| 2004年03月14日(日) |
能と華道のコラボレーション |
今日、(アテネ・オリンピック日本代表選考レースでもある)名古屋国際女子マラソンが開催され、熾烈を極めた女たちの闘いが展開された。結果は、ご存知のとおり、土佐礼子選手が見事優勝を勝ち取った。
さて、私は今日、名古屋能楽堂まで橋岡會による能『楊貴妃』を観に行ってきた。 まずは、一調『山姥』。一調とは、大鼓(おおつづみ。「太鼓・たいこ」ではありませんので、お間違いなく)と謡い手とが互いの力量をぶつけ合い、能の一部を演奏する、というもの。能とはひと味違うが、緊迫感があり、とても面白かった。 そして、次は華道家・仮屋崎省吾が能舞台の前に花を活けて、まさしく舞台に華を添えた。 後半は、能『楊貴妃』。能装束には究極の染物「一竹辻が花」(故・久保田一竹が編み出した)が用いられた。肝心の舞台のほうだが、いまひとつ響いてくるものが少なく感動が薄かった。仮屋崎さんや「一竹辻が花」に「主役の座」を奪われている、そんな印象を持ったね。本来「主役」であるべき「能」にもうちょっと迫力が欲しかった。
| 2004年03月13日(土) |
ZATSUGI、塔和子、河野義行&山田悦子、U-STYLE |
12日、宿直の仕事を終えた私はそのまま名古屋市民会館へと向かった。そこで中国・広東雑技団『ZATSUGI』公演を観た。高度な技が次々に繰り出されるのだが、気がつくとシルク・ドゥ・ソレイユの『キダム』と比較して観ている私がいる。『キダム』と比べてしまうと、どうしても見劣りがしてしまうんだよね(技術面というより演出の面で)。実際には「雑技団」も神業を難なくこなしているのだけれどね。特に、雑技とバレエを融合させた「東方の白鳥〜奇跡のパ・ド・ドゥ」は公演のラストを飾るにふさわしい演目だったよ(必見の価値あり!)。
13日、今日はあれこれと忙しく動き回った。 まずは朝、名駅・シネマスコーレで映画『風の舞』(モーニングショーのみの上映)を観た。この映画は、ハンセン病療養所・大島青松園に暮らす詩人・塔和子さんを追ったドキュメンタリーだ。塔さんの詩と「ハンセン病問題」は分かちがたく結びついてもいるのだが、人間存在に向き合ったその詩には思わず圧倒される(このホームページの「1月25日」「1月26日」の日記でも紹介しているので、参照して下さい)。 映画そのものはさほど面白くはなかったが、塔さんの人間的魅力には触れられたように思った。
午後、栄の名古屋市教育館という所で「報道被害者支援ネットワーク・東海」設立総会が開かれた。第1部が設立総会、第2部では「冤罪事件」での「報道被害者」である河野義行さん(松本サリン事件での報道被害者)と山田悦子さん(甲山事件での報道被害者)によるシンポジウムが行われた。おふたりとも、「一度犯人視されてしまうと、その印象を覆すのは困難」との認識を示されていた。そして、「冤罪」というものが誰の上にも起こりうるものであることをあらためて考えさせられた(河野義行さんのことなど、「2月27日」の日記で取り上げていますのでご参照下さい)。
夕方はプロレス観戦。田村潔司率いる「U-STYLE」の旗揚げ1周年記念大会を観に行った。「U-STYLE」のルールは総合格闘技にだいぶ近く感じられるが、総合格闘技との棲み分けを今後どのようにしていくのか、また、いかに面白いカードを組んでいけるか、等の課題があるように思われた。メイン・イベンターの田村選手にはファイターとしての魅力を感じたが、選手間の力の差が歴然としており、試合そのものはさほど面白くなかったね。
とまあ、脈絡のないような一日を過ごしている私だった・・・。
| 2004年03月10日(水) |
映画『息子のまなざし』のこと、など |
