| 2004年09月26日(日) |
1600年 フランスの作曲家 クロード ル・ジュヌ没 |
1600年9月26日 フランスの作曲家 クロード ル・ジュヌ没 一説に1600年1月3日没 1528年生まれ
1564年パリに出て 清教徒ユグノーの一派に属し、 晩年の1598年からアンリ7世の宮廷作曲家。
L.A.S.Ponder ル・ジュヌ作曲の 「世のむなしさについての八行詩集」(?)の LPレコードが 確かあったのでしゅが 最近はトンと聴いていません。
今あるCDでは クレマン・ジャヌカン・アンサンブル演奏の 夫が外に行ったとき 〜華麗なる替え歌の世界〜 の中に ジュヌの おお神よ,あなたのほかに私は神をもたない ああ,神よ,あなたの怒りは向かっている の2曲がありましゅが あまり印象に残っていません。
ジュヌと同時代の ジャヌカンやセルミジの シャンソン ゆっくり聴きたいでしゅ。
| 2004年09月23日(木) |
8000アクセスお礼 1870年 カルメンの作家メリメ没 |
8000アクセスお礼申し上げましゅ。 超マイナーな気まぐれサイトにもかかわらず 自己アクセス数百を除いても 7000を越えるアクセス。 ちょっと不思議な気分でしゅ。 ひたひたと迫るネタ切れに あえぎつつ もうすこしがんばりましゅ。 どうかよろしくお願い申し上げましゅ。 1870年9月23日 フランスの小説家 プロスペル・メリメ Prosper Mérimée 没、66歳。 1803年9月28日生
代表作は当然「カルメン」 ビゼー作曲の歌劇のおかげで さらに有名になりましたね。 小説「カルメン」は 岩波文庫で読んだと思いましゅが おもしろさでは やはりオペラにはかないません。
| 2004年09月22日(水) |
救世軍日本伝道記念日 1895(明治28)年 救世軍日本支部設立 |
9月22日 救世軍日本伝道記念日 1895(明治28)年9月22日 救世軍日本支部設立。
日本の男声合唱団、グリークラブの 愛唱歌 「いざ起て戦人(いくさびと)よ」 訳詩:藤井泰一郎 作曲:マグラナハン http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/izatate.htm は元々は救世軍の賛美歌だったと思いましゅ。
作曲者はグラナハムと憶えていましたが マグラナハンだそうでしゅ。 この曲は L.A.S.Ponderの結婚式の時も L.A.S.Ponderの指揮で 大学グリークラブの面々で 歌いました。
男声合唱経験者が集まると どこでも必ずこの曲が 飛び出すほど 人気No.1の曲でしゅ。
| 2004年09月21日(火) |
1874年 イギリスの作曲家 グスターヴ・ホルスト 誕生 |
1874年9月21日 イギリスの作曲家 グスターヴ・ホルスト Gustav Theodore Holst 誕生 1935年5月25日 没
L.A.S.Ponder 組曲「惑星」と アヴェ マリアしか知りません。
惑星の中の「木星」が 極東の国日本で ポップスアレンジで ヒットしたなんて ホルストのおっさん 夢にも思わなかったでしょうね。
それにしても 吉本由美 作詞 平原綾香 歌の ジュピター じわじわと沁みてきましゅ。
♪ 前略
夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと
愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない
中略
私たちは誰も ひとりじゃない ありのままでずっと 愛されてる 望むように生きて 輝く未来を いつまでも歌うわ あなたのために
ぐすん(涙)
| 2004年09月20日(月) |
1976年 歌手 一青窈 台北で誕生 |
1976年9月20日 歌手 一青窈 台北で誕生
デビューシングル「もらい泣き」は それほどでもなかったでしゅが 「ハナミズキ」 作詞 一青 窈 作曲 マシコタツロウは とっても心に沁みて この夏ずっと聴いておりました。
素人っぽい歌詞の二番 ♪夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて 一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい
僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと止まりますように 君と好きな人が百年続きますように
がなぜか ぴったりでしゅ。
| 2004年09月19日(日) |
1819年 マドリードのプラド美術館完成 |
1819年9月19日 スペイン、マドリードのプラド美術館完成。
スペインの三大巨匠ゴヤ・エルグレコ・ベラスケス を擁する大コレクション すごいでしょうね。
ムリーリョ作「無原罪のお宿り」 あどけない少女のような 聖母マリアのお姿 一度本物に お目にかかりたいものでしゅ。
| 2004年09月18日(土) |
1189年 源頼朝軍と奥州軍遭遇 |
1189年9月18日、文治5年8月7日 源頼朝軍と 藤原秀衡の長男国衡が大将を務める 奥州軍が遭遇。
やがては 頼朝軍と藤原軍の戦闘、 義経、弁慶の戦死 そして 藤原三代の終焉となり のちの芭蕉の名句 夏草や兵どもが夢の跡 となるのでしゅね。
この句碑のある毛越寺には 新婚間もない頃 行ったことがあり なつかしいでしゅ。
奥州の旅 また行きたいでしゅ。
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