2001年09月26日(水) クンバコナム>チダムバラム

昨夜はあれから最悪だった。
羽虫が入りまくってきて寝てたら顔にパツパツあたる。安眠妨害や。

蚊取り線香が消えてから正に最悪だった。
手足に虫よけ(インド産ですごい効く)を塗っていたがそれが塗れない箇所。いわゆる顔とか耳の裏とか。刺されまくり。

寝たのはおそらく明け方近くでウツラウツラしてたら宿で奉公してるガキが勢いよくドアをたたく。


殺すぞ!!!!!!!!!!!!!!!



要件は「チャーイはいりませんか?」

お前!そんな用事で叩き起こすな!!!!
それからぼーっとしながら荷物をまとめ、町をぶらつく事にする。なんか、でっかい建物があった。どうやら寺の様。
入ったものの、突然その辺で談笑してた臭いおっさんに

「入ったな!はい!50ルピー!!!!」
などと法外な値段を請求された。
入ってしまったものは仕方ないし、昨夜ほとんど寝てないので何もしてないのでくたくた。めんどくさいので腹立たしいながらも払った。

で更に奥へ進むと今度は腐れ外道のサドゥーがわけのわからん説明を始める。お前噛みタバコしながら説明すんなよ。金を請求されたが理解不能のふりをして回避。寺を出たらなぜか乞食が大集合!!!!


乞食だよ!全員集合!!!!!!

ふざけんな。胸くそ悪かった。
むかついたら買い物や!麻でできたショッピングバッグを買った。90円。

で宿に帰ろうとしてたら2人のインド人に絡まれる。だらだら喋って彼等と別れ帰る。

その時よく考えてたんやけど、もともとここに来た時この街には合わないなーっていう雰囲気は確かにあったのさ。で次なる目的地チダムバラムへとバス停に移動を開始した。12時過ぎくらいやったかね?

うんこは出かける前に2回して昨夜も出たがうっすらゲリクソンチック。
バナナのせいでしょ。1房ひとりで食ったからな。

歩いてバス停に向かう。せやけど地図がないもんで聞きながらやから大変や。ひとりは「あと200メートル」とか言ってたが間違いなく軽くそれから2キロは歩いた。着いた時は13時回ってたもん。

荷物がちょっとずつ重くなってきてるのか、疲れがたまってるのか、それとも体力が落ちたのか、すごいしんどかった。

なんとかバスに乗り込みチダムバラムへ。
ここはカーリーって神様の寺があってそこの生け贄をみたくてみたくて。
目玉の田舎町やってんけど着いた時は疲労困憊。話すのもだるいくらい。

こりゃ、弱ってるっていうので少し高いホテルに泊まる事にした。それでも1000円くらいでマハラジャ気分を満喫。

まず、蚊が一匹もいない。たまらないね!

テレビがある!!すごいね!!!
早速シャワーを浴びて飯を食いに下のレストランに行った。そこの従業員とムトゥの話をすると全員集まってきておおはしゃぎ。

挙げ句の果てにマネージャーがやってきて俺が少し歌ったら大喜びしてチャーイをごちそうしてくれた。すばらしいね。
ホテルにネットカフェ併設ってのもありがたい。で現在だらだら中。最高。

で、ダイハード2とターミネーター2を見た、ターミネーター登場する時すっぽんぽんシーンがカットされててどうやって出てきたのかが全くわからなかった。




2001年09月25日(火) タンジャーヴール>クンバコナム

目覚めて近所のレストランに行きエッグドサイを食う。昨夜食ったガーリックチキンカレーの重いパンチが効いて腹が悪い。朝1でうんこがモリッと出た。少しやわらかめ。
11時半位にチェックアウトして腰巻き第2段はステッチを入れてもらう事にしてたので縫製屋をバザールで探す。見つけられなかったのでまわりのインド人に聞きまくった。5ルピーで終わった。はやいもんさ。

昨日いったネットカフェ、帰り際に「明日ここ発つ前にもう一回きてくれ」って言われてたのでもいちどネットカフェに立ち寄った。従業員と話しまくり。
チャイとヤニを馳走になり俺は事務所でシンガポール航空からもらったトランプを駆使して様々なマジックを見せたさ。
ほんまこういうときって手品とかは役に立つ。他に日本のコイン、俺のナイフをみせてくれと頼まれたのでそれらを見せる。
ナイフくれ!ってせがまれて非常に弱ったが断ったさ。
従業員のひとりのゴパムと言う男が俺を昼飯に誘ってくれた。家で食うらしい。ゴパムの友達と俺とそいつで原チャ3ケツして彼の家に向かう。
おばちゃん紹介してもらって飯を馳走になった。かんなりうまかったぞ。でネットカフェに戻る途中バザールでバナナを買いに行ったのさ。

彼等に別れを告げ、バス停にいくがどれに乗っていいかさっぱりわからず。すると昨日電車であった悪ガキ達を発見。向こうも俺を見つけた。で次なる目的地クンバコナム行きのバスはどれか聞いたら一発で発見。きのう絡んでよかった。

バスは満員。完全に停車しないので慌てて乗り込む。出発である。
ネットカフェで教えてもらったタミル語を話すとやたらバス内でうける。
わいわいしてる内にクンバコナムに着いた。そこでは安宿を探すのに手間取った。なんとか見つかったがかなり汚い。便所のドアに”おれはここのバスルームででかいネズミを見た”っていう書き込まれていたのをペンキ上塗りで消してるっぽいのを発見してしまった。

取りあえず蚊がうようよしてたから取りあえず蚊取り線香たいて飲みものを買いに出かける。帰りに布屋の奴らに絡まれ道で配ってた広告で鶴を作ってやると非常に悦ばれた。


ビバ!日本文化!

ビバ!!ORIGAMI!!!!

宿に帰ってみると、なんとかカーントっていう俳優が来てるとかで通りがすごい騒ぎになってた。ラジニーカーンと以外全く興味無し。っていうか知らん。

その騒ぎを見物してた宿の隣にある機械工場で働く男イレバスンと話し込み軽い晩飯をもらった。そこでけっこうタミル語を教わった。

床にはコオロギが大量発生。
最悪だ。


2001年09月24日(月) タンジャーヴール

朝5時半位にマドゥライに到着。
今回の旅行でここは2回目やけど今回は電車の乗り継ぎだけ。
寝たのか寝てないのか頭がはっきりしない。
タバコを吸いに外にでたらリクシャのおっさんらに絡まれるも話しまくりの盛り上がりまくり。で、記念撮影。

朝7時にタンジャーヴール行きチケットを購入して乗り込む。
電車の中で眼鏡大学生ジョンとドミニクが話しかけてくる。ジョンはすぐ降りたがドミニクはティルチラパッリの大学に向かう途中でゆっくり話をした。
連結作業中彼と駅弁を買い食いした。長い1日はまだ続く。1時半に電車が動きだししばらく居眠り目覚めた所の駅表示が目的地臭いつづりやったので慌てて飛び下りるウが実は違う駅で動きだした列車にあわてて飛び乗った。
悪ガキ数人にからまれ歌ったり歌わされたりヤイヤイしとるうちに到着。3時過ぎ。
泊まる予定の宿は満杯やったので時計塔のほうまで歩いていくとなんとか安宿を発見した。街の規模の割に宿が少ない。
うんこしてからこの街の名物の巨大寺院を見に行く。少し迷ったがなんとか辿り着く。正門でなく横手からの侵入だったが露天のおばちゃんに話し掛けられるも会話が成立せず。疲れてたのもあってホドホドにして別れてきた。
門をくぐってもヒンズーでないため中に入れなかった。雲行きも怪しくなってきたので帰る事にする。ところが正面からでると妙なおっさんが寄ってきてネックレス1個を20ルピーで売り付けてきた。
いらんいらんと軽く流すと流されまじと今度は2個で20ルピーという。最終的には2個で10ルピー。よっしゃと買ってしまったがこれを持てと、もう2つ手に握らせてきて「なんや!?」と思ったら


「もう10ルピーよこせ」

速攻で返したね。向こうの手に握らせてやった。途中ネットカフェに寄るが日本語全く読めず。で、フォントをDLしようとすると4分の予定って書いてあるのに1時間半やって!


