Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年03月31日(金) 何様オバ様?

土日にレッスンを担当する私にとって、今日は渡航前最後の休日。
昨日のうちに羅列しておいた諸事を只管こなす。

銀行に郵便局。
医者に整体。
ゲルマで汗を絞って、締めにHP更新。

医者にビタミン剤などを貰いに行きつつ、お昼をとりに立ち寄ったカフェ。
セルフサービスなのでカウンターでオーダーするスタイル。
お昼時を過ぎているのに店内はほどよく混雑していて、最悪、苦手な喫煙席に座らないとならない。其れだけは避けたい。

入り口のすぐ横の席がうまく空いて、カウンターでオーダーをする前に席を確保できた。
荷物を座席に置き、カウンターへ。
すると、私のあとに二人連れ50代くらいの女性。
ふと見ると、私が荷物を置いた席に座っている。
「あれ?」と思いつつ、その様子を見ていると、隣の席の男性に私の荷物を指差し、「この荷物どかしてよ。」と言い放ち、「ねーねー、ここでいいでしょ?」と連れの女性に云う。男性は「それは私の荷物じゃありません。」と困り顔。仕方なく「それ、私のです。」と言ったのだが、「あ、そう」と、其れだけの反応。「ごめんなさい」くらいの一言くらいあったって良いのでは?と、少々不愉快に思いつつ、私はこんな厚顔無恥で、厚かましい中年には絶対なりたくないと強く思うのだ。
綺麗にさらりと「ありがとう」「ごめんなさい」を云える、そんな人になりたいのだ。

オーダーを終えて、席について待っていると、その50代女性の二人連れもオーダーを終わらせて、飲み物だけを乗せたトレーを手にした。
二人連れの行くてには、男性が二人、壁に貼り出されたメニューを見乍らオーダーを待っている。(わりと真剣にメニューを選んでいる様子。)
すると二人連れ50代は、「すいませーーーーん!」「すいません、すいませーん!」と男性に叫ぶ。
店内は、程よくBGMなども流れているし、男性ふたりは「俺、このセットにしようかな」などとメニューチェックに集中しているので、50代の声に気付かない。奥の席の女子高生の大声トークも手伝って、全く気付く様子もない。
ふと見ると、ちょっと避ければ十分通れるスペースがある。なにも「すいません!」と連呼して、他人を移動させてまでど真ん中を移動しなくたっていいじゃないか。オバちゃんたち、いったい何様?お姫様?オレ様ならぬ、オバ様かい?
するとめげないオバ様は、「ちょっとー、すいませーん!どいてよ!」と言い放ち、最後には「エクスキューズ・アス!!」と叫んだ。
飲みかけていたコーヒーを目一杯吹き出しそうになったのは言うまでもない。面白過ぎる展開に仰天。

最終的には、オバ様チームが諦めて、ちょっと避け乍ら奥の席に行ったのだった。
もし、あのメニューを見ていた男性2人が実は気付いていながらわざと無視していたのだとしたら、結構素晴しいと思う。

こう見えても、実際は弱気で、すぐにレジ列とかに割り込みされたりして、それでも文句を言えずにいたりする。
チャリに乗っていても、ベルを鳴らすことは滅多にない。
今日は「あー、邪魔だなぁ。」と思いつつ、なかなか抜かすことができなかったオヤジの横を通り抜けようとしたところ、見事突然オヤジが横に動き肘鉄をかまされ、植え込みに自転車ごと横転。なのに「痛えなー!」と舌打ちされ、惨めな気分。
歩きタバコをする、オヤジの後ろ、ずっと5分くらい我慢して、ぶつからないように気をつけて追い抜きをかけたのに。死ねっ!!
どっちみち舌打ちされたり、睨まれたりするくらいなら、最初から「チリチリ」としつこくベルを鳴らしてやると強く決意。
車を運転していてもクラクションを鳴らすのは年に数回なのは予想もつかないのだろうけど事実です。
強気な女に憧れる最近。


2006年03月30日(木) 軽佻浮薄

四文字熟語シリーズ。(意味は文末に)

