| 2002年08月20日(火) |
「感動のロシア6日間の旅」(予告編) |
COH3 OCAMy / SONE OSAMU / 曽根 攻
JTBのツアーに参加して、ロシアを旅してきた。6日間の旅と言っても、うち2日間は移動日なので、正味4日間の旅と考えてよいだろう。 1日目、ソウル経由でモスクワまでの飛行時間は合計10時間。それにソウルでの乗り継ぎ時間も合わせると半日以上移動にかかる計算だ。その日は、ロシア入国、即モスクワのホテルに直行。ホテルに着いたのが、モスクワ時間で午後10時すぎ、ところが日本時間では午前3時すぎだ(5時間の時差)。行きの飛行機の中ではできる限り睡眠をとったが、体力温存のためにとにかく寝られる時には寝るように心掛けた。 2日目はモスクワの同じホテルに宿泊したが、3日目の夜は寝台列車でサンクトペテルブルグに移動(8時間の列車の旅だ)。4日目はサンクトペテルブルグの一流ホテルに宿泊するが、5日目の夜はモスクワに飛行機で移動した後で、ソウル行きの飛行機にて機中泊。 実質的には、それぞれモスクワ2日間、サンクトペテルブルグ2日間の滞在だった。盛り沢山の内容であったが、6日間は夢のように通り過ぎた。非常に楽しい旅だったが、帰れば現実はどこにも行かずに待っていた。 今朝、少しだけ寝過ごして、危うく遅刻するところだった。連休明けの昨日1日をすでに有給休暇として取っていたので、今日は何としても休むわけにはいかなかった。旅行中は比較的元気な私だったが、さすがに旅の疲れは残ったようだ。仕事中は何とかごまかしたが(自分も他人も)、終業時間を待ってできるだけ早く職場を出た。 今日のところは、とにかく休息をとっておきたい。明日以降、「感動のロシア旅行」をリポートしよう。それでは、また。
あ〜、だから今夜だけは君を抱いていたい あ〜、明日の今頃は、僕は「飛行機」の中
と、チューリップの名曲「心の旅」のメロディーに乗せてみた。明日からは、待望のロシア旅行。
あした〜、私は旅に出ます (狩人「あずさ2号」より)
久しぶりの海外旅行。心はずむというより、何か忘れてないかと心配ばかりしている。
いい日〜、旅立ち〜 (山口百恵「いい日旅立ち」より)
ちょっとくどかったね。ふざけてる割に、実はナーバスになってたりするんだ。 ホントはロシア語も少しは身につけてから行きたかったんだけどね。何もかもが準備不足だ。 『トラベル・ロシア語会話手帳』、『地球の歩き方・ロシア編』などもカバンに詰め込んで、と。明日はほとんど移動に費やされ、明後日いよいよモスクワ市内観光(「赤の広場」他)。まあ、添乗員同行のパッケージツアーなので心配することは少ないかわりに、「個人旅行」みたいに自由に歩き回るわけにはいかない。オペラを観に行ったり、ロックのライブを楽しんだり、酒場をうろついたり、なんてことはできない。でも、サンクトペテルブルグでは「ロシア料理食べながら、フォークロア・ショーをお楽しみ下さい」とのことなので、少し期待している。 この旅が終われば、翌日からお仕事だ。それも致し方ない。とにかく、思いっきり楽しんでこようっと。 では、皆さん、しばしのお別れ。ごきげんよう。
仕事が終わった。明日から夏休みだ。ロシアへ旅立つ日も近い。旅行準備はまだこれから。その前に実家のある山梨にも帰らなくちゃならない。通常の夏期休暇に有給休暇1日を加えて10日間の連休。でも、ロシアから戻った翌日からは、恐らく時差ボケの身でありながら仕事もスタート。まあ、それは覚悟の上。とにかく思いっきり羽根を伸ばしてこよう。
昨日の一人芝居について。自らも身体障害をもつ文化人類学者ロバート・F・マーフィー氏による著作『ボディ・サイレント』から着想を得て、それを一人芝居にしてみたのだが、結果的にはうまく表現できなかった。 今回「支配ー被支配の関係を、被支配の側から表現する」という課題が出されていた。「支配ー被支配の関係」はいろいろとあるが、私には「『障害者』をめぐる関係」を軸に考えることが求められているように思われた(手前勝手な思いこみにすぎないのだが)。その時ちょうど読んでいた本が『ボディ・サイレント』だったのだが、これが私には大変面白い本に思えた。人類学の専門書を芝居の題材にするのも面白そうだと思った。けれども、長期の休みを控え、職場の仕事も詰まっていた。