青春の思ひで。

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2001年02月26日(月) 帰還

戦場から無事帰還して参りました!!
東京、人が多すぎるっちゅーねん!

えっと、できの方は……自信がないわけではない、って感じです(はっきりしろよ!)。
小論文、自分で言うのもあれですが、いいものが書けたと思う。
あとは、他の人のレベルがどれくらいなんだか……って、ところです。

ここ数日、地元が暖かかったので、マフラーとか手袋とか持っていかなかったら、一昨日、いきなり天気がくずれて、激さむ!!風が強いよ、東京。行きの飛行機は揺れまくり。「落ちたら、死ぬかなー?」なんてことを考えて、「あー、でも一緒に死ねるんなら(好きな人と)それでもいいかー。」という超メーワクな結論に至ったりしてました(笑)。

田舎者で貧乏人の私はホテルのサービスに逆に恐縮しちゃいましたよ。ホテルマンって、かっこいい……(笑)。だけど、なんであんなに高いんだ、ホテルのメシ……(号泣)。

当日の朝は見るからに受験生がいっぱい!!大学全体の倍率は5倍なんで、受験生の人数はその大学の全在籍数より多かったんだよなぁ。門の前で金髪の女子高生を見て、びっくり。別に私の住んでるところに金髪の女子高生がいないわけじゃないけど、そういう人って、大学受けないような人ばっかりだから。この金髪の女子高生も勉強したりするのね、とか思った。偏見かしら?

私の受けた学科の倍率は約2.5倍。一つの教室に20人で受験した。20人しかいない教室で、2人も受験票忘れてる奴がいた(笑)。何しにきたんだ、おまえら。

私の受験中、母上は不動産屋巡り……。どうやら合格したら八王子か国分寺に住むことになりそう。ネット使い放題のところはもう全部予約済みだそう(涙)。ネット代、絶対かかるのに!!

さて、余裕はあるけどそろそろ羽田に行こうかな?と、思ったら、隣の駅で事故が遭ったらしくてJRが使えない!!仕方ないので、私鉄で乗り継ぎを重ねて、やっと山手線に突入。時間にして30分のロス。空港着いたらぎりぎりだった……(汗)。

受験のときって、なんか奇妙な連帯感が生まれる。同じ高校の人と。出発空港で会ったほとんど話したこともないような人と、励ましあったり。誰かを蹴落としてやるっていう感情はあまり、起こらない(もちろん、負けない!!っていうライバル心はあるけど)。私には同じ高校から一緒の大学を受けた人はいなかったけど、いても、きっと、その人が落ちればいいとか考えられなかったと思う。

ところで、行きの飛行機における私の野望は(笑)。
餌を与えることしか達成できませんでした(泣)。出発空港でほとんど会えなくて、しかも席は離れてる(号泣)。なんか、むこうは私のことに気づいてたみたいなのに、他人の背中に隠れてやがった(笑)!!別にとって食ったりしないっちゅーの!飛行機に乗り込むときが一緒で、慣れてない私がまごまごしてたら、「和泉さん、こっち」ってエスコート(私の腐った脳で解釈すると)してくれました。「詳しいね」って言うと、「俺は、飛行機はプロやけん」とかほざいてました(笑)。何がや!!羽田に着いたときも、ちらっとこっちを見ただけで去っていきました。そーゆー奴だって、わかってるんだけどね、わかってるけど一声かけてから行ってよ!!あーもー、触れなかったし!!


2001年02月24日(土) 2001年受験の旅

いよいよですね〜。
自信?
あるような、ないような……。
センターの得点はボーダーに足りてません。
二次試験は小論文一科目。
これの勉強は先生に大変お世話になったんで、恩を仇にしないように頑張らねば。
先生は過去問ではなく、私にいろいろ新しいテーマをくれたので、それがかすってたら大ラッキー☆☆☆

午後から学校に行きます。最後のテーマを提出するために。実はまだ書いてないけど(死)。

「めまぐるしく変化する高速化社会が人間に与える影響と未来への展望」

テーマです。激むず!!!何書いていいのか正直思いつきませんよ。未来への……って……。

そして、帰りに餌付け用のチョコを買って帰ります(笑)。ビバ!空の旅!!


2001年02月23日(金) 正岡子規と小説

愛媛の郷土の偉人・俳人・正岡子規。
彼が小説を書かなかったのは何故か?
……って、こんなこと、誰も聞きたくないかもしれないけど。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」にあった文章が忘れられません。
手元に本がないので、記憶を辿ってみますと。

子規は孤独に耐えられない人間だった。
切ないほどに他人を愛する人間だった。
病気療養中に旧友が見舞いに来たけれど、その友人は子規が一番強い興味を持っている「文学」に全く興味がなかった。話が続かない。
そこで子規はどうしたか?
「ベースボールをしよう!」と叫んだ。
療養中ですよ?ほんとはそんなことするのはとてもつらい状態で。
それでも子規は野球をした。友人に気まずい思いをさせたくなかったから。友人と同じ時を過ごしたかったから。
子規は小説は書けない。
小説を書く作業は完璧に最初から最後まで独りの作業だから。

読んだときに、切なくなりました。
自分の身をけずっても、友情を求める子規が切なくて悲しかった。
部分的に、私にも当てはまるんですよ。
まあ、私が書くものは「娯楽」であって、決して「文学」まで到達はできないものですが。負け惜しみじゃなく、到達できなくてもいいです。

そして、子規のようにひとを求めて私は映画にたどり着いたんですが。
だからと言ってやはり小説を簡単に諦めれません。やはり両立ですね!!