ふざけんな。

DLしてみたが一向にのろい。その間ひたすらソリティアやりまくった。その間に大雨が降り出してきた。しかもDLは失敗したので諦めて出ようとするが雨はまだ止まず。弱ってる所に従業員がからんできた。最終的に雨がやんでからも営業が終了するまでおらせてもらいペプシを馳走になった。さらに晩飯はお薦めレストランを教えてくれたりかなり嬉しかったんヤけど。
そこはお薦めされるだけあってヤバいくらいうまかった。あれ、ええんか?ってくらい。

会計して外に出ると又雨。小雨の中を急ぎ帰った。だらっとしてから風呂。
外出前に干した洗濯物は完璧に乾いていた。10ルピーで2個買ったネックレスの1つを少し短くして腕輪にした。うっかり窓あけっぱなしで知らない内に羽虫が入ってきまくり。

難儀した。


2001年09月23日(日) トリヴァンドラム2日目

■昼■
ついに独り。案の定今日も11時くらいまで寝ており昼飯を食うが、チェックアウトは昼12時までと知る。人のいい大将は13時まで時間を延ばしてくれた。宿の裏の食堂で飯を平らげて荷造りをする。F君はこのあとバスでゴアを目指すというのでバス停まで見送りに行くが止んでいた雨が突如降ってきた。まさにバケツをひっくり返したような大雨。結局彼をが出発しても雨は全く止む気配はなく、水かさは増す一方。どっかゆっくりできる所で時間を潰すために水の中強行突破することにした。
ひざまで水につかりながら10キロ近い荷物を背負って歩いた。ほんならその水の中で遊んでいた現地インド人が俺が歩く先を歩いて「ここは危ないぞ」とか肩を貸してくれたり、はたまた水が入り込んでない抜け道を教えてくれたりいろいろと親切なインド人に助けてもらった。

かなり体が冷えたので熱いチャーイを飲みたくなった。で、泊まったホテルの裏側にあるレストランに又戻ってきたわけなんやけどホテルの大将が「電車の時間まで預かっておいてやるのに!いうてくれたらよかったのに!!」と荷物を預かってくれた。パクられちゃうやろか?と思ったけどどうも別室に保管してくれるみたいで念のためカギをつけて、チャーイを飲みに行った。電車の出発は夜やったしね。
日記をつけて(帳面のほう)しばらくしてから近所でネットを小1時間ほどした。初めは日本語を読む事すらできなかったが勝手にフォントをダウンロードして読めるようにした。結構な数のホットメールがきており、たけぼうがサイトを開設した模様。日本にいるとき頻繁におくってきてたキダシネマを公開してた。ホテルに帰り(ロビーで座ってるだけやけど)取りあえず晩飯でもくうかと例によって裏のレストランに行く。5回目くらいになったな。ホテルのフロント(かなりバスの待ち合い室よりしょぼい)おっても従業員おったら間がもたんなーなんて考えながらも腰巻き(ルンギー)の着方を再確認。家族経営なのか大将の親父臭い人物に話し掛けると気よく教えてくれた。明日にはエキスパートになるやろ。
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■夜■
蚊がうようよいたので現地で買った虫よけを塗る。全く刺されなかった。おそるべしインド虫よけ。
足下が冷えるのでルンギーを着たままで更に時間を潰すべく今回の旅行での荷物の反省をしてみた。いるもの、特に使ってないものを書き出していったがやはり衣類の無駄がカサを増やしているものと思われ、雨具は案外重要というのを忘れていた。これを参考にしたら次回はもっと荷物が少なくなるはず。あと実質1週間。充実した日々を過ごしたい。

ちなみに現在トリヴァンドラムからマドゥライ行きの電車のなか。床にゴキブリもでる。しかも荷物普通に置いたら寝れないくらい狭い。揺れまくりもする。明日の朝6時に着いてタンジャーヴールに向かうで!っていうか買ったばっかりの麻袋が破れて凹んだ。しかも日記帳濡れまくった。


2001年09月22日(土) トリヴァンドラム

今日は1日雨。なんもする気が起きへん。
実質明日から独りで行動する事になる。
F君がルピーがきれそうと言うので小雨になった頃を見計らって両替屋まで行く事にする。
俺は雨具その他を持ってきていなかったので傘を、そしてカニャークマリ行きの地獄バスで時計を無くしたので時計を購入した。一旦宿に帰り明日からの予定をたてて駅に切符を買いに。
飯を食って猿の惑星を見に行った。映画館で蚊に食われた。


2001年09月21日(金) カニャクマリ>トリヴァンドラム

朝。ウワサの聖地で日の出と共に沐浴をする予定だった。


だが!


雨が降っていた。雨が降ってても沐浴に行く程俺は熱心なヒンズー教徒でもないし「折角来たから」と言って行く「折角主義者」でもない。よって爆睡していた。

F君は行ってしまわれたが。

案の定人はほとんど来ていなくてなおかつ寒かったらしく、F君が出て行って晴れてきて沐浴行かなかった事の後悔は帳消しになり11時過ぎくらいまで寝ていたのだがそれからホテルの向かいのレストランに入る。飯を食ってる時にやたら煙りモックモクの皿を持って来たおっさんが勝手にいろんな人に煙りをかけまくっていく。レストランは真っ白!

そのなかで一人のおっさんが金をなんぼか5RSくらい渡してたが、あれは物乞いとかやのうてお香の煙り売りらしい。よく俺らもお寺で線香買ってそれ頭にかけたら賢くなるとかってやるやん?それの出前というか煙売り。こっちは落ち着いて食事ができなかった。

チェックアウトして次の目的地トリヴァンドラム行きのバスに乗るため1キロ程歩かねばならない。F君はリクシャーに乗って行きたかったらしいがたかだか1キロ、歩いて行こうと主張した。

でバス停でバスが来るまでの間バス停にたむろする現地の男達と話をする。ムトゥの話はやっぱりこの州を旅しているとどこでも出てくるわけで物まねや、歌を口ずさんだらやっぱり大受けする。

彼等からしたらどんな感覚なんやろか?尾崎豊を日本に旅行で来たインド人が歌う、そんな感じか?よくわからん。それから1人また1人と「昼飯や」と自宅に帰って行くインド人達。木陰で昼寝し始めるものも現れた。

バス停にいるブロンド女性に話し掛けると仏人で大学を2年休んで旅行しまくってるらしい。うらやましい話で。

_________バスに乗り込む_______

着いたが雨多い。宿探すのに結構ふらついた。予想してたよりでかい街でびっくりする。


2001年09月20日(木) カニャクマリ

明日でやっと1週間かという感じがする。毎日慌ただしく動いている割に時間経つのがいやにのろい。昨夜のバスはチェンナイ→マドゥライに比べ悪路でバスもしょぼしょぼだったので一睡もできるはずもなかった。どれ位すごいかというとケツが浮くくらいバスが跳ねまくるのは普通で、対向車が来たら左半分道路からおりる。うっかりしがみつくのを忘れると廊下に転がり落ちそうなくらい傾くのだ。それくらいすごい。のんきに寝てられるか。座席は狭いしリクライニングなんてあるわけがない。

美しい星空を地獄バスの中から見た。途中踏み切りで停車している時にサソリ座を見た時は「おお!」って感じだった。日本で見た事あるのってケンシロウの北斗七星とオリオン座位。なんか星座って見つけたらかなり嬉しくなってしまう。俺は21年生きてきて4つ葉のクローバーを見つけた事がないがそれを見つけた人ってこれくらい嬉しいんちゃうやろかと、再び動きだしたバスの手すりにしがみつきながら思っていた。

しばらく行き出発前に着用した腰巻きの下のジーンズを脱ぎたくなって、電気が消えてるのをいい事にごそごそ脱ぎ出したがある視線を感じた。暗闇に光るインド人の目。




わお!