なかなかうまく構成ができないままに時間ばかりが過ぎ、台本らしきものが出来上がったのが、一人芝居当日の昼(職場の昼休み時間に必死に仕上げた)。急ごしらえの台本をわずかな時間に覚えなくてはならないのだが、結局は覚えきれないまま本番に突入してしまった。本番ではすっかり浮き足立ってしまい、段取りを追うことにばかり気がいってしまい、演技に集中できなかった。 当然のことながら、厳しい意見もいただいた。演劇として演じられる以上、演劇として成立しているか、演劇として面白いかが問われるべきとの意見には、私も大いに賛成する。表現されたものが観客にどう届いたかが一番重要なのだ。その上でテーマがうまく表現されていたか、という順序であり、決してその逆ではないと思っている。 私の失敗は、いろいろと盛り込もうとするあまり、観客に何を伝えたいのか、あるいはメッセージをどのような方法で伝えるかという重要な点を見失ってしまい、ひとりよがりになってしまったということだろうと思う。いろいろと指摘していただいて、嬉しくはあった。でも、一方には悔しさもあった。 今回は「時期尚早」とは思いながらも、自らのライフワークにも大いに関わるテーマにあえて取り組んでみた。準備不足は最初からわかっていた。あるいは、もっと無難にまとめる方法はあったのかもしれない。でも、自分の追求したいテーマに取り組みたいという思いは強く、何とかモノにしたいとは思っていた。結局はうまくいかなかったし、大変悔しい思いをした。だが、このままでは終われないし、終わるつもりもない。ここから再び立ち上がって、もっともっと自分を鍛えていきたい。今回はもしかすると<再起>(大げさだが)に向けてのよい機会にはなったのかもしれない。 秋公演には、きっと一回りも二回りも大きくなって、舞台の上を翔けめぐっていることだろう。
| 2002年08月04日(日) |
ボディー・サイレント |
アトリエ開きも終わり、合宿不参加の私が次に取り組むべきは<一人芝居>。今日は、そのために楽器を搬入。題材は決まったものの、構成のところで大いに悩んでいる。 今回の<一人芝居>のテーマは、「支配ー被支配の関係」。本来であれば、私にとって得意分野ともいうべき領域なのだが、それを演劇的表現にするには時間が足りないというのが率直なところだ。一時期、まだパソコンが普及する前のこと、私は「個人誌」(「火見子」の筆名で)なるものを発行し、そのなかで「『障害者』をめぐる関係」等の文章を書いてもいた。 今回の<一人芝居>では、そのあたりを盛り込みたいと思い、最初はオリジナル作品を書くことも考えた。でも、ある<作品>(人類学者ロバート・F・マーフィーの著作『ボディー・サイレント』。戯曲でも小説でもなく、人類学の専門書)に出会ってからは、他人の<作品>を私なりに解釈を加えながらオリジナリティーを出せないものかと考えるようになった。ということで、『ボディー・サイレント』やフランツ・カフカ『変身』等々をモチーフに、曽根攻的宇宙・「暗黒のメルヘン」を表現しようと目下奮闘中である。タイトルは「ボディー・サイレント」だ。 「社会的テーマ」を盛り込みつつも、<演劇>として(あるいは、<音楽>として)鑑賞にたえうる作品を創っていきたい。役者として、作家として、飛躍したいとも思う。だが、今回は何よりも時間との闘いだ。追い詰められた結果は、吉と出るか、凶と出るか。既に、賽は投げられている。
新アトリエの片付けもほぼ完了し、明日のアトリエ開きを待つのみとなった。 となると今度は<一人芝居>が気になりだした。今回の<一人芝居>の課題は、「様々な関係性を想定し、被支配の側から表現する」というもの。 日常の中で「支配ー被支配の関係」はあまりにありふれている。それは何も一対一の人間関係だけに限った話ではない。私たちは日々あらゆる社会関係に囲まれながらに生きている。 私たちはそれぞれ健常者だったり、日本人だったり、黄色人種だったり、男だったりする。そして、ある「社会的地位」をもっている。それらが幾重にも絡み合って個々の人間関係を規定していく。例えば、日本人の私がマニラの雑踏を歩く時、周囲から「金持ちの日本人」として私のうえに視線が注がれる。私の意図とは無関係に、「第三世界の人々」にとって私は抑圧者となりえる。社会構造が個々の関係を規定していくのだ。もちろん、<個>としての私が存在しうる形がないわけではあるまい。とはいえ、<個>がさほどに確固たるものとも言い難い。その一方で、常に移ろいゆくのも人間ならば、それを取り巻く関係もまた移ろってゆく、とも言えよう。 アメリカ社会において抑圧され続けた黒人が、ベトナム戦争の最前線において、最も残酷な「抑圧者」となり得た例は少なくあるまい。 俺は死に絶えた町で生まれた 生を受けてすぐにひどい仕打ちを食らい 殴られてばかりの犬みたいにおどおどして 人生の半分は逃げ腰で生きてる人間になっちまった
