池ポエム
ハンス



 練習3

♪〜

 強い日差しにも負けず、民喜の声が校庭を渡る。その声に自らの声を重ねる。カラリと乾いた気候は、ただひたすらにひとつになった声を焦がし、側で見ている観客の心に届くか届かないかの飛行を続ける。

 「・・・暑いのに、よくやるね」
 本当に、ハラハラさせられる光景だった。
 「大丈夫じゃない?一応、木陰だし」
 校庭に一本すっくと立つ木の下で練習するのが彼女たち、湯どうふの恒例とはいえ、夏ぐらいは控えてもいいだろうに。
 「今は冷ややっこなんだって」
 「?」
 「ユニット名」
 「ああ・・・」
 冷ややっこの二人は遠目には暑いのかそうでもないのか、様子はわからない。絹という感じでもない、しっかりした歌声が聞こえる。
 久しぶりの母校は何も変わってはいなかった。ただ、木の下でライブする生徒の姿が風景の中に付け加えられていた。よく見知った少女の楽しそうな姿を見られただけでも、ここに来てよかったと思う。多分、隣で彼女も同じことを考えている。
 「さあて、次はプールでも見に行きますかね」
 彼女はわざとらしく大声で言った。
 「一応聞くけど、何の用があって?」
 良い意味で大人になった彼女は、いたずらっぽく笑う。暗い紫の瞳は、夏の光に照らされて淡く光る。涼しげな歓声が湧く金網の向こう。頭上で腕を組んでもう一度笑った。
 「やだなぁ、八角さん。人類がプールに行く大義名分なんて、水着の女の子が見たいからに決まってるじゃない」
 嘘がうまいのは大人としての必須教養?
 良い意味で大人になった彼女は、ふらふらとそのまま校舎の裏手に歩いて行った。その後を見送って、校舎の入口へ向かう。
 職員室には夏休みの当番で出勤している教師が何人かいて、その中のジャージを着た中年教師が八角の顔を見て近づいてくる。彼は赤いジャージが好きなのだ。紺や黒は絶対着ない。あだ名はわかりやすく、赤ジャー。
 「あいつは、水田」
 思えば八角がここに来る時は、決まって彼が応対してくれる。
 「先に祠に行ってます」
 ボールペン片手に、校庭の方を仰ぎ見る。日差しが目に入るのか、片手で影を作って向き直る。
 「学生だった頃より熱心に学校に来るなあ」
 「そうですね」
 苦笑で返す。まったくその通りだ。
 「・・・よくやっとるよ、あいつは」
 それから、と八角の方を向いて。
 「四戒堂、君もな」
 その通りです、先生。
 我々は、よくやっています、きっと。あの頃とは違う顔の、大人になって。

2009年08月08日(土)



 練習2

 長いのは何も、秋の夜だけではない。
 赤い糸を、封印のように戒めて結ぶ。向かいの八角は器用な手つきで、小さな紙切れを筒状に丸めている。かくして、延々4時間。夏の夜がいくら長くても足りない。八朔には、この時期の夜は永遠に思えた。
 「父さんは?」
 手をもう二本ほど増やしたい。そう期待して、頼れる実父の名を挙げたが、八角が手元を見つめたまま静かに首を振った。
 「朝早いから、もうお休みになったよ」
 それもそうだ。檀家まわりは明日も続く。夏の夜が八朔たちのものなら、夏の早朝は父のものだ。一見、胡散臭い寺に見えて、果たすべき勤めはたくさんある。50を少し超えたばかりとはいえ、夏の暑さは体力を奪う。好きな夜酒はしばらく我慢。
 「よっし、がんばりますか」
 「そうそう。その心がけだよ、朔」
 八角が少しだけ目線を上げた。口元が微笑んでいた。つられて笑う。
 「元気そうじゃない。その調子なら、朝までやれるな」
 「・・・いや、私寝ないと生きていけないタイプだからさ」
 「それは人類はみんなそう。ていうか、朔が起きてるよりも寝てることを愛するタイプなのは知ってるよ」
 長い長い付き合いなんだから。
 自分の次によくわかる他人なんだから。
 言葉にしないでも、八角はいつもそう言っている。そうとも違うとも言わずに、八朔はいつも肯定していた。
 夏祭りの日までに、たくさんのおみくじの山ができる。赤い糸で結ばれた、宿命のおみくじだ。その中身、宿縁を知りたくて、人だかりができる。
 中身は縁に詳しい古老が予言したものを、書道家にお願いしてひとつひとつ記してもらったもの。二か月ほど前に、八朔自ら引き取りに出向いた。
 段ボール箱いっぱいの運命を前に、腕を組んで溜息をつくことから夏の準備は始まる。縁切り術者は単なる内職屋。この山となった運命の前では。
 「忙しいねぇ、我々」
 二階で蚊帳に収まって寝ているであろう父も含めて。
 「我々って・・・」
 心強いチーム、その要は誰あろう八角に違いない。
 「今年も売り切れるかな」
 多分ね、と聞こえるか聞こえないかぐらいの、ささやき。
 「そうだよね。知りたいもんね」
 自分の縁を。行く先を。
 毎年の売り切れのせいで一度も引いたことのない八朔は、祭りに押し寄せる人々が少しうらやましい。
 「・・・“我々”は引けないよ、朔」
 明りを持たずに暗闇を行くように。
 松明を持った人々の群れを、遠くで眺める。

2009年07月28日(火)
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