管理人の想いの付くままに
瑳絵



 偽りの裏側 −6−

 一冊の本に書き記された木、名をコクカと言う。
 その由来は、その気に真っ黒な花が咲くことから取ったと言う説や、木に真っ黒な果実が生ることから取ったなど様々ではあるが、その木は“金の生る木”と云われていた。
 そうは云っても実際に金が生るわけではなく、木の持つ特性からだ。
 本によれば、その葉は夢と快楽、幻覚をもたらし、その花はどんな傷でも癒し、また天へと供えれば望むままの天気となった。極めつけはどんな病でも治してしまうその果実。
 木は、たったの一年で3mほどまでに成長し、葉を茂らせ、次の一年で花を咲かせる。更に一年経てば花は果実へと姿を変える。その為か、別名を“3年樹”と云った。

 
 信じられない、とルヒトが呟く。だが・・・と。
「それと修道女がどう関係あるんだ?それに、成れの果てって・・・・・」
「この木には苗があるわけじゃない。銀髪に黒目を持つ者の屍から生えるんだ」
「そんなことがあるわけ無いだろ!?」
 アワラの言葉をルヒトが即座に否定する。
「でも、実際、今目の前に存在してるんだ・・・」
 強く拳を握り締め、哀しみを堪えた、絞り出すような声。俯いているため、アワラの表情は確認することが出来なかった。
 ルヒトはもう一度木へと視線を向ける。毒々しい色の木は持ち主の心を表しているのかもしれない、そう漠然と感じた。
 ふと、レネダンを見る。忘れていたわけではないがあまりにも静か過ぎて逆に不安になったのだ。
 見れば、口元に浮かべられた不気味な微笑。ルヒトの頭の中で警笛が鳴った。
「君達に一つ、訊いておきたい」
 静かで、よく通るレネダンの声。
「ラワ・・・いや、アワラ君と言ったかな。君はどうやって神父に紹介状を書いて貰ったんだい?あの紹介状は確かに本物だった。これは、私が神父に裏切られたと取っても良いのかな?」
「モチロン。第一裏切るも何も、神父は最初っからアンタを信用してなかったんだから」
 ピクリ、と揺れる肩。そんなレネダンの様子を気にした風も無く、アワラは言葉を続ける。
「殺された修道女を神父は愛していたんだ。それに、修道女を守ろうと殺された前神父は現神父の父親。アンタに忠誠を誓うなんてあるわけ無いだろう?もう一つ付け加えるなら、俺等が持っている銃の提供者は神父だよ」
 懐に入ったフリをして復讐の機会を待っていた神父。来る途中立ち寄った教会で、何も言わずに、全てを悟った表情でアワラに二丁の拳銃を差し出した。
 フッ、と鼻で笑う。その笑いを漏らしたのが、アワラなのかレネダンなのか、ルヒトには分からなかった。
 スズロは、少し離れた位置からその様子を見守っていた。
「他に質問は?もう終わり?」
「もう一つ、スズロ君はどうやってこの屋敷に入った?莫大なセキュリティーシステムが働いているはずなのだが」
「そんなモン、俺が解除したに決まってるだろう。何の為に潜り込んだと思ってるんだよ」
 さも当たり前だとでも言いたそうな口調に、顔面蒼白になったのはレネダンではなくルヒトだった。
 何度か訪れたことのあるこの屋敷のセキュリティーの解除の難解さは重々承知している。そして、それが容易に解除出来るものではないことも。
 スズロは、霊安室から抜け出した後、レネダン邸近くで待機し、アワラが隠して行った銃や火薬の入ったバックを回収して、セキュリティーが解除されるのを待っていたのだ。
「ありがとう」
 不自然なほど、穏やかに告げられたお礼の言葉。素直すぎるレネダンの態度には3人とも訝しがらずには居られなかった。
 次の瞬間、目前で広げられる信じられない光景。音を立てて滑り落ちる手錠。
 逸早く状況を察したのは、傍観していたスズロだった。
 聞き慣れた銃声に、人の倒れる音。全てがスローモーションの世界。
「アワラ!」
 スズロの叫び声のお陰で、現実へと意識を引き戻したルヒト。微動だにしたい人形のような美しい顔の持ち主は、本物の人形になってしまったかのようで、駆け寄り呼びかけるスズロの声にも、何の反応も見せない。
 胸元から流れ出る緋色の液体。銃弾で倒れてしまったアワラを見て、ルヒトは血の気が引いていくのを感じた。
 レネダンの掌には、しっかりと握られている手錠の鍵。一体いつの間に盗られてしまったのか、自分の失態を呪わずには居られなかった。






