森岡万貴 徒然記 (黒いブログ)
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2002年08月31日(土) 徒然なるワシントンDC紀行(5) あなたトシちゃん?

・・・ 8月29日(木)お昼どき ・・・


私の中のS通り(Wisconsin Avenue)を行き過ぎて迷っているうちに、ランチタイムになっていました。お腹すいたな。。
有名なショッピング・モール「ジョージタウン・パーク」の前を通りかかると、「Japanese Restaurant」の看板が。おおっ。その名も「BENIHANA」。ランチセットが5$90とは、安いじゃありませんか。お手軽そうだし、これにしよっ♪

[お手軽]な和食のランチセット♪
のつもりの森岡万貴。だったんですけど。。。

さっそく一人で入ってみると、すんごく空いている。
オーダーして、広いテーブルにポツンと座って待っていると、ギラギラ輝く調理器具を積んだ手術セットみたいなキャリーを押して、白い長い帽子をかぶったコックさんがこっちに向かって来た。えらい陽気な人だ。でもどう見ても日本人じゃない。

まさか、とは思ったが私のテーブルの前でピタリと止まって、「Hi!」。
「は、、ハイ。。」(汗)
ニッコニコしながら私の目の前の鉄板に油をひいたかと思うと、すごい量の肉(多分チキン)をドバァっとぶちまけて、炒め始めた。
「あ、あのう、これ、ランチセット、、です、よ、、ね?(英語)」と恐る恐る聞いてみると、
「そうさ、ランチセットさっ。(英語)」と、ハッとして〜♪の頃のトシちゃんのように軽く身を翻し、肉が焼けるまでの間に、なんと、

フライ返し芸を披露!!(頼んでいない。)

よくあるじゃないですが、客引きでピザを高く投げてフライパンでキャッチしたり、包丁でまな板をリズミカルに打ったり、、。あれの、

鉄板芸です。

私があっけに取られている間に、彼は陽気に肉を皿に盛り、チャッチャカチャッチャッチャーと鉄板を掃除して、今度はチャーハンをこしらえ始めた。
細かく刻んだ具を炒めて、これまたすごい量の米をドバァっとぶちまけ、すごいスピードで完成したチャーハンを陽気に皿に盛り、もり、、も、、、

盛れない程いっぱいある(涙)

「あ、あのう、これ、ランチセット、、です、よ、、ね?(英語)」(再)

「もちろんさっ、ベイベーかわいこちゃん、どうだい美味しそうだろう?(英語)」満面の笑みで答える彼。

「あ、そうっすか、、良かった。。(汗)」

一人旅のシャイなジャパニーズ・ガール(だと思ったらしい)を和ませようと、気さくに話しかける彼。
コック「ところでベイベー、どこから来たんだぃ?(英語)」
万  「日本だよ、東京。コックさんは?(英語)」
コック「マレーシアさっ♪先月までカリフォルニアにいたけどねっ!(爽やかな笑顔)暑くてたまんないよ!」

・・・・・・。
そう、陽気なコックさんはマレーシア人だった。そしてオーナーさんは中国人だった。

恐るべし“Japanese Restaurant”紅花。

いろいろ喋っていると、このBENIHANA、全米にチェーン展開している有名な日本(?)レストランだそうで、彼はBENIHANAカリフォルニア支店からやってきた、生粋のBENIHANAボーイだったのだ。

「んじゃ、楽しんでいきなよ(白い歯がキラッと光る)!いい旅を!(ちょっと 柳沢慎吾風)」
サッと右手を挙げ、手術セットをガラガラと押して、風のように彼は去っていった。

「・・・・。」
広いテーブルに一人ポツンと残された森岡万貴。さっきと違うのは、目の前にすごい量の焼き肉とチャーハン。それにスープと、なんか葉っぱ(笑)。
皿に盛りきれなかったチャーハン達は、鉄板の中央に固められて、山を形成している。
どうみても、これ、[お手軽]な和食♪、、じゃないよね(汗)。

もちろん完食は無理だったけど、目の前で調理してくれるから温かいし、中華ランチセットだと思えば味も満足。
陽気なコックの芸出し付き(オプションかも知れない。)で5$90は安い、安いぞ!!

満腹になって、鉄板芸分のチップを多めに払おうとした時、勘定書と共にそれはやってきた。



あったかい日本茶。



あ、、、、、、、、、これが、、、、、、、、、

もう一度言おう、恐るべし“Japanese Restaurant”紅花。(笑)
※お寿司もやってます。


2002年08月30日(金) 徒然なるワシントンDC紀行(4) SM Street


・・・ 8月29日(木)午前中 ・・・


聞いて聞いて、昨日、レンタル楽器にトラブルが無かったおかげで、今日はナント!!

OFFになったのだぁぁーーーー♪
ありがとーーーークレイグーーーーーーーーッ!!ぶちゅーーーーーーーーーッッ(してないしてない)

昨夜ベッドに入りながら、「地球の歩き方」で地下鉄とバスの乗り方を勉強し、ワシントンDC・マップを一通り頭に入れておいた森岡万貴。
例の恐怖テレビに叩き起こされることもなく気持ち良く目覚め、朝食を作って優雅に食した後、いざ街へ!

森岡万貴は、知らない街をウロチョロするのが大好き。好奇心だけをコンパスに、体力の続く限り、あっちへウロチョロこっちへウロチョロ。どこまでも行きます。(迷うけど。)
まずは歩いて行けるジョージタウンへ行ってみることにしました。
ジョージタウンは、「ジョージタウン大学」があって若者も多く、ワシントンDCでも一番賑やかな地区って感じ。目抜き通りは街を横断する「M通り」と、縦断する「S通り」、、、

、、んなこたぁない!!!