あいつが出所した 数年前息子を殺したあの少年が 幼い命が奪われたあの事件の 被害者と加害者が 数年の時を経て対面する ひとりは職業訓練校の教師として ひとりはそこに通う生徒として あいつは知らない <私>が誰であるのかを おまえが殺した幼な子の父親が<私>なのだ とその言葉をぐっと呑み込み 沈黙の底に身を潜めながら <私>はさまざまな思いにとらわれる 名付けようのない複雑な感情に <私>は驚き ただただうろたえるばかりだ 深い深い沈黙を破って発せられる言葉 そして行動 何が<私>をそうさせるのか 殺された息子を介して向き合う あいつと<私> この闇を照らす光はあるのだろうか 答を探して今もなおさまよい続けている・・・
映画『息子のまなざし』を観た(今池・シネマテークにて)。重いテーマを前にして、安易に言葉を差しはさむことができない。言葉がそぎ落とされ、深い沈黙が物語を「雄弁」に語っている。そして、深い沈黙を破って言葉が発せられる時、それまでせき止められていた感情が激流となって迸り、心揺さぶるドラマが展開する。そして、ラストは再び深い沈黙へと帰っていく。一人ひとりの心に深く語りかけてくる、すぐれた映画だと思った。
そして・・・。 「神戸連続殺傷事件の加害男性、医療少年院を仮退院」とのニュース。このことについてはさまざまなことを考えさせられるが、ここでは大変印象に残った「娘を殺害された山下京子さんの手記」の一部を紹介しておきたい。
私は犯罪者に寛容な被害者ではありません。 決して罪を許してもいませんが、彩花ならきっ と、凶悪な犯行に及んだ彼が、人間としての心 を取り戻し、よりよく生きようとするのを望ん でいるように思えます。 彩花のためにも絶望的な場所から蘇生しても らいたい。私たちへの謝罪とは、二度と人を傷 つけず、悪戦苦闘しながらも茨の道を生き抜い ていくことしかないと考えています。
この言葉から、娘さんを深く愛してらっしゃったがゆえの深い悲しみが感じられ、同時に娘さんのためにも力強く生き抜こうとする意志が伝わってくる。とても感動させられた一文であった。
仕事を終え、急いで今池の「TOKUZO」へ。今宵、「清水宏・シンバル漫談」なるライブがあった。 「シンバル漫談」と聞いて私は牧伸二の「ウクレレ漫談」のようなものを想像していたのだが、オチの後でシンバルを一発鳴らすというものだった。というわけで想像とは異なるスタンド・アップ・コメディであったのだが、清水宏さんの絶妙な話術に会場全体が笑いの渦に巻き込まれていた。お客もだいぶ入っていて、けっこうギューギューだったよ。 オープニングは「手拍子」、観客も「TOKUZO」の店員さんも「手拍子」に参加して、これだけでだいぶテンションが上がった。その後、「満員電車のなかでの、『イマドキの若者たちの空虚な会話』」「東大の英語の授業に潜り込んだ時のエピソード」「入院した時のエピソード」などが続き、「ウルトラマン」シリーズの端役になりきってのトークショーもウケていた。ライブのラストでは、架空の映画予告編ということで「サザエさん ハリウッド・ヴァージョン」、これが結構笑えたね。私もすっかり笑いのツボにはまってしまい、心地よい疲労感(笑い疲れた)を感じていた。
詩人仲間のみおよしきさんが快挙達成! 「詩のボクシング・大阪大会」で優勝し、11月に福岡で行われる「国民大会」への出場を決めた。 みおさんとは「朗読会」でよく顔を合わせるが、彼独特の作風はマネできるものではないな〜。ご自身のお父様をうたわれた詩も多いが、そのなかで私は『はよしんでください』が好きだ。お父様のおかしな行動に続けて「はよしんでください」のひとことが繰り返されるが、最後には胸が熱くなるような結末(? 私はジーンときました)が用意されている。「はよしんでください」のジャブが後になって効いてくるような、そんな詩だね。もちろん、他にもいい詩はたくさんある。 字面で追うよりは、ぜひ彼の肉声で彼の詩を味わってほしいな。今月18日夜8時より「club BL」(東山公園駅近く)で「みおよしき独演会」が行われる。ぜひぜひ足を運んでみてほしい。詳細は、「みおよしきHP」の「ニュース・レター」か「林本ひろみ(「詩のボクシング・愛知県大会」前回チャンピオン)HP」の「告知板」を見てご確認を(「水尾佳樹」「林本ひろみ」で検索すれば辿り着けると思うよ)。
