「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2004年08月11日(水) 1991年 ドイツのオルガニスト ヘルムート・ヴァルヒャ没

1991年8月11日
ドイツのオルガニスト
ヘルムート・ヴァルヒャ
Walcha,Helmut 没、83歳。
 1907年10月27日誕生

この人は盲目でしたが
チェンバロはともかく
オルガンまで弾くとは。
ペダル鍵盤はいざしらず
オルガンごとに異なる
ストップまで
どのように暗記したのでしょうか?

むかしこの人の弾く
アンマー・チェンバロのレコードで
バッハを聴いたことがありましゅ。
盲目という先入観で
深遠な感じがしたものでした。


*自宅のパソコンが
不調なため
更新が滞っておりましゅ。



2004年08月09日(月) 1975年8月9日 ソ連の作曲家 ショスタコーヴィチ たばこ病で没

1975年8月9日
ソ連の作曲家
ショスタコーヴィチ
Dmitry Dmitriyevich Shostakovich没、68歳。
 1906年9月12日誕生

この作曲家も
大変なヘビースモーカーで
寿命を縮めました。

交響曲第五番「革命」を
先日のN響アワー
2004年ヨーロッパ公演
ベルギーのブリュージュ・コンセルトヘボウでの
演奏聴きましたが
やっぱりすごいでしゅ。
とくに第4楽章
息をつめたまま
コーダになだれ込み
脳血管が切れそうでした。
危ないでしゅ。
ベルギーのお客さんも
総立ちでした。



2004年08月05日(木) 19xx年 L.A.S.Ponder 誕生

19xx年8月5日
東京都台東区にて
L.A.S.Ponder 誕生

馬齢を重ねて
四十余年。
成すこともなく
人生の峠を
越してしまいました。
あとは
峠を急降下。

舌鋒控えて
敵を殖やさず
低空飛行の鬱また楽し。

本業ではついに日の目を見ず。
何かやるのではないかという
たらちねの妻の期待も虚しく
本業以外でも
芽を出さず。
それもまた人生でしゅ。

無事これ名馬を
慰めに
ささやかな人生を
歩んで行きましゅ。



2004年07月29日(木) 1965(昭和40)年 谷崎忌 2周年お礼 夏季休載

2周年お礼

うるわしのriririさまの
お世話で始めさせていただいた
L.A.S.Ponderの
音楽カレンダー
7月30日で
2周年を迎えましゅ。
いくたりもの方々の
励まし、お力添えで
今日までやってまいりました。
すでに音楽ネタでは
ネタ切れの日々が続き
文学、芸術、歴史一般にまで
手を広げなければ
書くことがなくなってまいりました。
「音楽カレンダー」の看板からは
逸脱しましゅが
極力音楽ネタを中心に
今しばらく続けさせていただきましゅ。
お礼方々
今後とも
ご指導、ご鞭撻のほど
よろしくお願い申し上げましゅ。

1965(昭和40)年7月29日
谷崎潤一郎 没、79歳。
 1886年7月24日 誕生

さーて何を書いたらいいでしょうか。
谷崎初心者のL.A.S.Ponder
”「細雪」が好き”では
ショパンの「革命のエチュード」が
好きでショパン通とは
言えないということ
になってしまいましゅが。

「細雪」の舞台
桜田淳子の四女妙子が
豪華絢爛でしたが・・・

谷崎源氏は
宇都宮市立図書館で借りた
カセットテープで
堪能しました。

ブックオフ105円で入手した
「葦刈」「夢の浮橋」を
読んでから
ゆっくり考えることにしましゅ。

夏季休載
明日から出稼ぎと
夏休みで
7月30日〜8月3日まで
休載させていただきましゅ。



2004年07月28日(水) 1750年 ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ) 没

1750年7月28日
ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ)
Johann Sebastian Bach 没、65歳。
 1685年3月21日 誕生

と言うわけで
今日は
宇都宮往復、佐野往復の車中
ミシェル・コルボ指揮
ローザンヌ声楽器楽アンサンブル演奏の
ロ短調ミサを聴きまくりでしゅ。

学生時代
宇都宮合唱団で
3曲だけ歌った時も
1989年
小林道夫指揮
アンサンブル オブ トウキョウ伴奏
カザルスホールで
歌った時も
コルボ=ローザンヌの
レコードを聴きまくった
愛聴盤のCDでしゅ。

CDはおまけに
来年生きていれば
歌うかもしれない
マニフィカトも
入っていましゅ。

2002年
グローリア アンサンブル&クワイアーで
ロ短調ミサ
歌った年は
ほとんど毎日
ロ短調ミサ
歌い、聴きまくった
一年でした。
これほどロ短調ミサに
明け暮れた(寝る時も聴いていた)ことは
後にも先にもないでしゅ。

