「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2002年09月30日(月) 魔笛初演

1791年9月30日
モーツァルト作曲の
不思議なハチャメチャオペラ『魔笛』が
ウィーンで初演。
なんとスコアの完成は
2日前の9月28日。
皇帝ティートの慈悲、
レクィエムと
平行して書きまくるという
離れ業は
さすがの健康優良児
モーツァルトにも
応えたのでしょう。
この年の暮れには
愛妻コンスタンツェの温泉旅行中に
あっけなく死んでしまい
無縁墓地に投げ込まれてしまうのでしゅ。

重症心身障害児の次女(12歳)は
魔笛のアリアが大好きで
夜の女王のアリアや
パパゲーノのおいらは鳥刺しを
聴くときゃっきゃと喜びましゅ。
車の中でぐずった時など
すかさず魔笛のCDをかけると
ご機嫌が直りましゅ。

Nandatte Cantabileも
フィガロ以上に魔笛好きでしゅ。



2002年09月29日(日) 柴田南雄(みなお)

1916年9月29日誕生
1996年没
作曲家、音楽教育家

東京文化会館で観た
東京混声合唱団演奏の
シアターピース
追分節考は
ホール客席いっぱいに使っての
立体感あふれる
楽しいステージでした。



2002年09月26日(木) ベラ・バルトーク

Bartok,Bela
1945年9月26日
亡命先のアメリカ合衆国で没、64歳。
誕生1881年3月25日
ハンガリーの作曲家、音楽教育家。

コダーイ、コチャールと続く
ハンガリー合唱音楽の先鞭を付けた。

薬師丸
1983年結成の
東京・国立の(正確には国分寺)
混声合唱コール・ブレヴィスにて
4つのスロバキア民謡を
日本語で歌う。
なかの1曲に
「おまえはいつでも
飲み食い踊り、
飲み食い踊り・・・」という
とんでも妻を嘆く
夫の歌があり
笑いながら
身につまされる。



2002年09月25日(水) ディミトリー・ショスタコーヴィチ  

Dimitry Dimitrivitch Shostakovitch
1906年9月25日
ロシアのサンクト・ペテルブルグで誕生。
〜1975年没。

L.A.S.Ponderは
オラトリオ森の歌が
お気に入りでしゅ。
ロシア語は
ちんぷんかんぷんでしゅが
日本語訳のテープもあり
繰り返し聴いていましゅ。
最近は
交響曲第5番
も聴いて感激しました。

彼は悪名高き
ヘビースモーカーで
そのために命を
縮めたといわれていましゅ。



2002年09月23日(月) 日本フィル結成コンサート

1956年9月23日
日本フィルハーモニー管弦楽団の
結成コンサート
日比谷公会堂
創立指揮者 渡邊暁雄

文化放送のスポンサー放棄
新日本フィルとの分裂の
危機を乗り越え今日にいたる。

L.A.S.Ponder
1980年
宇都宮第九合唱団
第1回演奏会の応援に
栃木第九合唱団から
参加。
この時も
渡邊暁雄指揮
日本フィルの伴奏。
アンコールで第4楽章の終盤を
演奏しようとしたが
合唱団が出られず
渡邊氏が
再度振りなおすという
ハプニングもあった。



2002年09月20日(金) ジャン シベリウス

1957年9月20日
フィンランド ヘルシンキ郊外で没。
1865.12.08−
法学部から音楽大学に転向。
ヴァイオリン奏者をめざすが
ひどいあがり症のため
作曲に転向。

交響詩「フィンランディア」を
知ったのは高校時代。
以来どれほどこの曲に
励まされてきたことだろう。
7大学の受験に失敗。
一浪後またまた受験に失敗。
大学在学中は留年の危機。
たび重なる個人的な危機。
そして卒業保留。
大学院でも修了延期。  
いくたびもこの曲を聴いて
勇気を奮い起こしました。
またこの曲ほど
20世紀多くの人々を
奮い立たせた曲は
ないのではないでしょうか。
曲中最も有名な旋律は
フィンランディア賛歌として
合唱曲にもなり
賛美歌「安かれわが心よ」"Be Still My Soul”
としても歌われていましゅ。
20数年前
栃木合唱団は
フィンランディアを
演奏会のアンコールに使っていました。
フォークグループ「赤い鳥」も
この曲をアカペラで
素晴らしい録音を残していましゅ。

カレリア組曲も佳曲。

前半生に業績を築き
後半生はほとんど何もせずに
のんびり暮らした、
という点でも
素晴らしい生き方(?)
かもしれないでしゅ。



2002年09月19日(木) マーラーの「夜の歌」初演

1908年9月19日
グスタフ・マーラー作曲の
交響曲第7番「夜の歌」初演



2002年09月18日(水) 天才少年メンデルスゾーン;モーツァルト父子ウィーンへ向けて出発

10歳のメンデルスゾーン
自作の詩篇第19番を
在学中の唱歌学校で演奏。
早熟の天才というのは
恐れ入りましゅ。

1762年9月18日
6歳の神童アマデウスを
売り出すべく、
父レオポルトは
勇躍
ザルツブルクから
ウィーンへ向けて出発。
ウォルフガンクは病弱と
思われているフシがあるが
乳幼児死亡率が高く
各種伝染病で
老若男女が死んでいた当時、
たいした病気もせずに
次々に大旅行をこなした
ウォルフガンクは
健康優良児だったと
思われましゅ。

<付記>Shinchandazo氏のレス


そしてアマデウスは若きマリーアントワネットのオッ○イをさわって「僕と結婚しようよ」と言ったとか。
フームさすが音楽家の鏡、でもお母大公のテレジアには疎んじられるようになります。
健康優良児だったかもしれませんが、この年でもうH、あの「魔笛」なんかは本当は映倫に引っかかるような歌と場面が頻繁に出てくるし・・・。
 えんぴつShinchanはピアノの先生のスカートをめくって破門されましたけど・・・。この話そのうちUPしますが、大阪フィルでピアノコンチェルトの練習でベルリン帰りのティンパニーの先生が「Shinchan、モーツアルトは悪戯坊主ですごいHやったんやで」なんて言われて、そして朝比奈大先生には「オケの音は棒より後に鳴るので、あのヴァイオリンのお姉さんの胸を見てたらよー解るよ」なんて言われて、確かにそうでした。
 これ以上書くと故朝比奈大老の品性が疑われるので止めときます。
良い事の話は「打楽器奏者は第二の指揮者と言われるのは、その日の女性演奏者の状態を把握して一番後ろから指揮者に向かって合図を送るんや」という大老のお話でした。






2002年09月17日(火) シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調

1850年9月17日
ウィーン楽友協会の定期演奏会で初演。
生涯最後の年(1828年)に作曲され、
死後22年目にしてようやく陽の目を見た室内楽の傑作。
ピアノ三重奏曲は傑作揃い、
弦楽四重奏曲もいい曲がある。
この曲も聴いてみよう



2002年09月16日(月) マリア・カラス

Maria Callas
1977年9月16日没 53歳
1923年12月2日誕生(ギリシャ)〜

ダイエットのため
サナダムシの幼虫入りの
カプセルを飲み
体内で飼育。
見事に肥満を
解消した。
(お勧めできません)

去年宇都宮の
新星堂のバーゲンで
カラスの輸入ライブ盤
1枚500円でした。
2枚買いましたが
まだ聴いていません


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