| 2004年03月06日(土) |
「アイデン&ティティ」、東欧発「ロミオとジュリエット」etc. |
東京観劇旅行(第何弾だろうか?)2日目。
午前中は渋谷まで映画『アイデン&ティティ』を観に行った。みうらじゅんの漫画をもとにクドカンこと宮藤官九郎が脚本を書き、田口トモロヲがメガホンをとった映画。名古屋ではいつの間にか終わっていて観そびれていた。バンドブームが過ぎ去った頃(1990年前後)の若きバンドマンたちの「アイデンティティ」を求め続ける姿が描かれた青春映画だね。俺のなかの「若い血」が騒いだよ。映画のラストの方で出てくるセリフ、「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」がとても印象的だった。
夕方、新宿・パークタワーホールで上演の、ヤーン・カンパニー『ロミオ+ジュリエット』を観に行った。スロヴァキアのカリスマ的演出・振付家ヤーン・デュロヴチーク率いるダンス・カンパニーによる、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』をモチーフとしたダンス作品だ。「憎しみ」をテーマに再構築された作品だが、セリフ(スロヴァキア語)も多くダンス作品というよりはかなり「演劇」に近かった。 途中、「予算の関係で、ダンサーが3人足りない」(セリフ)とのことで、いきなり客席から3人が舞台に上げられた。その3人のなかに俺も入っていたのだけれど・・・。1(ダンサー)対3(観客)のケンカで3人が1人にやっつけられる、というシチュエーションを「演じた」のだった。面白い体験だったね。 ところで物語のほうは、と言えば、シェークスピアの悲劇をベースに置きながら、「憎しみ」が人間にいかなる行動をとらせるかという点が丹念に描かれていた。現在世界の各地で起きている紛争のことが思い起こされたよ。 『ロミオとジュリエット』をモチーフとした作品としては『ウェスト・サイド・ストーリー』という名作があるが、ヤーン・カンパニー『ロミオ+ジュリエット』も非常にすぐれた作品に仕上がっていたと思う。
終演後は急いで東京駅へ。新幹線で名古屋に戻る。これからしばらくは、上京を自粛するつもり。と言っても、俺の道楽は止まりそうにない。懐具合を見ながら、次なる遊びを求める俺だった。
またしても東京にやってきました。今年に入って何度東京にやってきたことか、さすがに出費もかさむので、今後しばらく東京行きを自粛します。と言うそばから3月、4月と大阪行きを画策中というのだから、困ったものです(まあ、東京へ行くよりは安く上がりますが)。もうほとんど病気というか、依存症ですね。 さてさて、今夜は、下北沢駅前劇場にて毛皮族公演「DEEPキリスト狂」を観てきました。芝居は決してうまくはないのですが、歌あり、踊りあり、テンポもよく、勢いに押されるようにして、ついつい見入ってしまいました。「下品」でアナーキーな雰囲気を醸し出してましたね。観たことはありませんが、かつて「状況劇場」(唐十郎主宰)が似たようなア・ブ・ナ・イ空気を作りだしていたのではないかと想像しましたよ。「毛皮族」という劇団名は、寺山修司の「毛皮のマリー」に由来するようですけどね。毛皮族の芝居も「アングラ」だとは思いますが、昔の「アングラ」や「pHー7」の芝居とは異質な印象でした(何かうまく説明できませんが)。毛皮族をご覧になったことがなければ、一度ぐらいは観てみてもよろしいと思います。小劇場という空間が濃密な空気を醸し出すのに一役買っているようにも思われました。 「小劇場」と言えば、来月「pHー7地下劇場」にてpHー7公演「舞踏劇・澱の匂い」がありますね。こちらもぜひぜひ観てみたいものです。
