

なんて期待してないけどさっ(;_;)えぐえぐ。

*** *** ***

当たり前だし、今さらだけど。
みんながいろんな事情と問題を抱えてるな〜と思う。

私は外ではわりと平気で普通に仕事をしたり笑ったりしていて、
気もそぞろにソワソワしてるなんてことは無い。

だからここを見てくれてる会社の人なんかは

「汐さん全然普通に見えるから、帰ってから
 日記読んでびっくりしたりする。すごい強いの?」

と言ってくれたりするけれど、
そこんところは自分でもよくわからなくて奇妙な感じ。

出来事を飲み込んで、現実・日常として受け止めるまでの
処理時間が半端でなく速いとは思う。

というか、この十年ほどでたくさん訓練されて
処理能力がますます上がってきてる。

すごく参ってるような、なんてこともないような不思議な感覚。

「もし私が汐さんの立場だったら、そんなふうにはいられない」

と言われるのは、よくわかる。

もしかして…というか、やはり私はものすごく心が死んでいて
残酷な人間なのかな?と思ったりもする。

T氏については、彼自身の生命が脅かされている状態で
それでもやっぱり仕事や日常を笑いながら淡々とこなしている。

それを見ていると私もやはり

「もし私が彼の立場だったら、あんなふうにはいられない」

と思う。もっと取り乱して何も手に付かないはず、と。

そして面白いことに。また、彼も言う。

「もし俺がおまえさんの立場だったら、ちょっとキッツイなぁ」

“痛み”というのは、そういうものなのかもしれない。

「自分の身体から出る血を見るのは平気だけれど、
 他人が血を流しているのを見るといてもたってもいられない」

という感覚がわかる人にとっては。ね、そういうのあるよね?

自分の痛みは案外飲み込めるけれど、
他人の痛みはすごく痛そうに見える。

“わからないものは恐い”ということかな。違うかな。

でも実は全然消化できてなくて、
突然爆発することもあるのだろうけれど。

そしてもちろん、そんなタイプの人ばかりではなくて。

痛みを感じると自分のことでいっぱいいっぱいパニックになって
取り乱して日常が手に付かなくなる人もたくさんいると思う。

どちらが人間として、より自然な
痛みの受け止め方なのかは、わからない。

あと。

弱音を吐いて泣いて周りに負担を割り振って、長く生きる人と。
そんな痛いそぶりも見せなかったくせに、突然壊れてしまう人と。

どちらが強いのかなんてわからないなー…とか。

寿命まで壊れずに持ち堪えれば、誰にも知られず
“強い人”で一生を終えることができるわけだし。

そもそも“壊れる”って何?
精神に異常を来して理解不能な行動や犯罪をおかしたりすること?

胃に穴が空くとか禿げるとか、身体に出ればわかりやすいけど。

どんな状況でも、ニュースや周りの人の話を聴いて
いっしょに痛みを感じたり腹を立てたりはするし、
心というモノには容量なんて無いんだな〜…だとか。

大きな問題をたくさん経験していれば、小さなコトには
いちいち傷付かなくなるか…といえばそういうわけでもないし。
小さなコトにもしっかり引っ掛かる。あ、あたしだけ?

あ〜…なんかそういう答えのないようなことを
考えたりするのは、結構好き☆(…おぃ)

とりあえずあたしは
ここで愚痴る程度に弱くて、笑って日常を営める程度に強い。
そういう中途半端な人間なんだろう。

それでいいと思う。

…ウソ。良くないと思う。ツヨクナリタインダッテバ!



2003年08月04日(月) 将来有名にでもならなければこんな記録ゴミだな

泣きながら握り締めるなら、
カミソリよりペンを。

何かを訴えたいなら。

文字の力など所詮、
血の力には勝てないけれど。

…なぁんて、まぁ実際はペンを握り締めるんじゃなくて、
キーボードを叩いてんですけどね。情緒ないなぁ。

*** *** ***

十年ぶりぐらいに、持病が再発。

お母さんがああなってしまったのも

T氏が生死に関わるような病気になったのも

遠い昔に想いを受け入れてあげられなかった
あの男の気が狂ってしまったのも

どこまでもどこまでも過去までさかのぼって

 わたしが疫病神なの?