もとい、ウィスコンシン通りWisconsin Avenueです。

Pennsylvania Avenueを西へテクテク歩く。M Streetと交わる辺りからお洒落な店がどんどん増えて、ガラスごしに店内を覗いてるだけでも楽しい♪
目指すは「Barnes and Noble」という有名な本屋さん。こっちの「紀伊国屋」規模の大型書店です。
なんで本屋さんに行ったかというと。
あのね、昨日Safewayで食糧をあれこれ買っている時に、成分表示の中でどぉーしても分からない単語があったの。

「Sodium」

そーでぃうむぅ???
聞いたことない単語だゾ。塩分かな?
森岡万貴は、食べ物を買うときに成分表示をちゃんと見る人なので、気になって仕方がない。
いや、塩分はSaltだもんなぁ、こっちに書いてあるし、、、

?????

と、V8の前で15分くらい固まっていました。
‘ぶいえいと’とは、日本でも見かける100%野菜ジュースで、圧倒的野菜不足王国アメリカ !のスーパーマーケットに於けるその存在は、ひときわ異彩を放つヘルシードリンクと言えよう!!(だって、「Japanese Green Tea」って書いてあるペットボトルにも、お砂糖入ってるんですよ〜!?)
ニューヨーク公演では毎日飲んでました。女性必需品です。
そしてアメリカのV8は種類がいっぱいあるのだ。カルシウム入りとか、塩分ひかえめとか。そこで選択中に「Sodium」という単語に引っかかった次第で。

う〜む、いくら考えても分からん。気になる。
腑に落ちないまま、巨大な「塩分ひかえめバージョンV8」ボトルを抱えて帰った異国人森岡万貴。
で、帰ってスーツケースの中をひっかき回しても、出てこない!GEM!!
(「GEM」とは英和・和英辞書。表紙は本皮製、トランプ程の大きさでとっても軽くてお洒落♪海外旅行には欠かせない、万貴お気に入りのアイテムなのだ。)

あちゃー。やっぱり忘れ物しちゃった。
さっそく調べようと思ったのにぃ

気になりだしたらもう止まらない。テレビの天気予報を見てても、知らない単語が出てくると調べたくってたまらない!!あぅ〜〜〜

すっかり「調べたい症候群」にかかってしまった森岡万貴は、昨夜、「調べたい単語」をズラーーッと紙に書き出しました。
そして辞書をgetすべく、さっそく開店直後の本屋さんにやってきたのですが、この「Barnes and Noble」、予想以上の素敵な本屋だったの!

まず、綺麗。これ、重要です。トイレも綺麗。非常に重要です。試験に出ます。
そして、3F建ての広ォォ〜おい店内に、膨大な数の本、本、本、、、!!
またこっちの本って、カバーデザインがお洒落で綺麗で、眺めてるだけでもめちゃくちゃ楽しいんですよねぇ。CDやDVDも売ってて、ギフトコーナーも充実。アメリカン・カフェの定番、スタバまで入ってる。お気に入りの本を見つけたら、コーヒー飲みながらフカフカのソファーでゆっくり読書タイム。くぅぅぅ〜、幸せ〜〜〜♪

すっかり居心地が良くなった森岡万貴、この日から帰国まで、この本屋さんには何度も訪れました。
さて、さすがに「GEM」(三省堂出版)は置いてなかったので、Oxford社の小さな辞書を買って調べてみると、、

謎の「Sodium」は、、、「ナトリウム」だったんです。

・・・・・・どこがやねん。

と言いたくなる、スペル不一致。そりゃ分からんわ。
「調べたい症候群」も治まり、美しいトイレにも行ってダブル・スッキリ♪(?)気分で私の中の‘S通り’、ことWisconsin Avenueを北へトコトコ歩いてみました。


2002年08月29日(木) 徒然なるワシントンDC紀行(3) クレイグの憂鬱


・・・ 8月28日(水)午後 ・・・


恐怖館の謎も解けたことだし、パンを焼いて、ハムエッグを作って、カフェオレをゆっくり飲んで、しばしお部屋でくつろいでからから、しとしと雨の中を歩いて、ケネディセンターに向かう。
けっこう寒い。雨が降っているのもあって、ニューヨークで痛い目に会った乾燥も、どうやら心配なさそう。
昨日の珍道中は、今日この時のため。レンタル楽器の下見です。
会場となる「アイゼンハワー・シアター」の楽屋口が見えた。一足先に仕込みにかかっている音響オペレーターのフクちゃんが、一人、外でタバコを吸っている。
「な、、なんかサマになってる。かっこいいゼ、フクちゃん!」嫌煙家で有名な森岡万貴もこの時ばかりは、同い年で黙々(時には愚痴る)と仕事をこなすフクちゃんが頼もしく見えたものよ。

「よっしゃぁ、あたしもやってやる!」新鮮な気持ちで中に入ると、、

いつもの熱気と、埃まみれのスタッフの懐かしい顔ぶれ!!
私の大好きな、舞台独特のエネルギーが充満していました。

さて、いよいよ緊張の瞬間、楽器とのご対面です。ニューヨーク紀行に書きましたが、前回ツアーでは、ホント苦労しました。今回は妥協しないぞ!といかめしい顔でリハーサルルームに入ると、、、

期待以上のクオリティーの楽器が勢揃い。しかも殆どの楽器が新品で、皮も張り替えてある。
バッチリ。完璧。すごぉぉーーーい!
「これ、日本公演でも使いたーい、持って帰っていいですか〜!?」と言いたくなるようなスペックのスタンドなんかもあって、現地レンタル打楽器担当のクレイグ(これまた同い年のNice Guy♪)の誠実な仕事っぷりに感服しました。

熱帯和子太鼓ジャングル(cf:8/11の日記)で選定した和太鼓たちも、長旅を経て元気な様子!
あっと言う間にOKが出ました。
なんだかすっごく嬉しい。

やればできるんじゃん、アメリカ!