その場は背中が痒いふりしてごまかしたが中途まで脱いでしまったのでうまい事して脱ぎ切ったものの腰巻きが外れてしまいおまけに着用の仕方をど忘れしてしまった。よくある事や。

休憩の時なんとか「しっかり着てますよ」風を装ってたばことマッチを買いに行く。物陰でこっそり試行錯誤してなんとか身につけた。

ないあぶ、ないあぶ。
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着いた。インド最南端、ベンガル湾、インド洋そしてアラビア海が一気に拝めてしまうと言う岬に。


朝の5時に。


ひたすら眠い。しんどい。なんとかしたい。
バス停には案の定客引きがすごかった。もういい加減自分でホテル探すのめんどくさいから適当な値段いうてる奴に紹介してもらう事にした。彼の言うホテルの名はアショーカ。インドにはなんぼでもアショーカやらアジャンタやらってホテルがある。全部系列のホテルってわけでもなくただ有名やからそれにしてるらしくて。

それはそうと部屋を見せてもらうと、シャワーが出ない。同じ料金で別の部屋はシャワーヘッドがない。シャワーの下の蛇口が出るけど。

俺はそこでもよかったがF君が御不満やって、別の部屋を見せてくれと頼んでた。もう1ランク高い部屋はなんと、中途半端に夜景が拝めるでかい窓!めっちゃでかいシャワールームと部屋!!すばらしい。彼はここが気に入ったが、ごめん。俺は安い方でいいと勝手に言ってしまった。なんでって男2人でそんな部屋に泊まっても仕方ないし。この日は疲れてたけどまだそんなヘロヘロで体調悪いってわけでもないし。さっきの部屋も十分きれかった。インドでいうときれい方。2日分ということでチェックイン。それから昼過ぎまで爆睡した。で町内をぶらつきホテルに帰る。ネットカフェを見つけホムペの閲覧をぶちかますがなんと日本語が使えるやんけ!びっくりしたね!全く。

おかんにも電話しておいた。雑音がすごくて途中何をいうてるんかわからんかったがとにかく無事を伝える事ができた。今日の1日はこれまで。
明日の朝はさっきも言うたように3つの海の結合点とされる神聖な場所(ガンジスの次くらいか?忘れた)での沐浴を敢行する予定。


2001年09月19日(水) ラーメシュワラム2日目

沐浴がかなり気になってなかなか寝付けず。
遠足前の児童の心境。

日の出の少し前、いやかなり前に起床。
窓開けてたらカラスが入ってこようとしたので
あわてて追い出す。それでF君も起きて沐浴しに
ベンガル湾まで出て行く。

案外海は浅く、「ガンジスでは頭まで潜るんやで」とF君が教えてくれたが、この水深では頭まで潜ること自体がかなり難しく、俺は頭まで潜ったがそれをやってるインド人は皆無。

難なく沐浴達成。あまりにも水が冷たくて目が一発でさめた。

帰りにヤギが壁に前足をついて顔面を壁に押し付けてるのでなにしとんか?思ってみてたら、あいつら壁の張り紙くってた。飢えてルナー。かなり笑ったけど。

レストランで飯を食うも、なんかトーストって安くあったので頼むがバターはよしとしよう。
なんかジャムの味がおかしい。イチゴの味がいかにも「作られました!甘味料、赤色何号かがはいってまっせ!」といった感じのジャム。

それとチャーイをくって海辺の寺院に訪れるため昨日マドゥライから到着したときに降りた
バス停に向かう。そこで1番のバスを待ってたけどぜんぜん来ない。

その間地元の子供とかおっさんらと戯れた。100円ライター火吹きやボールペンマジック、なんじゃかんじゃ。
F君はそれを「日本の恥さらしやー」とあまりいい反応とちゃうかったけど皆さんお喜びやったんで
問題なし。マジック小ネタエロ話は世界共通やと俺はおもっとる。ここでちょっとした確執
があったりなんかしたけどちょうどそこにバスがきたんで乗り込む。
はじめは他の客っていうたらカラスやったけど途中の町からすごい量の学生やら漁師やらが乗り込んできてバスは満腹。
乗ってから15〜20分くらいで目的地の寺に着いた。潮が引いていて一面砂浜。中心の寺に続く一本の道。その辺うろついてるヤギ。ここはホンマにきれかった。ごみもなかったし物売りやらもおらんかったし。寺自体はもうむちゃくちゃで廃墟同然やったけど遠目から見たら非常に美しかった。バスがしばらくこないのがわかってたので行ける所まで歩いていく事にしたんやけど、ほんまそこも一本の道で、バスが来る気配はおろか人の気配もない。もうポカリスエットのCMで出てきそうな風景。
そんななか激安タバコビーリーを吸らいながら「インドってええなあー」
とぼとぼ歩いてたら後ろからバスみたいなんが走ってきた!おお!バスや!!手を振って途中乗車。中心町に帰る。

インドの宿舎って基本的に24時間制でチェックインした時間から24時間部屋が使えるっていうシステムなんやけどその時間すぎたら2日分の値段をとられたりする事もある。

ここで直面した問題がそれ。
昨日チェックインしてすでに24時間目に差しかかろうとしてた。町についたら余裕でオーバー。宿に帰る途中南インドでポピュラーな腰巻(ルンギー)をゲット。でも着方がわからん。
この腰巻は流行でポピュラーというよりはむしろ民族衣装といった感じ。北の方ではクールターパジャマっていう白い服やねん。南では胸ポケつきシャツ(腰巻にポケットないもん)それにルンギーが一般的。らしい。っていうかそう。


話は逸れたけど宿舎代、どうせ2日分とられるんやったらダラダラしようやという事になったが町に売ってる麻製のショッピングバッグが俺はほしかった。残念ながらF君は買い物に全く興味がない人やったので一人で荷物もって飯食いに行くからチェックアウトしてバス停で待ち合わせする旨を告げたらF君は共に行動しようと提案してきたので彼もまたチェックアウトして飯を食いに行く事にした。
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重たい荷物持って飯を食いにいったんが昨日行ったGuru。アゲイン。

そこで定食をまた頼みがっつり食う。店の人がびっくりするくらい食ってやった。おかげで腹いっぱい。店をでて買いもんに行く途中ここで究極に怪しいインド人と遭遇。なんかタミル語で話しかけてくるがわけがわからんので無視ってたら日本語で








     「大麻、大麻」






いうてるやん!!いらんいらんっておっぱらったけどちょっと不気味やった。ぼそぼそーっと


    「大麻。大麻」

怖くない?確か宿の英語堪能なおっさんも前に来た日本人がマリワナ吸いまくってたとか示唆してきてたし。まあまあそんなおやじ達に絡まれたりもしつつバザールに到着。カバン買いまくり。タミル語がプリントされてるカバン。安かった!あと数珠のネックレス。そんだけ買って今日はインド最南端のカニャークマリに夜行バスで行きますので昼に行ったメインバススタンドに向かいます。

