「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2003年11月10日(月) アルルの女第1組曲初演、大クープラン、ルター、シラー誕生、ベートーヴェン ウィーン着

1872年11月10日
ビゼー作曲
アルルの女 第1組曲初演
L.A.S.Ponderその昔
ドーデの原作「風車小屋だより」を
読んだときはさして
感動はしなかったのでしゅが
ビゼーの手にかかると
感傷的な名曲に仕上がりましゅ。
純真な青年フレデリが
妖艶なアルルの女に
恋焦がれ失恋の挙句
自殺するという
実に身につまされるお話でしゅ。
純真なL.A.S.Ponderは
妖艶なメドゥーサに
恋焦がれ
挙句の果てに
座布団亭主に
なったのでした。

1668年11月10日
フランソワ・クープラン(大クープラン)
François Couperin 誕生
 1733年9月11(12)日没
L.A.S.Ponder
クランヴサン曲、オルガン曲、コンセールで
おなじみでしゅが
合唱曲聴いてみたいでしゅ。

1483年11月10日
宗教改革者
マルティン・ルター
Martin Luther アイスレーベンに誕生。
L.A.S.Ponderにとっては
「神はわがやぐら」などの
コラール作曲者としても
忘れることができません。
ルターがいなければ
バッハのカンタータは
ほとんど
日の目を見なかったでしょう。

1759年11月10日
ドイツの詩人、劇作家
シラー
Johann Christoph Friedrich von Schiller 誕生
 1805年5月9日没
ベートーヴェンの
隠れた名作「合唱幻想曲」が
第九交響曲に
結実するためには
シラーの存在が不可欠でした。

1792年11月10日
ベートーヴェン
留学のためウィーンに着く。
われらがルートヴィヒが
悪辣なアル中親父の
手を離れて
激烈怒涛の
人生を歩みはじめましゅ。



2003年11月09日(日) アポリネール、カール・シュターミッツ没、アランフェス協奏曲、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番初演、マリー・トラヴァース誕生

1918年11月9日
ギョーム・アポリネール
Guillaume Apollinaire 没、38歳。
 1880年8月26日誕生
彼の死を
元恋人マリー・ローランサンは
どう思ったことでしょうか。
フランス語対訳の詩集と
朗読のCDがあれば
鑑賞したいでしゅ。

1940年11月9日
ロドリーゴ作曲
「アランフェスの協奏曲」
バルセロナで初演、大成功。
彼の出世作となる。
曲は内戦のスペインを離れた
ドイツで作曲された。
哀愁に満ちた
第2楽章は
内戦の故郷を憂える
作曲者の心情を
反映しているのかもしれないでしゅ。

1901年11月9日
ラフマニノフ作曲
ピアノ協奏曲第2番初演
この曲の第2楽章も
甘く悲しみを誘う
メロディでしゅ。
おりしも
コール・エッコ団長の
ねねちちさまが
この曲を
合唱用に編曲して
歌いたいとのこと。
実現すればすごいでしゅ。
楽しみでしゅ。

1801年11月9日
マンハイム楽派の作曲家
カール・シュターミツ
Stamitz,Carl 没、56歳。
 1745年5月4日誕生
シュターミッツ一族のCD
ありましゅが
いずれも軽快で
食卓で聞くのに
好適でしゅ。

1937年11月9日
ピーター・ポール・アンド・マリーの
マリー・トラヴァース
Mary Travers 誕生。
PPMなつかしいでしゅ。
「風に吹かれて」
「花はどこへ行った」
よく聴きました。
聞きやすい曲調の中に
そこはかとない
反戦平和と
自由放浪の
思いが流れていて
好きでしゅ。



2003年11月08日(土) 11月8日パヴァロッティ降板

1995年11月8日
ルチアーノ・パヴァロッティ60歳が
ニューヨーク・メトロポリタン劇場の
オペラ公演中高音が出なくなり
途中で降板する。
恐ろしいことでしゅ。
L.A.S.Ponderも
2003年10月25日
コール・エッコ演奏会で
わずか6小節の
テノール・ソロが
ありましたが
緊張のあまり
声が出なくなってしまうのでは
との恐怖にさいなまれました。
ソリストには
常にこの
演奏不能という
恐怖と
戦わなければならないのでしゅ。



2003年11月06日(木) 11月6日シュッツ没、スーザ誕生

1672年11月6日
ハインリッヒ・シュッツ
Schuetz,Heinrich没、87歳。
1585年10月09日誕生
クリスマスには
うちにある
シュッツのクリスマス物語のCDを
聴くことになるでしょう。
シュッツのクリスマスオラトリオ
というのは同じ曲のことでしょうか?