なんちゃって。
後でクレイグに聞いた話。。。我々が「ニューヨークの失敗を繰り返すまじ」と楽器・スタンドのメーカー、品番、ピッチに至るまで細かく指定して、口酸っぱくしつこく制作サイドに吠えていたため、
「今回の仕事相手のジャパニーズ、めちゃくちゃ気難しくてウルサイらしいぞ、お前、気合入れてかかれよ!」
と、レンタル会社の上司に脅されていた彼、我々との初対面までは相当おびえていたらしい。(どうりで最初紹介された時、なんか固まってると思った。)
こっちも最初、鼻息荒く意気込んでいたので、けっこうイカメシイ顔してただろうし、、ごめんね、クレイグ(笑)。
ドラマーでもある彼とはすっかり意気投合し、帰国後もメールのやり取りをする仲になりました。

予定より早く仕事が終わったので、ケネディセンターを一人で探検し、Safewayで買い物をして、218号室へ戻ると、、そこには、、、、、

ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!


(笑)ウソです。テレビの音声を英語(さすがに日本語は無い)に設定変更して、ワシントンDC、2日目の夜は平和に更けてゆきましたとさ。


2002年08月28日(水) 徒然なるワシントンDC紀行(2) 恐怖の館!?

※すんごい長文になっちゃうので、しばらく日付を無視して書いていきますね。ご了承くださいませ※

・・・ 8月27日(火)夜 〜 8月28日(火)朝 ・・・


ワシントンDC・ナショナル空港にやっとの思いで辿り着き、タクシーに乗って、宿泊先となる925アパートメンツに向かう。
流れる景色を見ながらのDC第一印象ーーなんだか東京みたい。ここなんか、霞ヶ関とか大手町にそっくり、、

そうか、ここはアメリカの首都。ホワイトハウス周辺や博物館、国会議事堂のあるモールやキャピトル・ヒルは、仕事が終わった夜になるととても静か。ライトアップされた川沿いの大使館や官庁の佇まいは美しく落ち着いていて、お堀のある皇居周辺を想起させる。なんだか安心した。
不夜城ニューヨークとは全く違う雰囲気の街、ワシントンDC。

さて、チェックインした925アパートメンツ。ケネディー芸術センターのちょっと北のダウンタウンにあって、ここはホテルではない。
キッチンも食器もダイニングテーブルも、ソファーもタンスなんかもあって、ウィークリーマンションの趣。なんだけど、、、

受け取った218号室のキー。どうやら2Fの1番奥らしい。長い廊下に敷いてあるカーペットにスーツケースのキャリーが引っかかって、なかなか前に進めない。昨日からの珍道中で生命力まもなくゼロ%、、、思いスーツケースを引きずってやっとこさドアの前に辿り着き、キーをさして回、まわ、、まわ、、、、

らない。(死)

どこからともなく漏れてくるかすかなテレビの音。
「ダメだー、森岡隊員、ここで目を瞑ったら死ぬぞぉー」と言っている(ように聞こえた)のを聞きながら、しばらく一人でドアの前で倒れていましたが(ホント)、こんなところで気絶している場合ではないので、気を取り直してフロントの兄ちゃんを呼んできて、開け方を教わり、ドアを開けたその瞬間、、、

ななな、、、なんじゃこりゃぁぁぁぁ(by 優作)

部屋に入ってみて目を疑った。
広い。
ひろい。
広すぎる。

どこまであるんだこの部屋は。
広くて見渡せない。

でっかい身体のアメリカン新婚夫婦が、家族でじゅうぶん住める。
東京の私の家の3倍はあるゾ、これ。
諸行無常の響きあり。

そして何故か、テレビが付けっぱなしになっていてる。さっきのテレビの音、自分の部屋からだったんだ。
「あれ、なんでだろ?テレビついてるね。(英語)」フロント兄ちゃんが不思議そうにテレビを消して、「じゃ、ごゆっくり。」と去っていった。
エアコンもついてて、寒い。はためくカーテン。留守電のメッセージボタンが点滅。再生してみると早口の女性の声。全然意味が分かんないけど、英語じゃないことは確かだ。

ななな、なんか、、こわ、、、、。

ちょっとした妄想が頭をよぎるが、2週間ここで寝起きしなきゃいけないので、変なことは考えないようにして、食料品を買出しに出掛けた。

もよりのスーパーは、あの有名なウォーターゲート・ビルの中にある、Safewayという大きなマーケット。
ここは滞在中、とにかく通いました。確か毎日。
ズラ〜リありとあらゆる生活用品、食材が並び、アメリカ庶民の暮らしを垣間見るようでとっても楽し、、たの、、

た、の、、



・・・楽しむには疲れ果てすぎていた森岡万貴。ここは後日改めて探検することにして、とりあえず必需品のミネラルウォーターと、朝食用のパン、卵とハム、牛乳と冷凍ラザニアを買って、戻るは218号室。

再びキーと格闘。なんて開け辛いキーなんだコレは!?指に豆を作って、7、8分後にやっと開く。
シーーーンとした室内。
な〜んか、、、。だだっ広いな。。。
エアコンを消したのに、冷え冷えしている。
クローゼットや食器棚、異常に広い脱衣場などを、恐る恐るチェックして回る。
???バスルームは普通なのに、何故に脱衣場だけこんなに広いんだ!?
依然として点滅する留守電のメッセージボタン。消去方法が分からないし、もしも重要な内容だったら恐ろしい。国家機密情報だったりして!!
・・・・・・・妄想は膨らむばかり。

いかん。寝よ。

これまた1人では広すぎるダブル・ベットに潜り込み、シーツを頭からかぶって、、、

深海へ。。。。。


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プツッ
♂¶仝‡@♯●$・∞♀Ω%¥◎ッッッッ!!!!!!!!!!!



!?!?!?な、な、な、なになになに、今のッッ!?
突然のけたたましい大音量に、ビックリして飛び起きた。

・・・勝手にテレビ、付いてる・・・イキナリなんで勝手に付くの!?びびび、びっくりしたァ!!
何を喋っているのか、ぜんぜん分からないが、女性キャスターが早口で何やらリポートしている。

いよいよポルターガイストかと、ドキドキしながら恐る恐る部屋中を見回す。
相変わらず点滅する留守電の光。
まさかここ、いわゆるイワク付き旅館なんじゃ、、!?