ついてからまずチャーイを飲んで腰を下ろしてると牛が俺に迫ってきた。牛の後ろに停車してたバスの運ちゃんが追い払おうとライトつけてパッシングするも効果なし。ほんならチャーイ屋のおっさんがすごい勢いでやってきて椅子かかえて椅子の足を牛の背中に押し当てたら牛はびっくりして逃げていった。
殺しはしないがいじめるというか。
現地人、かなり牛の事うっとうしがってるのが今回の旅行でよくわかった。特に露店の人たちはかなり嫌がってるな。マドゥライでも牛、どつかれてたし。牛も飢えてるんや。紙食ってたもの。写真見てみてくださいな。

そうこうするうちF君は日本に電話してくるっていってどっか行ってしまった。暇やからぼーっとしてたら横に物売りのインド人2名(昼間も見た)がチャーイ飲んで休憩してたから軽く絡んでみたわけよ。「ムトゥにでてたラジニーカーントってここのタミル州出身なんやろ?」って。ほんなら彼ら、めちゃくちゃびっくりしてラジニーが出た他の映画について聞いてきたが俺はムトゥしか知らんが、それみてここに来た旨を伝え映画の主題歌を口ずさんだら売店のおっさんらがよろこぶよろこぶ。やつはホンマヒーローやなーなんて。
仲良くなって世間話やなんじゃかんじゃしてるうちに、今日購入したルンギーの着方を教えてもらおうと思い立つ。やつらは親切に教えてくれたぞ!!!今やもうエキスパートや。
そのときはビギナーでちょっとしたエピソードもあるがそれは又後日。

で、腰巻の着方を教わって「よっしゃよっしゃ」しているとF君が帰ってきた。で俺の腰巻みるなり「あ!教えてもらってる」といって輪に入ってくるのかとおもったら一人でチャーイを飲んでた。カニャークマリ行きのバスの運ちゃんが「荷物もってこい!」というてたので持って行きまして。又一服してたらF君がトイレに行くといい立ち去ったので俺はずーっと物売りの同い年2人組としゃべってた。チャーイ屋のおっさんの取り計らいで俺ら3人にチャーイをただでくれたのと、その日ラーメシュワラムでお祭りパレードを運良く見れたのがラッキーやった。お祭りパレードでは女の人が植木鉢みたいな(もっと立派やったけど)を頭に乗せてそこにすごい量の花をてんこ盛り(すごいてんこ盛り)にして太鼓に合わせてあるいてた。
それをあの沐浴したところに持っていってボートに花を入れて流すらしい。

しゃべりながらバス停に戻る。ちょうどそのときF君が便所から帰ってきた。まったく運が悪いなー。

そうこうするうちバスに乗り込む時間が迫ってきたので2人には居酒屋まりも とかかれたライターとボールペンをあげた。実はインドでこの2品はあげたら喜ばれるんよ。
かれらは貝製のネックレスを僕らにくれた。
出発のときがやってきたので俺達は彼らと握手して別れた。

バスはリクライニングって何?並みのぼろバスで騒音もひどかった。けども、バスの窓から満天の星を眺めながらラーメシュワラムをあとにした。


2001年09月18日(火) ラーメシュワラム

マドゥライには1日の滞在で(殆ど寝てたから)この日は
スリランカに近いところ、ラーメシュワラムに向かう事と相成った。
地球の歩き方に書いてあるバス停に向かうが
こらまた遠い。


ひたすら歩いて歩いて歩いて歩いて
...

なんとか到着10キロ近い装備を背負って約1時間
程歩き続けた。

なんとか到着してみたものの、そこは確かにバス停や。
ところがバスが少なすぎる。普通はもっとバスがどかーんと
並んでて人々もうじゃうじゃいるのに人通りが少ない。少なすぎた。

で近くの子供(中学生位)に聞くとよく分からんと
いう。その騒ぎを
聞いてたサイクルリクシャーのおやっさんが絡んでくる
どうやら真のバス停は更に行かないとダメとかいうてるが
それは事実か!?かなり迷った。せやけどここにおってもしゃあないし
っていうんでサイクルリクシャーに乗りましたがナ。
そのサイクルリクシャー、フィリピンにもよく似た
ものがあってんけど
インドのはいわゆる人力車って京都とかにあるやんか?
日本のは手で引っ張るけどそれがチャリになってるやつ。
あれは椅子が狭い上、乗っててかなり辛い。なんでって走れば走る程おっさんのシャツが汗だらけになってくるんやもん。

金払って乗ってるから当たり前やけど、あれ、心が痛む。

結構年のじじいが、ガリガリでチャリこいでるんやで!

しかも180台の男2人組で共に10キロ近い荷物持ってるし。
その時俺らの総重量を計算したんや。俺67+F君80+荷物10+10=167キロ
それにリクシャー自体の重さもあるから軽く170キロくらい。良心が痛んだね。
でしかも遠い所まで結構安く行ってくれたし。俺は激安煙草(インド人からしても激安)を
1本プレゼントし、F君はかなり情にほだされて倍の値段を支払ってた。
それから平和にバスに乗ってラーメシュワラムにむかった次第よ。
バスに乗ってて外見てたら途中の町とかで止まるんやけど外国人が
珍しいモンなんか知らんけどおっちゃんらとか子供らがやたらハロー!とかって手振ってきたり
するのに応えるのも楽しいもんで。騙しまくってくるインド人もおったら
こんなフレンドリーな奴らもおるんやなーって感じたな。そら、インド人全員詐欺師ばっかり
っていうわけもないし。

とにかくラーメシュワラムに到着。ごっつ田舎。
バス停に止まったにも関わらずリクシャーのおっさん、
「乗ってく?」と社交事例臭く、自分のリクシャーに座りながら俺らに聞いてくるだけで
仲間との談笑を楽しんでいる。やる気ないなー!で町に行くシャトルバスに乗り込み本日のホテルさがし。
すぐ見つかった。ここはなんでかしらんけど沐浴する所ではガンジスに継ぐ
2番目か3番目の聖地やと。浜辺には沐浴用にガートっていう階段みたいなんが
あって側にはサドゥーっていう修行僧みたいなんがずらーッとならんで布施をしてくれって絡む程度。

又ホテルに着いたら英語堪能インド人が現れた。
こいつが又くせモンで、


「明日の朝9時から素潜りのツアーがあります。
すごい海が綺麗でお勧めしますよ!しかも!!スペイン人もイタリア人も参加しますのであなた達も参加しときますね!やめるなら明日の朝に断わりに来て下さい!!」



       

       おいおい!!!!!




待ってくれよ!いらんってそんなツアー。で「いまいらんから後でやりたくなったら申し込むから!」と言ったのに「じゃあ今申し込んで後で断わりに来て下さい!」


あ!!!!!!!!!!!!!!!!!


わかった!!!!!!!!!!!!!!!
明日の朝断ったら絶対キャンセル料とられる!!



いらんいらんを連発しまくってなんとか危険回避。
それでも奴は部屋を立ち去らないので「風呂に入りますんで」というと
「サービス料よこせ」わらわせんな!結局F君が10Rsほど渡してた。30円くらいな。
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このラーメシュワラムってとこにも寺があってそこもいうてみたら有名らしいんやけども、
本殿はヒンドゥー教以外立ち入り禁止で土足厳禁。履きモノ預けて入っていったわけ。

これ、また改修工事したんやな。やたら作りが新しすぎてなんかおもんないなーと思ったらなんと!

