| 2002年02月27日(水) |
エロティックな芝居? |
仕事がたまっている。やるべきことは多いのだが、日毎にいろいろな問題が立ちはだかり、いっこうに事は進んでいかない。まあ、仕事がたまっているのは私ばかりではない。そして、日頃の疲れがたまっているのもみんな一緒だった。 「なんか疲れちゃったね」 「やらなくちゃならないことは沢山あるのにね」 「やる気起こらないね」 「曽根さん、たまには早く帰ろ、帰ろ」 てなわけで、ある仕事をやりかけた私だったが、明日以降にすることにした。体調もいまいちで、効率も悪そうだったので。久しぶりに午後6時より前に職場を出た。やはり明るいうちに帰れるのはうれしい。先の心配は明日以降にして、ゆったりした時間を持とう。 職場での人間関係は割にいいと思っている。10人ぐらいの小さな職場だけど、前の公演の時にはほぼみんなが観に来てくれた。今回もある程度は見込めそう。 先日も、上司にチラシを渡したのだが、彼はそれを見て「なんかエロティックな感じだね」「芝居もこんな感じなの?」と聞いてきた。「いや、別にそういうわけじゃないんですけど」と返答すると、彼はひとこと「それはちょっと残念だな」。 でも、彼はきっと観に来てくれることだろう。 チケットもしっかり売っていかなくてはね。よし、今日は知り合いに電話攻勢だ。
今日は昼からの稽古。ホントは午前中から遮光作業があったのだが、体調不良のため出られなかった。 で、稽古でもポカばかり。特に暗転中の転換がうまくいかない。自分でもホント情けない。 明後日の稽古はなくなり、3日間お休みとなった。体はその分楽だが、一方で不安も大きい。とにかく体調を整えておこう。 明日からまた仕事だ。しばらくは仕事も忙しい。そちらでも悩みは多い。 まあ、わるいことばかりじゃないさ。きっと・・・。
| 2002年02月20日(水) |
「気楽な稼業」ってわけにゃ〜いかねえか |
このところ、仕事も何かと忙しく、いろいろと問題を抱えている。 今日は、会議の場において、職場のトップより来年度以降の方針とかプランが発表された。とりあえず、来年度は今年度を踏襲する形となるが、再来年度は大幅な変更もあり得るとのこと。そこでは人事についても匂わせるような発言があった。 実は私、その会議中非常に眠たかったのだが、そのあたりに話が及ぶにつれ、眠気も醒めてきた。「配置転換もありうる」との話で「転勤の可能性」に触れたに過ぎないのであるが、深読みすればリストラの話というふうにもとれた。まあ、杞憂に終わればよいのだが・・・。それにしたって今後仕事の量が大幅に増えることに間違いはあるまい。 思い起こせば、今の職場に転職して入ったのは2年前。入り立ての頃は、私以外の人も皆、5時15分の終業時間きっかりに帰宅していったものだった。残業もさほど多くはなかった。以前勤めていた先は労働条件があまりよくはなく気苦労も多かった(やりがいのある仕事ではあったけど、芝居をやる余裕なんてとてもなかった)。それを思えば、「お気楽な職場」のはずだった。それがいつの間にやら、残業のない日がめっきり減った。それでも、芝居ができるだけはまだいいのだと思う。 ところが、再来年度、もし転勤命令が出たら(その団体を辞めない限りは)実質芝居はできなくなる。今の勤め先は基本的に平日昼間だけの仕事だから問題ないのだが、転勤すればローテーション勤務(不規則勤務)になってしまうからね。個人的には、宿直手当も要らないし、給料だって今のままで十分だから、このままの職場がいいんだけど。やっぱり芝居は続けたいし。でも、一方では毎回「次の公演が最後になるかも」と思ってもいる。だから、一回一回が勝負なんだ。 今仕事について話すとどんどん愚痴っぽくなってしまいそうだけど、別に悪いことばかりじゃないとも思っている。仕事のことではいろいろと考えることは多いけど、そのあたりのことについてはまた別の機会に。
今日も昼から稽古。「郵便配達」のキャスティングが決まり、今日から彼女も仲間入りとなった。 私のほうは、まだまだ何もかもよくない。これ以上書くのも憂鬱だ。ということで、今日はここまで。