2003年06月28日(土)



 偽りの裏側 −5−

「てな感じで、後はもうされるがまま」
 絶句。その経緯を聞いて口を開く者は誰も居なかった。いや、正確には開ける者が居なかったのだ。レネダンと男に至っては、未だラワが男だったと言う事実を受け入れきれていないようだ。
「そんなことより、本題に入るけど」
 アワラの言葉で今の状況を思い出す。今一番の問題はアワラが女装してまでここに居る理由(わけ)だ。そして先程のレネダン達の会話。
「レネダン氏、コレに見覚えは?」
 そう言ってレネダンの前に翳されたのは黄金色に輝く鍵。先端には銀糸で編み込まれたストラップ。ソレを見てレネダンが息を呑むのが分かった。
「コレは先日、スズロがこの屋敷から・・・正確にはこの部屋から盗み出した物だ。何の部屋の鍵かを、俺は知っている」
 その発言に、ルヒトが言葉を挟む前に一発の銃声が鳴り響き、ポタリと床に血が滴り落ちた。
 驚いてルヒトがレネダンへと視線を向ければ、銃を構えていたのはレネダン本人ではなく男の方で、銃口は真っ直ぐアワラへと向けられていた。
 ポタリ、また一滴血が落ちる。
 動体視力の優れているアワラは、瞬時に判断して銃弾を避けたため頬を掠る程度の傷しか負っていない。それでも、完全に避けきらなかったことに対して短く舌打ちをすると、乱暴に頬を袖で拭う。
 ルヒトは応戦しようと自らも所持していた銃を取り出し男に向ける。すると男の方も標的をルヒトに移す。が、今度はレネダンがアワラに銃を向ける。ルヒトがレネダンを撃てば、男は迷わずルヒトを撃つだろうことは容易に想像でき、八方塞になる。
 そんなルヒトの思考を止めたのは、第三者の乱入だった。
「アワラ!」
 声と共にアワラの足元にゴトッと鈍い音を立て、一丁の拳銃が落ちた。アワラはそれを素早く拾うと、ハッとしたレネダンが引き金を引く前に彼の右腕に一発の銃弾を貫通させた。
 その右手に握られていた拳銃が、持ち主の手から離れ、落下する。
「うっ・・・――――っ」
 押し殺すような呻き声を上げ、右腕を抱え込むように蹲る。
 アワラはそんなレネダンに一瞥をくれると、我関せずと言った態度で拳銃の飛んで来たと思えし扉の方へと声をかける。
「ナイスタイミング・・・スズロ・・・・・」
「まぁな。伊達にアワラに付き合って来たわけじゃないからな」
「「お前は!」」
 レネダンとルヒトの声が重なり合う。
 驚きの連続に、ルヒトの心臓は悲鳴を上げる寸前だった。
 何しろ、確かに警察病院で死亡が確認されたはずのスズロが立っているのだ。そして右手にはしっかりと握られた拳銃。
「説明してくれ」
 混乱する状況の中、ルヒトが言えたのはその一言だけだった。


