2002年09月30日(月) 月曜の1限

やっぱまだ眠い。
学校モードにきりかわらん。

とにかく噴火おさまってしまいそうなんですが。

更新ラッシュ。
なんかチマチマと変えてるんです。
トラフグ廃止。

入り口2つあったけど1つにしましたよ。

だから!

これからわが王国に入るときは

www.geocities.com/kippekipp666 で。よろしく。



2002年09月28日(土) バチバチバチっとな!

今日はなぜか、誰もメッセに来なかった。
ダラダラしてたけれどもこういう時こそ更新だってんで
がしがしアップしてみたり。

そうです。
久々の更新です。夜中レンジに「お、久々やなー」って言われるくらい久々。

がんばるばの島根画像、んで、〒バイトから原付ツーリングまでの写メールをアップして更にはツーリング日記を別ファイルで掲載しはじめました。2番です。

これから2番はなんだかんだって駄文とか旅日記、写真コンテンツにしよーっと。

てなわけで、タカヒロウにはちょくちょくフラッシュを教えてもらいつつ旅行サイトを充実させてみようかな、なんちてぽてちんこ(produced by キダ)

ちなみにタカヒロウ フラッシュthanx again.当分色々教えてもらいますのでお覚悟を。


2002年09月27日(金) 前期フィニッシュ

3年前。そう、3年前に俺と大学で知り合った2人の友達は同じ時期に海外へと散っていった。

俺はカナダ、もう1人はニュージー、そしてもう1人はイギリス。

1年休学していたので同級生達はほとんど(ここでほとんどと言うのは留年している人達もいる。もちろん顔しかしらないから話をすることもない)卒業してしまった。

おとといの成績発表で幸運にも俺は前期の授業は落とすことがなかったし、イギリスに行っていた友達も卒業できるかどうか瀬戸際であったが、卒業の可能性が大幅に広がった成績で満足していたわけだ。

ニュージーに行ってた彼はバイトがあって成績の受け取りが今日だったのだが、彼は前期卒業を達成した。実におめでたい。

俺たちは学校でいつもつるんでいたし、テストの時はお互いを助け合ったりしながらなんやかやだったが、なにせうちの学部は関西圏で留年率がトップ。卒業するのはかなり大変で普段遊ぶことはあまりなかったし、休みのときはお互いの家が離れていることもあって、さほど遊んだりすることはなかった。

俺もイギリスの彼も、卒業単位はあとわずかで学校も1週間に半分くらいしか行かないから顔を合わす機会もめっきり減ることの予想は簡単につく。ましてや卒業を決めたニュージーの彼(バルカン野郎な王国としてリンクを貼っています)と会うことはほとんどないだろう。

実に寂しい事だなーなんて。4年の大学生活と1年の留学生活。考えてみればあっという間だった。先日の卓球祭りの帰りにキダ君に漏らしたが、俺は22年と数ヶ月今まで生きてきたが、やっぱり早かった。時間の流れっていうやつが。

小学校6年の時からうすうす感じてはいたこの流れ。不遇な高校時代は3年間が数十年にも感じられたが、大学に入ってからはまさに通学路に落ちてるエロ本に飛びつく発情しまくりの中学生並の早さで時間は過ぎていった。

でも、これからの将来について俺は全くの展望がないわけではないが正直な思いは残念ながら「なんだかなあ・・・」というものなのだ。

誰かもそう言っていた。今は名古屋に住んでいるカナダに留学行った時知り合った友達が突然俺に送ってきたメールも全く同じだったことに驚きを隠せない。

「なんだかなあ」

なんなのだろうか。大学生活、俺は充実しているように傍目には見えると思う。実際自分でも楽しめたと思う。この爆裂キングダムも俺の裸フェスティバルを見てもらいたい事と、その頃はまっていたヒスの服を公開するっていう目的でやりだしたことだ。

19歳の時フィリピンでの脱童貞から始まり、22歳で原付での本州1/4周に終わる。その間にもカナダ留学はもちろん、インドやフィリピンアゲイン、北海道の女との遠距離なんてのもあった。思い起こせば色々だ。

今は服の趣向も変わったし、その女とも別れたり。5年という年月は短いものではない。俺はこの4年で何かを得たのだろうか。何も得てないのだろうか。進歩したか?してないのか。

周りの状況は刻々と変化していくのに俺に変化はないのか?川の上流の石はゴツゴツしているが河口に下るにつれ小さく細かく変化していくというのに俺は時の流れの中で何も変わっていないのだろうか。

それよりも俺は変わりたいのか?とすれば何に変わりたいのか?
無意識のうちになんらかの変化があったりしてるのか?