セリフを覚えたつもりが全然入っておらず、稽古を中断させてしまった。演出にも、役者仲間にも申し訳が立たない。前回の公演の際にも、なかなかセリフが覚えられず、苦労した。 最初の躓きから早く立ち直らなければ。気持ちは急くが、ここから土壺にはまってしまうのが、私の悪い癖でもある。だが、そうとばかりは言ってられない。少しずつでも自信をつけていかなくては。 苦しくはあるが、この闘いに打ち勝って行くぜ。
名古屋能楽堂へ、能「卒塔婆小町」を観に行った。 数年前に厚生年金会館で、美輪明宏・主演による「卒塔婆小町」(尤も、これは三島由紀夫『近代能楽集』の内の一作だが)を観たことはあるのだが、能舞台で観るのは今回が初めてだ。それでだね、肝心の中味だが、日頃の疲れが出たのか、不覚にも寝てしまい、気がつけば終わりかけまで話は進んでしまったらしい。あまりにショックが大きかったが、居眠りした自分が悪いのだから致し方ない。 気を取り直し、今池に移動。何件かに、公演チラシを置いていただけるよう依頼。稽古が終わってからも、今池のライブハウス「TOKUZO」に置きチラシの依頼、そのついでにカクテル飲んで、ほろ酔い気分で帰宅。 明日、明後日も長時間にわたる稽古が待っている。
今週末は仕事が詰まっているのに(休日出勤もある)、体調こわしちまって、だからって私が主担当の仕事だから休むわけにもいかねえし、今度の日曜日は稽古だってあるんだよ。それから、昨年秋の合同公演で一緒だった「河童塾」の面々が出演する「名劇協合同公演」もある。特に今度の公演は、小野さん休団前の最後の舞台となるということもあって、見ておきたかった。ついでに言えば、近松門左衛門・原作っていうのも引っ掛かっていたんだ。 で、その公演の感想なんだが。うーん、まずトチリが多かったのが、気になった。それと、「上の巻」では主演がうまくテンポに乗れてなくて、いまひとつ締まらなかった。一方「下の巻」では、小野さんと相手役の方が全体をうまく引っぱっていったように感じられた。「河童塾」の人々は好演していた方だと思うのだが、全体としては気になるところが多かった。 と、人のことは何とでも言えるのだ。そういうお前は何様だと言われぬよう、日々精進あるのみ。練習するぞ、練習するぞ、練習するぞ・・・。
1月最後の日曜日、自転車で出掛けた。 まず、徳川美術館へ「浮世絵万華鏡」という特別展示を観に行った。北斎も広重も写楽もそれぞれにいいんだけどね、私ゃ、歌川国芳ってえ人の絵が好みだねえ。 徳川美術館を出ると、次は今池のシネマテークにて映画鑑賞だ。「まぶだち」って日本映画だけど、今どきの中学生たちが日常のなかで揺れ動くさまを繊細なタッチで描き出した作品、とでも言おうか。決して明るくはなく、切ない物語ではあるんだけど、すごく感動したんだよね。 「シネマテーク」、「シネマスコーレ」、「ゴールド」、「シルバー」。私が足を運ぶ映画館はほぼこの4館に限られると言っても過言ではない。なんとなく傾向ってあるのかなあ。自分では、いろんな映画を観ているつもりなんだけどね。 そのあとは、本屋(古本屋も含む)をはしごして、と。私、本がいっぱい並んでいる風景が好きなんだ。もちろん、図書館も好き。立ち読みだけでも一日平気で過ごせちゃうだろうなあ。本の背表紙を眺めているだけで随分心が和むんだ。だから、自分の部屋も本がいっぱい。本棚に入りきらずにあふれかえっている。 自由気ままな一日。それもおそらく今日限りか。芝居の稽古がこれから日曜も入ってくるし、仕事も忙しくなってくる。仕事と言えば、これから一週間ほどは猛烈に忙しくなりそう。 気がつけば、2002年も、その12分の1が過ぎようとしている・・・。
| 2002年01月26日(土) |
新年(うま年)の初乗り |