カーテンを開けると、朝だった。しとしと雨の暗い朝。
コワゴワ湯を沸かし、濃いブラックコーヒーを飲んで深呼吸してから、ソロソロとテレビに近づく。

リモコンをあれこれ操作していてやっと分かった。
「音声切り替え」がスペイン語に設定されている。アラーム機能もON。
きっとスペイン系のカップルが、私の前にこの部屋を借りていたのだろう。留守電メッセージも、ちゃんと聞くとスペイン語で「ア〜タ、起きた?アタシ先に出掛けてるから、何時にどこで待ち合わせしましょうよ、」なんて言っているように聞こえる。

昨夜、部屋に入った時に感じた悪寒は、冥土、、いや、メイドさんが付けておいてくれたエアコン。付けっぱなしだった謎のテレビは、前客のアラーム設定で時間通りに立ち上がっていたことが判明。
留守電も、消去の仕方を教わって点滅しなくなった。

いやぁ、マジで、「部屋替えてください(泣)」って言おうかと思ったゼィ。


2002年08月27日(火) 徒然なるワシントンDC紀行(1) 珍道中の始まり 〜感動?巨編(覚悟してお読み下さい)

じゅ、15分だけ寝よう、、、

こう思ったのが間違いだった。目を閉じた瞬間から自分の中では0.5秒。でも目を開けたら出発予定時間の5分前だった。

「・・・げ。(泣)」
やっちゃった。目覚まし、完璧に止めてある。1ミリも聞こえんかった(涙)。

ぇ〜一般的に女の子(誰が?)というのはですね、起きてから出掛けるまでに色々やんなきゃいけない事があって、5分じゃ全然足りないのです。
ましてや今日から半月家を空けるという事で、1時間前に起きて、冷蔵庫のヤバそうな物どもを胃の中に処分し、残りのパッキングをして、苔に水をザブザブやって、顔を洗って日焼け止めを塗って戸締りをして、、、。という構想だったので、パッキング自体も全部終わっていなかったのだ。

飛魚のように飛び起き、脳の中の分別蔵に「何が何でもはずせない朝の行事」とそうでない事を分けながら、とりあえずスーツケースの周辺に散らばっている物を片っ端から放り込んで鍵をかけて縛る。

3分。

あと2分しかない〜ッッ(泣)、
化粧をしない森岡万貴ですが、日焼け止め、これだけは何が何でもはずせない。

1分。

戸締り。これはやらなきゃイカンでしょ、いくらなんでも。

竜巻のように家を飛び出して、スーツケースにまたがって坂を下り、電車に飛び乗った。
「あ〜〜帰ってきた時、冷蔵庫のヤバそうな物どもがどうなっているか、、想像したくない。。。」
____________________________

成田空港。
新国立劇場制作部K氏が待つ北ウィング。
はじめ頂いていたスケジュールでは渡米は29日だったのですが、ニューヨークで泣いたリース楽器トラブル(cf;07/07/’02 徒然なるN.Y.紀行(3))が再び起こらないよう、キーボード、ドラム、パーカッションの3名のみが、役者さんや他のオーケストラメンバーよりも2日早くワシントン入りして楽器チェックをすることになったのです。

で、ワシントンまで「引率者は、いまへん。」(自力で辿り着いてね♪)
と、言い渡されて航空券を頂いたのですが、今回はシカゴで乗り継ぎのフライトだし、あまりにも心許無い〜(涙)と訴えたところ、急遽昨日、制作部K氏が同行してくださることになり、4名での旅と相成ったのでございますが、この行きのフライトが、忘れられない珍道中になるのでございます。

成田空港でチェックインするなりカーテンの奥に連れて行かれ、スーツケースを開けろとの指示。
「え”。今?」
そうか、9・11から間もなく1年、チェックが厳しいのは理解できる。
しかし何しろさっき放り込んできた物どもが、この箱の中で美しく並んでくれているとは思えない。元通りスーツケースが閉まらないかも知れない。
恐る恐るスーツケースを開け、一番上に下着が生で出てこなかったことに感謝しながら荷物チェックを済ませた。

フライトまでは1時間ほどある。いったん解散。
出国審査までに、食べ損ねた朝ご飯を調達すべく空港内を彷徨って、、、

いる時に落っことしたらしい!腕時計!!!
気付いたのは出国審査ゲートに移動するため、集合した時。
ニューヨークツアーの前に池袋の電気屋さんで買って、大活躍したオレンジ色の、あのお気に入りの腕時計!
探し回っても見つからなくて、時間もないし、、、きっと誰かに拾われだんだ。。。とあきらめたんですが、、さすがにこれにはショック!(涙)

、、、ふと、免税店をみると、!!、失くした時計と全く同じ時計が売られているではありませんか。
普段は携帯電話があるから腕時計をしない森岡万貴ですが、アメリカではあの腕時計は必需!ないと仕事が出来ない。
結局、泣く泣く免税店で同じ時計を買って機内に乗り込んだときには、既にぐったりしていました。
「なんか今回、波乱万丈かも。。」

ユナイテッド航空884便 成田空港14:20発。
機内で映画「Ice Age」と「スパイダーマン」を見て、仮眠。
日付変更線を越える。

シカゴ・オヘア空港着は、同日11:40分。そして運命の時はやってきた。
乗り継ぎである。
なんでそれが運命の時なのかと言うと、

ユナイテッド空港614便 シカゴ・オヘア空港発13:00

13:00発!?
普通乗り継ぎには少なくとも2時間は見るって何かの本で読んだ気が。。。
80分間で、アメリカ入国審査にパスして荷物を受け取って、国内線のカウンターに荷物を預け直して、シャトルトレインに乗って空港の一番奥のターミナルまで移動してボディチェックを受けて、、、

