読書日記「現代思想の遭難者たち」「神話と意味」「人類最古の哲学」「誕生日の子どもたち」 - 2002年08月16日(金) 「現代思想の遭難者たち」 いしいひさいち 講談社 これはパロデイ漫画である。 しかし出てくる思想家の著作を読んでもいないので ほとんど笑えないのである。残念である。 各コマの横についてる説明も ちっとも簡単じゃないのである。 それでもなんとなくおもしろいのは作者の力量か。 「神話と意味」レヴィ=ストロース 大塚保夫訳 みすず書房 途中まで読んでいて、間がながーくあいてしまい 最後の部分を読んだので、すっかり前の部分を忘れてしまった。馬鹿馬鹿。 対談をもとに、しかもそれは英語で語るという制約があったので 読みやすいものになっているようだ。 神話と音楽の近親性について書かれたところなどおもしろかったが、 音楽の具体例として「ニーベルングの指環」が挙げられていたのは よく分からなかった。 そこで語られている音楽のモチーフ「愛の断念のテーマ」は すでに言語的な物語・神話の話のような気がしたから。 「カイエ・ソバージュ1 人類最古の哲学」 中沢新一 講談社選書メチエ231 とても楽しい内容だったので9日の午後、一気に読んだ。 カイエ・ソバージュの1と2、 読む順序が逆になったのがかえってよかったかな。 「鳥の巣あさり」と「竹取物語」、 「シンデレラ」から「原シンデレラ」へ。 「リグ・ヴェーダ」のソーマの正体と面白い話が満載。 ベニテングタケコワイ。 とくに北米のミクマク・インディアンたちが ヨーロッパのシンデレラの物語を 浅薄な価値観をもつものとして 批評精神をもって迎え 自分達のオリジナルの神話を作り出したという話。 そのストーリーが著者も言うように いかにも美しかった。 中沢先生の美意識もここに見える。 「誕生日の子どもたち」 トルーマン・カポーティ 村上春樹訳 文藝春秋 久しぶりに小説。とってもしっくり。 これは少年少女にもオススメだ。 「遠い声 遠い部屋」を20年くらい前に読んで、 そのときもしっくりきたなぁ、たしか。 村上訳というのもプラス要因か。 とくに表題作は印象的。 ちょっと土の匂いを抜いたマルケスの短編みたいだなぁ と思いながら読んでいたら、 さすが村上氏うまいことを言っていた。 しかしその(語り手の)「公正さ」故に 語られる物語からじわじわとにじみ出てくる魔術的な恐怖には、 かえって生々しさが賦与されている。 いやもう何もいうこと無し。そのとおり。 「無頭の鷹」のイノセンスの不吉な陰もよかった。 暗いフランス映画を見ているみたい。(アメリカなのに変?) - 読書日記。今村「近代性の構造」 レヴィ&中沢「サンタクロースの秘密」 - 2002年08月09日(金) タフな(村上春樹風、今のわたしにぴったり)状況が続き、 二週間ほど間があいて、読んだ内容はどんどん忘却のかなたへ。 しかし、霧雨がちで、気温も低く、予定していた洗濯もできないので 残滓なりと。 「近代性の構造」 今村仁司 講談社選書メチエ1 1994 かたい文章の背後に人がらのようなもの(とてもいい人!!)が見えるので この先生の書いたものに興味がある。 本書は1994刊と古いが、今の世界とわたしの現実にいちいちあてはまり、 (わたしには難しいところもあるが)面白く読んだ。 講義がもとになっているらしく、同じ著者の 「交易する人間」より平明。できのよい教科書的な読みやすさだ。 著者は1968「プラハの春」「パリの五月」により 第二近代は終焉を宣告され、第三近代への過渡期に入ったと言う。 わたしの個人的な文脈から笑うほどおもしろかったのが下記。 けれども宣告は宣告でしかなく、 我々の現実はまさに第二近代の最先端になっている。 過渡期とは、前時代の勢力が絶頂に達する時期でもあるのだ。 思わず膝を打ってしまいました。 もちろん、例のニューヨークのテロを中心とする 世界や日本の現状にも、なのだが 現在わたしを息苦しくしている 仕事場の現実にあまりにもフィットするので。 なるほど、あれは第二近代の権化であったか。 そう言われると、 息苦しさにネガティヴに反応しているだけの段階から 次の段階にすっと移行できるような気がするから不思議だ。 哲学者の先生はえらい。 マクロもミクロもぴたりとあてる。 よくあたる占い師みたい。 今村先生にファンレターを書いてみたい。 先鋭化した第二近代について語るため、 仕事場のお友達にもついこの本をすすめてしまったことです。 著者の示す近代の特徴。 「正確さ」というものに病的に取りつかれた時代。 「企て」中心の方法主義。体系主義。純粋主義。 直線時間。 「未来」を先取りし、現在に取り込む「進歩」の理念。 自然を、すべてを機械(メカニズム)としてとらえる態度。 非人間を人間から差別し排除する構造。 それをのりこえるために著者は、 あいまいさを代価として支払い エッセー的スタイルの思考をすることを提案する。 第五章 「排除」と「差別」の構造を超えて は 本書の中でもわたしにはもっともわかりやすかった。 目新しい考え方ではない。 どちらかと言えば、 昔からそれはわかってるよ、 というようなことがまとめられている。 自分が感じ、考えていたことが 間違いではなかったのだな、と確認する。 ただ、おおっと思ったのがラスト。 示した問題に対して 今村先生はどういう解決法をしめすのかなぁと、 興味シンシンで読み進めていくと、 「えーっ、それを言っちゃぁ反則じゃっ!?」 いや、否定するわけではないんですが…。 人間中心主義は人間/非人間の切断線を立てるところには いつでも発生する。 排除と差別の根絶への期待は絶望的だが、 絶望的だと判断することが、まずは出発点になる。 その判断については古来欺きの言説が多すぎたし、今もそうである。 欺きのイデオロギーの正体をつきとめて、 欺くことに加担しないことが必要だ。 正義は、常に人間ではなく非人間のほうにある。 差別と排除のメカニズムをのりこえるためには 自分の中の「異者」に気づき、 自ら「異者になること」だけがとるべき道である。 って、ねぇ。 そのようなカードをきっちゃってよいのでしょうか?? そりゃ、もう、宗教じゃないの…。でもいい人だ…。 注 わたしは、とくにいじめられっこではありません。 どっちかというと潜在的にはいじめっこかな…。 「サンタクロースの秘密」 クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一 せりか書房 1995 レヴィ=ストロースの 「火あぶりにされたサンタクロース」中沢訳 と 中沢の「幸福の贈与」が入っている。読みやすくてかわいい本。 題名だけ見ると、講談社新書あたりの サンタクロースに纏わる伝説や歴史や風俗を楽しくまとめた本みたい。 でもなかみはちょとちがう。 サンタクロースの原型「鞭打ちじいさん」の図版がコワイ。 1951、フランスでカトリックの司祭らが サンタクロースを火あぶりにした事件の文明史的な意味。 彼らの行為が彼らの立場からいうと妥当なものだったこと。 しかし、結果は皮肉なものになったこと。 サンタクロース儀礼の元々のすがた。 子どもへの贈与は死者への贈与ということ。 偽王。 中沢の文章のさいごの レヴィ=ストロースの構文による 「クリスマス・キャロル」の読み解きがきもちよくおもしろい。 この本を読みながら わたしは萩尾望都の「偽王」という掌編(すごく昔)を思い出した。 とても好きだった作品。 そしてあらためて萩尾望都ってすごいなーと思った。 - 読み終わったら押してみる。
|
|