俺はアメリカ合衆国で生まれた 俺はアメリカ合衆国で生まれた
地元でちょっとしたトラブルにまきこまれ 軍隊に入隊させられ 黄色人種を殺すために外地へ送られた
ブルース・スプリングスティーンの80年代のヒット曲「Born in the U.S.A.」に登場するベトナム帰還兵は帰国後職もなく、アメリカ社会の「敗残者」として日々さまよっている。「抑圧される立場」にあった者がベトナム参戦とともに「抑圧者」の立場に立つが、アメリカ国内のベトナム反戦の流れに押され、帰国後再び「抑圧される」側に置かれることになる。 世界じゅうのあらゆる場所で起こっている紛争は、皮肉にも人間の醜さを如実に表現していると言える。それと同時にごく日常的な場面においても、人々はあらゆる「権力関係」にとらわれながら生きている。だが、そのことは半ば忘却されている。 人間の醜さを全否定するつもりはないが、自らの醜さに意識を研ぎ澄ませていきたいとは思う。聖者であろうとは思わない。美しく生きることは大変だ。しかし、人としてどうあるべきかは、人生通じてのテーマとなる。「人として」と言う時、そのことは当然自らの周りに張り巡らされた<関係>を問う、ということに他ならない。
何かと気ぜわしい毎日を送っているが、あと2週間後に私はロシアへの旅に出掛ける。今日は午後休みをとって、銀行で日本円をUSドルに交換(日本国内では、ロシアの通貨・ルーブルに換金できない)。図書館から「地球の歩き方」のロシア編を借りてきた。今はとにかくロシア旅行を励みにしている。
8月8日夜、他の劇団員に先がけて<一人芝居>をすることとなった。別に、新アトリエのこけら落としというわけではなかろうが、pH-7夏合宿に参加できない私に用意された場所が新アトリエというわけだ。 自分なりのテーマはあるが、それをどのように構成して表現するか、非常に悩むところだ。まあ、楽器を何らかの形で用いることはまず間違いのないところではあるが・・・。
今日は、これからグループホームでの泊まりのボランティアだ。 気ぜわしいままに7月は過ぎ去っていくんだね。でも、暑さはまだまだこれからだ。どなたさまもご自愛くだされ。では、また。
| 2002年07月28日(日) |
太陽が膨張しているのだろうか? |
昨日も今日も、疲れのためか午前中いっぱい寝てしまい、朝日を浴びることがなかった。連日の暑さでバテ気味なうえに冷房による弊害が、俺のからだを直撃しているのかもしれない。もちろん、仕事上のストレス、日々の忙しさ(これは自分でもたらした結果だから文句は言えないが)からくる疲れもあろう。とか言いつつ、午後からは忙しく動き回った。
まず、2時から「NPOプラザなごや」で行われた、なごや自由学校講座「脱カップル社会の未来予想図�供廛轡蝓璽困裡害麑椶忙臆叩�今日は、自らレズビアンであることをカミングアウトし「異性愛中心主義」「性別二分法」に異議を唱えている、堀江有里さんが問題提起。その話題をもとに参加者全員でディスカッションすると、それぞれに意見も出された。 そのなかで思ったのは、「同性愛」というとすぐに「性行為」を思い浮かべる向きもあるが、性的関係をも含んだ<関係性>という点こそが重要なことではないだろうか、ということ。つまり、「同性愛者」であることそのものが、恥ずべきことでもなければ、立派なことでもない、と思うのだ。お互いに信頼しあえるような関係の内実があれば、それが「異性愛」であれ、「同性愛」であれ、何ら恥じるべき事柄ではないはず。しかるに、現実の社会では厳然として「差別」は存在し、「同性愛者」は戦略的にカミングアウトという方法をとらざるを得ない状況に置かれている(「異性愛者」はカミングアウトなどという面倒な「手続き」をとる必要がない)。セクシャリティーの問題は、かなり深い問題を内包している。