ふ、、不安だ。
現に、昨日同じフライトスケジュールで一足先に飛び立った音響、照明etc..スタッフ陣18名のうち、めでたくこの乗り継ぎに成功したのは6名のみ。残りの12名は時間内に関門を突破できず、なんとシカゴで4時間待たされたらしい!と制作部から脅されていたので、機体がシカゴ・オヘア空港着陸態勢に入った頃から「よぉ〜〜し、やってやる!!」相当気合を入れて準備しておったのです。

着陸!いざ、出国審査カウンターへGO!、GO、、、ご、、
・・・ムムム、、で、出られない。
運の悪いことに一番後ろの席だったので、前の乗客で詰まっちゃっててなかなか列が動かない。
イライラ。はやる気持ちを全顔で表現してみても列はビクともせず、既に10分経過。こんなとこで時間を食うとは、、

やっとこさ機内から脱出して大股で入国審査ゲートへ。様々な人種の人々が、既にずらっと並んでいる。「あちゃ〜、遅かったか。」
ちょっとでも早く済むよう、4人バラバラのカウンターに並んで順番を待つ。私は太った婆ちゃん審査官の列に。
さて、ここですべてが決まった。といって良い。

私の列だけ、全然動かない。婆ちゃん審査官と東南アジア系のカップルがなにやらもめている。
他の列はそれぞれ少しずつ着実に前進しているのに、この列のはるか前方では婆ちゃん審査官とカップルが流れを完全に関止めている。
イライラ。婆ちゃんは、コンピューターを睨みながら眉を顰め、何やら難しそうに首を横に振っている。
ようやくカップルが関門突破した。と思ったら、次の中国系ギャルがまた婆ちゃんともめ始めた。機内であらかじめ書いておくべき出入国カードを書いてなかったらしく、婆ちゃんに1つ1つ教わりながらカウンターで作成している様子。
ノロノロ。「・・・くぅぅーー、書いとけよ〜(涙)」
その間に他の3人はもうカウンターに近づいて、パスポートを出して質疑応答の練習(英語で滞在先や理由なんかを答える)を始めているのに、私だけ5センチしか進んでいない。
「あっちの列に並びなおした方がいいかも。」と相当迷ったけど、振り返ると私の後ろにも既に長蛇の列が出来ていて、1度抜けると絶対戻れない。「ちょっとスイヤセン。」と江戸っ子風に仲間の後ろに入れてもらおうか、とも思ったんですが、でも“割り込み”はさすがに万国共通ヒンシュク項目だろう。揉め事になってしょっぴかれでもしたら、それこそやっかいだ。
我慢して並び続けているうちに、K氏がトップでカウンターに辿り着いた。
我が列の中国系ギャルがカウンターの隅で熱心にカードに記入している間に、次の友達らしきギャルが婆ちゃんの前に進んだ。またしても出入国カード未記入で、同じ作業を1から始めるらしい。
「いっ、、一緒にやっといてよォォォ〜〜(涙)」
婆ちゃんは、相変わらずコンピューターを横目で睨みながら気難しげに2人の対応をしている。明らかに自分の列だけ動きが鈍いのに、そんなコトにはまったく気にも止めていない様子。

イライラ×100。列の同士達の中には、全身でイライラを表現する人が増え始めた。様々な国・地域の人々がこんなにイライラ感をピーアールしているというのに、婆ちゃんは相変わらず自分のペースを貫いている。
さすが、マイペース、アメリカン!!

いや、感心している場合ではない、もはや30分が過ぎようとしている。他の3人は既に入国審査を済ませ、荷物受け取りも済ませ、交代で私を待っていてくれている。
「すみませーーんっっ(泣)」申し訳ない気持ちでいっぱい。やっぱりあの時、別の列に並びなおすべきだった。

永遠にも感じられる時間が過ぎ、やっとやっと、私の番になった。この間、森岡万貴がどれほどイライラ静電気を放出したかはご想像にお任せしよう。
必要書類を婆ちゃんに手渡す。コンピューターを睨みながら、パスポートに印を押すだけの婆ちゃん。
「あれ?質疑応答は、、?」
結局1言も話さないまま、審査が終わった。
パスポートを奪うようにして受け取って、バゲージクレームへダッシュしかけたその時、ふと婆ちゃんが睨んでいるコンピューターに目をやると、、、(驚愕)

※電源入っとらんがな※

ば、、婆ちゃん、、、(号泣)

壊れとったんかぃ、、、。

腰が抜けそうになりました。※実話です。

この時点で12:40分。フライトまであと20分。
あと20分ンン〜〜〜!?
風のように機内預け荷物をひったくり、13:00便分は既に締め切られている国内線カウンターで変な日本語英語をまくしたてて荷物を預けなおし、シャトルトレインに飛び乗り、飛び降りた国内線ターミナル。
・・ひょ、表示が分からん(汗)
なんだかめちゃくちゃ分かりにくい!
凄い形相の汗だくのエイジャン・ツーリストを見かねて、ボランティアらしき案内官が近道を示してくれた。
多分跨いじゃいけないロープを跨いで、機内持ち込み荷物チェックカウンターに走りこんだ。離陸まであと10分、なんとか間に合うか!?
妙にルンルンしているアメリカンギャル職員が、私のリュックをX線に通しながら、「いやん、あなたったら、so cuteねェ♪楽しい旅を〜♪」なんて暇つぶしに喋りかけてくるのを引きつったスマイルで交わしながら、ゲートを探す。
・・ひょ、表示が分からん(汗) ※ほんとに、分っかりにくい空港でした
ワシントン行き614便、614便、、、無い〜〜(涙)

明らかに暇を持て余している黒人少年職員に「ゲートはどこォォっ」と聞くと、「知らん。」とあっさり言われた。
てっ、てっめぇぇぇ、仕事だろぉがぁぁぁぁーーーーー
あきらめてインフォメーションカウンターまで走り、ゲートナンバーをつきとめて戻ると、なんと不運にもK氏のリュックがX線にひっかっかたらしく、「全部出して見せて。」と、カウンターがバサー状態になっている。
職員が単行本を手にとって、パラパラめくり、「これはなんですか?」。
・・・・・・・・・・。
アホカァァァァ、本に決まっとるやろーがぁっぁーーーーー

