「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2005年12月03日(土) 2005年 国分寺養護学校クリスマスコンサート

2005年12月3日
栃木県立国分寺養護学校
親子クラブ2005クリスマスコンサート
にちょっぴり出演。

L.A.S.Ponderが参加したのは
林光作詩 ドイツ民謡 
無伴奏混声4部合唱
「もみの木」

林光作詩 J.S.バッハ作曲
ピアノ伴奏付き混声4部合唱
「私は幸せ あなたがいるから」
 カンタータ147番の例の
 「主よ人の望みの喜びよ」
の2曲だけ。

ソプラノ2人
アルト2人
テナー1人
バス1人と
理想の布陣。
直前30分のリハーサルのみの
即席のアンサンブルでしたが
充分楽しめました。

今日演奏したのは
国分寺養護学校の先生方
+岡本養護学校の先生
+L.A.S.Ponder

しかし養護学校の先生方の
多才振りには恐れ入りましゅ。
それにド派手な衣装も。

チェロ、ホルン、フルート、ピアノ
トランペット、歌と
多士済々。

L.A.S.Ponderの
重症心身障害児の次女も
お世話になっていましゅが
養護学校の先生方には
頭が下がりましゅ。

養護学校の業務は
相当厳しいのは
当然でしゅが
業務を離れての
ゆとりも必要でしゅね。

趣味にかける
時間が保証されることも
絶対必要でしゅ。

L.A.S.Ponderも
楽器を演奏する
ゆとりが欲しいでしゅ。




2005年11月30日(水) 1993(平成5)年 夜行列車「八甲田」廃止

1993(平成5)年11月30日
寝台特急の「出羽」「ゆうづる」と
夜行列車の「八甲田」「津軽」が
この日の運転で廃止となる。

L.A.S.Ponder
夜行寝台急行「八甲田」には
格別の思い出が
ありましゅ。

某年3月後半
一浪後
第1志望の大学に不合格になった
L.A.S.Ponderは
暗い気持ちで
第3志望の弘前大学に
向かったのでした。

雪の残る
弘前で
試験会場の下見をし
宿で夕食を済ませ
受験生の皆さんと
歓談していると
父から突然の電話。

第2志望のJ大学の
繰り上げ合格の話があり
至急帰って来いと。

そこで
L.A.S.Ponder
弘前から
その夜の夜行寝台急行「八甲田」で
半信半疑のまま
東京へ戻ったのでした。

一夜明けて
東北本線を上野へ向かう
「八甲田」の窓から見たものは
J大学の姿でした。



2005年11月28日(月) 1815年 プロデューサー ザロモン没

1815年11月28日
ドイツのヴァイオリニスト、指揮者
ヨハン・ペーター・ザロモン没
 1745年2月2日誕生

この人は晩年ロンドンに定住し
オーケストラの定期演奏会
「ザロモン・コンサート」を
組織しました。

そして
ヨーゼフ・ハイドンを呼び寄せ
ハイドン最後の交響曲
ザロモンセット
交響曲93番〜104番の12曲を
書かせました。

L.A.S.Ponder
最近ハイドンの
交響曲「ロンドン」のCDを
聴きましたが
円熟したハイドンの
作風を堪能しました。

ザロモン・ハイドンの
名コンビで
古典派の交響曲は
一段と
彩を添えることになったのでした。
めでたし、めでたし。



2005年11月27日(日) 1931年 ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演

1931年11月27日
ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演

L.A.S.Ponderこの曲は
1998年5月27日(水) 19:00
東京オペラシティ・コンサートホール
ピアノ:ミシェル・ベロフ
指揮:エサ・ペッカ・サロネン
フィルハーモニア管弦楽団
で聴くことができました。

