1903年6月29日 滝廉太郎 故郷大分で没、25歳。 荒城の月、箱根八里、花など 短い生涯で 佳曲を残しました。 コール・エッコで演奏した 無伴奏混声4部合唱「花」 愛唱歌にして歌いたいでしゅ。
| 2003年06月26日(木) |
ルジェ・ド・リル没、トスカニーニ指揮者デビュー |
1836年6月26日 クロード=ジョゼフ ルジェ・ド・リル没。 1760年5月10日誕生 ルジェ・ド・リルといっても ほとんどぴんとこないでしゅね。 1792年4月25日 ストラスブールで「ライン軍のための戦いの歌」を 作詩作曲。 マルセイユで愛唱され 1795年フランス国歌「ラ・マルセイェーズ」となって 世界中に知られることとなったのでしゅ。
L.A.S.Ponder世界の国歌best3 1.Advance Australia Fair 進め美しきオーストラリア(オーストラリア新国歌) 2.義勇軍行進曲(中華人民共和国) 3.ラ・マルセイェーズ
1886年6月26日(25日説あり) トスカニーニ リオ・デ・ジャネイロで ピンチ・ヒッターとして アイーダ全曲暗譜で指揮者デビュー。 指揮者が指揮を降り 副指揮者が 興奮した聴衆の野次と罵倒で すっ込んだ後 チェリスト兼コーラス・マスターの トスカニーニが 引っ張り出され 代打サヨナラ満塁ホームランを 放って 劇的デビューという次第。
トスカニーニ指揮のCDで L.A.S.Ponderのお気に入りは ベートーヴェン荘厳ミサ。 息が詰まるほどの 恐ろしい迫力でしゅ。
1767年6月25日 ドイツの作曲家 ゲオルク・フィリップ・テレマン没。 1681年3月14日誕生 ターフェル・ムジーク(食卓音楽)を書いて レストランBGMのはしりとなる。 作曲家、楽団を抱えていた貴族というものは 贅沢なものでしゅ。 食事のときに生演奏を聞きながら スロー・フードを楽しんだわけでしゅから。 テレマンのターフェルムジーク 短調の曲が多く いまいち食欲、雰囲気が盛り上がりません。 L.A.S.Ponder ハイドン、シュターミッツ、モーツァルトの ディヴェルティメントなどが 食卓音楽にいいようでしゅ。
1989(平成1)年6月24日 美空ひばり 肺性心のため順天堂医院で没、52歳。 1937(昭和12)年5月29日誕生。 肺線維症から心不全を起こした。 末期はいかがわしい民間療法にはまり 死期を早めた。 L.A.S.Ponderお気に入りは 川の流れのように。 注目の一曲は 第1回広島平和音楽祭で歌った 唯一の反戦歌 一本のえんぴつ。
| 2003年06月23日(月) |
国立音大はじまる、ジェイムズ・レヴァイン誕生 |
1926(大正15)年6月23日 東京音楽院設立認可。 後の国立音楽大学。 L.A.S.Ponder若いころ 立川、国分寺、府中に住んでいたので 国立音大には親しみがありましゅ。 栃木でも国立出身の人たちと ちょっぴり関わりがあり その独特の性格が 大学由来のものなのか興味がありましゅ。 1943年6月23日 アメリカの指揮者 ジェイムズ・レヴァイン誕生。 CDで何度も聴いている割に 印象が薄いでしゅ。 ただ数日前 1989年メトロポリタン歌劇場を振った ヴェルディ作曲アイーダの ビデオを観て ちょっぴり圧倒されました。
1717年6月19日 ヨハン・シュターミッツ誕生。 1757年3月27日没 マンハイムの宮廷に仕えた マンハイム楽派の中心。 音楽家一族の出身。 管弦楽、室内楽の明るい作風は 食卓の音楽にぴったりでしゅ。
1818年6月18日(17日説も) シャルル・グノー パリで誕生。 1895年10月18日没。 オペラ作曲家を目指すが 成功せず。 傑作はご存知 バッハ=グノーのAve Maria。 バッハの平均率クラヴィア曲集第1巻第1番に メロディーだけつけて大成功。 合唱バカにとって 落とせないのは 聖チェチーリア荘厳ミサ。 歌いたいでしゅ。 *6月17日 ストラヴィンスキーは 6月18日誕生説もありましゅ。
| 2003年06月17日(火) |
ストラヴィンスキー誕生 |
1902年6月17日 イーゴル・ストラヴィンスキー誕生 1971年4月6日没 春の祭典をはじめとする バレエ音楽の巨匠。 L.A.S.Ponder 彼のバレエ音楽からは 想像もできないような 美しい無伴奏混四部合唱 Ave Mariaを歌っていましゅ。
1986年6月16日 フランスの作曲家、オルガニスト、教育者 モーリス・デュリュフレ Maurice Durufle没 1902年1月11日生まれ 寡作、残した合唱曲はごく少数。 レクィエムは フォーレの焼き直しか、 暗く悲しく沈うつな曲でしゅ。 2004年グローリア アンサンブル&クワイアーは デュリュフレのレクィエムと フォーレのレクィエムの フランス葬式音楽2連発を ぶちかますようでしゅ。 とってもきれいな曲でしゅが 練習が暗くなりそうでしゅ。
1594年6月14日 フランドル楽派最後の巨匠 オルランド・ディ・ラッソ(ローランド・ラッスス) ミュンヘンで没。 1532年頃生まれ 2000曲以上の作品を残した多作家。 L.A.S.Ponder学生の頃 彼のマドリガーレ いとしのマドンナ(Matona mia cara)を 日本語訳「祭の小夜曲」で 歌いましたが実力が伴わず 悲惨な演奏でした。 コール・エッコで原語で 歌ってみたいでしゅ。
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