わからない。そう堂々巡りのような思案に明け暮れている間も時は流れていく。





2002年09月26日(木) カナダに行く同級生

中学校の時の同級生となんか、偶然出会って話をすれば来月からカナダに留学に行くという。

俺としては「1年、実りあるものにしてこいよ!」と送り出してやりたい所で、晩飯でも一緒に食いに行こうかと昨日誘ったばかりだ。

今日はその当日だったが何も計画ができていない。タカ、スペイン仮面そしてレンジならともかくキダ君なら「おまえ、なにやってんねん!」と俺になりかわりてきぱきと計画をたててしまってるだろう。(案外めんどいとかって言い出すかもしれんが)

で、結局昼下がり位に俺は妹に頭を下げてまで借りた、本来は兄妹用の車を借りることができてそれで友達を迎えにいったわけだ。

やっぱり計画はなかったので隣の市にある映画館に行くことにした。
今更ながらオースティンパワーズがまだやっていたし下品な事が大好きな俺は、ゲストを説得してまでそれを見ると言い張った。

言い張るのは悪い癖だと思うけど、バイオハザードとかリターナーよりはましかと思ったし。

結局オースティンパワーズを見てる人は俺たち2人を除いて他2名のみ。
前の座席に両足を乗せて見ました。

劇場には俺の高笑いが時節響き渡りましたが、面白いんだから笑って何が悪い。ちょっとイキってるようだけれどあの映画、字幕よりも聞き取った方がやっぱ面白い。DVDが本気で欲しくなりました。でも金がもうないので買わないと思う。

見終わって、俺は爆笑しきって大満足だったしゲストも映画もさながら爆笑する俺が面白かったらしく満足していたようなので問題なしです。晩飯をガスとで寂しく食って、家まで送ってやりました。

今日はこの後も用事があったのでタカヒロ宅の近くまで行ってスペイン仮面に紹介してもらった会社に送る履歴書とパスポートのコピーを渡して本日の業務は終了です。

学校?あははん。成績よかったから木曜日はお休みなんだよね。1限はあったけどそれだけやったし。だからこの日は後期、定休日。



2002年09月25日(水) 保身

待ちに待った成績発表。
前期、テストは全て合格。とりあえず大量に申請した前期の授業、どれかは落とすと思ってただけにラッキー。おかげで後期は何日か休めるっぽい。

これに気を許すことなく卒業に向けて精進。


・・・・・・・・・・・・・・

そういえば、遠距離恋愛してる人がいるんですが、どうもそっちでモメまくってるみたいなんです。それで俺がなぜかとばっちりを受けてなんか責められた事にむかついているんです。

あ、例の( ゜Д゜)y─┛~~ の方じゃないですよ。
別のほうです。

で、どうも話を聞く限りでは♂の方がどーも、俺が思うに問題ありなんですよね。多夫多妻制には俺、諸手をあげて賛成ですが「ばれないように」かつ「夫人への愛は平等に」これができればいいと思うんですが。愛のないセックスであってもね。まあ、これは女性陣から身勝手だと非難受けそうなんやけれども。

 しかし彼はどうも違う。彼は俺なんかよりもっと外国に行ったりしてるし、その点については素晴らしく、独自の考え方を構築できているから、社会にもそれを活かして貢献できるかもしれないけれども人をバカにしたような態度を取る傾向があるんです。

 そう感じているのは悲しいかな俺だけじゃなく、その他の人もですよ。ここで俺が言いたいというより受け売りなんですが、タカヒロサイト(性感帯)ででてくる信行っていますよね。不特定多数の人々に射殺されたり、刀もってテンプラ食ってたりする彼。俺はいつだったか、彼が昔、俺がまだ部活してた頃だったから中学の時だったかに言ってた言葉(彼も受け売りなのかもしれないが)そのまま当てはまってるんじゃないかと思うんです。長くなってしまうから簡単にここで書くと「真の勇気」とはっていう聞くからに臭そうな話。実質、どんなに自分が今まですごいことをやってきて経験してきても、人の話に耳を傾けて自分が間違っていればそのまま自分の方針を貫くんじゃなくて、周りの意見を採り入れて軌道を修正できるのが勇気なんだと。
レンジは前にその話を聞いたって話をしたら「あいつが一番できてない」って鼻で笑っていたけれど、彼ができているかどうかは別にして自分の中には大きな言葉になった事は事実です。

話は戻るけれど、彼は信行ストーリーそのままで色々やり遂げて来ているけれど自分が一番で、聞く耳を持たないという印象を感じずにはいられません。だからこれから浮気しようとしてる相手から「彼女いるんだから無理」とかって突っぱねられたら「このケチ」とか「バカ」とかって発言になってくるんじゃないかと思うんです。

その彼の彼女も彼が浮気しようとしてる女も俺は知ってる人で、後者の女の人は以前に比べて人間的に成長しているのは事実ですが、彼は昔のままだと思っているようです。大して大きい問題でもないと思うし、そんな私事をこんなみんなが見るところでダラダラと書くのもどうかと思うけれど、彼は自分が傷つきたくないのかどっちにもいい顔をしようとしてるのは事実で、今思えば彼の成し遂げてきた事などはすべてなんだったのだろう。彼の存在が小さく見えて仕方ないです。

俺も自分の事を棚に上げるつもりではないから偉そうな事をいえませんが、彼はまだ甘ちゃんというか頼りない、経験が身についていないのではないか、そんな印象を受けたりしてみたり。

ま、誰も彼も自分がかわいいからな。保身に走ってしまうんでしょう。
俺?うふふん。知らんな。



2002年09月24日(火) 学校がはじまる

夜更かしの癖ついてて、学校では朦朧。

英語のクラス、やばいぜ。
しゃべりやばい。

てか髪切ってすっきりさ。


2002年09月23日(月) インディア玉突きピンポンポン

今日、昼間は大阪の方に出てたんです。
で、夕方5時からタカヒロウ きだくんとスペイン仮面で遊ぶ約束してたんです。最後の夏休みで最後の日。ま、みんなではしゃいでやろうと。

てか5時に指定してたキダ君が5時に起床で大遅刻。まったく話になりません。で、タカヒロウ宅に着くや否や大槻ケンヂのアルバムをかけて「ぼよよんぼよよん」と踊りだし、おまけにミッキー&ミニーのビデオを強制的に見せようとしてきたのでここは正義の力で拒否しました。

見たくないねんもん!

