「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2002年09月18日(水) 天才少年メンデルスゾーン;モーツァルト父子ウィーンへ向けて出発

10歳のメンデルスゾーン
自作の詩篇第19番を
在学中の唱歌学校で演奏。
早熟の天才というのは
恐れ入りましゅ。

1762年9月18日
6歳の神童アマデウスを
売り出すべく、
父レオポルトは
勇躍
ザルツブルクから
ウィーンへ向けて出発。
ウォルフガンクは病弱と
思われているフシがあるが
乳幼児死亡率が高く
各種伝染病で
老若男女が死んでいた当時、
たいした病気もせずに
次々に大旅行をこなした
ウォルフガンクは
健康優良児だったと
思われましゅ。

<付記>Shinchandazo氏のレス


そしてアマデウスは若きマリーアントワネットのオッ○イをさわって「僕と結婚しようよ」と言ったとか。
フームさすが音楽家の鏡、でもお母大公のテレジアには疎んじられるようになります。
健康優良児だったかもしれませんが、この年でもうH、あの「魔笛」なんかは本当は映倫に引っかかるような歌と場面が頻繁に出てくるし・・・。
 えんぴつShinchanはピアノの先生のスカートをめくって破門されましたけど・・・。この話そのうちUPしますが、大阪フィルでピアノコンチェルトの練習でベルリン帰りのティンパニーの先生が「Shinchan、モーツアルトは悪戯坊主ですごいHやったんやで」なんて言われて、そして朝比奈大先生には「オケの音は棒より後に鳴るので、あのヴァイオリンのお姉さんの胸を見てたらよー解るよ」なんて言われて、確かにそうでした。
 これ以上書くと故朝比奈大老の品性が疑われるので止めときます。
良い事の話は「打楽器奏者は第二の指揮者と言われるのは、その日の女性演奏者の状態を把握して一番後ろから指揮者に向かって合図を送るんや」という大老のお話でした。






2002年09月17日(火) シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調

1850年9月17日
ウィーン楽友協会の定期演奏会で初演。
生涯最後の年(1828年)に作曲され、
死後22年目にしてようやく陽の目を見た室内楽の傑作。
ピアノ三重奏曲は傑作揃い、
弦楽四重奏曲もいい曲がある。
この曲も聴いてみよう



2002年09月16日(月) マリア・カラス

Maria Callas
1977年9月16日没 53歳
1923年12月2日誕生(ギリシャ)〜

ダイエットのため
サナダムシの幼虫入りの
カプセルを飲み
体内で飼育。
見事に肥満を
解消した。
(お勧めできません)

去年宇都宮の
新星堂のバーゲンで
カラスの輸入ライブ盤
1枚500円でした。
2枚買いましたが
まだ聴いていません



2002年09月15日(日) 池辺晋一郎

1943年9月15日
茨城県水戸市生まれ。
代表曲
混声合唱組曲
悪魔の飽食(1984) 原詩 森村誠一
現在
NHK教育テレビ
N響アワーにて
寒〜い駄じゃれを連発して
NHK交響楽団の紹介と
おやぢたちをなぐさめ
勇気づけている。

L.A.S.Ponder
20数年前
白亜混声合唱団(栃木県小山市)にて
混声合唱組曲「銅山」を
演奏。
変拍子に苦労しましたが
なかなかしゃれた曲でした。
この年
全日本合唱コンクールの課題曲に
銅山の第1曲「太古」が
選ばれ
栃木県合唱コンクールに参加しました。
それをきっかけに
銅山全曲を演奏しましたが
いまはどこも
取り上げるところはないようでしゅ。



2002年09月14日(土) ミヒャエル・ハイドン

1737年9月14日
Johann Michael Haydn
オーストリアのローラウで誕生。
大作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟。
L.A.S.Ponder
2001年12月8日
グローリア アンサンブル&クワイア
栃木県教育会館大ホールにて
二人のハイドンなる
コンサートに参加しました。
兄ヨーゼフ・ハイドンの
小オルガン・ミサ
(ミサ・ブレヴィス「聖ヨハネ・デ・デオ」)と
弟ミヒャエル・ハイドンの
レクィエムを歌いました。
兄に隠れて弟は
現在あまり演奏されることがありませんが
ミヒャエルのレクィエムは
もっと演奏されてもいいと思います。
モーツァルトがレクィエムの中で
ミヒャエルそっくりの曲を書いていましゅ。



2002年09月13日(金) クララ・ヴィーク

1819年9月13日
ライプツィヒで誕生。
〜1896年
美人ピアニストとして
当時ヨーロッパ中の
アイドルとなった。
シューマンと結婚。
夫没後は
シューマンの作品の
紹介・普及に尽力した。



2002年09月12日(木) グスタフ・マーラー、薬師丸、クララ、小澤征爾

1910年
グスタフ・マーラー
交響曲第8番を
ミュンヘンにて初演。
圧倒的大成功をおさめる。
この陰には興業主の周到な準備があった。
千人の交響曲という
サブタイトルも興業主が
マーラーに無断でポスターに載せ
大宣伝の材料にしたという。
千人近い出演者、
3000人の聴衆という
イベントでしゅね。
リヒャルト・シュトラウス、
レオポルド・ストコフスキーほか
著明な音楽家や政治家、外交官、文化人も
招待されたということでしゅ。

薬師丸
1990年11月23日
東京芸術劇場(池袋)で
ジュゼッペ・シノポリ
フィルハーモニア管弦楽団と
歌ったのをはじめ
7ステージくらい歌いましたが
しんどい曲でしゅ。
椅子がないと
90分立ちっぱなしだし
高いB、Hの音が連続するし
それだけに
歌ったあとの
ビールの極端にうまいこと。
一番充実していたのは
フィルハーモニア管弦楽団の
予行演習で
桐朋学園オーケストラと
パルテノン多摩で
歌ったときでしょうか。
栃木では
歌う機会はないかもしれませんねえ。

1840年
クララ・ヴィーク
父親の猛反対を押し切り
ロベルト・シューマンと
結婚。
やりましたね、クララは偉い。
シューマンの病歴や
ブラムース(Brahms)の
クララへ寄せる
熱い思いなど
興味は尽きません。

1959年
小澤征爾
ブザンソン国際指揮者コンクール優勝
当時小澤さんがここまでくるとは
誰が予想したでしょうか。
小澤、東京オペラシンガーズ、
サイトウキネンオーケストラの
バッハ、ロ短調ミサのビデオ
(NHK-BS放映 小澤入魂のバッハ)は
繰り返し観ていましゅ。
小澤さんの指揮で
歌ったことはありませんが
同じブザンソン国際指揮者コンクール優勝の
中村ゆりさんの指揮で 
第九を歌ったことはありましゅ。
合唱、オケとも悲惨の極みで
中村さんが気の毒でした。
彼女は今どうしているのでしょうか。


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