夕方6時過ぎからは、今池のシネマテークで映画「ノー・マンズ・ランド」を鑑賞。ボスニア紛争を舞台に、戦争の愚かしさを戯画的に描いてみせた作品。ユーモアを交えつつも戦争の本質を描ききった作品として、高く評価したい。
夜9時からは、萱さん・マミオさん主演の映画「砂の記憶」を鑑賞。果てしなく続く砂、砂、砂の世界。そこから様々なイメージが想起させられ、面白く観させていただいた。主演の二人もよかったが、突如現れる菱田さんも異様で素晴らしかった。俺も映画に出たいとアピールして、今日の日記を締めくくっておこう。
| 2002年07月27日(土) |
大須オペラ&「地方の反乱」 |
夕方、スーパー一座の大須オペラ「パリの生活」を観に行った。オペラといえば、愛知県芸術劇場オペラホールへちょっと着飾って観に行くみたいなイメージがあるけど、大須オペラはビール飲みながら気楽に観られる大衆的オペラ。昔懐かしい「浅草オペラ」(懐かしいというか、俺はまだ生まれていない)の息吹を再現しようと11年前にスタートした大須オペラだが、周囲の人々はテンションが高く、それぞれが大いに楽しんでいるようであった。隣に座った女性二人連れは、「こんな面白いもの、もっと早く観たかった」と興奮気味に話していた。俺も、スーパー一座のロック歌舞伎を初めて観た時、同じような感想を持って、その勢いで一座に入ったので、その気持ちは理解できる。でも、スーパー一座の舞台を何度も観ている俺からしたら、「もっと面白いはずなのに」という思いを少しばかり持った。面白くなかったというわけでなく、もっともっと期待したいということだ。たぶん役者のレベルは年々上がってきていると思う。ただ、なんとなくバランスの悪さ(役者同士のバランスだったり、役者と台本・演出とのバランスだったりするのだが)を感じた。 俺がスーパー一座に所属していた頃は台本の良さが際立っていたように思うが、今回観た感想としては「役者が揃ってる」という点がひとつあった。ベテランは言うに及ばず、俺と同世代の役者たちに関して随所に光る演技というのか、どうすれば役者が光って見えるのか計算されているという印象を持った。でも、実は計算しているというより、長年の鍛錬のなかで自然とそういう演技が身についたということだろうと思う。「継続は力なり」は、一面では真理だと思う。 俺も、pH-7秋公演に向けて稽古に励みたい。
話はガラッと変わって、住民基本台帳ネットワークシステムへの接続拒否宣言をした、福島県矢祭町の話題。国民すべてに番号をつけ住民票情報を管理する、というこのシステムへの接続拒否について、矢祭町の根本町長は次のように説明する。 「住民の情報を守るための担保となる個人情報保護法案が成立しない以上、接続しない。そもそも、セットであることは、国会で小渕元首相が答弁している。それが守られていない」と。個人情報の漏洩を防止するための対策がなされないままに住基ネットがスタートしてしまうことに、疑問の声も多い。自治体の長として至極まともな判断と俺には思えるのだが。 今でさえ、本人も知らない間にプライバシーが侵されている状況がある。今後さらに個人情報が悪用されるのではないか、と一抹の不安を覚えずにはいられない。
ビデオ録画しておいた、NHKにんげんドキュメント「津軽・故郷の光の中へ」(再放送)を見た。 少年時代に「らい」(ハンセン病)隔離政策のために故郷・津軽を追われ国立療養所(群馬県・草津の栗生楽泉園)に強制収容された桜井哲夫さん(本名・長峰利造さん)が、六十余年ぶりに里帰りする様子をカメラが追いかけていた。既にご両親は亡くなられているが、その葬式の際に里帰りは許されなかったという。 昨年5月、熊本地裁で争われた「ハンセン病国家賠償請求訴訟」(国の隔離政策の過ちを認めさせたうえで謝罪と損害賠償を求め、名誉回復をはかろうとして、元患者・療養所入所者によって提訴された)において原告勝訴の判決が出され、その後国側の控訴取り下げにより判決が確定した。原告たちの手によって奪われていた人間の誇りが勝ち取られたわけだが、これで一件落着とはならないのだった。 桜井さんは里帰りを実現することができ、断たれていた人間の絆を取り戻すことができたが、患者の多くは「社会復帰」も叶わず、故郷との関係も依然断たれたままである。 