寺の中にお土産街道があって店のやつら皆昼寝してやがる!!

もう夕方でっせー!夜眠れなくなりまっせー!!

ちなみに俺はそこで怪しいヒンドゥーポスタ−をお買い上げ。
それから寺の中をぶらぶら。見どころないしな。どこの寺いっても同じような気がしてきた。
もともと寺には興味ないし、時間潰しでみてるだけで。でもおもんない。
歩いてたらなんか宿題やってる地元の少年達を発見。向こうも外国人としての俺を発見。
絡んできたので俺も負けじとからみ合った。あ!喋りやで!肉体ではありませんので。
中学生位やのにやつらはやっぱり小学生。友達紹介するのに、「こいつは200メートルのちんこもってる」
とか。チンゲ生えてきたこと皆、友達同士秘密にしてんちゃうん?
とか思ってたらおまんこ話が出てきた。やっぱり思春期。欲望がすごいな!!
過激になってきて周りにいたオッサン達に注意されてた。
寺の中は禁煙やのに奴らは吸ってたし。俺の煙草。(激安)いやーヒンドゥーってセックス話タブーやと
思ってたから少し嬉しかったりしたぞ!!

やっぱり性の話は全国共通やな!!ぼちぼちいい時間になってきたから彼等はかえるって言い出す。5時くらい。俺らも寺から退散した。その時撮った写真が第2弾に載ってるやろ?

で町をぶらついていたら床屋発見。







  ボーズにしてもらうしかないでしょう!





   ばっつり切ってもらって値段は?
















        50Rs(150円)























           は?












勢いで椅子に座って切ってもらった俺は明らかにぼったくられた。値段を先に確認しなかった俺が悪いのでしかたない。でも後から値段表みたいなん
みたらどこにも50って表記はないし!!!!

どうかんがえても25Rsでしょ!!!60円くらい。

だんだん現地の価値感覚になってきた。この辺くらいからあまり日本円で換算しなくなってきたから。


新しい「ヘヤースタイル」で歩いているとさっきの少年達数人に会う。これからさっきの寺で礼拝とか。
信心深い。こっちでどれだけ「お前仏教徒か?」て聞かれまくったか。

そんなエセ仏教徒はGuruとかいうレストランで定食を注文。こっちの定食は食い放題。それで25Rsくらい。
もりもり食いました。手で食うのにも慣れてきた頃でかなり迅速に飯が食えるように。

明日の早朝はさっき言うてたベンガル湾で沐浴や。
日の出と共に沐浴や。なんて考えながら帰りがけにコーヒーを飲む。

その時煙草も吸らってたんやけど(激安)その煙草の名前がビーリーっていうんや。
物売りが俺に近寄ってきたがなんか言うてどっかいった。その時「なんじゃかんじゃ ビーリ− どうとか ビーリ−」
って言うてたからこの煙草吸らってるから金ないと思われたかな?なんて思ってみたり。

コーヒー飲んでる時に停電。星空が非常に美しかった。びっくりしたもん。
日本で見る星空なんか比べモンにならん。日本の田舎でもこれには勝てんやろー
まじで真っ暗やねんもん。停電の中帰ると宿舎では自家発電してた。部屋に帰るとどうも蛍光灯の調子が悪いので廊下の蛍光灯と勝手に取り替えて快適な夜を過ごしたというわけさ。


2001年09月17日(月) マドゥライ

朝7時か8時くらいにチェンナイ(マドラス)から
かなり南部に位置する都市マドゥライに到着する。
こういった長距離バスの乗り場にはお約束で
リクシャーのおっさんがかなりの数たむろしている。
今回も例外ではない。しかもバックパッカーとか
言ったらそれはもうたかってくるたかってくる。
夜行バスで疲れているのにそんなにたかってきたら
ほんま萎える。萎えまくる。
朝飯喰うからってその場を切り抜けて飯屋に入ると
奴らが外で待っている。地球の歩き方をF君と見つつ
今日の宿を探しているとしつこいリクシャーのおっsん
はひとり、またひとりと去っていった。

彼等は僕らみたいな旅行社を知り合いの宿に連れていくと
なんぼかもらえる(紹介料という名目やけどホンマは引き渡し料)
から奴らも必死。飯を喰い終えて外に出た。






     まだ1人残っていた!!!!!




奴は「どこにいくねん!?」「やっすい所しってるで!」
をくり返す。「いや、もう行く所決まってるから」
と言うと「どこや!?そこの住所どこや!?乗せたるから」
と言うてくる。「歩いていくし」といって実際荷物を
担いで地図を取り出し、歩き出すまで粘るのが彼等だ。
バス降り立ての時なんか地図出しても方向わからんやろって
決め込んでかかってくるからうっとうしい。

僕らは駅の方向がわかったので駅に向かって歩きながら
まわりの位置関係を憶え、泊まる予定の宿に歩いて行った。
宿に到着し早速昼寝。夕方位まで寝たった。
5時くらいに目覚めてこの街名物の寺を見に行く。
ちなみに本殿はヒンドゥー教徒以外立ち入り禁止
という。更に靴は脱いで入らなければならない。

寺に近付くにつれ、物売りやらが増えてくるのは
当たり前。案の定この寺立ち入り禁止なんで
「フリーで俺のビルの屋上あがらへん?
ただやで!寺のすぐ横やから本殿がのぞけるで!」
としつこくしつこく付きまとってくる。
寺の入り口に近付くと更に増えてくる。
「そのビルどこやねん」と聞くと
「あそこや!!」とインド人は綺麗な白い歯で
微笑みながらビルをすっと指差す。












   1階思いっきりお土産屋やんけ!!!!












ふざけんな。もうええわって素振りしたら
「白人も皆みてますよ!フランス人も!イギリス人も!」
日本人の俺は別にどうでもいいから。
屋上を見てみると確かに白人がごっつい双眼鏡で
寺を観察している。俺が思うにサクラやろう。
アングロインディアン達とみた。白人のインド人
結構見たし。

彼等を尻目に寺に入ったら又今度は乞食達の
猛攻にさらされることになる。
門をくぐってると丁度なんというか。
上から見たらその寺は

        回←こんな感じ。

まん中が正味の寺。外枠と内枠の間をぐるっと
一周歩けるわけね。あ!それどこのお寺もそんな
感じやった。
んでそこ歩いとったら乞食が寄ってくるんや。
回のまん中の□に入る門の所!!
入り口が1ケ所しかなくてそこにはもう!!!
物売りと乞食が集結しててえらいことになってた。
そこには象もいたで。
まん中の□が更に「回」って作りになってるねん。

天井付きの廊下やねんけど、そこにシヴァリンガって
いうてシヴァ神のちんこのシンボルがぎょうさん
置いてあってみなさんそれに拝んでた。
初めてみたらあんなんチンコとは思えんな。
残念ながら室内暗くて使い捨てカメラのフラッシュ
では撮影できないと判断し、写真はありません!