こういった理解し難いやりとりが数回続き、ようやく解放された時には既に、12:57。フライト3分前。
モノも言わずに一目散にダッシュ!!
また不運にも、目指すゲートは空港の一番端だった。
広いシカゴ・オヘア空港をわき目も振らずに走って走って走りまくる。(相当目立ってました。)
300メートル全力疾走、汗だくで息も絶え絶えにゲートにタッチした時には、

13:03分。カァ〜カァ〜カァ〜(カラスの鳴き声)
カウンターのおばちゃんが「ご愁傷様です。」と言わんばかりに静かに首を横に振った。

崩れ落ちる4人。お、、惜しかった、、、
実際は惜しくないんですけどね、まだこの後、丁寧なボディチェックを受けねばならず、最低10分前にはこのゲートに辿り着いていないといけなかったらしい。

はじめから無理があるタイム・スケジュールだったんだけど、悔しいし乗り遅れるとややこしそうだから絶対クリアしてやるぅぅ〜、と意気込んでいたので、失意で脱力。

それにしても、ここの空港職員ったら、あの婆ちゃん審査官を筆頭に、、、すごすぎる。
そして表示が分かりにくすぎる。初めて訪れた外国人にはちょっとキツイ。
時間がある時だったら笑えるかも知れんけど、マジでまいった。
ともかく、婆ちゃんのコンピューターさえ壊れていなかったら、間に合っていたかも知れない。(どうだろう)

幸いにも1時間後のワシントン行きの便に変更でき、しばしブレイク。
私がスターバックスでアイスラテを飲んでいる間に、K氏達はタバコを吸いに行った。
しかしここはアメリカ。空港で喫煙所を探すのは非常に難しい。
目を盗んでその辺で吸っているところを、校長先生みたいな太った女性職員に見つかって怒鳴られたらしく、シュンとして帰ってきた。

時間に余裕を持って変更した便に乗り込むため、早めにボディチェックを受ける。
「靴も脱いで。」いささかウンザリしていたが、時期が時期だしおとなしく従ってチェックを済ませ、機内に乗り込むと、なんだかしら異常に暑い。
離陸まであと15分ほど。したたる汗。
斜め前のハンサムクールなビジネスマンがたまらずジャケットを脱いだ。
スチュワーデスが困り顔で、雑誌をウチワ代わりにバタバタ扇いでいる。
「飛べば冷房が入るのかな?」それにしても暑いぜ、こりゃ。
14:00が過ぎた。エンジン音はするけど離陸する気配がない。
あまりにも疲れていたので怒る気も起きず、ぐったりして待っていると、機内アナウンスが。
「エアコンの故障のため、本機はフライトをキャンセルします。乗客の皆様は別の便にお乗換えください。」

ここまでくると、シカゴ・オヘアの神が暇で、我々で遊んでいるとしか思えない。
仕方が無いので次の14:00発の便に乗り換える手続きをしようとさっきのカウンターに戻ると、既に長蛇の列。
あらかじめ予約していた客と、変更待ちの客で、カウンターはオーバーヒート状態。
対応のためやってきた臨時職員は、なんとさっきタバコ事件で怒鳴られた校長先生。・・・運悪ぅ〜・・・
生命力節電のため、抵抗せずおとなしく列の最後に並ぶ。
ふと見ると、あの入国審査婆ちゃんの列に並んでいた、ヨーロッパ系の女性の姿が。上品なおばさまなのに、この人も凄いイライラしてるな、とシンパシーを感じていたら、同じ乗り継ぎスケジュールだったのね。
嗚呼無情。by じゃんばるじゃん。がんばるじゃん。やればできるじゃん。

はい、すみません。
で、結局、だめだったのです。14:00の便。ハンサムクールなビジネスマンまでであえ無く満席。問答無用です。
だ、、脱力。
永久にこの空港から出られないんじゃないかとさえ思いました。
やっとこさ15:00発の便を取って、休憩所でひたすら待つ。

寝る。

やっと搭乗手続きが始まり、憔悴しきってフラフラ並ぶと、他の客はスムーズに機内に誘導されているのに、
「はい、こっち来てぇ。」
と、なぜか我々だけ再びボディチェックに連行された。そんなに怪しく見えたのか!?



さすがの森岡万貴も、この瞬間プチっとキレた。
「さっきもう済ませたし、くっ、靴まで脱いんだんすけどぉぉぉ(英語)」
と唾を飛ばしながらヤンキー風に抗議したけど、
「決まりだから。」
と、あっさりお縄。

に、、、二度と来るもんか、シカゴ、、

と悔し涙に袖を塗らしつつボディチェックを受け、クーラーのガンガン効いた機内に乗り込みました。

寝る。

15:44 ワシントンDCナショナル空港 着 
のはずが、
17:44 遭難し漂流の末 なんとか辿り、、、着いた、、ぁ

みたいな。
シカゴ13:00時発の便に乗って先に行ってしまったスーツケースが4つ、ポツネン、、とロビーの片隅で待っていました。
なんだかモノノアハレを感じた森岡万貴。
嗚呼無情。by じゃんばるじゃん。がんばるじゃん。よくやったじゃん。。。
出迎えてくださったのは、現地コーディネーターと通訳の方。連絡が付かなかったので、相当心配されていたようで、、、申し訳無かったです。
それにしてもあのシカゴ・オヘア空港でのドタバタ劇。とても1日で起きた出来事とは思えない珍道中でした。


ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港のタラップを降りた瞬間の心境。

Goooooooooooooooooooooooooooooooooooooooォォォォル!!!!!!!!!!!!(涙)(鼻水)