俺はそうさ。みっきーは嫌いさ。

どぶねずみなんだもの。


それはともかく。玉突きに出かけたのですが、悠々と飯を食って出てきたキダクン以外腹が多少減っていたので、玉突き場の近くにあるインド料理屋で飯を食らうことにしたのです。手でくらってやりましたとも。
ええ。

スペイン仮面も手でくらってました。うまいんだから。
バイトの女の子もかわいかったし。
飯もうまかった。

キダクンとタカは俺たちを見て「野獣だ」とかいうてたけどひつれーよ!
全く。

で食後俺はバイトの女の子に絡まず、厨房のコック達に絡んでみたり。
はははん。

で玉突きです。

突いて突いて突きまくってきましたよ。
スペイン仮面はソフトタッチで強かった。キダクンはもう少しブレイク破壊してくれよ。タカもなかなかうまいでよ。

その後卓球にいったのですが。俺は卓球が嫌いなんです。
へたくそやから。

でもキダコーチに徹底的にしごかれて、多少うまくなりまして。パンツ1枚でやってました。汗がでまくるし。息あがるし。そしてこんどはカットの魔王スペイン仮面に回転を教わって結構今日1日で腕はあがったかと。

うひひひ。
タカヒロの変則打法をなんとか攻略したい。

結構卓球おもろいやん。またやりたいが。

またやろう。やろう。



2002年09月22日(日) のんべんだらりのプ

もう、疲れすぎ。1日ぼーーーーーーーーーーっとしてたって。おきてすぐタカヒロウから借りてるフレンズを見た後特にやることもないんで近所のレンタルビデオ屋でヘドウィッグアンドザアングリーインチとメメントそしてアメリを借りてきました。

アングリーインチ、俺はおもんないと。途中寝たし。新作やっただけにもったいなかった。

で、アメリ。オサレ映画やね。女優はかわいい。

てか映画評論はようせんのでこれはきだくんとこでやってるキダシネマをみてくれよ。でも最近彼の映画チョイスと採点はおかしいって我々キダンの中でささやかれてるんやけど。

まあ、参考にはなると思います。

一度キダクンとメメント見に行ったけど、俺まだ頭ごちゃごちゃなんであさっての夜にでもまたゆっくり見よう。


てか、俺ほんまに原付で旅行してたんやろか。まるで夢見てたみたいで実感がわかないねんな。正味。



2002年09月21日(土) もぬけの殻

昨日帰宅。そして12時間程、丸太の様に眠りフレンズのDVDをみて昼寝。そしてまた夜、12時くらいに眠りについた。

もうね、体かなり疲れてるみたいや。


どはは。明日もぐうたらや


2002年09月20日(金) 9075

まっていてください ただ今執筆中 っていうてもたいした内容じゃないけど


2002年09月12日(木) 小佐渡(佐渡島下半分)

この日は天気がよろしくなかった。
朝から曇っていたわけで、今にも泣き出しそうなそんな天気。
明日は赤泊からフェリーで本土に渡る予定だったので、さやかの家から
どれくらいで着くのか、そしてフェリーの時間の確認をしておきたかったわけだ。

で、突撃。しょっぱなから道を間違って両津空港だかに迷い込んでしまった。
両津空港。国内線限定ってわけではない。セスナとかそんな飛行機だけが
発着できるっぽい、だだっぴろいコンクリート広場だった。そこを俺と同じ系列の
カブに乗ったおっさんが滑走路を突っ走ってた。

迷ったけれどすぐに現在位置が把握できたので正しい道を走りまくりはじめる。
梅雨の時期に佐渡は激しい雨にやられたらしく、山間部に入ると結構
土砂崩れで迂回道と表示が出ていた。考えられないくらい細い道で急だ。

明日荷物満載で走れるのだろうか、と疑問を感じつつそれを口に出してひた走る。
どうも単車に乗りながらの独り言が多くなってきたようだ。

山の細道を抜けると、こんどは広い山道にでくわした。赤泊の港まではあと少しのようだ。
道自体、昨日走ったようないい景色でなく左右はうっそうとした林間道で多少退屈だった。

赤泊港について一服休憩。どうも時間を見間違えていたようだ。朝クソ早いフェリーしかない。
となれば俺は更にクソクソ早起きしてここまで来ないとダメということか・・・・
でも両津から新潟市に入ったら本土で余分に走らないとだめやし。

