夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2020年07月24日(金) 〈情熱は時に奇跡を生む〉

あるきっかけがあって、高校で演劇をやってた頃のことが鮮明によみがえってきた。
俺の一学年下のS(女子)のことだ。今、Sがどこで何をしてるのか知らないけど、あの頃のS、すごくガッツのあるヤツだったよ。
まず、ひとつ目のエピソードから。あれは、俺が高校2年の学園祭公演でのことだ。その公演でSは裏方のはずだった。ところが、その学園祭当日、出演者の一人Kがドタキャンした。未だに俺はKのことを許せないと思っている(まあ、普段は忘れてるけど、思い出す度に頭にくる)。で、もう苦肉の策として、ずっと稽古を見ていたSがKの代役を務めることとなった。はっきり言ってこの時のSは大根役者だ(他人のことをどうこう言えるほど、俺だってうまくはなかっただろうけど)。でも、セリフは完璧に近い感じで入っていたから、芝居は何とか形にはなってた。芝居が終わり、緞帳が閉まった途端、Sは床に倒れて号泣し始めた。俺は、Sに心から拍手を送っていた。芝居はひどいものだったと思うけど、直前に代役を言い渡されてやり遂げるなんて、Sでなかったら、できなかったことだろう。
ここから、二つ目のエピソードだ。そのSが、たしかその年の秋の公演(県大会だったかな)の時、主役に立候補した。その時点でまだSは大根だった。部員全員が不安だったと思うけど、Sの熱意に押し切られる形で、Sが主役に選ばれた。稽古が始まると、予想どおりSは演劇部顧問のA先生から怒濤のダメ出しを食らっていた。「やっぱSに主役はムリだったのか」と俺たちは思っていた。しばらく、稽古ではSのダメ出しに終始する日々が続いた。ところが、ところが、ある時期から日に日にSがうまくなっていくことを部員全員が実感するようになる。Sの芝居も安心して見ていられるようになったし、Sが自信を持って演じているから、舞台が引き締まってきたのを実感していた。大会で結果は残せなかったけど、あの時のSの食らいつき方は半端じゃなかったなあ。あの頑張りは何だったのか、Sにいま会えたのなら、ぜひ聞いてみたいと思う。
最初は心のどこかでSのことを軽く見てたなあと思う。でも、Sの頑張りは、その情熱は本物だった。Sだからこそ、その情熱の強さがあったからこそ、2回も奇跡を起こせたんだと思う。
人生、何もかもがうまくいくわけではない。というか、うまくいかないことばかりだ。チャレンジして失敗して深く傷つくことが大半なのかもしれない。でも、何もしなかったなら、傷つくこともない代わりに、何も得ることはないように思うんだ。
世の中の不条理に腹の立つことも少なくない。だけど、何もかもを世の中のせいにしていても、現実は変えられないんだ。何らかのアクションを起こして、それでもうまくいかないこともあるだろう。でも、自ら行動することで、間違いなく自分はステップアップすると思う。
奇跡を起こすのは容易ではない。容易ではないからこそ、奇跡なのだから。奇跡を信じてチャレンジするその情熱とその行動が、現実を揺り動かすんだ。決してムダにはならないし、失敗したって、長い目で見たら大成功なのさ。
俺は、つい最近、そんなことを自分の娘(俺には娘も息子もいないけど)くらいの子たちから教えられたよ。それでかなあ、40年近く前の記憶がよみがえってきたんだ。
奇跡を起こすのは容易ではない。でも、情熱が時に奇跡を起こすということを、俺は知っているんだ。