ぐるっと見て外にでる。外に出たらまた乞食と物売り。
逃げる逃げる。で、門から外に出ても
「ビルにあがらんかねおやじ」が絡んでくる
絡んでくる。
速攻履きモノ返してもらって(預けたら番号札くれる。
段ボールにマジックで書いた番号札)
街の中をぶらっと歩いた。地図にスーパーマーケットが
あるっていうんで探してみたが、スーパーにヘボい
マーケットやった。そこらへんのバザールの方が
まだまだ活気があるやんけ!!!!!
JAPANESE FURNITURE綴りあってるかわからんけど
日本家具とか謳っておいておもくそ西洋家具で
プールサイドとかにありそうなプラッチックの
椅子やらがおいてある。

     





        ふざけている。





しかもその隣の店で弁当箱を見つけた。
円柱型でステンレス製。日本で言う保温ジャーみたい
な形のもんや。その製造会社がこらまたすごい。













        SONY














あー、ソニーって弁当箱まで作ってたんやー
バリバリのぱちもんです。
その後は水買って途中のレストランに寄って
ホテルに帰り爆睡した。寝る時間早いのは
微妙な時差ぼけと疲れやね。
明日はラーメシュワラムというスリランカに
最も近いインド領に訪れる予定です。


2001年09月16日(日) マハーバリプラムに日帰り旅行、夜行バスでマドゥライへ

チェンナイから日帰りで近くの小さな町、
マハ−バリプラムに行った。そこではなんと
微妙なバランスで斜面に静止している巨岩
バターロックがあるらしいのだ。
あと海岸付近にある寺と。
着いてすぐ、海岸寺院の方に向かった。
その途中、オウムの文字(ヒンズー語)が彫られたネックレス
を20Rs(20ルピー=60円)で購入。
それにも軽いエピソードがあり、俺が
買うかどうか迷ってると、その石のオウムを
おっさん、汗ばんだ顔にこすりつけて
   
   「どうや?このつや!?」

と得意顔でほざくので


   「これあんたの汗やんか!」


というと


  「ココナッツオイル!!!!」


と言い張る。彼に負けた。
寺に到達して料金表がまたなめてる。
インド人5Rp(15円)
外国人5$(500円くらい)
金払うのもアホ臭いので海辺に行く。
岩場の方に行くと寺院の入り口から
乞食と物売りが追撃開始。
岩場までよじ登って売り付けてきた。
結局買わへんかったが。
ぼーっとして、寺院と逆方向に位置する
そのバターロックを今度は見に行く。
岩場ばっかりで鋪装なんかされておらず、地図の
1枚もない。しかも足場、岩がごつごつしてるし
そこらへん、ヤギの糞がおちまくってるし。
観光地であるにもかかわらず!!!
それがインドか。ぐるっと回って
ようやくお目当てのバターロック発見。
おれたちは新たなる乞食物売りに捕獲。
記念撮影して飯を喰いにいく。
そこの飯が!
     


       くそまずい




米がかゆみたいで、ひとくち喰う度に胃が拒否する。
吐き気がすごい。それをなんとか2人で1人前
喰った。
その後、バスに乗りチェンナイ市内に帰る。
バスを降りていきなり2人組のリクシャーのおやじ
達に絡まれた。
実は今晩、一気に南下するため夜行バスに
乗りたかったのだがその旨伝えてしまったのが
運のつき。


「このリクシャー代は無料にしてやる!!
俺が100%保証してやる!!さあ乗れ!!
夜行バスの乗り場おしえたるから!!」



今考えると怪しさ満開だったがその時は
疲れでまともな判断ができなかったと思われる。
で乗り込んで着いたのは怪し気な旅行会社。
ところがそのバス600Rs。
この辺はどうも治安よろしくなさそうな所。
渋々、半分の300を払った。
ここにそのバスが夜9時にくると言ってたが
本当にくるのだろうか?
殺されるくらいなら300Rs、900円そこそこ。
これでええわ、と思いつつ帰ろうとしたところ
先程無料だと言ってたリクシャーのおやじが、
 



 50Rs(150円)、独りずつ払え!!!!!!!




と抜かしてくる。びっくり!!そこでF君が切れて
「You said it's free!!!!」
と怒鳴りはじめる。するとその無料と言ってたインド人は


「確かにタダと言った。けど運転手はそんな事
一言も言ってない。」


と言い出す。それで結局1人50RSから
2人で40Rsに負けてもらう。(300円から120円)
それでもぼったくりやで。
そのあと、他のリクシャーで宿に帰り、
降りぎわにうんちゃんに、8時に迎えにこい
と念を押して部屋に帰った。
飯を食らい、シャワーを浴び久しぶりにビールを浴び8時に宿の前で待つ。
 








      こない







30分待ってもこなかった。
荷物もって降りたら寄ってきて待ってる間
離れなかった運ちゃんが、目を輝かせて

     乗れ乗れ

というてくるので場所をほんまに知ってるかどうか確かめると








    「絶対知ってる!まかせろ!!」







と勢いよく走りはじめたはいいものの、
速攻人に聞きまくって聞きまくって
ポリに聞いて引き返してって着いたは
いいものの、交渉では30Rsだったのに、
迷ってたくさん走ったから50や!!!
とか無理をいうてきた。
俺達も細かい金がなく、50渡して釣りよこせ
と言うと、










   ない!!!!!!!!!!!!!









そして彼は俺らの制止を振り切ってリクシャーで
消えていった。9時になり、怪し気旅行会社の
大将が「さあ行くぞ」と言い出す。
どこにいくのか彼はリクシャーをつかまえて、
乗れという。彼が払うというがかなり
半信半疑。今日はリクシャーに騙されまくった
ので人間不信もいいところ。
彼が絶対金を払うというので乗り込む。
着いたのは俺らが泊ってたところにめっちゃ
ちかいバス停。そこに次行く街、マドゥライ行きの
バスが!そこで残り300を請求される。
仕方なく払う。
バスに乗るが誰もいない。発車時刻は9時半。
時間は来たがぽつぽつインド人が乗ってきたくらいで
あれ?まだでないんか?
と思ったら、外で







   「マドゥライマドゥライ!!」







って客引きやってるし。客が満杯になるまで
出発しないらしい。しかも切符買ってるインド人が
なんぼ払ってるか見たら100Rs。
またぼられた。そりゃあリクシャー代おごってくれるわ。発車したのが10時半。
バスは日本人2人とインド人と大量の蚊をのせて
走り出した。


2001年09月15日(土) チェンナイ市内

朝は近所のレストランで朝食をとった。
Pongal(ポンガル)とチャーイ。
チャーイを飲む時、へりの高い器の中にチャーイの
入ったグラス(ともにステンレス)が入っていて
熱いのを冷ますため、グラスから器に、器から
グラスにと交互にチャーイを移し代えるんだそうだ。
冷めてきてからグラスで飲む。甘い。

それをやってる最中、こぼしてボロいヒスTにかける。
シミはとれない。

ポンガルはなんとも説明できないくいもん。
スプーンを2本使って混ぜてくう。

俺はなかなかいけたが、F君は無理や...

とチャーイで流し込むようにくってた。

喰い終わり、そこの食堂でミネラル水を買い、市内探索に
乗り出す事に。

地理感覚掴むためと、観光。
いきなり見つけた国立博物館に入ると
めちゃくちゃチャチな恐竜の置き物が!!

そして本館は休館とか!!

その近くに便所があって、ジェントルマンと
レイディースにやたらリアルな似顔絵が描いてあるのには
笑った。しかも俺の回った地域では大概の便所に
そういった似顔絵があったわけで。

それから電車で浜に向かったが靴擦れと
帽子がなくて日射しにやられたせいで
かなりへばり、一旦宿に帰って昼寝。

それから近くのバザールで麻袋をゲットし、
インド風焼そばをくらってその日はおしまい。


2001年09月14日(金) 出発の日。そしてチェンナイ

シンガポール航空最高。座席の前に画面があって
ゲームできるし、テレビあるし!
これほんまエコノミーかよ!