でもまあ、問題は帰ってじっくり考えよう。ということで小佐渡めぐりを開始した。
赤泊港には巨大な船がモニュメント風にどかーんと飾ってあり、その横には
観光案内版らしき簡略化された地図が備え付けられていた。
俺が持ってきた「ツーリングマップル」これはあまり見所が詳しく書かれていない。
道についての情報は結構あるのだけれど、「寂しい林道 気分が沈む」みたいな。
今回の観光名所もさやかが独自に集めた資料であるとかそういったものを参考にして
回っていたのだが、それにもなかった素晴らしいモノがこの赤泊港の地図には載っていた。

   おさすりさん

その横にイラストがかかれてあったが、それは間違いなく、チンコだ。
見なくてはならない!俺はそう強く感じて、独り言だ。
「絶対見るでぇ!」
どうやら隣の集落にあるらしい。俺は走りまくった。
その目的の集落(名前は忘れた。確か藤井やったかな?)
に入ったのだがその集落に入ったことを示す標識の下にも
「性の守り神 おさすりさん」との表記が!

心は躍る。どこぞに「おさすりさん ココ」と書かれた看板はないだろうかと
佐渡一周線をつっぱしる。雨がパラパラ降ってきたが気にしていられない。
しかし、俺はその集落を出てしまった。「なんでっ!?なんでないねん!?」
俺は一里塚というちっこい公園らしきものに単車を止めて地図をチェックしていたのだが
その時に不幸は起こる。

うっかりしていてメットを脱いだ瞬間落としてしまったのだ。

ガシャーン!

ヘルメットに取り付けられていたパトライトのプラッチック部が割れた。
俺はあわててスイッチを切り、破片を集めとりあえずメットから無残に砕けたパトライトを
はずし単車後部に備え付けられた箱にしまった。

雨足は強くなってきたので雨具を着て、さっき来た道を戻ることにした。
ここまできたら意地でもおさすりさんを見なくてはならない。


・・・・・・・・・・・・

集落の入り口まで戻ってきた。どうもわからない。ふと、目をやると非常に見にくいが
木でできた看板が。どうやらこれがおさすりさんへと導く道しるべではないのだろうか?
俺はそう感じてわき道に入っていった。タンボが広がり道はどんどん奥へとすすむ。

結構登ってきたところで分かれ道にさしかかった。しかし、その各道がどこへ行くのかという
表示はあるが「おさすりさん」のおの字もない。行き過ぎてしまったか。
直感的に感じた俺はまた、注意深く戻っていく。すると、じゃりみちが脇にあるじゃないか。

「ははーん」

そう思って俺はそのジャリ道を突き進んだわけだが、登山道のように道が悪い。
整備されていないようだ。わだちの上を慎重に走っていくと、今度は畑に出てしまった。
しかし道はまだ続いている。「道間違ってるかもしれない」そんな思いが出てきたけれども
「おさすりさん」がもしかしたら奥にあるかもしれないという思いで俺はさらに単車を
進ませた。するとどうだ!

じゃりで道の悪い急坂をのぼりきったら、道がなくなってる。

悲惨。山中にあるタンボへ行く道だったようだ・・・。
俺は何してるんだ。おさすりさんを求める俺はがっかりしながら来た道をまた降りていく。

その分かれ道から佐渡一周線に戻るまでもう分かれ道っていう分かれ道はない。
チンタラ単車を走らせてその一周線に戻るかどうかって時に俺は鳥居を発見した。

行きは結構飛ばしてたからわからなかったけど、どうも公民館の横らへんに鳥居があった。
「ここにおさすりさんがいる!」俺は単車のエンジンも切らずに鳥居へダッシュ。

いた!ここにいた!巨大なチンコをかたどった石の像。その横にはほこらがあって、
正面から勃起したチンコをかたどっており棒は長くなかったけれど左右の金玉に
それぞれ、男女の神様らしき人達が彫られていた。

ううむ!賽銭を入れて性に関するお願い事をしようとしたけれど賽銭箱はお堂にしまわれていて
鍵かかけられていたから、俺はおさすりさんを言葉どおり、さすって写真を撮り大満足で
その集落を出た。

次は初日俺の上陸地点、小木でのたらい舟だ。

おさすりさんの集落から小木までは大して時間はかからなかった。
着いてすぐにたらい舟乗り場がわかったので、雨もやんでいたしクソだるい雨具を脱ぎ
チケットを買いに窓口へむかう。

なんぼやったか忘れてしまったけれど、想像以上に安かった。
余談になるが、新聞で見たが佐渡のたらい舟を作る職人が減りつつあるそうで弟子入りしたのが
アメリカ人。彼は技を盗むという日本の職人に驚きつつもたらい舟職人の下で働き続けたらしい。

彼が帰国してその師匠が亡くなったらしいが彼はたらい船職人だけでなく色んな船大工の
元で勉強しつつ、弟子がいなくなって技が継承できないその船大工の技術であるとかってのを
資料に残す作業をしてるんだってさ。