 コツコツと、階段を下りる音が響く。時折、カチャカチャと手錠の擦れる音を混ぜながら、4人は歩いていた。
 後ろ手に手錠をかけられているレネダン。男はロープで縛られ、部屋に取り残されている。
 レネダンの部屋にあった隠し扉に、地下に続く階段。階段を下りながら、ルヒトは不躾かなと思いつつも、先頭で階段を下りるスズロを見遣る。
 普段から非科学的なことは殆ど信じることのないルヒトだが、スズロの正体は疑わずにはいられなかった。何度見ても普通の生きている人間としか思えないスズロ。 頭を掻き毟りたい衝動に駆られつつも、ルヒトは必死に耐える。
 そんなルヒトに気付いたスズロは、暇だから、と前置きをして話を始めた。
「俺が今生きているのは“アワラの両親が作った”薬のお陰だ」
「薬?」 
「一時的にか状態になって身体の回復を速める薬だ」
 そして、スズロの言葉をアワラが引き継ぐ。
「俺の両親は政府からの依頼でいろんな薬の研究をしてるんだ」
 風邪薬や胃薬などの一般的な薬は勿論、果ては毒薬や火薬、爆薬までだ。 たった2人で家の隣の研究室に篭っていて、何週間も会わないことなんてしょっちゅうだ。記憶を手繰り寄せても、顔が霞がかっていてはっきりと思い出せない、とさらりと言ってのけるアワラ。
「俺は、その薬を事前にアワラに貰っていて、アワラが気絶してすぐに飲んだ。追って来たやつ等は最後に放った銃弾で俺が死んだと思っただろうが、俺は当たってない。その後は、他聞刑事さんも良く知ってると思うけど、ひとつ間違ってる。霊安室は自分で抜け出した」
「じゃぁ、アワラが病室で取り乱したのは、全部偽り・・・・演技だったのか?」
 信じられないと言う顔で食ってかかるルヒトを、アワラは曖昧な笑顔で受け流すと、ピタリと歩みを止める。
「全ては3年前、丘の上の教会から1人の修道女(シスター)が連れ出されたことから始まったんだ」
 目前に広がる重厚な鉄の扉。その中央にある小さな穴に先程の鍵を差し込む。ガチャリと重たい音を立てて開く鍵。外観を裏切るかのように無音で開く扉。
 中は真っ暗で、足を踏み入れた感触から地面が土だと言うことが分かる。
 点された照明に目を細め、漸く慣れたルヒトの瞳に、1本の木が映った。見たこともない、真っ黒な幹に真っ黒な葉。そして夜よりも深い黒に輝く、おぞましい実をつけた1本の木が。
「コクカ・・・この木が修道女の成れの果てだよ・・・・・・」
 アワラの声が静かに落ちた。






2003年06月22日(日)



 偽りの裏側 −4−

 明日も早いと言うことと、出掛けを狙われない為にもルヒトはそのひレネダン邸に泊まることになった。そうすると必然的にメイドとして甲斐甲斐しく働くラワが目に付くわけで・・・・黒の、袖が膨らんだクラシカルなワンピースのメイド服に身を包み、純白のエプロンを着けている彼女から目が離せなくなっていた。
 やはり何かか引っかかるのだが、いくら考えてもその不確かな想いがはっきりと形を成すことはなく、時間は過ぎ、ルヒトは就寝を決め込んだ。
 ばたばたとした1日だった所為かすぐに睡魔は訪れ、ルヒトを夢の世界へと導いた。
 漆黒の闇の中、響くのは時計の秒針と静かな寝息。だが、曽於静寂を破るかのようにカタリ、と不確かな音が鳴る。
 仕事柄、気配と物音に敏感なルヒトは重く圧し掛かっている瞼をゆっくりと押し上げた。サイドテーブルのライトを点けて時間を確認する。午前1時を過ぎたばかり。いくらメイドでももう眠りに就いているはずだ・・・と不信感が募る。
 そっとベッドから抜け出して音を立てぬよう十分に注意を払い扉を開く。覗いた廊下に微かな蝋燭の光と黒い人影。直感でその人影がラワだと思った。気付かれぬように後を着ける。
 全く音を立てないその彼女の歩き方に、やはり彼女が只者ではなかったことを確信した。
 突き当りを右に曲がった所で不意に彼女の姿が消えた。360度見渡しても見るものの、姿を発見することが出来ず、その上自分の所在地すらも見当が付かない。あるのは大きな扉のみ。しかも都合の良いことにほんの少しだけ開いている。中からは人の声。
「・・・・・は、まだ見つか・・・のか?」
「はい、全力で・・・・ですが・・」
「アレが見つからないことには・・・は破滅の・・だぞ」
 話し手が離れているためか上手く聞き取れない会話。それでもルヒトは耳を澄ます。話しているのはレネダンと1人の男。男は扉に背を向けているため顔を認めることは出来ない。が、そんなルヒトの耳に入った聞き捨てならない言葉。
「スズロと言う少年が・・・を持っている限り・・・・・」
 バンッ
 大きな音を立てて開く扉。驚いてルヒトを見たレネダンと男。殊更ゆっくりと室内に足を踏み入れながらルヒトは口を開く。
「今の話、私にもお聞かせ願いませんか?」
 息を飲む2人。それでもレネダンはその笑みを絶やすことはなかった。
「話なら、俺からしてやろうか?」
 緊迫する雰囲気の中、新たな声の乱入に一番驚いたのはルヒトだろう。それもその筈、その声は他でもないアワラの声だったのだから。
 声のした方に視線を向ければ、扉に背を預け、腕を組んで此方を見ている・・・ラワの姿。
「お前・・・、口が利けないのではなかったのか」
 口の利けないメイドが全く気配を感じさせず、いくら高めとは言えはっきりと男と分かる声で話しているのだ。先程までポーカーフェイスと言って良いほどの笑みを堪えていた男が浮かべるのは、まさに驚愕と言った表情。
「アンタがココに来るのははっきり言って計算外だったけど、まぁ都合は良かったぜ」
「・・・アワラ、だよな?」
 未だ信じられないと言った声色。確認の意でした問いかけも心のどこかで否定して欲しいと言う思いがあった。
 だが、ラワという少女がアワラだったとした場合、ルヒトの心の中に作られた小さな染みは綺麗に拭い去られるのだ。あの笑顔はアワラのソレと同じだったのだから・・・。
「アンタ警察の割には鈍いよな」
 揶揄するような言い方。額に手を当て髪を掻き揚げるような仕草で鬘を外すと地へと投げ捨てる。現れた漆黒の短髪、紛れもなくアワラだった。
「お前・・・・その胸何入れてるんだ?」
 ルヒトの言葉に、ほかに訊くこと無いのかよ!?と心の中でレネダンと男は突っ込みを入れる。
「コレ?姉貴に無理やりさせられたパッと入りブラ」
 問われたアワラはと言うと、特にお構いないと言った様子で平然と答えつつもその時の様子を思い出し苦虫を噛み潰したような表情になる。