実は4年前の夏、私は「栗生楽泉園」を訪れ、数人の入所者から話をうかがった。その際、桜井さんともお会いしている。桜井さんはその時すでに本名も明らかにしていたが、多くの入所者が「偽名」のままに生き、「偽名」のままに生涯を閉じる。しかも死んでなお故郷に戻ることなく、療養所内の「納骨堂」に遺骨が納められるのだ。入所者の多くは「家族に迷惑をかけられない」と言って、本名を隠し、「もはやこの世に存在しない者」として今もひっそりと生きている。 ある入所者は言う。「親・きょうだいに拒まれようと、私は親やきょうだいを憎む気持ちにはなれない」「この病気に対する差別が、親やきょうだいに及ぼす影響は計り知れないのだから」と。 差別、それは誰をも決して幸せにしない。にもかかわらず、この世から差別はなくなりはしない。人間のなかに闇の部分は必ず存在するのだから。「反差別」を唱える私自身、「差別意識」から自由にはなっていない。私が言う「反差別」とは「差別のない状態」を目指すこととは違う。社会のなかに存在し、自分のなかにも存在する「差別意識」と常に向き合っていこうとする姿勢のことであり、運動(ムーブメント)のことである。そこでは、恐らくひとりの人間といかに向き合うのかが問われているのであろう。
| 2002年07月23日(火) |
旅ゆけば〜犬島・銅精錬所跡 |
7月21日、22日と岡山を旅してきた。主目的は、「維新派」の野外公演<カンカラ>を犬島(瀬戸内海に浮かぶ小島)まで観に行くこと。ついでに岡山市内や倉敷を散策してきたのだが・・・。
21日、朝8時すぎに名古屋から新幹線「のぞみ」に乗車(「のぞみ」は今回初めて)、10時くらいには岡山に到着。午後3時のフェリー(新岡山港発・犬島行き)の時間まで、岡山城(壁板が黒く塗られており、「烏城(うじょう)」とも呼ばれる)、後楽園(金沢・兼六園、水戸・偕楽園とともに日本三名園に数えられる)などを見て回った。そう言えば、市内を走る路面電車にも乗った。
午後3時の犬島行き高速フェリーに揺られ、30分弱で犬島に到着。島内をしばし散策し、5時から「発電所跡」にて舞踏家・岩下徹さんによるダンス公演<みみをすます>を観た。照明・音響効果は一切なく、自然の光の中で、周囲の音に耳をすましながら、ダンスを観る。演じられる場所も固定されておらず、岩下さんが移動するのに合わせて観客も移動した。40分ほどの上演だった。野外公演はリスクも大きいが、その場の使い方でいかようにも面白くなるものだと感じた。率直な感想としては新鮮で面白かったが、踊りそのものについてはさほど感動はなかった。
維新派公演の開場を待つ間、出店で食べ物、飲み物(言うまでもなくアルコール入り)を購入し、飲み食い。 6時半に公演場所である「銅精錬所跡」が開場。おだやかな島の一角に突如として巨大な構造物が出現する。鉄管が幾重にも組まれ、舞台・客席がセットされている。高い煙突や石切場、周囲の森、そういった島の風景が、そのまま舞台のセットとして組み込まれている。 7時開演。その時点で空はまだ明るい。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフとした新作野外劇。ヂャンヂャン・オペラと名付けられた独特のリズムを駆使した幻想的な世界が展開され、タイムスリップしたかのような錯覚を覚える。そのうちに辺りは暗くなり、空にぽっかり浮かんだ月が鮮明に映った。2時間ほどのパフォーマンスは瞬く間に終わった。理屈抜きに面白かった。迷宮に誘い込まれ、この世のものと思われぬ幻想の世界にしばし酔いしれ、現実世界に引き戻されてなお、直前まで存在したはずの物語世界が入り乱れ、夢の余韻に浸っていた。余韻はフェリーで島を離れる時にもまだ残っていた。 その晩、岡山市内のホテルに宿泊。明くる22日は、レンタサイクルを走らせ、吉備路を旅した。桃太郎伝説にかかわる「吉備津彦神社」「吉備津神社」を見て回った。その後、倉敷市内を散策し、新幹線で名古屋に戻った。 で、一度帰宅してから、泊まりの「ボランティア活動」に向かったのだが。さすがに疲れた〜。でも、楽しかった。 その翌日である今日からまた仕事だった。まあ、楽しいこと考えて毎日を過ごしていこう。
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