私には、乗馬という趣味もある。もともとはそこまで深入りする気はなかったのだが、去年の4月はじめに「全国乗馬倶楽部振興協会」認定の乗馬技能5級ライセンスを取得したのがきっかけで、乗馬クラブに通うようになった。スキューバダイビングに挑戦する前のウォーミングアップくらいのつもりが、乗馬の快感をあじわってしまったから、さあ大変。乗馬というものは何かと物入りで、クラブ入会費から始まり年会費、一回ごとの騎乗チケット代、乗馬用品(専用ズボン、靴、ヘルメット、鞭など)にかかる費用など、出費はかさむばかり。ハイソサエティーの人々に混じって(ちょっと前までは貧民だった私なのに)乗馬に興じてはいるが、一日も早くうまくなって3級ライセンスぐらいを取り、モンゴル乗馬ツアーに参加できたら、それを最後に乗馬からは足を洗おうと思っている。でなきゃ、お金がもちそうもない。ところが、芝居を始めてからなかなか通うことができず、月1回くらいのペースになっている。 で、今日は今年初めての乗馬であった。「初心者駆歩(かけあし)」というレッスンを受けた。軽く疾走する感じ。「暴れん坊将軍」の緩めのやつ、ってところかな。1月はただでさえ寒いのに馬に乗るとなお一層寒い。レッスンを受けているうちに暖まってはくるけどね。 今日は夕方から「pH−7」アトリエでの稽古だったが、名駅の本屋、CDショップ、楽器店などで時間を過ごし、気がつけば、稽古に向かうべき時間になっていた。4月公演に向けての稽古は始まったばかり。これから年度末にかけて仕事はピークを迎えるが、何とかやりくりしていきたい。 「うま年」生まれの私、4月公演に向けて、サラブレッドのように、風を切って駆け抜けていきたいものである。
私が新成人だった頃、この国は「繁栄」の真っ只中にあった。今日の経済状況など想像できなかったし、今日の私自身のことについても同様であった。福祉関係の仕事に就いているというのはそんなに不思議な感じはないのだが、芝居をやっている自分自身については予想外だった。 高校の3年間、いつつぶれても不思議のない演劇部に所属していた。今から思えば「学芸会に毛が生えた程度」だったと思うが、当時としては一所懸命だった。顧問の先生は国語教師で「夕鶴」とか好きそうなタイプの方だった。彼も演劇に関しては門外漢であったが、でも熱かった。当時の私はアングラなどには目もくれず、「文学座」とか「民藝」みたいな芝居に取り組もうとしていた(野田秀樹や鴻上尚史が登場する直前で、当時は北村想がもてはやされていたっけなあ)。同期の女の子の一人はその演劇部のなかでは抜群にうまかったけど(卒業後彼女はさる劇団の養成所に入ったが、今どうしているのか私は知らない)、私はそれほどでもなく、大学に入ってからも演劇を続けようなどとは思わなかった。 ある時期まで、演劇と言えば新劇以外にはあまり関心がなかった。大学時代に寺山修司とか土方巽といった人たちの表現を知り、はじめて前衛芸術に興味を抱いた。そのことがその後の私の人生に直接的にも間接的にも影響を及ぼすこととなった。とにかく20才くらいまでの私は「優等生」的色彩が強く、「変なヤツ」としての部分はさほど目立っていなかったはずだ。大人達が敷いたレールの上を真っ直ぐ歩いていきそうな雰囲気を持ち合わせていたと思う。その証拠と言えるかどうかわからないが、十余年前の成人式において、私は新成人代表でスピーチをしたのだった。 20才をすぎてからの私は要所要所で自己主張しながら(普段は大変控えめな僕ちゃんなのさ)、なんだかんだ言いながら気ままな人生を送ってきた。波乱の日々もあったけど、何とかここまで生き延びてきた。 (福祉関係の)仕事一筋だった20代の頃、演劇をしようなど思いも及ばなかった。30才をすぎ7年間勤めた先を辞めて「スーパー一座」に入団、舞台を2本経験するが、再就職とともに退団。3年ほどのブランクをはさみ、「pH-7」に入団し、今日に至っている。20代の団員に混じって日々稽古に励んでいる。 決して悔いることのない人生を送っていきたいと思っている、そんな私は十余年目の新成人だぜぃ。
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