2020年07月22日(水) 〈幸と辛〉

幸せと辛さ、横の棒が一本加わるかどうかで、意味はだいぶ変わってくる。でもね、幸と辛、実は表裏一体なんじゃないかって思うんだ。
辛いなかにも幸福感を感じることって、誰にも経験があるんじゃないだろうか。
私の家のご近所さんに、母親を介護する女性(私より少しお姉さん)がいるけど、いつ会っても笑顔を絶やさない。きっと彼女にだって辛いことは多いはず。彼女に会うたび、私も彼女のようでありたいと思う。
辛い時こそ笑おうとも思う。辛いなかでも、笑えることって、けっこうあるもんだよ。ユーモアを忘れないってことかな。それが、自分自身を守る手段でもある。辛さに押しつぶされないようにね。
実は、母が入院しててね、けっこう大変ではあるんだ。きっと自閉症の兄も辛い思いをしてることだろう。私が帰宅すると、ホッとしたような笑顔を浮かべるからね。
私がふざけると、兄もふざけて、ちょっと空気がゆるむんだ。その瞬間は、少し幸せだったりする。人の笑顔って、気持ちをポジティブにしてくれるね。
山梨にUターンしてきて約1年半、いい出会いがたくさんあった。十代の中高生たちとの出会いもなかなか新鮮だった。思春期で悩みも多かろうと思うが、何事かにチャレンジしようとする姿勢からは多くのことを教えられる。壁にぶつかりながら、それを乗り越えようとしてる姿がとてもまぶしく映るんだ。
人生、なかなか思うようにいかないことばかりだ。でも、チャレンジしなかったら、後悔しか残らないように思うんだ。
私は、弱い人間だ。でも、ポジティブに生きる人の姿が、私の背中を押してくれる。辛いことの多い人生だけど、辛さを知る分、幸せを強く噛みしめることもできる。
これまでの半世紀あまりの人生、後悔も多いけど、この先は悔いることのない人生を自ら作り出していこうと思う。
素晴らしい人たちの出会いが、そんなことを気づかせてくれたんだ。



2020年06月15日(月) 母、わが人生のよき先輩

山梨にUターンしてきて、1年半。80代の両親と、自閉症の兄との4人暮らしも、1年半。
俺は、母を人生のよき先輩として尊敬する。
母は、腰がだいぶ曲がってしまい、うつとも闘いながら、毎日を送っている。母の責任感の強さ、自分自身に対する厳しい態度には脱帽する。そうした性格がアダとなって、うつにもなったと思うけど。
俺がUターンしてきたのを心から喜んでいるようだけど、「何もかもお前に頼りっぱなしだと何もできなくなる」と言って、決して自分を甘やかさない。わが母ながらすごいと思う。
でも、80代となり、体の無理がきかなくなってもいる。「もう少し楽をしてほしい」と思うくらいだ。
ちょっと前だったら恥ずかしくて言えなかった感謝の言葉を日々伝えるようにしている。「お母さんのおかげで」「本当に感謝してるよ」「でも、頑張りすぎだよ」ってね。
頑張りすぎないように仕向けても、その性格はなかなか変えられない。その責任感の強さは、とてもマネできない。俺自身はある程度は無責任でいい加減なくらいでいこうと思っている。でないと、何事も永続きしそうにないからね。
それでも、母の存在は、俺が年老いてからの生き方にいい影響をもたらしてくれるんじゃないかと思っている。
しだいに年老いて、できないことが増えていくことへの漠然とした不安が、いま俺のなかにもある。だけど、美しく年老いていくありようを母が身を持って示してくれているようにも感じている。
兄も母のことが大好きで、いつもふざけながら母に話しかけ、母の愛情にあふれた反応に喜びを感じているみたいだ。

約2年前の母のひと言を今でも思い出す。名古屋から母に電話を入れた時、突然のように母がこう言った。
「お兄ちゃんのことばかりに一生懸命で、お前には何もしてあげられなくて、ごめんね」「だけど、お前のこと、大事に思ってるよ」ってね。「お母さん、大丈夫だよ、そんなこと、よくわかってるから」って返したけど、電話を置いた後、涙が止まらなかったよ。母はそんな思いをずっと胸の奥深くにしまい込んでいたんだな。それから、俺がUターンを決意するのに時間はかからなかった。
これからどれくらい一緒に過ごせるのかわからないけど、感謝の気持ちをできるだけ形に表していきたいと思っている。
ありがとう、って本当に素晴らしい言葉だからね。