| 2004年03月01日(月) |
東へ西へ(横浜・京都篇) |
今日は、「東へ西へ」横浜・京都篇であります。
まずは、横浜篇から。と言っても、たまたま観たい映画が横浜で上映されていたということで、横浜の観光スポットには立ち寄ってません。 会田誠という現代美術作家をご存知でしょうか? 観に行った映画は、その会田誠の作品製作や作品展などの活動を追ったドキュメンタリーです。会田は、「切腹女子高生」「戦争画Return」「ダンボール城」などの「問題作」を次々に発表し、コアなファン(ファンはコアにならざるを得ません)を獲得しています。また、漫画「ミュータント花子」はエロ・グロ・戦争・SF等の入り混じった作品ですが、アナーキーで過剰なまでのエネルギーを感じさせる世界が展開されます。「下品」と言えば確かに「下品」ではありますが、そんな「下品」な作品世界というものも決して嫌いではありません。「文化」というものは様々あって形づくられるのだと思いますから。 映画館を出ると、外は小雪が舞ってるではありませんか。新幹線が止まらないことを祈りつつ、早めに京都へ向けて旅立ちました。
京都は、確か昨年の12月以来です。京都芸術劇場(京都造形芸術大学内)に創作能を観に行きました。「ポール・クローデルの詩による創作能・内濠十二景あるいは<二重の影>」(渡邊守章・作・構成・演出)、出演は観世栄夫・梅若晋矢・野村萬斎。地謡・囃子方も豪華です。 私はいわゆる日本の伝統芸能にも大いに興味を持ち、特に能は好きなのですが、実はすべてを理解して観ている訳ではありません。でも、能衣装や能面ひとつとっても非常に興味をそそられますし、鼓の音や謡、そして能役者の動きになぜか心を揺さぶられてしまうのです。非日常的で神秘的な世界に陶酔している自分自身をそこに発見します。 今日の舞台はいい意味ではりつめた空気が感じられ、とてもよい舞台であったと思いました。素晴らしい能の舞台は、美しい一篇の詩であると私は思います。 夜8時40分ごろ終演。余韻に浸りつつも、明日の仕事に備えて名古屋への家路を急ぐ私でした。
このホームページ、最近はすっかり私の「道楽日記」と化していますが、もともと道楽者なのだからそれも致し方ありません。それでもってまたまた「観劇旅行」に出ています。いつもと違うのは、表題のとおり「東へ西へ」であります。今日は東京、明日は京都と駆けずり回ります。 では、「東へ西へ」・東京篇の始まり、始まり。
まずは、新宿文化センターにて台湾のダンス・カンパニー、「雲門舞集」(クラウド・ゲイト舞踊団)の「水月」というダンス作品を鑑賞しました。バッハの曲をバックに太極拳や気功などの動きを取り入れた踊りが舞われました。舞台後方に設置された巨大な鏡と3000リットルの水を用い、幻想的な舞台が展開されてました。「東洋の英知」を感じさせる舞台でした。 終演後、新宿のホテルに荷物だけ置いて下北沢の小劇場「スズナリ」に移動しました。
夜7時より「スズナリ」にて燐光群公演「だるまさんがころんだ」を観劇しましたが、これがとてもとても見ごたえのある作品でした。燐光群の作品、坂手洋二の戯曲に絶大の信頼を寄せている私ですが、期待した以上の作品に仕上がっていました。 「イラクへの自衛隊派遣」問題を射程に収めつつ、「地雷」をテーマに物語は展開しました。いわゆる「社会派」の芝居で、扱うテーマは重いものですが、これがエンターテイメントとしても非常に面白い仕上がりになっていました(風刺がとてもよく効いていましたし)。作家自身がこの問題を自分自身の問題として十分に消化し、それを役者陣も見事に演じきっていたという印象を持ちました。 とにかくホン自体も、役者の動きもテンポよく、決して観客を飽きさせることがなかったように思います。暗転中の舞台転換も見事で、そのことも小気味よいテンポを作り出す一因になっていたとも思われました。 最近は、芝居よりもダンスの方が面白く感じられることが多かったのですが、久しぶりにとても質の高い芝居を観たように思われ、「役者の端くれ」としては嬉しかったですね(「総合格闘技」に押され気味のプロレスを愛してやまないプロレスラーの心境に似てるかも?)。 気が早いけど、燐光群の次回作が早く観たいと思いました。