 わたしの周りの人に起こった不幸は
 全部わたしのせいなんだ。

 やめて、やめて。
 誰もわたしに近づかないで!

 どうしてわたしなんかに生きることが
 許されてるの?

 いいじゃない。
 わたしが元凶なら、断てばいいじゃない。

という思考回路に落ちていくことが、
わたしの最大にして最悪の持病です。

十代の頃は、そういう思いをいっぱいに抱えて生きていた。
社会に出るようになって、少しは制御できるようになった。

大丈夫。わかってる。わたし個人ごときにそこまで
他者に対しての影響力があるはずがないことぐらい。

なんだろうな。わたしの中心に渦巻くこの思考は。

*** *** ***

今日から母が入院なので、付き添ってきた。

道すがら「もっと可愛らしくしておけば誰かに見初められて
結婚して、養ってもらえるかもしれないのに」などと言われ、
また静かにブチ切れる。

女性だと意識されることほど、仕事を進める上で邪魔になる
ことはない。ほっといてくれ。わたしが職場で下品でガサツ
なのは、半分はワザとだ(半分は地だが…)。

そもそもおまえがそうやって誰かに寄生して生きようとして
失敗してんじゃねーか。わたしは自力で生きてやるさ。

「わたしはあなたたち両親を、恥ずかしくて彼氏の親に紹介
なんてできない。わたしが本当の独り者になった時に、結婚
については考える」と思い切って言ったが「あはは。今どき
親が離婚してることなんて、障害にならへんよ〜。大丈夫」
などと言われ、さらに切れる。

おまえたちはじぶんたちの恥が離婚だけだと思っているのか。
わたしだって離婚のような小さな問題は、気にしてもいない。

*** *** ***

こないだまで金をせびってきていたくせに、
急に「今日会社休ませたぶんの日給と足代」
などと言って二万円を握らせてきた。
「いつも悪いねぇ」…誰に仕込まれた芸だ。

「生活費がなくなりそうだから月二万よこせ」と
当たり前のように言っていたじゃないか。

そしてわたしはもう諦めてそのつもりでその同じ金額を、
何をして稼いでると思ってるんだ。

そんないとも簡単に、自分の稼ぎでもない通帳から
その金額を出すなよ。と、振り回されている自分が情けなかった。

わたしはもう、後戻りできない。

*** *** ***

わたしは差別意識など無いかのように振舞うことはできるけれど
心の中ではきっちり差別意識を持っている人間だと自覚している。

精神病院の中。

わたしがこれまでの人生で無関係だと目を逸らし続けてきた
如何にも精神異常な人がたくさんいる。

母自身も「わたしって、あんな人たちと同じなの?」と
かなりの戸惑いを見せている。

「母はあの人たちとは違う、入院は撤回して連れて帰ろう」
という気持ちが80%
「何ら変わりはない、あの人たちと同じ眼をしている」
という気持ちが20%

わたしが母に対して抱いている感覚と同じように、
母も今日から仲間になる患者さんたちのことを「怖い」と言う。

だけど、今回のは母が自ら希望して手配した入院だ。
わたしが薦めてそこへ押し込めようとしたわけではない。
母が自ら「やっぱりやめる」と言い出さなかった以上、
わたしは手続きを進めるだけだ。

なんだか余計に気持ちが塞ぎ込んで、
悪化してしまいそうな空間だった。

次に迎えに行くときは、どっちに転んでいるだろう…。
と思いつつ、母を一人そこへ残して帰ってきた。

*** *** ***



“年中無休”の下に小さく“と思います?”と書かれた
超VOW向け看板があったのに、きれいに撮れなかったという後悔。


 < 少しまえのこと  もくじ  少しあとのこと >


汐 楓菜 [MAIL] [活動記録]

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