もう歌う機会ないかもしれないけれど
できれば8人から20人くらいの
小編成で歌いたいでしゅ。

8人で歌っている
ジョシュア・リフキン指揮
ザ・バッハ・アンサンブルのCDも
愛聴盤でしゅ。

16人で歌っている
ザ・シックスティーンのCDも
欲しいでしゅ。



2004年07月27日(火) 1989年 「雪の降る街を」の作詞者 内村直也 没

1989年7月27日
劇作家 内村直也 没、79歳。
 1909年8月15日 誕生

中田喜直作曲の
「雪の降る街を」の
作詞者でしゅ。

L.A.S.Ponder
この短調の曲
あまり好きではありませんが
最後がなにかほんのりと
希望につながるような気がして
ほっとしましゅ。

劇作家としては
L.A.S.Ponder学生時代
俳優座の公演で
J・B・プリーストリー 原作
内村直也 翻案
「夜の来訪者」観ました。
ミステリアスな展開
息詰まるサスペンスドラマで
すばらしかったでしゅ。

その直後L.A.S.Ponder
あこがれの人がいた
茂木青年演劇サークル「星のひろば」の
公演も茂木町まで
観にいきました。
遠い昔の思いででしゅ。



2004年07月22日(木) 1928(昭和3)年 北原白秋 柳川に凱旋

1928(昭和3)年7月22日
北原白秋 
大阪朝日新聞の依頼で
日本初の芸術飛行に参加
20年ぶりに郷里柳川に凱旋。
大歓迎を受ける。

中学卒業直前に
故郷柳川を出奔した
白秋でした。
東京では
姦通罪で逮捕投獄。
2度の離婚と3度目の結婚と
波瀾万丈の生活でした。

白秋の望郷の念
いかばかりだったでしょうか。

L.A.S.Ponder
結婚して間もない頃
福岡の学会に
新妻同伴で出張。
1日休みを取り、
暑い暑い柳川で
どんこ船に乗り、
柳川下りを堪能
当然鰻重も食べました。

北原白秋記念館も訪れ
白秋の少年時代を偲びました。

柳川を歌った
白秋の詩による合唱曲といえば
コール・エッコで2002年に歌った
曼珠沙華(ひがんばな) 
山田耕筰:作曲 増田順平:編曲と
大学グリークラブで歌った
男声合唱組曲「柳河風俗詩」
多田武彦作曲を
思い出しましゅ。

白秋の異性を見つめる目が
何ともいえません。

かみさんとでもいいから
もう一度
廃市柳川を訪れ
のんびりと
柳川下り、鰻重満喫
したいでしゅ。



2004年07月21日(水) 1995(平成7)年 ドイツ文学者 高橋義孝 没

1995(平成7)年7月21日
ドイツ文学者
高橋義孝
老衰のため東京の自宅で没、82歳。
 1913(大正2)年3月27日 誕生

L.A.S.Ponder
大学生の頃
高橋義孝訳 ゲーテ作 
「若きウェルテルの悩み」新潮文庫
読みました。

ちょうど
宇都宮合唱団連続大量失恋事件の渦中で
泣いて泣かされ
泣かされ泣いた
最中だったので
身に沁みました。

婚約者のいる女性に
恋してしまうというのも
不幸でしゅが
密かに憧れていた
女性が婚約し
結婚してしまうというのも
切ないものでしゅ。

ひと言告白する勇気がなくて
次々に素敵な女性に去られ
挙句の果てに
妖魔の手に落ちるとは・・・

この夏は
もう一度
ウェルテルを
読んでみましゅ。



2004年07月20日(火) 1304年 イタリアの桂冠詩人ペトラルカ 誕生

1304年7月20日
イタリアの桂冠詩人
ペトラルカ
Petrarca,Francesco 誕生
 1374年4月19日 没

コール・エッコと
Lux aeternaさまが
2004年6月13日
栃木県合唱祭で歌った
オルランド ディ ラッソ作曲の
愉快で露骨なマドリガーレ
「いとしのマドンナ」"Matona Mia Cara"

「ペトラルカ知らないから」という
歌詞がでてきましゅ。

ペトラルカは
僧籍にありながら
ラウラという人妻に恋し
「カンツォニエーレ」という
大恋愛詩集を作ったということでしゅ。

「カンツォニエーレ」訳詩集
読みたいでしゅが
高価で手が出ません。

それにしても
人妻ラウラに
一生恋焦がれた
ペトラルカの人生って・・・



2004年07月19日(月) 2000年 二千円札発行

2000年7月19日
二千円札発行

源氏物語絵巻鈴虫その2から
光源氏と冷泉帝
および鈴虫の巻の一文
紫式部絵巻から
紫式部
という
日本の貨幣史上
もっとも文学的な紙幣でしゅ。

源氏物語ファンを自認する
L.A.S.Ponder
一時国有化された足利銀行へ
出かけては
2000円札に両替し
常に財布に入れ
使いまくっていましゅ。

源氏物語ファンのみなさん
もっともっと2000円札を
使い広めましょう。


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