 アワラが病院を抜け出して向かったのは自宅だった。
 2件先がスズロの家と言うこともあり、警察の人間がいることを警戒したが知り尽くしている我が家だ。誰にも見つからずに侵入することなんて赤子の手を捻るように簡単なことだった。
「ミジュ姉、服貸して」
「アワラ・・・・」
 ノックも無しに部屋を訪れた男に、部屋の住人・・・ミジュは驚きの視線を向けた。
 ミジュというのは黒髪黒眼に象牙の肌の持ち主でいざと言う時に頼りになる、9歳年上の肝の据わったアワラの姉だ。小さい頃はスズロと三人でよく遊び、スズロも実姉のように慕っている。
「ヒトの部屋に来て第一声がソレ?他に何か言うことはないわけ?」
 呆れた、額に手を当てながら呟くと、アワラに入るよう促し自分の向かいに座らせる。青で統一された部屋は、まるで空か海のようで温かくて落ち着けた。
「で、服がどうしたって?」
「・・・・貸して欲しいんだよ」
「私の服を?それってつまり・・・・・女装するの?」
「・・・・・・」
 沈黙は肯定、ミジュの瞳に好奇心と言う名の輝きが宿るのに目敏く気付き、考え直そうかとも思ったアワラの思考は、ミジュに差し出された物体によって強制的に停止した。
「やっぱり女装するならこれくらい着けなきゃ」
 語尾にハートマークでも付きそうなほど弾んだ声で物体を押し付ける。はっきり言ってからかっているとしか思えない言動は、アワラが物心付いた頃から変わらぬこと。面立ちからか、ミジュはアワラにやたらと女装させたがるのだ。
「イヤなら別に良いけど、服は貸さないわよ」
 悪魔の囁きだ、とアワラは思う。これからの行動を考えれば、不本意ながら女装することは必要不可欠だ。他に服を貸して欲しいと頼めそうな人間も居ないし、買うなんて言語道断。
 アワラは腹を括ると、アワラはミジュの手から物体―世間でブラジャーと呼ばれる女物の下着―を奪い、おもむろにトレーナーを脱いで装着する。
 ホックが前にある、所謂フレンチホックで簡単に着けることの出来た下着に、姉の偉大さを改めて実感する。
「・・・着けたぞ」
「はいはい、服ね。何か要望は?」
「・・・シンプルであんまり目立たない服」
「了解」
 立ち上がり、ゴソゴソと畳二帖分はあるであろう広さのクローゼットに収められた服を物色するミジュは、何か見つけたのか、あっ、と小さく声を発すると1着の服を引っ張り出した。
「これにしよう。装飾は一切付いてないし黒だし。アワラの場合は咽喉仏は心配しなくても大丈夫だとは思うけど、念のためにスカーフ巻いとけば完璧。あとはカツラと薄化粧で・・・」
 ぶつぶつと呟く姉の言葉を耳に、アワラは何も言うことが出来なかった。






2003年06月21日(土)