NY旅行の準備のため日々寝る間も惜しむ生活。
真夜中にAmazonでレッスン用のCDを注文しようとアクセスした時、たまたまトップページに掲載されていた電子辞書に目が止まる。
(因にCDは最近日本で買ったほうが安い!しかも種類が豊富!タイトルやアーティストがわかっている場合はネットで検索&購入が私にとって一番安上がりで時間が節約できる方法。)
私の持っている電子辞書はかれこれ10年以上は愛用している古いもの。
基本的に英和、和英、広辞苑、漢字辞典があれば間に合う。
しかし、Amazonで見かけたこの電子辞書、コンテンツ(辞書の種類)がなんと100も!類語だとか、カタカナ語だとか、家庭の医学や日本史、世界史、料理ワザあり辞典など、もう此れでもか!とばかりにてんこ盛り。
そう、勿論、その中に四文字熟語辞典も。
というわけで、2日続けて余り馴染みのない熟語をタイトルにしてみました。

タイトルに合った話をしないといけない。

このところ、軽佻浮薄な輩に遭遇し、戸惑うことが多い。
私自身も他人のことを軽佻浮薄だなんて云う資格があるかというと苦しいところだが、此のような私でさえも云い得てしまうような輩なのだから仕方在るまい。余程のものと考えて戴ければと思う。
日々、此のような人たちと接触を続けていると、自分の愚かさも度を増しそうで恐ろしいのだ。伝染らないと思うが、伝染りそうなほどに度合いが酷い。

本日の輩。
頼まれものと、旅行準備を兼ねて買い物に出た。
その先で陳列台を眺めていると、後方から話し声。
振り向いて見たわけではないのだが、声のトーンからして20代のカップル。
♀「へえ〜、そうなのぉ。ふ〜ん。それで?」
♂「だから、手持ち無沙汰でさ。」
♀「は?・・・・・・・何処の方言?」
♂「え?何が?」
♀「何だっけ?ても?てもち豚?え?なにそれ?」
♂「手持ち無沙汰?」
♀「それそれ〜〜。っていうか、方言?どこの言葉よ?」
♂「方言じゃないよ。手持ち無沙汰って云わない?」
♀「言わない言わない言わない〜!手持ち豚?面白い〜。初めて聞いたよ。勝手に作ったでしょ。あははははー」
・・・・・脱力。

よくレッスン中に右左を間違えたり、滑舌が悪くて意味不明のことを言ってしまったりするので、厳しいことは言えません。
赤の他人に至っては、たぶんもう二度と出会うことがない人ですから聞き流すよう努めます。
しかし、此のようなのが身近に存在すると、その余りの苦しみに悶絶死しそうになってしまうのは私だけなのでしょうか。
そして、それを苦渋の想いで指摘したところの、何の改善も見られないとなれば、もう、もう、途方に暮れ、指摘した自分のほうが愚かだったと認識し自害したく成る訳です。

こう言う私も軽佻浮薄は自覚をして居りますから、今更とは思いつつも、少しでも善い母国語を学び、使い慣れることができればと望むのです。
其のような訳で、最新型の電子辞書を今後も愛用すると確信し、購入をしたのでした。
ええ、つまりは度重なる衝動買いの大変遠回しな言い訳で御座いました。お粗末。

※軽佻浮薄(けいちょうふはく):軽はずみで落ち着きが無く、話したりすることが浅はかで、しっかりしていないようす。


2006年03月29日(水) 格物致知

センス、感覚と云うものに於いて、此れだけは教えようもなく、諮る手段もなく、途方にくれる。

果たして私の持つものが正しいかというと、其れさえもわからない。

唯、思うことは、何事に於いても、此の、センスと呼ばれるものが持つ意味合いは深いということだ。
例えばスポーツ。例えば食生活、料理などの味付け。例えば好きな色と似合う色を分け隔てすること。言葉の選び方。身のこなし方。
思い付くこと全てが、ほとんどセンスによって左右される。

しかし、センスが「性格」に直結するかというと違う。
どれほどセンスが善くても「性格」が悪い人もいるし、センスが全くないのに「性格」がステキな人もいる。

また、センスと理屈は相反するものなのだろう。たぶん。
理屈は教えることや議論することができるが、センスは難しい。
理屈にこだわる人ほど、センスというものを忘れきっていたりする。

其の昔、先生に云われた言葉が今も心に残る。
「センスはね、親の義務。3つまでに教わった両親のセンスがその子の基準になるから、センスが悪いのはその人の罪ではなく親の罪。そして、怖いことに一生変わらぬものなんだ。」