飽きる事なくシンガポールにつく。
乗り換えだ。

数時間持て余したのでインド通貨のルピーをゲット。
その後ホットメールをした。
カナダにけっこうあったハンバーガー屋A&W
にいくが、全てのサイズが小さく不満が残る。

どうやらこの辺にいる日本人は全てシンガポール
に来たか、日本に帰るかっぽい。
----------------------------------------
インド行きは俺ひとりくさい。
あと10分で搭乗。

ムトゥ(=ラジニーカーント)の故郷タミルナドゥ
に着いた。

昨夜、あれから搭乗口に行って一人の日本人を発見
(地球の歩き方を熱心に読んでいた)して、彼に
話し掛ける。2回目のインドらしい。

実はその彼(F君)、高校時代通ってた予備校の同級生で
ある事が発覚。感動の再会やった。それもまたインドで。

そしてチェンナイ空港に深夜到着し、もう一人の
日本人と行動をともにする。彼はインド8回目という
猛者だ。

彼の知っているラムパストロッジにタクシーで
向かう事になった。

車窓から眺めていたが、取りあえず汚い。
空港に着いた瞬間変な臭いがしたが
その臭いの根源はこの街だったのか!!!

というくらい。

道路が鋪装されておらず、ほこりがすごい。
交通ルールは日本と同じで左通行。
あとはほとんどフィリピンと同じだった。

則ち、車がこなければ、赤でも車は青同前、
割り込み当たり前(クラクションを鳴らしつつ)
そして歩行者は一番弱い。その次バイク。
一番強いのがトラックとバス。

ここでも弱肉強食の世界。

そうこうしてるうちにでかい建物につくが
宿舎とは程遠い建物だ。聞くとラムパスト小学校。

タクの運ちゃんは「名前が同じやからええやろ!
さあ、始めに言っとった200ルピー払え!」
と言うてくる。



   「こいつら、なめてる!!!!」


8回目の猛者はそれでキレて「なにいってんだ
こいつら!!!」と日本語で言ってから
連れていけと交渉しはじめたが、彼等には
通用せず、結局そこで200ルピー払って
おりる事にした。なぜならインド人達が

「じゃ、正しい所連れていってやるから230よこせ」

と無茶苦茶いうてきたから!!!!
そこでタクを降りて今度は原チャに荷台が付いた
ようなタク(オートリクシャー)に乗る。乗用車タクよりは安い。

それに乗り今度はパレスロッジに行く事になった。
なんとか到着するも時間は11時。
チェックインするが、始め言ってた値段より
高い部屋に連れていかれる。
金払う段階で、おかしい事に気付く。

問いただせばやっぱり高い部屋だった。
安い部屋に移り、休む。

暑い。しかも蚊がすごい。
かなり噛まれた。
猛者は明日の早朝にポンディチェリーに向かうらしい。
俺は1日目でいきなりやられたので要領が分かるまで
F君にしばらく付いていくことにした。
けれども緊張と暑さと蚊でほとんど眠る事ができなかった。


2001年09月13日(木) インド出発まであと1日

今日は妹の誕生日で伊丹第1ホテルという所に飯を
喰いに行く。

そこで2000円のバイキングっていうのを
見つけレストランに行く予定が変わりそこになった。

あんまりうまくなかった。インド行きで少しどきどき
している。


2001年09月12日(水) インド出発まであと2日

昼過ぎまで寝る。だらっとしてる。


2001年09月11日(火) アンダーアタック

今日、畦野の中華料理屋で飯を食らったのち呑気に
ホームセンタージョイフル朝日ってとこで蚊取り線香
やら買って歩いて帰宅。風呂入って部屋に戻り
荷造りしてネット開いたらどうやらアメリカのビルに
飛行機が突っ込んだらしい。でケーブルを見に行く。
 


    
       アンダーアタック


勃起してきそう。ぐしし。色んな情報が交錯して
どれがどれやら。11機同時ハイジャックって
言う話もあった。大変なこっちゃ。

これは戦争やなー。戦争。
ストロングアメリカ!!共和党ブッシュも
ごっついキレとった。そりゃあ切れるわ。
あーあ。こんなことやっちゃってからに。

適当になって部屋に切り上げ又ネット開く。
ロンドンでは株価が暴落したらしい。
飛行機は落ちるは株価は落ちるわエロ動画落とすわ


         !?



     あーきもちよかった。

政治的な問題もあるかもしらんがやっぱり対岸の
火事なわけよ。正味の話。無責任かもしらんが
テロ事体それほど馴染みが無いですから。
戦争やめてくれ!って俺らがいうてもアメリカ人
からしたら世界最強の国が攻撃を受けた!
報復や!!てなるわけで。

島国根性がしみついてて植民地支配も受けた事ない
平和天国日本に住んでたらわからん事も多いと
思いまっせ。実際俺もなんであいつら自分の国がそんなに
好きやねんおもいますもん。


2001年09月09日(日) Do you smell what Rock is cooking!!!

昨夜は今朝未明までチャットにはまっていた。
これで2連。

今朝北海道在住俺の世話人から焼そばべんとう
なる物が送られてきた。

インスタント焼そばだがその残り湯を利用し
粉末スープも作れるという画期的なインスタント麺
で、北海道のみでしか販売していないらしい。

近々画像アップします。

目覚めてからケーブルテレビ見まくり。
アニマルプラネットからはシロアリの生態
そしてFOXからはWWF。

さっきも見てたけど親が9時からテレビみる
というのでカート対ストーンコールドの観戦を
途中断念。
破壊兄弟の金網タッグは見たけど。

わからんひとはわからんからこのへんでやめとく。

っていうかそんなんばっかり見てるから現代の
芸能情報にうとくなっていくのか。
AB slide!!!
明日はいいかげん事故のやつで医者に行って
診断書を書いてもらわなければならない。


2001年09月08日(土) のんびりマニア

昨夜はオズ、苺milk、海月そしてやっさん達と
まあいわゆるネットで知り合った軍団とメッセンジャーで
方言話に花咲いて就寝したのが午前4時。

昼過ぎ位にケーブルテレビのモデム移設工事が
きたので起床。
朝飯をくったあとカナダで買ってきたビデオを
みていたら妹から電話。
奴は今日ダパンプのコンサートに行ったにも関わらず
チケットを持って行き忘れて俺にもってこいという。
原付きとばして持って行った。
ちょうどいい所を邪魔されてイラっとした。

帰り際、LANケーブルとハブを買ってかえる。
帰ってからビデオの続きをみた。

腹が減ってきたのでカップ麺をこさえて喰った。
もういっぺんビデオみよっかなー

月曜日は病院にいって診断書を書いてもらわなければ
ならない。めんどくさい。


2001年09月07日(金) 帰国

今韓国から帰ってきた。今日もカナダで知り合った友達と会い共に昼飯を食らった。あっというまやったわー。又絶対いきたい。
日本人観光ツアーでは経験できない事ができたからっていうのも大きいかな。

ただ昨日飲み屋に忘れてきたデジカメの安否が気になる。
今は神戸行きの空港リムジンバス内なんやけど、インド行きの手続き問題があるのよね。帰宅は遅くなりそうやわ。


2001年09月06日(木) 韓国3日目

昨日はロッテワールドっていう遊園地で遊んだ
あとにそのカナダで知り合ったやつと一緒に
韓国の歓楽街を視察にいった。
簡単にいうと置屋。つまりは売春街。

それはもうすごいものでショーウインドウみたいに
ガラス張りの部屋にめっっっっっちゃくちゃ
べっぴんなねえちゃんが並んでいてそのガラスを
ライターでカツカツ鳴らしながら

「サービス1番!おにいちゃーん」

と呼び込んでくる。手首をつかまれたときは
どきっとしたが金もないしモラルの問題もあって
立ち去ったが、あれはすごかった。
地元韓国でもそこは有名でそこの売春街は
政府公認、合法地帯なんだそうだ。

エロ本がだめでなんで売春がええんやろ

とひそかに疑問に感じたが、まあそういうんも
ええやろ。助平がまったくなかったら生きて
いけるわけがない。

っていうかそのへん照明がすべてピンク、ピンク
そしてピンク。びっくりした。
韓国人の女友達いわく、そこはほんまに有名で
テレビに出ている女優よりきれいな人がごろごろ
いる。なんでテレビにでないのかっていうと
そんなけきれいでもヤリまくってたらそれだけで
その人の価値が下がるというか、モラル的に駄目
らしい。こっちの女の子は過去の男性遍歴を
かたろうとしないっていうところにもそういった
問題が見え隠れするっていうか、文章めちゃくちゃ?