 偽りの裏側 −3−

 トンッ
「あ、すみません」
 賑わいを見せる繁華街、誰かと肩が接触してルヒトは頭を下げる。ぶつかった相手は肩ほどまでのストレートの黒髪、白磁の肌に良く映える黒のキャミのワンピースに黒のカーディガンと言う出で立ちの少女で、首には綺麗なグラデーションの水色のスカーフが巻かれていた。
 思わず見とれたルヒトだったが、自分の目的を思い出し少女に背を向けた。
「・・・バーカ」
 直後にその背中へ投げられた言葉とクスクスと言う笑い声に、幸か不幸かルヒトが気付くことはなかった。



 真っ白な豪邸の前に佇む1つの黒い影。憎しみの篭った瞳でその屋敷を見つめる。
「作戦開始」
 呟かれた言葉は誰かに向けられたものなのか、それともただの独り言なのかは定かではないが、誰にも聞き止められぬまま空(くう)へと溶けた。



 天井にはシャンデリア、暖色でまとめられた品の良い家具、手に持つティーカップからは高級感が溢れている。
 そんな中、柔らかいソファーに深く身を預け、ルヒトは本日何度目かの溜息を吐いた。
 アワラが脱走を図った後、すぐにルヒトは追おうとしたが、上から大目玉を喰らい、アワラ捜索には携わらせてもらえず、警察出動依頼のあったこの屋敷へ行くようにとの命を不承不承受けたのだ。
 はっきり言ってルヒトは何度か訪れたことのあるこの屋敷をあまり好んではいなかった。寧ろ苦手意識のほうが強い。
 街で一番の資産家であり、丘の上にある教会が営む孤児院の資金援助など進んで慈善事業に励んでいる、レネダンと言う黒髪黒眼のまだ30代前半の男の家。
 何でも3年ほど前に油田を掘り当てたという強運の持ち主で、テレビなどで見かける精悍な面立ちと完璧すぎるほどの紳士的な態度。毎回その顔には同じような人の良い笑みを浮かべている。そのことがルヒトを敬遠させていた。
「どうかなされましたか?」
「あ、いえ」
 物思いに耽っていたルヒトはどこか訝しげな声で我に返る。今は孤児院へ届ける物資や資金を運ぶ車の警備についての話の最中だ。ルヒト手には明かされているルートとは別のルートの書かれた紙。無論こちらが本当のルートだ。
 もう一度最終確認を行い、ルヒトは席を立とうとする。そこへ1人のメイドが控えめに部屋へと入って来た。
「旦那様、孤児院の神父様の紹介で参ったと言う者が今門の前に・・・・・」
「そうか、神父様の紹介なら大丈夫だろう。紹介状は持っているのだろう?」
「はい、此方に」
 小声でのやり取り、メイドから出された封筒の中身にルヒトに断ってから目を通す。
 一通り目を通すと、レネダンはメイドにその者をここに通すようにと命じ、メイドは一礼をして退室した。
 しばらく後、先程のメイドに伴われて入って来た少女を見てルヒトは瞠目した。少女は間違いなく、繁華街でぶつかった少女だったのだから。
 少女は無言で低頭する。
「ラワと言うそうだな。紹介状に口が利けないとあったが本当らしい。制服は用意してあるから今日から頑張ってくれ。何か分からないところがあれば他のメイドに訊くが良い」
 少女は頷くともう一度お辞儀をし、顔を上げた瞬間にルヒトと目があった。少女も覚えていたらしくルヒトに向かってゆっくりと微笑んだ。綺麗な笑み、だがそれがルヒトの心に小さな染みを作った。







2003年06月18日(水)