確かに家庭内のことは、子供にとって最初に覚える社会ルールであり、マナーであり、センスなのだ。
卵焼きにソルト&ペパーなのか、醤油か、ソースか。
家庭のなかで最初に教わること、知ることが、一生ついてまわるのだろう。

しかし、センスと一括りで言うが、ダンスに於いてのものは、これまた別なのだとは思う。
いろんなスタイルのものを踊ったり、たくさんの舞台を観てゆくうちに磨かれる部分も多いはずだ。思わぬ意識の変化があるからこそダンスを学ぶことは楽しい。

問題は「人間」として生きるセンス。

否、一方的に誰かを否定しているわけではない。
私だって「人間としてのセンス」に自信があるわけではないのだから。
唯、余りにも自分のもつ其れとは、遠くかけ離れたり、真逆な人と居ることが苦しいのだ。
何処かでシンパシーを感じ乍らも、というものならば苦しくはないのだろうが。若しくは、其所に何らかの好意が存在すれば別なのだろう。
センスや意識の似た人とは、自然と互いに近付くことができるものだったりする。そこから好意が発することも多々在る。

回り諄く在れ此れ書きなぐって居るが、いったいなにを言いたいか。

日々、小さいことであっても学ぶ気持ちや吸収する心の柔らかさを持ち続けているならば、自分を変化させる原動力になるだろう。
ものを見極め、自らの力で探し、得た知識があれば、それはセンスに大きく関わってくるのだろ思うのだ。
他人に頼っていては何も見つからない。
センスが何か、もうひとつ深く想いを廻らし、自ら何かを学んでから当るが良し。

かく言う私も、探究心、学ぶ心は忘れずに、少しずつでも成長を続けたい。


2006年03月27日(月) 旅支度

来週の火曜日に2年ぶりにNYCへ。

「Monieさん、いつNY行くんだっけ?」との質問に、そういえば一週間後なのだと気付くほど実際の私は鈍いのだ。
出発までにしなければならないことが山ほどあるというのに、何一つ手つかずのまま。

NYCの親友に電話をする。
相も変わらずのトーク。
「どうせ来たら、いつもの処へ行きたがるわけでしょ?」という彼女の言葉に「何を今更確認しているわけ?当然でしょ?」と答える。
いつもの処、それは、行きつけのレストランやカフェだったり、ショッピングセンターだったり。
彼女と話をしていると、10代の頃に遡り、まだVillageに住んでいるような錯覚に陥る。
十年ひと昔とは良く言ったものだ。

私は旅に出る時、必ずノートを作成する。
其れは、添乗員だったころからの習慣。
私の本棚には歴代のノートたちが並んでいる。
準備の段階からノートを使う。利用したい旅行代理店のことや、ホテルの候補、行きたい場所や買いたいものを次々と書き出し、資料を貼ってゆく。
旅に出れば、それが旅日記になる。
買ったもののイラストや、レシートを貼ったり、時にはそのノートの隅っこで買い物の計算までしてしまう。
時々、過去のノートを広げ、ノスタルジーに浸る。

今回一緒に旅するメンバーも、負けずと「旅手帖」を作ってきている。
表紙に気合いがはいっていたり、いろいろな資料が挟まれていたり。
傍で其れを観ていても、楽しげだ。

準備は滞ってはいるが楽しい。新しい発見が多い。

海外旅行へ出るのは約1年ぶりではあるが、たった1年でいろいろなことが変わっている。

今回、私はNYCにいる間でもブログを更新しようと目論んでいる。PCを持って行くかどうするか悩む。
ここで発見したのはvodafoneは海外でも携帯でメールが送受信できるということ。普段使いのauでも同じサービスをしていないものかと探ってみたところ、今の携帯の中に入っているICカードをアメリカ仕様の携帯に入れ替えるだけで同じ電話番号で海外にいても電話ができるシステムになっているとのこと。
勿論、電話連絡がつくことは必須だが、私の目論みは「ブログ更新BY携帯メール」だ。
今度はvodafoneを探ってみると、なんとレンタルをしていることがわかった。しかもネット予約ができる。
何て便利な世の中になったのだろう。
これで設定などのミスがなければ、渡米中もこうしてブログ更新が可能だということだ。皆様お楽しみに。


出発直前までレッスンや日舞の稽古が入っていたり、愛犬を合間をぬって「狂犬病予防接種」に連れていかなければならなかったりと、取り乱しそうなほど忙しい。
ただ、それが、NY旅行のためなのだと思えば、その忙しささえも楽しく思えてくるのだから不思議。