この珍道中は後世に語り継がねばならん、と、万貴日記史上最長の感動巨編になってしまいました。
最後まで根気よく読んでくださった皆様、ありがとうございます。(お疲れ様でした。)
初日から波乱万丈、走りっぱなしのワシントンツアー。はてさて、この後どうなりますことやら。。。


2002年08月26日(月) 徒然なるワシントンDC紀行(序) 珍道中への序奏

気絶から覚め、とるものもとりあえず“やんなきゃいけない事ノルマ”の山を切り崩しにかかった。
秋のコンサートのためのデモテープを作って楽譜をコンビニでコピーして先方に郵送して池袋に買い出しに行ってHPの作業をして、んで、、、あーーーーー、パッキングしなきゃ〜〜〜(涙)

やっと一段落した時には朝7時。
起床時間の、、、

15分前。


2002年08月25日(日) 徒然なるワシントンDC紀行(序) こらこら

今日はミュージカル「太平洋序曲」ワシントンD.C.公演に向けての、オーケストラ入りの最後の稽古。2度目のアメリカツアーという事で、若干落ち着いた雰囲気で終了しました。
で、明日荷造りをして明後日はフライト。
稽古に熱中していて後回しになっていたんですが、考えてみると、マ、マジで!?って泣きたくなるくらい、渡米前に済ませておかなきゃいけない仕事が山ほどあることが判明。
稽古後、いつものように役者さん方とオペラシティーのバーで飲んでても、なんだか気が気じゃなくて早々に引き上げてきました。
こういう時は、やんなきゃいけないことを箇条書きに書き出して、優先順位をつけて頭ン中を整理するに限る!イエィ!


と、書き出してみて、あまりの多さに、、、、

気絶


2002年08月12日(月) 夏の夜のうつつ

セミの鳴く声が、みんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみん

うぅ、うるせぇなぁ、、、

と、ガラの悪い森岡万貴を誘発しかけていたのですが。


夜、牛乳を買いにスーパーまで歩いていたら、壁にバッタンバッタン激突している大きな物体が。5、6回もがいて、パッタリと動かなくなりました。

・・・・・。

そこからほんの2、3歩、歩いたところで、頭上からすごい勢いで大きなセピア色の物体が降ってきました。危うくかぶりそうになったけど、それは地面に直撃して大きな音を立てました。ほんの短い間、私の足下で必至に羽を動かしていましたが、パッタリと動かなくなりました。

・・・・・。

そこからまた数歩、神社の中を通って、鳥居をくぐろうとしたとき、桜の木の間から、ブワッサブワッサともがきながら大きな物体が落下してきました。湿った土の上に着陸して、そしてパッタリと動かなくなりました。

・・・・・。

セミの声にイライラすることが無くなりました。

はかなきものよ


2002年08月11日(日) 熱帯和太鼓ジャングル

今日は、ミュージカル「太平洋序曲」ワシントンD.C.公演で使う和太鼓を選定するため、浅草の御輿・太鼓・鳴物・仏壇屋さん「岡田屋布施」に初潜入。国立大劇場小劇場・歌舞伎座・明治座・新橋演舞場などにも楽器を納入していらっしゃる老舗です。

http://www.tohshukyo.or.jp/members/mem040.html

大学に入る前からお世話になっている打楽器専門店「ジャパン・パーカッション・センター」(森岡万貴は、マレット類は全部ココで買っています)の斜め前にドーーンとそびえ立つ「岡田屋布施」ビルは、いつも気になってはいたのですが、明らかに「老舗でござりまする」というオーラを放っていて、何だか私みたいな小僧が足を踏み入れちゃいけないような気がしておった次第で。

今日は新国立劇場の制作、舞台監督さんとご一緒に。
ドトールのアイスラテを片手に仏壇仏具の間をウロチョロする森岡万貴は、明らかに浮いていました。ごめんなさい。

ご主人の引率で、「暖房が効いてます。」という倉庫へ。
なるほど。けっこうな熱帯で。

汗まみれになりつつ、楽器ジャングルの中からイイ音のする大太鼓、締太鼓、バチを選定。
不運にも私に目を付けられてしまった優秀な楽器たちは、早速明日には海を渡るのであります。
かわいそうに、これから想像を絶する過酷な温度変化に耐えなくてはなりません。
太鼓の皮は、もちろん本皮。アメリカでの張り直しは不可能です。
皮が破れなくても、気温・湿度の違いで、音色は全然違ってきます。全く鳴らなくなることも珍しいことではありません。

この楽器たちとワシントンで再会した時に、今となるべく同じ響きを死守していてくれることだけを願い、岡田屋さんをあとにしたのでした。


2002年08月10日(土) 私、なんか悪いことしましたか?

私は1ヶ月に1度は必ず血を見る。
出来れば見たくないけど、嫌でも見なきゃいけない。

毎度毎度、ビックリします。
なんて鮮やかな赤。

目覚めた瞬間に、不幸にもシーツが血で真っ赤に染まってたりするとですね、海底2万マイルくらいのテンションで、
「ガーーーン。」
と思います。

それにしても、なんて鮮やかな色のコントラスト。
純白のシーツに真紅のバラの花が咲いたみたい。

でも、見とれている場合ではありません。
放っておけばおくほど、凝固して落ちにくくなるので、海底2万マイルをモゾモゾと貼っている未確認の深海魚みたいな気分で、それでもなんとか洗濯をしなければいけません。

痛みで気絶しそうになりながら。(cf;6/14の日記)

これってこれって、なんかの罰?