てのはともかく、たらい舟に乗ろうとしたら海女さん?船頭さん?のおばちゃんたちが
「若い子きたで〜ほれ、あんたいきいや!」って同じくらいの年の子に船頭させようとしてたけれど
そこから何かが起こるなんて俺はちっとも期待はしてませんでしたが。
で、ぎっこぎっここいでもらって、たらいの船は動き出しました。途中こがせてもらったけど
非常に難しい。同じところグルグル回るし。その船頭してくれた女の人にこの辺でうまい飯屋を
たずねたら結構あるらしくて、たらい船終わってすぐに教えてもらったソバ屋に向かった。

そのそば屋に入ったら誰も出てこない。仕方ないのでそこらの椅子に座ってたらオバハンが
「なんや客か めんどうやな」みたいな感じの不機嫌さで出てきたがメニューがない事に気づいた
のでとりあえずソバを1人前頼んだ。オバハンはすぐ奥にひっこんだんだけれども隣の部屋では
テレビの電源が入っているようですさまじい音量で黒柳徹子の声がソバ屋にこだましていた。

徹子の話に耳を傾けていた俺だが、しばらくすると無言でオバハンがそばを持ってきた。
麺の形が不ぞろいだ。ううん。いい感じじゃないか。俺が今夏島根で食ったソバもそんな感じだった。

そして味もいける。ただ俺の中でのソバキングは出雲大社鳥居前の坂途中に位置するソバ屋だ。
佐渡のソバ屋もうまかったが残念ながら俺の中でのランキングでは3位くらいになってしまったのだが
誰も文句はいうまいて。

軽くソバを食らい俺は更に西へと走った。そう。沢崎灯台を目指して。ってその沢崎灯台が有名なのか
どうかは俺はしらない。ただそこに向かう途中、鼓童村というのを発見した。
佐渡島と言えばクソでかい太鼓をどつきまくる和太鼓集団(適切な表現かどうかわからないが)
鼓童(こどう)だそうで今回の訪問で見れるものなら見てみたいと思っていたのだけれども
残念ながら祭りのシーズンを外してしまった為に見れなくて残念がっていたところだったので
この思いがけない隠れ村の発見はまさにキタキタキタキタ━━━(゜∀゜≡(゜∀゜≡゜∀゜)≡゜∀゜)━━━━!!

村に侵入してみると看板が下がっていた。その看板には「一般公開はしておりません」
興味をそそられるのは俺だけではあるまい?俺はその隠し練習場なる道場みたいな建物の周りを
挙動不審に調べてみたところ、どうも窓がある。しかもあいていたので覗いてみたらなんと
やはり巨大な太鼓が安置されていたのだ。その周りでは例の鼓童とおぼしき人物がドンドンと
一定のリズムで太鼓(若干小さい)を叩いている。

写真に収めたかったが一般公開は禁じられているという事で無断で写真とったら、鼓童にとっつかまって
太鼓のバチでぼこしばきにされることが怖かったし、生命保険が・・・・・


嘘です。ただ怒られるのがちょっとめんどかったのでやめたのです。とにもかくにも
怒られたら時間がもったいないし、疲れてるときに怒られてもまじめに反省してる風を装えない
でしょ。え?関係ないけど怒られなれしてるから。話は逸れるけどキダンはまちがいなくそうでしょう。

で。で。

鼓童村は抜けまして。灯台に向かったのですがほんと人っ子一人通らないんです。
しかも薄暗い天気やし。ちょっとセンチメンタルになんかなってくるしどうも、しょうもない独り言
が増えてくるんですよね。

灯台が見えてきたら「みえてきたでおい」みたいな。
「キタキタキタキタ━━━(゜∀゜≡(゜∀゜≡゜∀゜)≡゜∀゜)━━━━!!」って言うたこともありますよ。

そんなもんでしょう。で例の西端、沢崎灯台に到達しました。なんかね、曇り空に回り誰もいない。
んで海。ここでヤニをすらったんですが勝手に俺は「バイカーやな・・・かっこええなあ」と
原付であるにも自分に危うく惚れかかってしまったり危なかった危なかった。

景色よすぎるんです。しかもこの辺の海岸は砂浜もこっから少し走ったところにあるんですがそれまで
は溶岩が固まったっぽい黒ずんだ変わった形の岩がゴツゴツしてまして。なんか妙なけれど
美しい景色を演出してましたよ。またその間にならべられた漁船もいい味だしてたんですけど
景色に見とれてたもんで写真撮るのわすれました。

西端までいったものですからあとは両津に戻るのみ。
昨日折り返したホテル大佐渡までは行かないけれどそこの途中に「佐渡ゴールドパーク」
なるものがあるんです。

そこはなんと砂金採り放題。たまりませんね!てか30分限定なんですが。
もちろんいきました。初級コースでやってみたけれど採れない!採れなさ過ぎる。

やり方教えてくれるおばちゃんは結構ガンガン採るんですが。でも腰使いと同じように
手に持つ巨大なプラッチックの皿を「の」の字に動かしていくと結構いけるんですよ。

観光できてる見知らぬ老年夫婦に絡んで和気藹々と砂金をすくってたらあっちゅう間に終わって
しまって。予定ではそこで一攫千金。大金持ちになる予定だったのに。
キダンで来たらかなり遊べるだろうな、と思いつつも誰もこないだろうと軽くあきらめてそこを
あとにしました。