ベロフ自身
右手の故障に悩んでいたこともある
とのことで
非常な熱演だった
ことを覚えていましゅ。

この曲は戦争で
右手を失ったピアニストのために
作られた曲だったと思いましゅが
右手を奪った戦争への怒りを
叩きつけるような演奏でした。

この日のアンコールは
ラヴェルの「マ・メール・ロア」から
終曲「妖精の園」でしたが
この世のものとは思われぬ
稀有な体験をしました。

演奏に吸い寄せられるように
魂が奪われ
視界が涙で流れ
座席からふわっと
浮遊したかと思うと
スーッとどこまでも
沈んでいくような
錯覚にとらわれました。

終演後もなんだか
ボーっとしてしまって
どのように初台から
栃木まで
帰ったのか
まったく覚えていませんでした。

その後数日間は
生きているのか死んでいるのか
わからないような
状態でした。
 



2005年11月24日(木) 1722年 ドイツのオルガニスト ラインケン没、99歳

1722年11月24日
ドイツのオルガニスト
ヨハン・アダム・ラインケン没、99歳。
 1623年4月26日

この人はJ.S.バッハゆかりの
オルガニストでしゅ。

バッハ16歳の時
リューネブルクの寄宿学校で
学んでいたバッハは
45km離れたハンブルクまで
ラインケンの演奏を聴くために
徒歩旅行をしたのでした。

それほどラインケンの
オルガン演奏は
評判だったのでした。

今となっては
ラインケンが
どのように演奏したのかは
知る由もありませんが
少年バッハに
大きな影響を
与えたことは
間違いありません。

ああ、パイプオルガンの
生演奏が聴きたいでしゅ。

しかしかつて
文化不毛の地と
自嘲した栃木県には
パイプオルガンのある
コンサートホールがありません。

悲しいでしゅ。



2005年11月23日(水) 小嶋潤著 新約聖書名言集

小嶋潤著 
新約聖書名言集
講談社学術文庫
講談社 昭和53年
再読。

初めて読むつもりになっていましたが
最後の方に
ちょっとした書き込みがあり
再読であることが判明。
すっかり忘れていましゅ。

旧約名言集に続き
新約名言の数々。

この本では
格調高い文語訳聖書からの
引用。

まことに厳しい内容。
パリサイ人、律法学者、異教徒に
対する激しい態度。

これでは
ユダヤ教徒、イスラム教徒とは
相容れないでしょう。

これほどにまで
排他的にならなくても
思われましゅ。

宗教的寛容がなくては
現代の民族対立、宗教対立は
和解のしようがないのでは
ないでしょうか?

去る11月19日
歌ったマニフィカートの歌詞も
当然
取り上げられており
改めて
認識を深めました。

著者は
「新約聖書」27篇は、
人類2000年の歴史を指導してきた
最高原理の一つである。
と言っていましゅが
それはあまりにも
西洋キリスト教世界に
偏った考え方のような
気もしましゅ。



2005年11月21日(月) 1852年 スペインの作曲家、ギタリスト タルレガ誕生

1852年11月21日
スペインの作曲家、ギタリスト
フランシスコ・タルレガ
Eixea Francisco Tarrega 誕生
 1909年没

この人はなんといっても
ギターの名曲
「アルハンブラ(宮殿)の思い出」でしゅ。

トレモロ奏法を駆使し
ギター曲の限界を拡げました。

ギターを習った人なら誰でも
この名曲を弾きたいと思うものでしゅ。

L.A.S.Ponderも
当然そう思いましたが
トレモロどころか
アルペジオさえ
あやふやな初心者レベルで
挫折していましゅ。

まだギターを
捨てたわけではないので
ひょっとしたら
またいつか
手にすることも
あるでしょう。



2005年11月20日(日) 1940(昭和15)年 詩人 小熊秀雄 没、40歳

1940(昭和15)年11月20日
プロレタリア詩人 小熊秀雄(おぐまひでお) 
東京豊島区のアパートで
肺結核のため没、40歳。
 1901年9月9日誕生

L.A.S.Ponder
大学入学後
合唱部に入り
1年の時に
最も早く歌ったのが
小熊秀雄作詩、林光作曲の
「蹄鉄屋の歌」でした。

『蹄鉄屋の歌』

泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だろうか。
若い馬よ、
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたいながら、
――辛捧しておくれ、
   すぐその鉄は冷えて
   お前の足のものになるだろう、
   お前の爪の鎧になろだろう、
   お前はもうどんな茨の上でも
   石ころ路でも
   どんどん駆け廻れるだろうと――、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
ああ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ
私の歌はぞんざいだろう、
私の歌は甘くないだろう、
お前の苦痛に答えるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがった瞬間の煙のようにも、
私の歌は
灰色に立ちあがる歌だ。
強くなってくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い焔を
君の四つ足は受取れ、
そして君は、けわしい岩山を
その強い足をもって砕いてのぼれ
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。

混声合唱曲「蹄鉄屋の歌」は
この詩の一部に作曲されたものでしゅが
プロレタリア詩人
小熊秀雄の精神を
遺憾なく伝えていましゅ。

特に最後の
「うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ」の
ハーモニーにしびれました。



2005年11月19日(土) 2005年 グローリア アンサンブル&クワイアーvol.13

2005年11月19日18時30分
グローリア アンサンブル&クワイアーvol.13
聖母マリアが歌う神への賛歌
栃木県総合文化センター
メインホール
に合唱で参加しましゅ。

第1ステージ
J.S.バッハ名曲集で
主よ人の望みの喜びよ

第2ステージ
J.S.バッハ作曲
マニフィカート ニ長調 

第3ステージ
ジョン・ラッター作曲
マニフィカート

去年の
フォーレ、デュリュフレ
レクィエムに比べ
なんて明るい曲でしょう。
歌っていて楽しくなりましゅ。

ソプラノ独唱
バッハ・コレギウム・ジャパンの
藤崎美苗さんはじめ
なかなかの独唱陣も
すばらしいでしゅ。

栃木県初演であろう
ラッターのマニフィカート
傑作でしゅ。
ひょっとしたら
後世に残る
名作かもしれません。

現代作曲家
ラッターの最高傑作でしゅ。

さあ出かけましゅ。



2005年11月17日(木) DVD 椿姫 1937年ジョージ・キューカー監督

DVD 椿姫 Camille
ジョージ・キューカー監督
グレタ・ガルボ
ロバート・テイラー主演
1937年
CLASSIC MOVIES COLECTION
鑑賞

アレクサンドル・小デュマ原作の
映画化

うーん
これが伝説の名女優
グレタ・ガルボでしゅか。
なるほど
端正な面持ちでしゅ。

原作の小説を読んだのは
若い頃で
ヒロイン、マルグリット・ゴーチェの
苦悩に涙したような思い出が。

映画は原作の雰囲気を
よく伝えていましゅ。

小説ではわからない
パリの社交界の描写が
秀逸でしゅ。

このような古い名画が
500円DVDで
入手できる
いい時代になったものでしゅ。


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