 偽りの裏側 −2−

 目が覚めて最初に映ったのは薄汚れた天井、腕に刺さった針へ規則的に落ちる水滴を運んでいる管。
 病院か、と思ったが念の為に確認しようと上体を起こしたアワラはめまいと頭痛で枕へと倒れた。頭に触れると丁寧に包帯が巻いてある。
「そう言えば、殴られたんだっけ俺・・・・・・」
 口に出してハッとする。もう一度、さっきよりも勢いを付けて起き上がり、再度の眩暈に耐えゆっくりと周りを見渡す。どうやらこの場所はアワラしか居ないらしく、探し人―スズロ―の姿は見当たらない。アワラの背に嫌な汗が流れる。
 外からは鳥の囀りが聞こえ、閉められたカーテンの隙間から一筋の光が差し込んでいる。太陽の高さから言って午前10時位だろうと予測を立てる。気を失ったのは昨日のことなのか、それとも1日以上経ってしまったのか、それよりもスズロは大丈夫なのだろうか、そう考えると居ても立っても居られず、自分の腕から針を引き抜くと素足のままベッドから降りて覚束ない足取りで出口へと向かう。
 ガラッ
 手を伸ばした瞬間、扉はいきなり横に動き、目の前に意識を失う直前に見たような黒の世界が広がりアワラは身体を硬くする。
「おいおい、お前起きて大丈夫なのか?って、お前勝手に点滴抜いたのかよ」
 驚きとも呆れとも取れない言い方、それでも声は何処か面白がっている感が否めなかった。
 頭の鈍痛を抑えながら上げた視線の先に、よく日焼けした肌を持つ、角ばった人の良い笑みを堪えた見たこともない一人の男の顔があった。
「誰だよ、アンタ」
 冷たく言い放ち、警戒の意も込めてアワラは男を睨みつける。
「そんなに睨むな。俺はルヒト、こんな恰好だからお前が警戒しているのは分かるが怪しい者じゃねぇ、警察だ」
「警察?」
 ルヒトと名乗った男は警戒を一向に解かないアワラに、ほら、と警察手帳を差し出す。そこには確かにルヒトの名前と顔写真があった。刈り上げた亜麻色の髪、黒い瞳、日焼けした肌は目の前に居る人物と同一人物だと言うことを表している。が、人間そんなに人を信用するのは出来ないもので、特にアワラは何者かに襲われそうになった後なぶん、未だ疑わしい瞳をルヒトから外さない。
「お前相当疑い深いな。嘘じゃないから安心しろ、それにココは警察病院だ」
 裏路地で倒れていたのを覚えているか、と訊かれアワラは自分が何をしようとしていたのかを思い出し、ルヒトの襟首に掴みかかる。
「おい、この際アンタが警察の人間だと言うことは信じてやる。それでスズロはどこだ」
「スズロ・・・ってお前の横で血を流して倒れていたあの坊主か?」
 ドキンッ、心臓が大きく鳴る。冷たい汗が一筋背中を流れ、ジワリと湿り気を帯びてくる掌。動悸はいっそう速まり、脳が聴覚にその機能を止めろと訴えかける。聞いてはいけない、耳を塞げ、その先は聞くな、と・・・・・・。
「消えた」
「はぁ?消えたってどう言うことだよ!」
 勢いの良い怒声が室内に響く。
「言葉の通りだ。霊安室から遺体が消えた」
 ピクリ、とある一言にアワラは過剰な反応を示す。
「ちょっと待て、霊安室って・・・、スズロが死んだって言うのかよ!?」
 結局行き当たった最悪の結末。アワラが一番恐れていた答え。アワラの握り締める拳が小刻みに震えていて、ルヒトは居た堪れない気持ちになる。が、慰めの言葉をかけても何の救いにならないことを痛いほどに分かっている。だからこそルヒトはそのまま話を進めた。
「消えたのは今しがた、監視員がほんの数分監視カメラから目を逸らした内に何者かに遺体が持ち去られた。監視カメラは壊されて何の手掛かりも残っておらず、念の為お前の様子を俺が見に来た所だ」
 大事な重要参考人だからな、と続ける。
「そんなこと言われても俺は何も知らねーよ。追って来たヤツ等が一体何者なのかも、その目的も・・・何でスズロが狙われたのかも・・・」
 自分の言葉に苦笑する。愚かで滑稽だと思った。
「CCC(トリプル・シィー)と言う組織を知っているか」
「あぁ、正式名称COCUCA(コクカ)、その頭文字のCを取ってCCC、3年くらい前から急に動き出した組織だろう?」
 いきなりすり替えられた会話。意図をイマイチ掴めないもののアワラは質問に答える。
 CCCと言うのは先程アワラが述べたように正式名称をCOCUCAと言い、この街を裏で支配している組織だ。街で起こる事件の大半に絡んでいると思われ、規模は大きく未だ実態を掴めていない為警察が血眼になって本部と組織のトップを捜している。
「その通り。で、ここからが本題だ。そのCCCの、しかも本部からスズロは何かを盗み出した。なぜスズロは本部の場所を知っている?何か関わりがあったんじゃないか?」
 ルヒトの言葉はアワラから平常心を失わせるには絶大の効果を持っていた。
 アワラの中で何かが切れると同時に、ルヒトの目の前には拳が飛んで来ていた。それを素早く左に顔を背けて避けると、右手でその拳を受け止め、そのまま手首を掴んでひねり上げた。うっ、と小さくアワラがうねる。表情をやや苦しめに歪めルヒトを睨みつけた。
「お前とスズロが襲われた日・・・昨日の午後5時頃、警察に電話があった。電話の主はスズロと名乗り・・・」
 その強い眼力に全く怯みもせず、逆にルヒトの方が強い視線をアワラに向け、淡々と話を続ける。
 偶然にも電話に出たのはルヒトで、その時の様子は鮮明に覚えていた、必死の声で彼は言ったのだ、”町外れの廃ビルの前で待っている人間を保護して欲しい。俺は今追われていてそいつが危ない”始めは悪戯の類かとも疑ったが、その直後聞こえてきた3発の銃声、切る直前に”アワラ”と呟かれた声。
「だからって、何でスズロがCCCから何かを盗んだことになるんだよ!」
「いいから人の話は最後まで聞け。俺たちは行ったんだ、その廃ビルに」
 だが、そこには誰も居らず、やはり悪戯だったのかと、帰ろうとした矢先ルヒトが見つけたのはおびただしい血痕。それに続く数台の車のタイヤの跡。
「じゃぁ・・・・・」
「ああ、捕まえたさ。お前等を襲った奴等を」
「そいつ等は何て言ってるんだ?」
「上からの命令でスズロを殺そうとしたらしい。何を盗んだのかは知らされてないそうだ。スズロを調べたが何も出てこなかった。奴等からも、アワラ、お前からもだ」
「だから言っただろう、俺は何も知らない」
 アワラは口を閉ざし俯く。それを見てルヒトがそっと腕を開放すると、アワラは重力に身を委ね、力なくベッドへと腰を下ろした。
 それ以上の質問は無意味だろうと判断し、最期に1つだけルヒトは問いかけた。
「アワラ、お前にとってスズロの存在は何だ?」
「・・・幼馴染の親友で・・・それで、」
 それで?とルヒトが問いかける前にアワラは動いた。不意を突かれたルヒトは蹴り飛ばされ、アワラは窓へと走り寄ると、純白のカーテンを翻し、ベランダから飛び降りた。
「バッ・・・ここは2階っ・・・・・・」
 慌ててベランダから下を見たルヒトは、1階のベランダに見事に着地し、更に地上へと飛び降りるアワラの姿を目撃し、あまりの身のこなしに一瞬言葉を失う。
 そんなルヒトに気付いたアワラは、不敵な笑みをその顔に滲ませた。