今日の日記は長いね。あと少しさ。

そっから、しばらく行くと果物の直売所があったんで寄り道。
さやかのお母さんから「ゴールドパーク周辺はうまい果物がとれることで有名だ」と聞いていたから
バラで果物売ってないかな〜なんて寄ってみた所、袋入りで10個とかまとめてでしか販売して
いなくて、バラでは売れないと言われてしまったんだけれども販売していた梨が売り切れた
が試食の梨が大量に余ってるから全て食べていいと言われたので、俺は
「そんな、試食の全部食べていいんすか〜」なんて口では遠慮してたけど結局全て平らげました。
それから店のおねえさんっていうても若い主婦の方っぽかったその店の人とゴールドパークの
事であるとか、佐渡の話を30分ばかりしていてそろそろ行こうかとなった時に
「これあげるわ!」と巨峰を一房いただいてしまった上に「ここに行けばバラで売ってくれるかも」
と近くの農園の地図をくれたので、それを頼りに農園に向かったところ、農園の人は
突如原付で現れて「りんご、バラで置いてるって直売所できいたんですけど・・・」
と関西なまりで話す妙な男に驚いていた風だったが、原付の後ろに貼り付けられた

兵庫>新潟>東京

と書かれたマグネットを見ると事情を察したのか「傷物で売り物にならんけど食べられるよ」と
りんごを3個ほどくれた。ただで。ジゴロ万歳。

しばらくその人々と語らったあと、「がんばれー」という応援を背中で聞きつつ農園をあとにした。


真野市に入ってさやかが薦めている「佐渡伝説館」なる建物を発見したので見に行ってみた。
なんと入場券を買うとせんべいがもらえた。せんべいをバリバリ食らって建物に入ると
そこはロボットが動きつつ佐渡にまつわる民話であるとか伝説を語りだすのだ。

前半のロボは結構こってたけど後半になるにつれて、ちゃちになる。

出口から出たらお土産屋があってそこの販売員に色々売りつけられそうになったが
あまりに汚い格好をしているのと「俺、金ないんで・・・」という言葉でお土産屋
中盤から後半まったく誰も声すらかけてくれなかったのがさみしかったな。

建物を出ると前方に「アルコール共和国」とでかでかと看板を掲げている小さな小屋があり
無料試飲ができるとかで一人ではいり、かってに日本酒を2,3杯ひっかけて出て行った。

売り場のおばちゃんは終始無言だったから俺がそこに入った時点で「あ、こいつ飲みにきよった」
とオーラで悟られてしまったのだろう。

午前中に到着した赤泊までぶっとばし、赤泊から海岸線に沿ってひたすら、ただひたすらに
単車を走らせた。ほんま、ひたすらに。徐々に暗くなってくるし天気も悪いし。

無事さやか宅に到着して明日の朝についての計画を練ってみたりもする。
天気予報によると秋雨前線がさらに北上してくるとか。明日は雨やな。

海の幸をモリモリ食わせてもらって寝た。
明日は本州攻略やな。



2002年09月11日(水) 大佐渡(佐渡の上半分)

昨夜散々聞かされた恐怖トンネルとか、心霊スポットは押さえた。
あとはこれを避けて走るだけだ。となると、半分に分けたほうがいいだろうという結論に独りで至った。

ルートは以下のとおり。
(携帯サイトでごらんの皆様には表示されません。ご了承ください)
一番上のところには結構見所も多かったが、そうでないところでも海岸線いっぱいまで山が迫ってたり、のどかな漁村が点在していたり、俺の貧相な表現力では表現できないような美しい景色ばっかり。たまりません。

風も心地よくメットのシールド下ろすのがもったいない位だった。

また、賽の河原(サイノカワラ)という所では水子を祭っている場所で、はっきりいうて昼間でも


こわい



親より先に死んだ子供は三途の川で石積みを朝からさせられて、夕方に鬼にそのつんだ石を破壊されるという苦行を繰り返すことによって地蔵菩薩に天国につれていってもらう話があって、それを現世の俺らが手を貸してやれる場所らしく、その地帯には石がつまれまくり。崩さないようにサヤカ母娘から重々聞かされていたし、お化けがカメラに写りこんだら怖いからカメラは持っていかなかったけど、風車とか刺さってて「ここが、本殿」みたいなところでは標準語を話すおっさん集団がヤニをバカバカすらいながら、がんがん記念撮影してた。

怖くないのかYO!



けっこう歩きまして。あせも流れる。

そのあと温泉目指して走りました。途中で青の線はお化けがでるらしいと有名なトンネルなんで、それを避けるように探したんですが、どこもかしこもやってないし。帰り道にもあるそうなんでまあ、そこでいっか。

てなわけで佐渡金山。客は俺の他に誰もいないし。金山怖かったって。なんかリアルなロボが話ししながらうごいてやがる。何回声が出たか。晩飯の時ロボの一人が言ってたセリフを覚えていたさやかに驚きだったけども。

最後に位置する資料館。そこではガラスケースに手がやっとはいるくらいの穴があいていて、中に金の延べ棒が置いてあり穴からだせたら記念品がもらえるとかで俺は一人で30分は粘ってましたが、金がやたら重いのと絶対無理っぽいのであきらめました。

そろそろ両津に帰る時間なので俺は山道を抜けていくんですがそれがまたクソ急なんでびびりましたよ。ただ、その山(妙見山:俺の地元にあるのとは別物ね)高いんです。眺め最高!!!!!!!!ブラボー!