2002年08月06日(火) ヒーリングって、

今日は、森岡万貴アーティスト写真の撮影でごぜいました。
お願いしたのは、

写真家 岡部好さん

です。みなさん、ココへ飛びましょう↓
http://www.okabe.u-hip.com/

なんとですね、なんとですね、ピアソラの写真も撮ってらっしゃたらしい。
うおおおおおおおおおおおおっ

そんなことはツユ知らずですね、その前にちょっとトラブっていた事があった森岡万貴は、あまりの暑さと止まらない汗も手伝って、ちょうど岡部さんがお見えになった瞬間は、森岡万貴史上滅多にないくらい

苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛苛(芋じゃないよ。)

しており、アドレナリン出まくりでギラギラしていて、「なんてコワイ顔の子だ。こりゃ大変だ。」と思われたに違いない、と、勝手に深く反省した次第です。

すみませんでした。

詳しくは言えませんがとんだハプニングのせいで、事前にしておくハズだったメイクやら着替えやらの準備が全く出来ず、大急ぎで応急処置をして、屋内と屋外、なんとか撮影終了。

撮影中、全然慣れていない森岡万貴を和ませようとして下さっていたのだと思いますが、カメラごしに色んな話をしました。
最初は当たり障りのない話から始まって、楽器の話、ちょっとプライベートな話、そうこうするうちに私も、岡部さんの写真についていろいろ質問するようになりました。

この一言。
「僕が撮る雲や花や風景....それらはすべて音楽の写真です。」
この言葉で、私はすっかり岡部さんが好きになりました。

そして、「雲」の話になりました。
岡部さんは、特に雲を撮ることをとても大事にされていると感じました。

墨絵のような。重い。モノトーンで。

ほんのちょっと話をお聞きしただけでしたが、なんだかすごく共鳴しました。

私もかつて、雲を眺めるのが大好きで、暇さえあれば静かに見上げていたなぁ。何時間も何時間も。でも全然飽きなかった。

早速家に帰って、岡部さんのHPに飛んでみました。
雲のページ。
そして壁紙のページ。私は泣きそうになりました。
心がほんとに優しい人なんだ。でないとこんな写真は撮れない。

ヒーリングって、受け取る側が感じることであって、「私はヒーリングミュージックをやってます。」なんていうのはおかしいと私は思う。
ずっとそう思ってきたけど、岡部さんの写真を見ているとなんとなくやっぱり正しいような気がした。


2002年08月05日(月) どんな夏?

ムショウに胡瓜の丸かじりがしたくなり、近所のスーパーで5本ばかり購入。
なんとも合羽な気分。

うちにいるハイゴケ(苔ね。苔。か〜わいいのよん♪)に、新居をプレゼントしました。
今までは磨りガラスの皿に住んでいたんですが、街を歩いていると深緑のイイ感じの陶器皿を発見したので、お引っ越し。すると、

古い古い、でも手入れの行き届いたお寺の屋根。

みたいな、落ち着いた佇まいになりました。大正解。


お風呂で寝ちゃって、指がシワシワになってしまいました。
首も寝違えてますね、こりゃ。アイタタタ。。。

そんな夏です。


2002年08月03日(土) 海の神の胎児の死体

夜の海。
裸足で波打ち際を歩く。何年かぶりの感触。
波の音、遠くの花火、なんてロマンチッ・・・んんッッ!?ななな、なんじゃコレは!?

暗くて足下が全然見えないので、油断して歩いていたら、危うく踏みそうになったコレは、、、何?
まず、生命体であることは間違いない。
グッタリしている。伸びきっている。波にさらわれて、汐にもまれて、そしてこの海岸に打ち上げられたらしい。既に息はない。

ライターで照らしてみる。
胴体におまけみたいなシッポが付いてて、手足があって、頭があるんだけど、耳がない。ツルンというかヌルンというか、とにかくのっぺりした頭部。よく見えないけど、色はアイボリーっぽい。

大きさは、デカいハムスターくらい。

友人は、
「胎児だ。」
と言い放った。

こらこら。こわいって。すごく。
もうこわくて直視出来ない。
友人は、
「海の神だ。グッタリしてるけど。」
妄想は膨らむばかり。
なんにせよ、踏まなくてよかった。本当に良かった。踏んじゃってたら、一生忘れられない感触が残るだろう。

私の知っている生命体の中で、一番近いイメージは、

宇宙人。
だって似てるんだもん(泣)

30分ばかりその場に立ちつくしていると、潮がどんどん満ちてきて、クッタリした海の神を再び波の彼方へさらっていった。

波打ち際には色んなモノが落ちている。波に乗って遠くの国からやってきたモノもあれば、心ない日本人がさっき置き去りにしたモノも。
今ここにある日本産のゴミも、何日か後にはトルコの海岸で宇宙船の破片と間違われるのかも知れない。

どこからきたのか、そしてどこへいくのか。

何とも言えない気持ちになった。

朝になってこの海岸を見たら、ゴミやら花火の残骸やら、魚の死体やら、ビールの缶や瓶やらで、裸足で歩こうなんて気持ちにはとてもなれないだろうな。
海の神の胎児の死体が落ちてるかも知れないし。


2002年08月02日(金) 熱帯夜じゃない夜

すんごい雷!!そして豪雨!!
絶対どっかに落ちてる!

夕方、仕事を終え、雨足が弱まった隙を見て脱出。家に向けてハチで雨の環七を走、、、れないっっっ!!

これがまた、至上最高の大渋滞。なんで今日、こんなに混んでるの?
ほんとに、めったに無いくらいの混み様で、1時間我慢してもちっとも進まず、あきらめて通りすがりのファミレスで混雑が収まるまで時間をつぶすことに。

あまりの渋滞に、すっかり干物に変身していた森岡万貴。あ〜、アイスコーヒー飲みたい〜
ファミレスの地下駐車場でハチを休ませ、表示に従って駐車場から直通の階段を上ろうとしたその時。

ザブン。ザブザブ。

へ?階段上るのって、こんな音でしたっけ?

・・・んな訳ありまへん。
思いっきり浸水してる、ココォ!(涙)

一瞬にしてビショビショのぼろ雑巾みたいになり、雨の日に足元を見ないで歩くのはやめようと心に誓ったのでありました。

それにしても、今夜は涼しいですね。久々の熱帯夜じゃない夜(←「や」と読んでね。ちょっと韻を踏んでるから)。


2002年08月01日(木) 印象的なキャッチコピー

人生は、修正がきく。


maki morioka |HomePage

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