さて、話は少々飛ぶが、今日はお休みだった。
休みの日だからこそ、絶対にコンディションを整える作業を欠かしてはならない。
夜、無理にでも時間を作ってトレーニングへ。
その途中、六義園の前をチャリで通ったのだが、丁度「枝垂桜のライトアップ」をやっていたため、仰天するほどの人出。
六義園の近くに住んで30年以上だが、生まれて初めて入場を待つ長蛇の列ができているのを見た。
ひっそり佇む六義園が好きなのに。何か複雑。


2006年03月17日(金) 年功序列の快楽

本日より3日に渡り、どっぷりと浸かります。
日本舞踊の真髄に少しでも近付くことが出来るのでしょうか。

この3日は果たしてブログを更新する時間が捻出できるか疑問なので、今のうちに。

今日は練馬の稽古場にて下浚い。
久しぶりに軽装の単衣の着物で2回ほど作品を浚って、呆気無く終了。
そこから明日の準備。
ジャズとは違って、たった1曲の出演だというのに、準備するものが多過ぎる。着物、帯、それに必要な小物類がどっさりと。
しかも、何れも此れも嵩張るし、重い。
皆さんの成人式の時の晴れ着を思い出していただければ、少しは想像がつくのではないだろうか。
あの頃には想像もつかなかったが、今や、帯を結ぶのには他人の手を借りないとならないが、着付けそのものは全て自力だ。
其れだけでも己を誉めて遣りたい。

明日は朝から池袋で軽くリハをしたうえで、劇場へ全員で移動。
現地にて場当たりとリハ。そして仕込みがある。
食事を取る時間も、着替えも、何もかも割当制で、然も全て師匠の仰せのまま。当然、完全なる年功序列。
ある意味、潔く、快い。
時として、其れは余計な気を揉むこともなく、導かれる立場の心地よさを感じるくらいだ。(正座での足の痺れは別として)

明後日は本番。
たった数分にしかなぬ出番だというのに、早朝より髪を結い、顔を塗り、振り袖を着付ける。

此れだけ夜型生活に慣れている身体。
朝方生活を満喫できるのか疑問。否、不安。
振りの段取りよりも不安。
ならば、とっとと寝るとしよう。

土日にレッスンで皆様に逢えないのが心残りなだけ。


2006年03月14日(火) いざ集わん華の宵

今週は、ビックイベント目白おしの1週間。
イベントと云うと聞こえは良いが、実際は如何なるものか。
信じられない程に時間の経過が早く、何の準備も無い侭に居る。
このように日記を認めるのも、奇蹟に近い。

さて、週末には、レッスンを休ませて貰う。
其の代わりと云う訳ではないが、MDSで毎年恒例の「花見」が企画されている。
詳細は掲示板をご覧ぜよ。
今回は誘い文句さえも、何ともなしに粋だ。
既に場所確保も完了との幹事さんからの通達。
有難い。また今年も皆様と一緒に染井吉野を愛でることができれば幸い。

今週という過酷な時を過ごしきれば、其の先には安らぎが在るのだろう。

最終結果は27日となるのだから。


2006年03月10日(金) 失いそうになってわかること

いつも、どんな時でも、片時も離れることがない。
其れは、まるで「存在して当然」のものであって、馴染み過ぎている。
失いそうになる、その時になって、初めて、其のものの、大切さ、存在の大きさなどを痛感するのである。

何度、痛い目にあったとて、学習能力の希薄なことよ。


忙しい時だからこそ、体調の管理は格別に考えないとならない。
人間だから、忙しくなれば、体調を崩し、病気になることもあれば、慢性の疲労が祟って怪我になる場合もある。
焦点が決まっているからこそ、それに合わせ、全ての具合を整えていかないとならないのだ。

「忙しいから時間がない」は私にとって最悪の言い訳。
「忙しいからこそ時間を作る」が好き。
忙しいからこそ、逢いたい人や、忙しいからこそ、遣りたいことというのがあって、其れらが実は人生にとって必須だということを識るのだ。

今、忙しいからこそ、僅かな時間でもトレーニングに行くようにしている。
ストイックなのが好きなのではない。
最終目的地にて、最高に楽しむために、今、身体の管理をすることが愉しいのだ。
試験の結果を楽しむために、日々の地味な勉強を楽しむようにするのと同じなのだろう。