下る時にガスったけどもなんとかふもとに降りて温泉はいってきました。そして。
佐渡島っていうたら!トキ。

トキみてきましたってば。センターしまる5分前ギリギリセーフで。
ううん。遠すぎてあまり実感湧かなかったけども「ああ。あいつら・・・」

数匹いました。あれを実際見て正直「まじで絶滅寸前なんやろか」と思ってしまったり。実際そうなんやもんねー。

自宅に生存の証としてはがき送ろうと売店でトキ切手を買いました。で、両津に向かいながら道の駅で「あのソフト」なるソフトクリーム(激ウマ)と飲むヨーグルト(激ウマ)を食らい、今日もサヤカ宅に世話になる俺でした。今日は外食で長三郎っちゅうラーメンも食える寿司屋にいったのですが。

やっぱこれネタうまいわ



もうね この島のもんはなんでもうまい。山海の幸にあふれすぎ。
はあー すみてえー(60くらいで)

みたいな。実際この島はIターンいうて退職後やってきて住みつく人が多いんだそうで。ううん。俺もそうなるんかいの?みたいな。

結局ここはサヤカにご馳走になってしまって帰路についたのです。
明日は小佐渡(下半分)を回るのです。

走行距離160キロ


2002年09月10日(火) 富山>新潟(直江津)>佐渡島

9時に目覚めた。昨夜はビールをご馳走になりながらダラっとしゃべって寝たのだがホスト・にしけんは8時から仕事に出て行ってしまい俺はおっちゃんに飯を食わせてもらった。これも、うまい。

俺はペロリと平らげて荷造りをはじめる。富山の宇奈月温泉に入る予定やったんやけど、おっちゃんは俺に更に奥に位置する「栃の湯」をお勧めしてくれた上に、無料券までくれた。

いかずにはいられない。俺はカブにのりただひたすらに黒部渓谷を上っていく。路上にサルが出てきてあせったが、箕面のサルとかとちがって人に慣れてないようで俺の単車が走ると逃げ失せた。

その栃の湯は露天風呂でもあり、そこからは山と川が一望できるすばらしい温泉だった。今日は昼過ぎにここを発ち、夜に佐渡に着く予定。

しかし実はここで情報の交錯があって(原因は俺の勘違い)ホスト側と少し混乱があったりもした。佐渡に渡るフェリーは直江津という新潟にある港から出ている。途中休憩した道の駅でカニをめぐんでもらったりチンタラ進んでいた俺だが、その俺が乗ろうとしているフェリーは6時半だったのだが、新潟に向かう途中でなぜか6時45分と俺は思い込み危うく乗り遅れるという結果になりかけてしまったりもしたが、なんとか直江津港に到着。佐渡目指して進む。

夜の佐渡島、ひたすら両津に向けてカブを飛ばす。途中、地元の若者にからまれた。

「どっからきたのか」「これはテレビか」「なぜ原付なのか」

などと聞かれたが彼らは非常に親切で俺に両津まで裏道を教えてくれるだけでなくわざわざ、佐渡で世話になったさやかとの待ち合わせ場所まで、先導してくれた。
いいやつだ。でも病院の駐車場でたっしょんしてたけどな。

でさやかと会って彼らとはおさらば。
さやかんちでサヤカのおかんとご対面。


やたら若いし。びっくりや。


例によってうまいもんをたらふく食わせてもらってほんと、感謝しきり。
さやかとオカンは明日仕事あるので俺は独りで島をまわるんで、それについての情報を仕入れて作戦というか、どうまわるか考えて眠りにつく。
ちなみに親に頼んでここまで免許を速達で送ってもらう事にした。

走行距離 不明(まだ無免許)


2002年09月09日(月) 兵庫>富山

今日、俺が家を出てしばらく走ったころ、やっさんは旭川に向けて飛び立った。俺は寝坊で予定より大幅に遅れてしまった出発だった。てか、夜3時まで用意してたから早朝から起きれるはずもなく。

そして兵庫>京都>滋賀の琵琶湖沿いを走りつつ「今日、にしけんのすむ富山に着けるのか」と考えると写真など撮る余裕もなく、ただひたすらに俺のカブを走らせる。やっぱ50ccってしんどい。原動機つき自転車。あははー

で福井について一息入れてるときにやっさんは旭川に着いたらしい。なんとも、飛行機の恐ろしさを思い知ったのだが、ここで俺は恐ろしい事実に直面する。

あ、免許ない




出発前、確認したまま机の上に忘れてきた模様だ。ここから引き返せる距離でもない。ましてや引き換えしたところで再出発する気力はなくなってしまうだろうし。

でもまだ1/3までしか進んでいない。

結局強行。without ドライバーズライセンス

ポリスにおびえながら、進む俺。富山に入りしばらく行ったところで通り雨に遭う。慌てて雨具を着用しにしけん宅に向かう。

12時間くらいかかってようやく到着。
おばちゃんが出してくれた飯はどれもこれもうまく、俺は激しく食らった。

俺の旅はまだ始まったばかり。明日はメインの目的地佐渡島だ。

走行距離 308キロ(無免許)