その売春街で働きはじめたらよそで仕事は見つからないし
結婚は絶対無理。現在金を稼ぎまくれるけど
将来的には不安たっぷりっていう職業、というより
老い先は絶対安楽人生ではないが今はすごいリッチ
って感じだろう。

良く分からんし、大学生の文章とはおもえんくらい稚拙すぎる。

すいません。

こっちではべっぴんな女にヘチャな男カップル
っていうのをよくみかけるが、多少へちゃでも
頭が良くそして、誠実さらに金持ちなら問題が
ないらしい。

その辺も日本と違うというかなんというか。

よく日本人はブランドに夢中。そんなんは日本人
だけという話もよく聞くがこっちでもブランドもの
に対する興味というのはある。でも実際買う金
がないからフェイクものをもってたりしてるのも事実。
もし彼らが日本円と同じ価値の金をもってたとしたら
どうなってたかはわからん。
実際韓国人の友達はヴィトンのリュックにフェンディーの
アクセサリもってたし。

みたいな。

でもやる事はやっておいた、みたいな。588(オーパルパル)まんせー
みたいな。
つーか俺がスコスコやってる間、そのカナダで知り合ったヤツは
KFCで待ってたみたいな。しかも閉店で追い出されたみたいな。
つーかその韓国人売春婦は1発6万ウォン=6000円。
とてつもなく安かった。


2001年09月05日(水) 韓国2日目

昨夜はあれからカナダで知り合ったヤツと
出会い、がっつり食いそして飲んだ。
ここはほんまいいところや。

飯がなんといってもなんでもうまい!!
そして死ぬほどやすい。

大阪みなみの食い倒れなんかよりこっちの方が
食い倒れてしまいそう。

むーん。

今日はこれからロッテワールドにいってくる。

昨夜はさすがに北海道遠征の疲れがたまって
いたのか友達の家ついて速攻爆睡した。

そしてねぞうがいいはずの俺がなんと2回も
ベッドから落ちた。

それにしてもよくねた。

みたいな。

今日の朝飯兼昼飯はなんとプルコギ。
400円でめっさ量もあるしくそうまい。

万歳!!!

でも街でオバンの乞食に腕をすごい力でつかまれた
のはすごいこわかった。

明後日にはもう帰国か。
これは早く滞在が終わってしまう予感。

もっといたい!!!!


2001年09月04日(火) 韓国

今俺は韓国にきている。
昨日北海道から帰ってきたばかりだが帰宅して
12時間後にはすでに関空にいた。

まー俺が1生に1度経験できるかできないか
といったことを今日ソウルで経験した。

なんと!飛行機の荷物受け取り、1番。
俺の荷物が1番にでてきた。
これ、すごいやろ!?

ほんでついてから金を両替して友達とバスで荷物を
運搬し、近くの食堂で飯を食ったが、300円で
クソうまい石焼きピビンバくった。
ほんで友達と待ち合わせまでの時間潰しで
ネットカフェにきているわけ。

ところで韓国にはほんまネットカフェが多い。
そら日本おくれてるっていうんがようわかる。

みたいな。言葉がわからん国かなり戸惑っている
のも事実だが、これでインド大丈夫やろか。
ちょっとした不安もある。
あと7日まで、思う存分楽しんでくる。


2001年09月03日(月) 帰阪

朝も遅めに起きて、千歳空港にむかった。
そこで昼飯として天津飯をくったがアンがやたら
甘かった。

ゲーセンでトラックのゲームやらをして
もりあがった。で、白い恋人を買って大阪に帰った。

で帰宅して速攻で韓国行きの用意をして寝た。
早起きをしなくてはならない。大変だった。


2001年09月02日(日) 小樽

遅くにおきた。
この時点ではもう時差ぼけは解消。
ほんで小樽にらーめんを食いにいった。

当初の予定では世話になっている人物の
友達の実家である日高というところに
行く予定であったがそこが休みであったため
急遽変更となったのだ。

食いに行った帰りもういっぺんバラ園に行った。
持ち前のハイテンションで一気に知名度をあげてきた。
ソフトクリームのバニラをくらってやった。
そのあと、ビデオ屋ゲオってとこで
「ほんとにあった 呪いのビデオ」
の1巻とスペシャルを借りて世話になってる
家の本人と姉さんとで3人で鑑賞したのち
近所のらーめん屋に晩飯をくいにいった。

本日らーめん三昧。

しっかしうまかった。


2001年09月01日(土) 阪神ヤクルト

この日俺は札幌ドームに
阪神ヤクルト戦を観戦しに行った。
結果は惨敗。

はっきりいおう。

どさん子たちは控えめだ。控えめすぎる。

駅降りて早速はっぴ、はちまきを取り出し装着。
この時点でもあまりそんなんしてる人いなかったし。
そして歩いてたら後ろからじゃりの声が。

「阪神とヤクルトってどっちがつよいん?」

俺が振り替えるとそのじゃりの親が口に人差し指を
あてて苦笑いしている。



阪神が弱いっていいたいんかぼけ!!!


んで球場はいってサッチーのマスクをかぶって
着席。周りでは苦笑してるひとと爆笑してる人
の2通り。うーん。

俺は1回から汗だくだくで応援。
後ろの席に座っていたにいちゃんとやたら意気投合。
ねえちゃんやおっさんもいた。

彼らは選手別応援歌を知らなかったらしく
すべてを教えてあげた。
ヒットが出るたびに起立、万歳三唱。



してるのは俺らのグループだけ。

7回の攻撃の前にジェット風船膨らましてたら
警備員に注意された。

ので、思いっきりかみついてやった。
「危ない?ほんならヤクルトのかさはあぶなないんかい!!」

とか「お前えこひいきしてんちゃうぞ! ぼけ!」

負けてたしな。

警備員は俺の怒りに便乗して加勢してくれた
地元ファンのおかげもあって逃げていった。

しかもむかついたのが最後の攻撃。
阪神ファンがかえって空いた席に移動して最期の
応援をしていたら側にすわってたおばんに

「こどもがいるのに危ないでしょ!」

と注意された。

こんなところでさぶいこというなや。
「あかんのか!子どもあたらんようにしてても
あかんのか!!」
とかみつくと

「1段あがってください!!!」

とぬかしやがったので1段あがり
「これで文句あらへんやろ!!!!」
というたら「はい」とかおとなしくなりやがって。
代打の神様八木の時よ。

ほんで結局ぼこすこにやられてゲームセット。
メガホン思いっきりグラウンドになげこんだった。

でもそのあと見知らぬ人々から

「ナイスな応援でした!」
と握手をもとめられたり、スタッフのにいちゃんから
もお礼の言葉をもらったりめっさうれしかった。

かなりへこんでたけどそっからのみにいって
いい感じに酔っ払って全部解決。
明日は日高にいってらーめんを食いにいく予定
や。


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