1854年11月6日
アメリカ合衆国のマーチ王
スーザ ジョン・フィリップス誕生
 1932年3月6日没
代表作「星条旗よ永遠なれ」は
アメリカ合衆国国歌よりも
愛されていましゅね。
彼の行進曲
単純明快でいいでしゅ。
チューバをマーチングバンド用に
改作したスーザフォンは
傑作でしゅ。
行進曲はコンサートで
聴くのもいいでしゅが
マーチングバンドの
パフォーマンスを観るほうが
何倍も楽しめましゅ。



2003年11月05日(水) 11月5日バーバー弦楽のためのアダージョ、わが祖国初演

193811月5日
サミュエル・バーバー作曲
弦楽のためのアダージョ
トスカニーニ指揮
NBC交響楽団により初演。
原曲はバーバー自身の
弦楽四重奏曲第1番第2楽章。
作曲者自身が
弦楽合奏用に編曲したのが
成功の元。
のちに
オルガンまたはピアノ伴奏または
無伴奏混声合唱用に編曲し
アニュス・デイの歌詞をつけて
発表。
これも合唱曲としてヒットしました。
一粒で二度おいしいというやつでしゅ。
コール・エッコでも
昔やったそうでしゅ。

1882年11月5日
スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」初演
この曲の完成当時
スメタナはほとんど
全聾になっていました。
原因は梅毒だといわれていましゅ。
気の毒でしゅ。
プラハの春音楽祭初日に
全曲演奏されましゅが
全曲は何回も聴くと
飽きることがありましゅ。
モルダウだけなら
何度聴いてもいいでしゅ。
後半の盛り上がりから
収束にかけて
素晴らしいでしゅ。
合唱用編曲いろいろ出ているので
いつか素晴らしい編曲で
歌ってみたいでしゅ。



2003年11月04日(火) 11月4日ブラームス第1交響曲初演、フォーレ、メンデルスゾーン没

1876年11月4日
ブラームス作曲交響曲第1番初演
L.A.S.Ponder
1979年10月
佐野市民文化会館大ホールで
この曲を
岩舟のおねいさまがたと
聴き卒倒。
この日は台風直後で
オーケストラの到着が
30分以上遅れ
指揮者なし
コンサートマスターの合図で
フィガロの結婚序曲。
1時間以上遅れて
外山雄三登場
恐ろしい勢いで
すごい熱演。
4楽章の最後は
怒涛の勢いで
L.A.S.Ponder
ほとんど
呼吸停止、痙攣状態でした。
学生時代に聴いた
最高の交響曲でした。

1924年11月4日
ガブリエル・フォーレ
Gabriel Urbain Fauré 没、79歳。
 1845年5月12日誕生
L.A.S.Ponder
好きなのは
男声合唱とオルガンのための
Ave Maria
2002年10月26日
コール・エッコ演奏会のアンコールで
歌った
ラシーヌの雅歌も
忘れられません。
2004年11月27日には
10数年ぶりに
栃木県総合文化センターメイン・ホールで
グローリア アンサンブル&クワイアー
レクィエムを
歌う予定でしゅ。

1847年11月4日
メンデルスゾーン
Jakob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy没、38歳。
 1809年2月3日誕生
歌ったのは
無伴奏混声4部合唱曲「緑の森よ」
「手に手を取り合い」など
聴くのは
イタリア、夏の夜の夢で
決まりでしゅ。



2003年11月03日(月) 11月3日フィンランディア、シェエラザード初演、亀渕友香誕生、マチス没

1899年11月3日
ジャン・シベリウスの
交響詩「フィンランディア」初演
L.A.S.Ponder
高校生以来
幾たびこの曲に
励まされ
慰められてきたことでしょうか。
また初演以来
20世紀に
これほど多くの人たちを
励ました音楽も
少ないのではないでしょうか。

1888年11月3日
リムスキー=コルサコフの
交響組曲「シェエラザード」初演
この曲何度も聴いているはずでしゅが
あまり印象にありません。

1944年11月3日
ゴスペル歌手
「VOJA(VOICE OF JAPAN)」主宰
亀渕友香 誕生
大きな体で
日本における
ゴスペル普及に
大きな貢献を
していましゅ。

1954年11月3日
アンリ・マチス
Matisse,Henri没、84歳。
 1869年12月31日誕生
宇都宮美術館にある
色彩感豊かな
マチスの版画
好きでしゅ。
恭子さま、こじろうさま常宿の
佐野インのフロントロビーにも
マチスの素敵な版画が
飾ってありましゅね。



2003年11月02日(日) 11月2日「ハイドンの主題による変奏曲」初演、シノーポリ、武島羽衣誕生、白秋没

1873年11月2日
ブラームス作曲「ハイドンの主題による変奏曲」初演
この主題別名「聖アントニーのコラール」
L.A.S.Ponder最近
N響アワーで聴き
感激。
この主題昔
リコーダーで
吹いたこともあり
懐かしくもありました。
またまたほろ苦い
昔を思い出し
リコーダー・デュエット
やりたくなりました。

