...ささなみ

 

 

ゆくすえ

メモ - 2007年06月24日(日)

梅原猛の対論集2「神仏のすみか」、惑星物理学者松井孝典との対談の中で、松井氏が「おばあさん」について言及した箇所に「あっ」と思う。
-僕はなぜ現生人類のみが人間圏を作って生き始めたのかということをいろいろと考えていたんですが、二つのことに気づいた。一つは「おばあさん」という存在。実は現生人類にしか「おばあさん」なる存在はないんです。
-ここで言う「おばあさん」というのは生物学的な意味です。もう子供を産めなくなったメスが生き延びている状態を指します。単に孫がいる、とかそういうことではない。「おばあさん」はホモ・サピエンス、すなわち現生人類以外には存在しないんです。
-生物というのは子孫を残すために在るのであって、子孫を残せなくなったらレゾンデートルがない。そのためメスの場合、子供を産めなくなると数年で死ぬんです。
-更年期障害というのは死の病だったということです。それが現生人類のメスに至って、生き延びるようになった。その結果何がおこったかというと、人口増加がおこった。
これはお産の知識が娘に伝わる、子供の面倒をみられる、ということが人口増加に有利にはたらいたということだ。ちなみに松井氏は人間圏形成のもう一つの理由として、言語を明瞭に喋れるようになったことをあげている。言語の獲得→目の前でおこっていないことが伝達可能→抽象的思考→バーチャルな世界=共通の投影ルール、内部モデル、共同幻想→共同体の形成、というわけ。閑話休題。

これからまさに「おばあさん」時代に突入しようとしているものには、言われてみれば当然のことながら、「あっ」というような記述である。基本のキの確認となった。読み返しながら、子どもの本ではないが、「赤い薔薇ソースの伝説」ラウラ・エスキヴェル世界文化社 というメキシコの小説を思い出した。台所女ナチャについての記述だ。
-ナチャは、料理だけでなく、いろいろなことに精通していた。結婚も子育ても経験がなかった。しかし、だが、無邪気な赤ん坊に何を食べさせたらよいのかよく知っていた。読み書きもできなかった。しかし、家事には広い知識があった。エレーナ(農場主、台所で生きる主人公ティタの母)は、喜んでナチャの助けを借りた。
「おばあさん」はいろいろなことに精通していなければならない。主人公ティタは、ナチャによって、お茶ととうもろこしのおかゆでナチャに育てられる。台所が彼女の世界になり、そこから人生を眺めるようになる。(この後、ナチャは物語の前半、ティタの悲恋の涙の落ちたシュガーペーストを舐め、強い郷愁に襲われて、昔の恋人の写真を抱いて息絶えているところを発見される。)

子どもの本の世界に、「おばあさん」はどのような形であらわれるか。
よいおばあさん、悪いおばあさん、ふつうのおばあさん。
よいおばあさんは善知識として主人公を窮地からすくう。悪いおばあさんは悪知恵をもって主人公を窮地におとしいれる。よいにしろ悪いにしろ、おばあさんはときどき別名「魔女」としてあらわれる。ふつうのおばあさんは、あまり魔女とはならないが、たいていは「自然」や「家事」に精通していて、やはり「魔女」の素養を充分に持つ。たとえば、ターシャ・テューダーやモーゼスおばあさんのように。








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shallow grave - 2007年06月03日(日)

in such a shallow grave
また来る夜さえざえ
ユメの突起ざらつき
損なわれる

overflowing texts
清らかな流れ絶えて
乾く体刻々
剥がれてゆく

every evil monday
ばらばらにちらばる
欠片の数合わない
間に合わない

君を見る 震える視線の 細い糸の網で
つかまえる とじこめる
君を抱く コトバで抱く 虚空で抱く
明け方 うすれゆく夢で抱く










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森のジプシーと - 2007年06月02日(土)

森のジプシーと遊んじゃだめ
かあさまがいつもボクに言った
森のジプシーと遊んじゃだめ
とうさまがボクにつよく言った

森のジプシーはジルコンの眼
草の実のビーズつないでくれた
森のジプシーはジルコンの眼
魔法陣を描いてうたっていたよ

森のジプシーと遊んじゃだめ
フクロウ一声ひくく鳴いた
森のジプシーと遊んじゃだめ
オオカミ遠くの山で吼えた

森のジプシーはジルコンの眼
草の実のビーズつないでくれた
森のジプシーはジルコンの眼
魔法陣を描いてうたっていたよ

病葉の上に横たわって
森のジプシーが囁いたよ
明け方の雫飲んでごらん
この世に苦いものなどないよ





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こしかた



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