1871年12月24日 ヴェルディの歌劇「アイーダ」が カイロの大オペラ劇場で 柿落とし公演として初演。 オペラにありがちな 反対派の陰謀、妨害もなく 大成功とのことでした。
数年前エレクトーンの演奏で 大行進曲を鑑賞する機会があって エレクトーンの圧倒的な表現力に 驚いたことがありましゅ。
コール・エッコでは チェコ国立ブルノ歌劇場オペラ 6月22日(日)PM6:00 宇都宮市文化会館 歌劇「アイーダ」公演 鑑賞ツアーが組まれでいましゅ。 行きたい・・・ だけど許されない。 せめてビデオを鑑賞することにしませう。
| 2002年12月23日(月) |
ベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲完成、初演 |
1806年12月23日 ベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲完成 ウィーンでフランツ・クレメントの独奏で初演。 楽譜ができたのが演奏会当日ということで 初演は不発。 1868年ヨーゼフ・ヨアヒムという ヴァイオリンの名手によって 再演されるまで埋もれていたそうでしゅ。 L.A.S.Ponderお好みのヴァイオリン協奏曲は ダントツで 第1位 ベートーヴェン 第2位 バッハのホ長調協奏曲 第3位 チャイコフスキー 番外でしゅが 甘納豆コンチェルト(メンデルスゾーン)も 恥ずかしながら好きでしゅ。 その昔、山下和仁、新日本フィルが ギター版でこのコンチェルトを演奏した LPレコードを聴き いたく感激した覚えがありましゅ。 CDが安く入手できれば 愛聴したいものでしゅ。
| 2002年12月22日(日) |
プッチーニ誕生/ベートーヴェン交響曲第5 第6初演 |
1858年12月22日 ジャコモ・プッチーニ イタリアのルッカで誕生。 〜1924年11月29日 L.A.S.Ponder オペラはいくつかのアリアしか知らないけれど 2003年11月29日(命日) 栃木県教育会館大ホールで 初期の名作 グローリア・ミサを 歌いましゅ。 これがミサ曲?というような 美しい旋律と 力強い合唱からなる オペラ的な曲でしゅ。 NAXOSの¥1000盤ありましゅ。 オペラも観ることにしましゅ。
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1808年12月22日 ベートーヴェンの交響曲第5番、第6番 ウィーンで初演。 ベートヴェン38歳 どちらも名曲の双子の交響曲 L.A.S.Ponderは 圧倒的に第5が好き。 運命と呼んでいるのは 日本だけ? モールス信号で ・・・−(トトトトー)は ヴィクトリー(Victory)のV。 第1楽章冒頭 「ヴィクトリー」 と聴こえないことはないでしゅ。 すなわち第5番は 勝利の歌なのでしゅ。 もちろん第4楽章は 高らかな勝利の凱歌でしゅね。
1971年12月19日 日本フィルハーモニー交響楽団労組が 日本の音楽史上初の全面ストライキ 昔、労働組合の強かったオーケストラは 日本フィル、NHK響、東京都響、(旧)新星日響 いまはどうなっているのでしょうか。 闘うオーケストラ、市民とともに歩むオーケストラ として苦難の道を歩んだ日本フィルも 今は政治色を薄め 大企業にスポンサーシップを求め 他のオーケストラと変わらなくなってしまったようでしゅ。
| 2002年12月18日(水) |
シューベルトの交響曲第8番ロ短調ウィーンで初演/高田三郎誕生 |
1865年12月17日 シューベルトの交響曲第8番ロ短調 ウィーンで初演。 同年5月に発見されるまで 43年間眠っていた。 1822年第2楽章まで完成。 もしこの曲が第4楽章まで 完成していたら これほど有名にならなかったかも。 L.A.S.Ponderは 未完成も好きだけれど 大ハ長調交響曲第9番 (かつてまぼろしの グムンデン・ガシュタイン交響曲といわれた) の方が好きでしゅ。
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1913年12月18日 作曲家高田三郎誕生 合唱組曲「水のいのち」は 日本の合唱作品中の名曲中の名曲。 これを超える作品はまだない。 L.A.S.Ponder大学在学中 男声合唱版で演奏 生ぬるい演奏で お湯のいのちになってしまったかも。 コール・エッコでは 2001年10月 混声合唱組曲「心の四季」 やりましたね。 この2つが2大名曲。 L.A.S.Ponderが最も好きなのは 一般賛歌の 「ちいさなひとびとの」「風がどこから」 など数曲。 コール・エッコで 歌ってみたい曲でしゅ。
1932年12月16日 山本直純誕生 〜2002 作曲家、指揮者 斎藤秀雄門下 小澤征爾と同期。 映画「男はつらいよ」の主題歌は 日本人なら知らぬ人はないであろう。 L.A.S.Ponder少年時代 彼の作曲した音楽劇 「若きハイデルベルヒ」を観て 感激。 主演の大竹しのぶにいかれ 中村勘九郎をライバルとして 一瞬歌って踊れる俳優を志す。 劇中歌「リンデンバウムの歌」は 今でも彼の最高傑作と思っていましゅ。 また十数年前 東京府中市の市民合唱団、管弦楽団で 第九を演奏した時の指揮者が 山本氏でした。 (合唱・オーケストラ指導は ブザンソン国際指揮者コンクール優勝の 中村ゆり氏。) 悲惨な演奏レベルでしたが 氏の持ち前の陽気さと おおらかさと いい加減さで 演奏をまとめ上げ コンサートを 無事終わらせた力は 大したものでした。 大酒のみとタバコの吸いすぎで 死期を早めたのは惜しまれましゅ。
1921年12月16日 カミーユ・サン=サーンス アルジェで没、86歳。 1835〜 代表曲はなんといっても 組曲「動物の謝肉祭」 副題は動物園の大幻想曲 化石やぶざまなピアニストまで茶化してしまう ユーモアとエスプリに脱帽。 10歳の長男のお気に入りは 水族館と白鳥。 L.A.S.Ponderのお気に入りは オッフェンバックの天国と地獄を パロッた亀と終曲。
1882年12月16日 ハンガリーの作曲家、音楽教育家 コダーイ ゾルタン誕生 −1967.03.06 一時合唱コンクールで マジャール語の コダーイ作品が大流行、 (今はミクロシュ・コチャール) 少し食傷気味でした。 歌ってみたいとは思いませんが 聴く分には味わいのある 素敵な作曲家でしゅ。
| 2002年12月15日(日) |
モーツァルト、ハイドンと永訣 |
1790年12月15日 老ハイドンは勇躍ロンドンへ出発。 このときモーツァルトは 「先生行かないでください。 もう会えなくなるかもしれませんから。」 と別れを惜しんだ。 アマデウスは老ハイドンが ロンドンで死に もう会えなくなると思ったようだが 先に死んだのはウォルフガングだった。 無常・・・
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