1946年11月2日
ジュゼッペ・シノーポリ
Giuseppe Sinopoli
ヴェネチアで誕生
 2001年4月20日オペラの指揮中
心筋梗塞で没
L.A.S.Ponder
彼の伴奏で歌ったのは
カレンダーに何度も書いた
フィルハーモニア管弦楽団
千人の交響曲。
とっても神経質な人でした。

1872年11月2日
歌人,詩人,国文学者
武島羽衣 誕生
 1967年2月3日没
滝廉太郎作曲 信長貴富編曲の
「花」(♪春のうららの隅田川・・・)を作詩
2002年コール・エッコの演奏会で
歌いました。
いい編曲でしたね。

1942(昭和17)年11月2日
北原白秋 腎臓病で没、57歳。
 1885(明治18)年1月25日誕生
コール・エッコでは
2002年の演奏会で
山田耕筰作曲増田順平編曲
「曼珠沙華(ひがんばな)」を
歌いました。
不気味な曲でした。
L.A.S.Ponderがすきなのは
大学時代歌った
多田武彦作曲北原白秋作詩
無伴奏男声合唱組曲 「柳河風俗詩」の
「紺屋のおろく」
高嶺の花の女性を
にくいあんちきしょうと
歌って共感を呼びましゅ。



2003年11月01日(土) 11月1日リスタートのご挨拶、紅茶の日、萩原朔太郎誕生

2003年10月30日まで
riririさまの
御庇護の下で
続けておりました
L.A.S.Ponderの音楽カレンダー
本日
2003年11月1日より
ひとり立ちして
リスタートすることと
相成りました。
しばらくは
今までのスタイルを
継承して
軌道に乗ったところで
少しづつ
新機軸を
打ち出していけたらと
考えておりましゅ。
どうぞ
これまでの
倍旧の
ご後援のほど
お願い申し上げましゅ。

11月1日紅茶の日
日本紅茶協会が1983(昭和58)年に制定。
1791(寛政3)年ロシアに漂着した大黒屋光太夫が、
首都ペテルブルクで
女帝エカテリーナの茶会に招かれ、
日本人としては初めて紅茶を飲む。
以来210余年
今では
緑茶、コーヒーに注ぐ
第三のソフトドリンクとして
日本の飲料界に
君臨する紅茶。
L.A.S.Ponderも
落ち着いて
何かを考えたいときは
やはり紅茶が一番でしゅ。
敬愛する恭子さまにあやかり
紅茶の道に佇みたい
今日この頃でありましゅ。

1886年11月1日
萩原朔太郎誕生
 1942年5月11日没
L.A.S.Ponder若い頃
彼の詩を読んで
頭の中に
竹が生え
気持ちが悪くなった
思い出がありましゅ。



2003年10月30日(木) ショスタコーヴィチ交響曲第11番「1905年」初演、東京芸術劇場開場、お礼

1957年10月30日
ショスタコーヴィチ交響曲第11番 ト短調 「1905年」op.103
モスクワ音楽院大ホールにて初演
1905年1月22日「血の日曜日事件」に取材した交響曲
ロシアの都サンクト・ペテルブルグで
デモ行進中および冬宮広場に集まった市民、労働者に対し
皇帝ニコライ2世の軍隊が発砲
死者3000人以上という大虐殺が行われ
ロシア革命の引き金となった。
L.A.S.Ponderこの曲を
初めて聴いたとき
その描写のあまりの恐ろしさに
身の毛がよだち
血が逆流しました。
こんな恐ろしい交響曲は
初めてでした。

1990年10月30日
池袋駅東口に東京芸術劇場が開場
L.A.S.Ponder
東京芸術劇場は
この年1990年11月23日
ジュゼッペ・シノーポリ指揮
フィルハーモニア管弦楽団の
伴奏で
マーラー作曲交響曲第8番「千人の交響曲」を
歌ったのが唯一の
舞台経験でしゅ。
サントリーホールと違い
オルガンギャラリー、
コーラスギャラリーがないため
すっごく窮屈でした。
でも演奏は迫力満点で
翌1991年1月3日
NHK教育テレビで
放映されました。
当然のことながら
L.A.S.Ponderのアップは
映りませんでした。
東京芸術劇場の
リハーサル室には
よく通いました。

2002年7月30日から
riririさまのお世話で
続けてまいりました
L.A.S.Ponderの音楽カレンダー
1年3ヶ月続き
4000を超える
アクセスを
いただきました。
ここで一区切りでしゅ。
りりりさま
および
ご覧くださり
また
お声をかけてくださった
みなさまに
厚くお礼申し上げましゅ。


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