| 2005年06月20日(月) |
1837年 ヴィクトリア女王即位 |
1837年6月20日 イギリスでヴィクトリアが国王に即位
日本でも女の天皇が誕生するかで もめていましゅが イギリスは 女性が王位に就くのが 不思議ではない お国柄でしゅ。
先週末 那須の 穐葉(あきば)アンティークジュウリー美術館で 世界一幸福だった女王の時代展 英国王室にまつわる宝飾品と 19世紀ヴィクトリア時代を照射するコレクション を観る。
まあよくも金に飽かせて 宝飾品を作り飾り集めたものでしゅ。
細密精緻な宝飾品に ただただため息でしゅ。 ことに 血の滴るような ガーネットを贅沢に使った 宝飾品には 妖しい輝きに満ち満ちていましゅ。
未曾有の繁栄を遂げた ヴィクトリア朝のイギリス 一方下層民は 貧困のどん底に あえいでいたのでしゅが・・・
| 2005年06月18日(土) |
1986年 フランスの作曲家 デュリュフレ 没、84歳 |
1986年6月18日 フランスの作曲家 モーリス デュリュフレ Durufle,Maurice 没、84歳。 1902年1月11日 誕生
寡作家でした。
L.A.S.Ponder 2004年11月 グローリア アンサンブル&クワイアーで 彼の「レクィエム」 歌いました。 グレゴリオ聖歌の頻出する レクィエム なかなか味わい深い曲でした。
| 2005年06月16日(木) |
1884(明治17)年 無季自由律の俳人 荻原井泉水 浜松町で誕生 |
1884(明治17)年6月16日 無季自由律の俳人 荻原井泉水(せいせんすい) 東京都港区浜松町で誕生 1976(昭和51)年5月20日 没
無季はともかく 自由律というのはむづかしいものでしゅ。 自由律は無律ではなく おのずから独特のリズムを 持つものでしゅが 普遍化はできないようでしゅ。
空を歩む朗々と月ひとり 井泉水のあと 尾崎放哉、種田山頭火がいましゅが 後継者が続かなかったようでしゅ。
6月15日 栃木県民の日
栃木県が1986(昭和61)年に制定。 1873(明治6)年6月15日、 (旧)栃木県と宇都宮県が合併して、 栃木県がほぼ現在の形になった。
今日の昼休み 栃木県立美術館に 行ってみると 駐車場も臨時駐車場も満杯。
何事かと思い ようやく駐車して 受付に行くと 県民の日で 入場無料。 なるほどね。
普段の平日は閑散としているのに 無料ともなると こんなにも殺到するのかと唖然。 それでも 美術館に人が集まるだけでも すごいことでしゅ。
かつては 「文化不毛の地」 といわれた栃木県ですから・・・ 県立の美術館が ひとつあるだけでも すごい進歩でしゅ。
| 2005年06月13日(月) |
1911年 ストラヴィンスキー作曲「ペトルーシュカ」初演 |
1911年6月13日 パリで ストラヴィンスキー作曲のバレエ 「ペトルーシュカ」初演
この曲は 1998年5月27日(水) 19:00 東京オペラシティ・コンサートホールで 指揮:エサ・ペッカ・サロネン フィルハーモニア管弦楽団 の演奏で聴きました。
リズム、リズム、リズムで 強烈な印象でした。 ラジオ、テレビなどでは ちっとも面白くなかったこの曲 サロネンの指揮棒で 鮮やかに刻み付けられました。
もう一度 この曲の強烈な演奏 聴いてみたいものでしゅ。
| 2005年06月12日(日) |
2005年 第42回栃木県合唱祭 |
2005年6月12日 第42回栃木県合唱祭 栃木市文化会館大ホール
L.A.S.Ponderは グローリア アンサンブル&クワイアーで 主よ、人の望みの喜びよ(J.S.Bach作曲) For the beauty of the earth(J.Rutter作曲)と 混声合唱団コール・エッコで Hodie Christus Natus Est(Niels La Cour作曲) 天までとどけ(さなだむし作詞作曲、松下耕編曲)を 2団体連続で歌いました。
寒い会場で朝から 聴いていたため 体調不良の状態での演奏でしたが 個人的には 可もなく不可もないできでした。
お世辞かもしれませんが グローリア アンサンブル&クワイアーの うっちぃ先生からちょっぴり お褒めの言葉をいただけたのは 感激でした。
他団体では 熱烈応援している Lux aeternaさまの演奏 パレストリーナ作曲 ミサ ブレヴィスの終曲 第二アニュス デイが ほとんど完璧な演奏で 鳥肌ものでした。
さらに県立宇都宮清陵高校の モンテヴェルディ作曲のマドリガーレ 県立大田原女子高校の バード作曲 3声のミサからサンクトゥス 県立栃木高校の U Bojが 聞きものでした。
栃木県も 2日間かけて 合唱祭が できるといいでしゅ。 ちなみに 合唱王国埼玉県の 合唱祭は5日間でしゅ。
6月11日 聖バルナバ祭の日
バルナバはイエスの時代 キプロス島で生まれた。 イエスの説教を聴き弟子となった。 のちに聖パウロとともに 宣教のたびに出かけた。 最後はキプロス教会を創立し 殉教した。
新約聖書使徒行伝の記述と L.A.S.Ponderのカミサンが 大阪の聖バルナバ助産婦学院の 出身であることで なんとなく バルナバの名は 記憶に残っていました。
彼の名は音楽史上には 残っていないようでしゅが 初期キリスト教の 歴史では 見落とせないようでしゅ。
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