1791年9月30日 モーツァルト作曲の 不思議なハチャメチャオペラ『魔笛』が ウィーンで初演。 なんとスコアの完成は 2日前の9月28日。 皇帝ティートの慈悲、 レクィエムと 平行して書きまくるという 離れ業は さすがの健康優良児 モーツァルトにも 応えたのでしょう。 この年の暮れには 愛妻コンスタンツェの温泉旅行中に あっけなく死んでしまい 無縁墓地に投げ込まれてしまうのでしゅ。
重症心身障害児の次女(12歳)は 魔笛のアリアが大好きで 夜の女王のアリアや パパゲーノのおいらは鳥刺しを 聴くときゃっきゃと喜びましゅ。 車の中でぐずった時など すかさず魔笛のCDをかけると ご機嫌が直りましゅ。
Nandatte Cantabileも フィガロ以上に魔笛好きでしゅ。
1916年9月29日誕生 1996年没 作曲家、音楽教育家
東京文化会館で観た 東京混声合唱団演奏の シアターピース 追分節考は ホール客席いっぱいに使っての 立体感あふれる 楽しいステージでした。
Bartok,Bela 1945年9月26日 亡命先のアメリカ合衆国で没、64歳。 誕生1881年3月25日 ハンガリーの作曲家、音楽教育家。
コダーイ、コチャールと続く ハンガリー合唱音楽の先鞭を付けた。
薬師丸 1983年結成の 東京・国立の(正確には国分寺) 混声合唱コール・ブレヴィスにて 4つのスロバキア民謡を 日本語で歌う。 なかの1曲に 「おまえはいつでも 飲み食い踊り、 飲み食い踊り・・・」という とんでも妻を嘆く 夫の歌があり 笑いながら 身につまされる。
| 2002年09月25日(水) |
ディミトリー・ショスタコーヴィチ |
Dimitry Dimitrivitch Shostakovitch 1906年9月25日 ロシアのサンクト・ペテルブルグで誕生。 〜1975年没。
L.A.S.Ponderは オラトリオ森の歌が お気に入りでしゅ。 ロシア語は ちんぷんかんぷんでしゅが 日本語訳のテープもあり 繰り返し聴いていましゅ。 最近は 交響曲第5番 も聴いて感激しました。
彼は悪名高き ヘビースモーカーで そのために命を 縮めたといわれていましゅ。
| 2002年09月23日(月) |
日本フィル結成コンサート |
1956年9月23日 日本フィルハーモニー管弦楽団の 結成コンサート 日比谷公会堂 創立指揮者 渡邊暁雄
文化放送のスポンサー放棄 新日本フィルとの分裂の 危機を乗り越え今日にいたる。
L.A.S.Ponder 1980年 宇都宮第九合唱団 第1回演奏会の応援に 栃木第九合唱団から 参加。 この時も 渡邊暁雄指揮 日本フィルの伴奏。 アンコールで第4楽章の終盤を 演奏しようとしたが 合唱団が出られず 渡邊氏が 再度振りなおすという ハプニングもあった。
1957年9月20日 フィンランド ヘルシンキ郊外で没。 1865.12.08− 法学部から音楽大学に転向。 ヴァイオリン奏者をめざすが ひどいあがり症のため 作曲に転向。
交響詩「フィンランディア」を 知ったのは高校時代。 以来どれほどこの曲に 励まされてきたことだろう。 7大学の受験に失敗。 一浪後またまた受験に失敗。 大学在学中は留年の危機。 たび重なる個人的な危機。 そして卒業保留。 大学院でも修了延期。 いくたびもこの曲を聴いて 勇気を奮い起こしました。 またこの曲ほど 20世紀多くの人々を 奮い立たせた曲は ないのではないでしょうか。 曲中最も有名な旋律は フィンランディア賛歌として 合唱曲にもなり 賛美歌「安かれわが心よ」"Be Still My Soul” としても歌われていましゅ。 20数年前 栃木合唱団は フィンランディアを 演奏会のアンコールに使っていました。 フォークグループ「赤い鳥」も この曲をアカペラで 素晴らしい録音を残していましゅ。
カレリア組曲も佳曲。
前半生に業績を築き 後半生はほとんど何もせずに のんびり暮らした、 という点でも 素晴らしい生き方(?) かもしれないでしゅ。
| 2002年09月19日(木) |
マーラーの「夜の歌」初演 |
1908年9月19日 グスタフ・マーラー作曲の 交響曲第7番「夜の歌」初演
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