2003年06月06日(金)



 偽りの裏側 −1−

 目に見えるモノが多すぎて、見えないモノまで気にかける余裕が無い
 でも、本当は
 目に見えるモノなんてほんの僅かで
 見えていると思っているモノすらみえてない
 騙されるな、信じるべきは見えないモノなのだから
 捕らわれるな、目に見えるモノに何かを委ねてはいけない
 それが
 今この世で生きて行く為の掟なのだから・・・・・――――――



 信じた俺が馬鹿だったと、天気予報に対して悪態を吐きつつ、親友に切れと言われている前髪を掻き揚げた。どうやら雨は止む気は無いようでその強さを増す一方である。アワラにとってはもう何かを考えることすら億劫で、ボーっと雨に身を委ねた。
 いつもはサラサラとした黒髪は十分すぎるほどに雨水を含み、陶器を思わせる白い肌の首筋に雫を滴らせた。162cmとやや低めの身長に見るからに華奢な身体、大きな翡翠の瞳に長い睫毛、形のよう唇に整った面立ちは世間で”可愛い”と称される。17歳、高校2年生だ。追記するなれば、今年度の学園祭で出場した女装コンテスト―あくまでクラスの女子の陰謀であって本人の意思ではない―でみごと優勝を掻っ攫った。
「あ〜もう、スズロのヤツ、自分から呼び出しておいてこの仕打ちは何だ!」
 叫ぶと同時に足元に落ちていた掌サイズのコンクリートを思いっきり踏みつける。足を上げればそこには粉々になったコンクリートが雨に濡れていた。
 アワラは顔や身体つきに似合わず口が悪く喧嘩っ早い。その上強いものだから彼に何かしらの言い掛かりや因縁をつける輩が少なからず存在する。その反面、彼のことを心から尊敬する者も少なくない・・・つまり、良い意味でも悪い意味でも彼の周りには必ず誰かが居るのだ。
 先程の叫びに出て来たスズロと言うのがその筆頭で、アワラに前髪を切れと口を酸っぱくして言い続ける親友だ。その付き合いは小学校1年の頃からあれこれもう11年、所謂幼馴染で、現在のアワラの待ち人。
 スズロは健康的な血色の良い肌色にこげ茶色の髪をしており、顔の作りこそは極平凡だがやや切れ長の鋭い琥珀色の瞳はいつも何かしら強い意志を堪えている。
「アワラ!」
 不意に呼ばれた名前、とても聞き覚えのあるその声は間違いなくスズロのもので、いつもは飄々とした、滅多に感情を出さない彼にしては珍しく声が切羽詰っているように感じられ、アワラは訝しげに表情を歪める。
 が、深く考える暇もなく、必死に走ってきたスズロに手を取られ、そのまま引かれてアワラも走り出した。
 3月のまだ寒さの残る季節の中、幼馴染の手には鮮血が伝っていた。
 