2020年06月09日(火) デュオパートナーYさんのこと

パートナーとして誰を選ぶかは、結婚でもそうだが、デュオ(二人組)での音楽活動においても大変重要だ。
Yさん(女性です)のことを話そうと思う。正しくは、元・デュオパートナーだ。最後のほうは、Yさんを含むトリオだったり、4人組での活動が中心だったけど、一昨年の12月のライブを最後に俺は長年暮らした名古屋を離れ、山梨にUターン。Yさんとは離ればなれとなってしまった。
Yさんのこと、とても尊敬してるし、そんな人とデュオを組めたこと、とても幸せだったと思う。よくもまあ、こんなワガママな俺に15年近く付き合ってくれたと思う。
元々Yさんは職場の先輩だったけど、音楽活動においては対等だった。何事においても努力の人だったから、練習の鬼でもあった。だからといって、一生懸命になりすぎて周りが見えなくなる、ということがなかった。周りの人間への気配りもきちんとしてた。俺からすると人がよすぎる面はあったし、「そこで言葉を選ぶな(バンド練習の前にちゃんと個人練習しとけ、ってはっきり言ってやれよ)」と思うところはあったけどね。それでも、俺とは長年の付き合いということもあって、遠慮はなく、厳しい言い方をしてくれた。俺もYさんには遠慮なく何でも言えた。
音楽活動をし始めた頃は、ソロでやってたけど、Yさんとデュオを組むことになって、俺も成長できたと思う。根拠のない自信だけあった俺が自分を客観視できるようになった。俺が傲慢な言い方をしてると、「それは違うと思う」とはっきり言ってくれた。おかげで少しは謙虚になれたんじゃないかな。Yさんとデュオを組んでなかったら、俺、もっとイヤな人間になってたかもなと思う。
今でも一生懸命になりすぎて、周りが見えなくなることはあるけど、そんな自分に自覚的にはなれたように思う。
去年、山梨まで会いに来てくれて、一緒にライブもやったんだけど、それはそれですごく幸せな瞬間だった。彼女は、俺のかつてのバンド仲間とデュオを新たに組んで、俺とのデュオとはまた違ったテイストでいい感じの演奏をしてた。俺の演奏のことも「また少しよくなってた」と言ってくれたけど、練習の鬼に誉められるってうれしいもんだよ。
「こんどは名古屋に行くからまたライブをやろう」って言ってたのに、コロナ禍でそんなことがいつ実現できるのかわからなくなった。お世話になったライブハウスも自粛を強いられ、苦境に立たされてるし。
俺、普段はおとなしいんだ。だから職場の人が俺のライブを観ると、驚くんだよ。「全く別人だね」って。
俺がスポットライトを目一杯受けてる横で、Yさんは地味にいい仕事をしてくれた。間奏になると、彼女の独壇場で、客席から声援が飛んだよな。
ライブをやってる時がいちばん幸せだったかもな。Yさんなら「ライブの時よりも、ライブ直前に演奏がこなれてくる瞬間が幸せだなあ」だなんて言うかもしれない。
いつかまたライブができるようになったら、その時は完全燃焼したい。Yさんとも再会を果たして、いろんなことを実現していきたい。
そのためにも、何としても生き抜いていかないとな。一瞬一瞬を大切に生きていこうと思う。



2020年05月10日(日) 憧れと嫉妬と

リトル・リチャードが亡くなられた、とのニュースを聞いた。本当に残念だ。彼がいなかったら、ビートルズも存在していなかったかもしれないんだよな。
彼のシャウト唱法や、叩きつけるような激しくエモーショナルなピアノのタッチ、もうカッコよすぎるし、ポール・マッカートニーが憧れたのもムリないよなと思うよ。
俺にとっても、憧れであり続けたなあ。さすがに嫉妬するほどの身の程知らずではないんだよ、俺だって。
憧れと嫉妬には、決定的な差がある。自分の手の届かない存在に憧れはしても、嫉妬はしないものだ。自分の手に届きそうな存在に嫉妬をするんだよね。例えば、俺がリトル・リチャードに嫉妬してたら、周りから笑われるよね。