2002年09月08日(日)

まだです


2002年09月07日(土) パパパ阪神タイガ〜ス〜

かった〜かった〜またかった〜

今日は歓迎祭り2日目で甲子園に行くことになりました。
プライベートで今シーズン行くのは初めてだったんじゃないだろうか。
仕事で行っても全部負けるし、北海道まで応援にいっても負ける。
俺が応援したら負けるとみんなに言われ続けているが去年巨人に勝った
記憶がまだ昨日のように思い出される。
あの興奮をもう一度・・・・
ライト外野指定席は残念ながら売り切れだったのだが、ここは甲子園でバイトしていた俺の力を用いて、1400円X9人=12600円が無料。

最高だぜ。

さあ!応援だ。俺が応援しても、勝てる!

ってことを!証明してやる〜!!!

昨日のゲームはすばらしく、檜山のタイムリーで先制点を・・・・・


(以下略)


終了したあと、俺はスペイン仮面と応援団の万歳三唱をはしごしていた。
やっさんたちは球場の外で待っていたのだが俺は甲子園で2回目か3回目になる勝利に酔い、酔っ払い(アルコールはビール1杯のみ)球場でひとさわぎして今度は球場の外で騒ぎ始めた。

大騒ぎは連鎖する。はっぴを着て、歌い出したらわらわらと阪神ファンが集まってきて、バカ騒ぎゾーンができあがるのだ。その一部始終を目撃したやっさん。驚きの様子だったがこれぞ阪神甲子園球場。

あちらこちらでバカ騒ぎしている。

ある一角でさわいでたグループ。ひたすら阪神の応援歌やら六甲颪をうたいまくったあげく「梅田で騒ぐぞ!阪神ファン!」と音頭をとって移動を始める。ぞろぞろ続くで〜

彼らは駅前でも大騒ぎしていて、キダンややっさんたちはお疲れモードだったので俺たちは電車に乗り込むことに。もっと騒ぎたかったのに・・・・

と思ってたら例によってその梅田で騒ぐ阪神ファンがやってきた。
電車に乗り込んでも大騒ぎ。横浜戦やったのに巨人けなしてるし。

東京ドームはコンドーム!
長嶋親子はバカ親子!
ガルベスみたら110番!
白豚チャーシュー江藤!

などなど。
途中停車駅の尼崎についたら「アッマガッサキッ!!」と大合唱が始まり扉が閉まれば、蛍の光の大合唱に変わる(電車の中です)

で、梅田に着いたら着いたで「梅田に着いたぞ阪神ファン!パパパ阪神タイガ〜ス〜♪ろっ〜こ〜おろ〜しに〜」

と六甲颪を歌いながら改札に向かう恐怖の阪神タイガース応援団。
とにかく大騒ぎしてました。

やっさんとこのガキンチョが観覧車に乗りたいというので俺たちはそのままのテンションでヘップ5っちゅう名物建物の観覧車に向かいまして。そこでまた大騒ぎしてやりましたけども、激しく、カップルだらけの中ういてましたね。観覧車でも大騒ぎ。

大騒いだあとで、飲みに行くっていうけれど子供託児所預けるのもなんやし、俺も金が底をつきまくっているので自宅にやっさんの子供連れて帰りました。なぜか帰りで同級生3人に会ってなんだかんだ子供を交えてUSJばなで盛り上がって帰りましたとも。

ガキンチョと風呂に入って爆睡。君のそのポークビッツも俺みたいにどす黒くなるんやで〜ひっひっひ(´∀`)

明日、亀岡に行くときやっさんにお返しです。今日は我が家でゆっくりさせますよ・・・


2002年09月01日(日) 八百万(やおよろず)の神の国

今日から、幼馴染でまれに俺のサイトに来るスペイン仮面の実家のある島根に行くのですが、さすが我々具体的なプランが白紙のままこの日を迎えてしまいました。

スペイン仮面は車の免許がないこともあり、バチクソにタカヒロ(カプビー管理人)の運転に頼る予定だったらしいですが、これにはタカもびっくし。
保険の関係もあって、俺が運転できぬし。

バスで行こうとなったけど片道6000円ほどするし、電話したら席は満席やったし。

で、青春18切符で行こうという話になり、のんびりしてたらここでやっさんとメッセしてた俺は18切符の販売が31日までやったということを知る。

で、大急ぎでスペイン仮面がミナミの金券ショップに走ってなんとか、18切符をゲットしたのでした。

10時くらいに出発したのだけれど、この日は姫路までしかいけず、そこで野宿とあいなったのですが適当な寝床がない。で仕方無しに歩道橋の上で寝てたのですがやたら俺がホームレスに見えまくるとタカとスペイン仮面に言われてしまった。
別の薄暗い不動産屋の前がもっと野宿にいい環境やでってタカとスペイン仮面が進めるので行ってみたら不動産屋の前におもくそ塩がもってあって撤退したと。

ま、この日ははじめいうてた歩道橋にダンボールを敷いて寝ました。


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