 

「どう言うことなのか説明しろよ」
 平静を保ちつつ問いかけるが僅かな声の震えは隠せない。アワラはその生温かく己の手すらも紅に染める液体が何なのか、分かっているのに頭が理解することを拒否していた。
 スズロもアワラ同様に黒い服を着ていたので直ぐには気付かなかったが、彼の出血は右肩の怪我からだった。右肩と言っても心臓からさほど離れておらず、心臓に当たらなかったのは奇跡といっても過言ではない。
 今日は学校の都合上、授業は午前中で終わり2人が別れたのが午後1時頃、その4時間後にアワラはスズロに呼び出され、正確には分からないが30分ほど待っていた。空白の4時間半で一体スズロの身に何が起きたのかアワラには量りかねた。ただ、何かとんでもないことに足を突っ込んでしまったのだと言うことだけは漠然と感じられた。
「悪いな、アワラまで巻き込んじまって」
 肩で息をしながら言うスズロにアワラの不安は高まる。
 今2人が居るのはあの廃ビルから更に街の外れにある裏路地で、昔は栄えていたのだろうと思えし面影は残っているものの人は誰1人居ない。
 ココはアワラが小学校4年生の頃、家出をした時に偶然見付けた場所で、毎月2,3回は訪れる。だからこそ、隠れる場所に決めたのだ。自分の庭のように知り尽くしているこの場所を・・・・・・。
「痛むか?」
「大・・・丈夫、だ」
 そう言うもののスズロの顔はやはり痛みに歪んでいて、止血をしたいのは山々なのだが生憎アワラもスズロも黒のトレーナーにジーンズと言った格好で、タオルなどは一切持ち合わせていない。血は止め止め無く流れ、雨も手伝い、徐々にスズロの体温を奪って行く、あまりの歯痒さにアワラは握る拳に力を込めた。
「スズロ・・・本当に何があったんだよ」
「・・・・・・」
「おい、答えろよ!」
 キキキキキ―――――ッ
 アワラの叫び声を掻き消すようなけたたましいブレーキ音と共に、黒い車が2台、路地の入り口に停車した。
 アワラは何が起こっているのか考えるが、急なことで頭が着いてこない。ただ、自分の隣でチッとスズロが舌打ちをするのを聞いて1つの仮設が出来上がった。
 そしてお約束と言うべきか、車の中から合計5人の、黒いスーツに身を包み、サングラスをかけた男が降りて来た。アワラとスズロに銃口を向けて・・・・・・。
「アワラ・・・逃げろ」
「ヤなこった」
「なっ・・・――――」
 あまりの即答にスズロは一瞬言葉を失う。
「俺は、こいつ等が何者なのかお前の口から説明してもらうまで動かねぇからな」
 あぁ、らしいな、とその答えにスズロは思わずには居られなかった。アワラは昔から自分が納得いかないことには従わないのだ。それはスズロ自身が一番良く知っているのだが、今はそんなことを懐かしんでいる場合ではない。事は一刻を争うのだ。
「ごめんな、アワラ・・・」
「え?」
 なに謝ってんだよ、そう言おうとした言葉は頭に走った衝撃によって遮られ、目の前は黒に染まった。それが地面の黒なのか、不審な男達のスーツの色なの、はたまたスズロのトレーナーの色なのかを解せぬままアワラは意識を失い、ドサリト言う音が雨に紛れて静かに響く。
 その直後、パンッと一発の銃声と再び誰かの倒れる音、そしてパトカーのサイレンによって雨の音は掻き消され、この騒々しい音達を合図に全ては動き始めたのだ。
 そう、全ては偽りの裏側で――――――







2003年06月03日(火)
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