.第7話:「やさしいキスをして」 (Side : Toko)

〜今日という 一日が終わるときにそばにいられたら
 髪を撫でて 肩を抱いて あなたが眠るまで
 報われなくても 結ばれなくても あなたはただ一人の運命の人〜



−忘れられない男(ひと)が、いる。初めて出会った、14の春の日から−。


「・・・すみません、これ、お願いします」

机の上に差し出した書類を見て、上司がつぶやく。
「・・・そうか、もうこの時期か・・・」
遠い目をする彼。
「ええ・・・」あたしは相槌を打つ。
それ以上聞かなくても、その言葉が何を意味するのか、ちゃんとわかっているから。

「休暇、三日間でいいのか?たまには実家でゆっくりしたらいいのに」
いいえ、とあたしは微笑みながら首を横にふる。
「なんかあんまり長く向こうにいても、何していいかわからなくて」

実家を離れて早7年目。
大学を卒業して、大学のあった街で、あたしは英会話講師兼通訳として働いている。
夏休みになるとあたしの勤める英語学校も書き入れ時で、そんなに長い休みを取りにくいというのももちろんあるが、
帰省する、と言う行為自体が、今のあたしにはかなりの負担になっていた。
自分の家には間違いないのに、今は実家にいることにある種の息苦しさを感じる。

「あの日」以来、めっきり老け込んでしまった両親のことが気にならないと言ったら嘘になる。
でも、「あの日」以来、もうこの世にはいない『あの女(ひと)』の面影を、いまだに実家に帰るたびに感じてしまって。

そして、あの男(ひと)にあうことが、さらにあたしの心を重くする。
いつまでたっても心から消えてくれないあの男。
狂おしいほど思いつづけても決して手に入れることはかなわない、「他人のもの」である彼。
誰よりも『あの女』の面影に縛られている彼には、少なくとも今は会いたくない。会いたいけれど、会いたくない。

だから、三年前の「あの日」以降、
実家に帰るのはよほどのことがない限り一年に一度、この時期だけと決めている。




姉・瑶子が永遠の眠りについた、7月に。




幼い頃から身体の弱かった姉。
その命の灯火が消えたのは、あまりにもあっけなかった。
夏風邪をこじらせて肺炎を併発してしまい、もともと呼吸器系の弱かった姉にとってはそれが致命傷になった。

実家を離れていた妹であるあたしはもちろん、両親も、そして最愛の夫・本並佑哉さえもたまたま席をはずしていたときに、大きな発作を起こして意識を失った。
そうしてそのまま目覚めることなく、姉の生きた時間は28年で永遠にその動きを止めてしまった。

知らせを受けて駆けつけたものの臨終には間に合わず、病室であたしが見たものは、まるで眠っているかのような穏やかな表情をした姉の亡骸と、傍らにずっと座ったまま離れようとしない義兄の姿。
その呆然とした表情が、突然妻に死なれた彼の悲しさと喪失感を物語っていた。


その瞬間、あたしは悟ったのだ。
彼が姉に寄せている愛情の深さと、その想いがそう簡単に他に向きそうもないことを。

正直な話、姉が亡くなったとき、心の底でひそかに期待した。
姉がいなくなって、彼が私を見る眼が少しは変わってくるのではないか、と。

でも、あれから時が経っても、彼の心から姉は消えてくれないらしい。
そして、あたしの心からも、彼は消えてくれない。
初めて会った14の春の日から、誰と付き合っても、どこにいても、
その存在はいまだに消えることはないのだから…。

                       (△悗弔鼎)

2004年04月08日(木)


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