平素に在り

2010年10月02日(土) 久しぶり

日記を更新します。

最近は、特に悩みもなく
変な表現だが人生が順調というか。

日々目の前の集中すべきことに
集中するそれでいて淡々としている。

家族4人、健康で
皆充実しているようだし。

そういえば1年前です。
更新したのは。

この1年で、
 私はすっかり更生?した。
 長男は中学生になり
 長女はテニスに夢中
 妻は働きながらも生き生きしている

これからまた少し更新しようかと。



2009年10月16日(金) 子供手当

早くくれ。

長男の塾代月8万。
長女のテニス月3万。

金だけじゃない、中学受験は命がけだ。



2009年05月09日(土) GW

長男が中学受験を控えていることもあり、
今年のGWは鎌倉の実家へ2泊3日という
安(というかただ)・近・短であった。

ちょっと散歩がてら江ノ島へ行ってみたら
大変な人出。
また、近くの里山へハイキングなどへ出かけた。

鎌倉は、海や山、寺もいいが
普通の住宅地のなかにも緑があふれて、
風も爽やか。

将来は住むかな。

息子は、実家でも勉強漬け。



2009年03月25日(水) 題変更

最近、禅の本などをよく読む。

何の役に立つのかはわからない。
そもそも宗教が役立つ必要があるのか。

というわけで、禅のことばから
題名を取りました。

「少欲知足」
これもいいかな。



2009年03月07日(土) 会社

最近、上司に関心させられることがある。

皆が殺人的に忙しく、お互い話しかけ辛い
状態がよくある。
実際、同僚同士では「今無理」の一言で
相談事が話されなく、未決事項が積み上がる
原因にもなっている。

ところが、一番忙しそうな上司は
超高速ブラインドタッチで資料を
作成しているような場面でも、
誰が相談に行っても、必ず応じてくれる。

佳境の仕事を中断されることは、とても
嫌なことだと思うのだが、部下にとっては
30秒でちょっとしたもらえるだけで
断然能率が上がるのだがら、とても重要
なことだと思う。



2009年03月01日(日) 寛解

10年に渡る「双極性障害」との付き合いで
あるが、ここ半年で今までになく状況が良い。
「治った」と思われるほどに快調である。

産業医からも4月から、通常の総合職同様の
勤務へ戻す旨を告げられた。

ここまで、この不景気にもかかわらず、
クビにせずに見守ってくれた会社、
上司・同僚・後輩、そして妻をはじめとする
家族に感謝でいっぱいである。

最近は、読書量がまた少し増えてきている。
主に仏教関係・読み直し関係等であるが、
図書館で予約待ちでようやく手元に回ってきたのが
中谷巌氏の「資本主義はなぜ自壊したのか」。

彼にとっては、翻意であり懺悔でもあるとのことだが
(まだ読んでいる途中であるが)、説得力のある
とともに、入社したころと変わってしまった、
会社や世の中の「雰囲気」について違和感を感じて
いたわたくしにとっては、膝を打つような思いで読んでます。

さて、再び自分の病気について。
闘病の困難さは、筆舌を絶するものでありながら
「躁」を主体としているため、エピソードは陽性なものであった。
が、破滅寸前であったことは間違いない。
本当に自分は、恵まれていた。経済的・社会的・環境的に
どれかが欠けていたら、二度と立ち直れない状況に陥っていた
だろう。

ひそかに、闘病記などを記しておこうかとも思う今日この頃である。



2008年10月18日(土) 南無阿弥陀仏

先日、急性虫垂炎で入院したとき、
病院のベットで激痛に耐えていた時、
徐脈となり、血圧が低下し胸が締め付けられ
るように苦しくなった。

慌ててナースコールをし、一晩集中治療室
で過ごした。全身をたくさんの管だらけでいるのは
実に苦痛の極みであった。

「南無阿弥陀仏 イトシヅカ」

名号に身を投げ入れる暮らしとは、何なのか。
とこしなえに自己が休むことである。
だからあらゆる煩悩が、煩悩のままで、静けさを
受け取ることである。煩悩を断ち切ろうとすれば、
それがあらたな煩悩の一つとなって、戻ってこよう。
それはそれとしておいて、名号に身を任せるのである。

その時心は決定して、動く中に動かぬ静けさを与え
られよう。

病院では、看護師にあのまま死ぬのではないか
と思われていたことを聞かされた。
今、生きているのは、自分ひとりの力ではない。
いや、自分ひとりの力など、どこにもない。
感謝の念をもって、生きるべし。

最近、柳宗悦と棟方志功に興味をもってます。
上記は、柳宋悦氏の「心偈」より抜粋。


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