で、これから嫉妬について語ろうと思うんだ。最初に断っておくけど、あくまでもアマチュアのミュージシャンとしてシノギを削りあう仲間との間の話。名古屋に住んでた時の話だけど、現在進行形の話でもあると思ってる。
俺にも嫉妬を覚える存在がいる。アイツのことをいつも意識してると言ってもいい。ステージに立ってるアイツ、本当にカッコいいんだよな。
アイツとデュオを組んでるギタリストYさんもまたカッコいいというか、たぶん世間一般的にはアイツ以上にカッコいい。けど、俺はYさんには嫉妬を覚えない。何故なら、Yさんはギタリストであって、ボーカリストではないから。
俺は、ギターも一応弾くけど、へたくそだし、自分のことをギタリストとは思ってないから、ギターがうまい人がどんどん出てきても、単純に「スゲエなあ」って思うだけだね。
ところが、実力あるボーカリストのパフォーマンスを見ると、冷静でいられなくなる。ボーカルでは誰にも負けたくないって意識がどこかにあるんだね。
アイツのボーカルには本当に痺れるし、ブルースハープもアイツには敵わない。アイツとYさんの演奏、いつまでも聴いていたいと思う。それでまた、アイツ、MCもうまいんだ。俺もボーカリストだから、MCを担当することが多いけど、なかなかセンスよくできないんだよね。
俺も、ソロ、バンドの他に、デュオを組んでたけど、俺のデュオ・パートナーのNさん、俺のボーカルよりもアイツのボーカルのほうが好きなんだよな。ある時Nさんに「俺のボーカルよりアイツのボーカルのほうが好きだよね」って聞いたら、「わかる? ゴメンね」って返ってきた。悔しいけど、アイツならしょうがないよな、とも思う。俺も、アイツのボーカル、大好きだし。
何年か前に、アイツのバンドと対バンでライブをやったけど、夢のようだった。アンコールでは二つのバンドが即席で『スイートホーム・シカゴ』を演奏して、アイツと俺が交互にボーカルやブルースハープで競演したんだけど、アイツの実力のスゴさを思い知ったな。その時、アイツと並んでも見劣りしないようになりたいと強く思ったよ。
1年半ほど前に、事情あって、名古屋を離れ、山梨にUターンしてきた。名古屋を離れる前、アイツとYさんのデュオのライブにゲスト出演させてもらったんだけど、アイツ、俺のことをテーマにした曲を作ってくれてて、あんなに嬉しいことはなかったよなあ。思い出すたびに泣けてくるよ。
アイツが俺のことをどう思ってるのか知らないけど、俺はアイツの永遠のライバルであり続けたいと思ってる。アイツたちの演奏に嫉妬しながらも喝采を送り、俺自身の糧にしたい。俺も負けないから、お前も絶対に負けるなよ。口にこそ出さないけど、俺はずっとそう思っているんだ。



2019年01月01日(火) 焦燥のブルー

「焦燥のブルー」

実に多くのことが言葉にされず

実に無駄なことばかり 繰り返される

俺は観たのさ 夢の残骸たちを

俺は観たのさ 未来が朽ち果てていくのを


魂の不潔と 沈黙のブルー

何がすべてを隔て 引き裂いたのか

何もかもがあり そして何もない

君の存在だけを 輝かさせてくれ


永遠に新しくあれ この瞬間に生きる

今ここにないものは 未来にもありやしないぜ

君の手を汚し 新しい地図を描き

幻想と 希望と 言い訳と リスクと 責任と

焦燥のブルー


魂の不潔と 喪失のブルー

リスクのない場所に 希望なんてない

ねじれた世界 それがステージなら

空を見あげ 君は君の歌を歌え


永遠に新しくあれ この瞬間に生きる

今ここにないものは 未来にもありやしないぜ

君の手を汚し 新しい地図を描き

幻想と 希望と 言い訳と リスクと 責任と

焦燥のブルー



詞・曲:山口洋



2017年11月03日(金) アンビリーバブゥ

信じられないというか、信じたくない。
先日の選挙の結果も、加計獣医学部認可見通しのニュースも。加計認可のニュースが選挙前にあったのなら、選挙前にあったのなら、選挙結果も変わっていたんじゃないのか。こんな世の中にどうしてなってしまったんだろう。
本当にやりきれないよ。



2016年11月13日(日) Danny Boy(兄・司に捧ぐ)

傷つき倒れし戦士は
遠きふるさと想う
夕空に淡くゆらめく
山あいのわが村よ

色あせ ひびわれた写真
彩りがよみがえる
幼な子帰りし夕暮れ
家に明かりが灯る

争いの絶えぬ世界は
どこまで続いていく
憎しむことなき時代は
いつの日に訪れる

父母の待つあの村へ
風よ われをいざなえ
遥かなる故郷の土を
再び踏みしめるから



2016年11月09日(水) 最悪のジョーク

アメリカ大統領選のこと。
クリントン氏がいいとは言わないが、まさかそちらを選ぶかって思うよ。



2016年10月22日(土) 燃えつきるまで

時代に抗い 向かい風にあおられて
叩きつけられても
(只今編集中)


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