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読書日記。「シェイクスピアを観る」 - 2002年06月15日(土)

「シェイクスピアを観る」大場建治 岩波新書

古今の舞台と映画を紹介しながら
シェイクスピアがどのように演じられてきたかを解説したもの。
たいへんわかりやすく楽しく読めた。
楽しい中に深くて刺激的な記述も。

たとえば、
「十二夜」の中のヴァイオラとセバスチャンの再会について。
>二人の再会がつねに感動的に迫ってくるのは、
>この場面が演劇そのものの本質に根ざしているからではないか。
>なぜなら演劇とは瓜二つのものに変装することではじまるのだから。
とか、

「ハムレットはテキストと対決する」
>「ハムレット」という劇は次第に満ちてくる潮の大波が
>次々寄せては返し寄せては返しするうちに巨大にひろがっていく、
>そういう展開なのである。(M・セント・クレア・バーン)
とか、

「冬の夜ばなし」ロマンス劇について。
>子どもだましの物語に気づかれたそのあと、
>観客の感動が急転直下に萎えしぼむことなく
>人生の永遠の感動の後味となって
>悠然と尾を引くような仕掛け。
>それは劇の物語性を、
>さらに大きな物語性の枠で
>あらかじめ取り囲んでおくことでした。

>悲劇からロマンス劇への移行は
>カメラの接写からの後退。
>無限大の焦点距離の中で、
>リオンティーズの嫉妬は
>経過も理由もすべて削ぎ落とされ、
>ただ突如として存在する。
とか。

自分の観た映画や舞台も出てきたし
(ブラナーの「ハムレット」
「世にも憂鬱なハムレットたち」「から騒ぎ」や
白石加代子がマルヴォーリオをやった「女たちの十二夜」(TV)など)
観ていないものはむしょうに観たくなった。
(ブラナーの「ヘンリー五世」とか
野田秀樹の「十二夜」とか。)

あーそう言えば
蜷川・真田の「ハムレット」は
圏外だったのが残念。
真田君のイギリスでの
「リア王」のビデオって売ってないのかなぁ。観たいなぁ。

とにかく、
読んでいないシェイクスピア作品をもっと読もうっと。



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園芸日記。園芸とは。 - 2002年06月12日(水)

すでに出尽くしたであろう考察だが、
園芸とは「自然」ではなく「自然を愛すること」では無論ないのだろう。

今朝も三匹の毛虫ならびに芋虫を捕殺した。
自然に親しむことが本義ならあってはならない行為だ。
薔薇のためにスギナやスカンポや蕗を抜いてゴミに出すなど論外だ。

走ることが「健康的」なものではなく
むしろ一種の頽廃であるのと同様、
園芸は「反自然」であり
その点でおそろしく「人間的」であり
はなはだしく「人工的」なものなのだと
毎朝芋虫を踏み潰しながらつくづく思う。

映画「セヴン・イヤーズ・イン・チベット」
で、ミミズをすべて救出するシーンを思い出し
時折暗澹たる気持ちになったりもするが。(おおげさ。)

話はとぶが
わたしはことほどさように「反自然」な態度の「人間」なので
すごーくクジラが食べたかったりする。
アメリカの欺瞞、憤ろしい。



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