| 2004年02月27日(金) |
河野義行さんのこと、など |
今日、一連の「オウム真理教事件」の首謀者とされる松本智津夫(麻原彰晃)被告に対し東京地裁より「死刑判決」が出された。まあ、これまでの流れからしてこの判決は予測されるものであったが、依然として「真相」は闇の中に隠れたままという印象が強い。 松本被告に対しては多くの被害者・遺族から「極刑」を望む声が強かったようだが、被害者・遺族が本当に望むことはそんなことではないように思うのだ(だからといって「極刑を望む被害者・遺族の気持ち」がまったくわからないわけではない)。まず、「原状回復」が不可能である以上、被害者・遺族の心の傷が消えることはないだろう。たとえ松本被告が「死刑」に処せられたところで、根本的な問題解決になりはしない。そんなことは被害者・遺族の方々もわかっているに違いない。にもかかわらず、深い悲しみや絶望感が加害者への憎しみをいっそう強めてしまうのだと思う。あまりにやりきれないのだと思う。 ちなみに私は「死刑廃止論者」である。こんなことを言うと、「加害者の人権ばかり言って、被害者の人権をないがしろにするつもりか」などと言われてしまうのだが、私は決してそんなふうには言っていない。そもそも「人権」そのものに「被害者」も「加害者」もない。「人権」は「人権」そのものとして誰の上にも尊重されるべきものなのだ。で、ここからが本題なのだが、被害者・遺族の人権はこれまであまりに軽視されてきた(加害者に対する人権も守られてはいないのだが)。それゆえに悲しみや怒りの感情を加害者にぶつける以外にやり場がなかったとも言える。 「事件」が起き「原状回復」が不可能となった時に被害者・遺族にそれ以上の心の傷を負わせないようにすること、そのことの重要性がこれまで見過ごされてきたように思う。例えば「真実」を明らかにすること。例えば「謝罪」。例えば「補償」。その他様々な心のケアがなされることで、多少なりとも心の傷が癒えることがあったならばと思う。その意味では、河野義行さん(松本サリン事件の被害者であり、かつて被疑者でもあった)らが行っている「リカバリー・サポート・センター」の運動に共感を覚える。
ここに、「松本被告判決前に河野義行さんが綴った手記」(2月20日付「中日新聞」朝刊に掲載)がある。松本サリン事件の被害者にして、一時は犯人扱いされた河野さんだが、物事を冷静に見つめ、あたりまえのことをご自身の言葉で語られている。 「世間では死刑が当然との風潮」だが「罪状認否の留保も被告の権利」「被告の有罪が確定するまで彼は無罪が推定されているはず」との至極あたりまえの河野さんの主張に対し、「麻原を憎くないのか」と質されることもあったという。それに対し河野さんは「松本被告や実行犯といわれている人たちに憎しみの感情がわいてこない」と答え、「サリンにて重傷を負ったことよりも、その後の犯人視報道や逮捕への恐怖の方が現実的で、辛いものだった。マスコミや報道を真実と思った人々は、私たち家族を窮地に追い込んだことなど、もう忘れてしまったようだ」と語る。
「世間」が熱くなっている時ほど、冷徹な目を持ち続けたいものである。「北朝鮮バッシング」しかり、「イラク問題」しかり、「オウム」しかり、「鳥インフルエンザ」しかり・・・。 一連の「オウム事件」にしても、すべてを「オウム」に押しつけるのではなく、現代社会に生きる一人ひとりに突きつけられた問題としての視点をも持ち、その正体を突き止める覚悟が求められているようにも思われるのだ。
|