と、いうことを吉秒さんと意見を交わしつつ久々に深く考えました。

今、つんくがワイドショーに出てます。つんく、嫌いです。映画を作った(作る?)そうですね。見たいなんて思いませんが。いつまでもおまえの天下だと思うなよ。コムロだって、あっというまに落ちたんだから。


2001年02月22日(木) 映画と小説

掲示板でも書いたんですが。
柊さんに「どっちがしたいの?」と問われたことがあります。
答は簡単。
どっちもよ!!
一度、小説の方を諦めようとしました。私は孤独に耐えられない人間なんで。映画へ目覚めたのは、多くの人と同じひとつのものを創造する、この過程に感動したからです。実際、そういう機会があって私は涙が出るほど感動しました。創り上げたときの達成感と連帯感に。そんなに話したこともなかった隣にいた戦友と、瞬間に抱き合って泣きました。
恥ずかしい告白だけど、そのエクスタシーが忘れられないんですよ。ひとりじゃ、あれは得られない。
何故、小説の方を諦めきれなかったか、というと。
中学時代の友人と電話してて「私は映画を作る!」と言ったら、「小説は?私はあんたがプロになるっていうからプロのイラストレーター目指してがんばってんのに!」と言われてしまったんですよ。
その友人のせいにするつもりはありませんが。
小説もやっぱり、私の夢なんです。中学からずっと思っていた。プロになれるなれないは関係なく、私は文を書かずには生きていけないことも知ってます。
だから今は両方諦めません。
このページはほぼ映画オンリーのページですが、小説について今まであまり触れなかったのは、小説は一人でも作れますから。それに小説書きを目指す友人は多いですが、映画を作りたい、という友人はおりません。同志が欲しかったんですね。
というわけで、同志、大募集!!

付け加えておくと、小説は書こうと思ったらすぐに書けるけど、映画は撮ろうと思ってすぐに撮れるものじゃありません。私には機材も技術も知識も同志もゼロです。
これが小説を諦められない理由のひとつ。
私にないものは常時大募集中です(笑)!


2001年02月21日(水) 本来の目的は……

24日と25日は受験のために東京に一泊二日です。
昨日、母上が飛行機のチケットをとってきたんだけど、なんかその中に名簿のようなものが入ってて、どうも同じ便に乗る人たちの名前のようなんだけど……。
その中に私の好きな人(友人・柊さんに言わせれば、私の辛い恋の相手・笑)の名前が!!!!!!
えぇーっっ!!!!こんなおいしい偶然があってもいいのか!?
狂喜乱舞して友達にメールして。
「得意教科の御利益をちょうだい、とか言って握手しとけ!」とか「学科試験ないけど、言わなきゃわかんないもんね。どさくさにまぎれて触りまくろう!」とか「飴とかチョコとか持っていって、餌付けよ、餌付け!」などなどのメールをやりとりしました(笑)。
だけど、飛行機だからね、搭乗手続きを続けてやらないと、近くの席には座れないしね……。飛行機の中は新幹線の中と違って移動はできにくいしね。
……と、まあ、そんなことを考えていたんですけど、ここで立ち返らないといけないのは。
私は飛行機に乗って何しに行くの?
……受験しに行くんですよ……。浮かれすぎて忘れるところでした。


2001年02月19日(月) やっと、合格!!

はぁあ〜。やっと一つ合格しました。地元の滑り止め私立大学。すでに二つほど私立に落ちてたから、ちょっと弱気になってたけど。

はやく受験を終わらせて、映画撮りたい(その前にデジカメほしい……)。小説も書きたい!!
やりたいことだけ増えていくよぅ……。

撮りたい話があるんだよぉ〜。その前に誰か私に技術を教えてくれっ!!!


2001年02月15日(木) 小娘にこんなこと言われる御自分を恥じてください!!

何がって…、森首相のことですよ…。
宇和島水産高校の事故は、同県人で、同じ高校生であるだけに、痛ましくて、日本政府、米海軍に憤りすら感じます。
ふざけんな!!
日本人が、100%相手の過失で、事故に遭い、海に投げ出されて、何人もの人が行方不明のこの緊急事態にゴルフが続けられるその神経が信じられません。政治家としての資質うんぬんよりも、その人間性が疑われます。
事故に遭ったのが、自分の子供、孫、あるいは親しい友人の関係者でもゴルフを続けましたか、首相?
泣きながら、自分の子供を思い、政府の対処を待ってる御家族がいらっしゃるのです。
そして、米軍は何かと日本を馬鹿にしすぎですよ。馬鹿にされてるとしか思えません。沖縄のことを思っても、今回のことを思っても。第二次世界大戦における日本の戦争責任は確かに重いものです。ですが、50年を経て、私たちの権利はなおも踏みにじられなければならないのですか?

ほんとは、このサイトは私の楽しみのために作って、映画の話とか、受験の話とか、やわらかいものをテーマにしようと思ってたんですが、あんまり腹が立ったので……。

事故に遭われ、生還された方々のご無事を喜ぶと同時に、まだ行方不明になってる方々の一刻もはやい発見を心からお祈り申し上げます。


2001年02月09日(金) 青春の思ひで。

はじめまして。
和泉瞳冴(いずみとうこ)です。

瞳冴は現在、gooのgaiax仕様のサイトを持っていますが、将来的にお引越しを考えています。

でも、1年以上続けたサイトで。
しかも怒涛の1年の記録を刻みつけたサイトでの日記を。
消滅させるのは、なんだかつらかったので。

今日から少しずつ、こちらにデータを移動してこようと思います。

時事ネタなどかなり古臭く、そして自分があまりにも愚かで幼くて、笑ってしまいますが。

それでも、ずっと生きてきた「あたし」を残してあげようと思います。

2002年3月12日。


天上旋律 |前略プロフィールゲストブック永久少女天然色夢絵巻kitchen & closetMAIL

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