さて、其のような時であっても、片時として傍から離すことがない。
iPod。
コイツは、『相棒』とでも言えるほどの関係でもある。
古代の2世代iPod。ずっしり大きくて重くて。でも、レッスンの曲から、今後振付けを予定している曲から、モー娘。も、愛する林檎も全てがコイツの中に入っているのだ。
移動をする時も、整体の治療の時でも、チャリに乗っている時も、いつも何時も、一緒だ。

事件は勃発するものだ。

日舞の稽古の前に、1時間ほどストレッチとマシントレーニングをしようとトレーニングジムに寄った。
トレーニングシューズを履き、いつものようにマシンに跨がり、iPodを。
何故?何が起きたのだ?
画面が映らず。
いろいろとボタンを押したり、電源を入れ直したりと、やってみるが無駄な努力。

其れこそ、何の理由も前立てもなく、突如熱愛中の彼氏から別れを切り出されたかのように自失呆然。

冷静に考えれば、「買い替え時」だというのは良くわかる。
今や小さい可愛いシャッフルやら、薄くてチャーミングなnano、動画までが満喫できるiPodもあるのだ。
既に市場に出回る「iPodケース☆」だとか「iPodアクセサリー♪」みたいなものの対象は、この新しいスタイルのものばかりで、私の古代iPodなど「ブラウン管のテレビですかー?」みたいな扱いだ。
いい加減買い替えてもいいだろう。十分愛用したわけだし。
と、考えるのだが。

古女房ならぬ、古iPod。
諦めきれぬ想い。

稽古が終わり、自宅に戻り、ネットでトラブルシューティングをチェックし、必死にあれこれと試してみる。
試行錯誤の数時間。
「ピッ」という妙な音とともに復活した古iPod。

この喜びを忘れまい。
どんなにPrettyなケースやアクセサリーが出回っていて、それに対応しない古い機種だろうと、私は、この分厚い、重苦しい、古iPodをこの先も愛し続けるだろう。

失いそうになって、この厚みと重みの愛しさを知った。
復活した時の安堵感。
何時も、傍らにいるからこそ、気付かぬ存在の尊さよ。
明日もまた、稽古場までの道のりを供に。
哀しい時も、嬉しい時も、車の中も。

もっと違う話を期待していた人、残念でした(笑)


2006年03月08日(水) 選択の余地

さて、今月は舞台などがあり途中に休講させてもらったりするのだが、水曜日は5週目があったりもする。

通常5週目は、ピルエットやターンの特集か、または、アドバンスビギナークラスをやるのだが。
今回は希望により趣向を変えようかと。
前々から希望があるのは「クラシックバレエの基礎をやりたい」「フラメンコ風のジャズを踊りたい」というようなもの。
希望、要望のある方はビギナーズBBSまたはメールにて。

1ヶ月ぶりのランニングマンは目一杯体力を消耗してしまうものだと。
靴下の色が変わるほど、一生懸命踊るビギナーメンバーがいとおしく思うのだ。
来月も弾けましょう。


2006年03月07日(火) 追懐

僅かずつ、渡米の準備。
去年はイタリアに行ってしまったので、2年ぶり。
今回はMDSのメンバーも一緒の賑やかな旅。

事前情報は抜かり無く。
現地のダンススタジオの情報をネットで調べた。

私の古巣のスタジオは、いくつものスペースがあり、同じ時間帯にいろいろなクラスレッスンがある。
事前にタイムテーブルを調べ、どの時間にどのクラスを受けるか、計画しておかなければ現地にて混乱する。

パソコンの画面に映し出された文字を見つけ、驚喜した。
何かの間違いだろうと、何度も読み直した。
そこに記されている文字は「Marta」という懐かしい文字。
まさかと思いつつ、インストラクター一覧をチェックする。
間違いがない。「Cecilia Marta」と、顔写真までがはっきりとブラウザに映し出された。
思慕の想いに、胸が熱くなる。

NY留学を心に決めた大きな理由のひとつが此処にある。

10代の終わりにジャズダンスを始めることになった私は、彼女に出会った。
忘れもしない新宿のシアターで、手伝いの合間、リハーサルを垣間見、彼女の躍動を目にして、全身に鳥肌が立った感触を今も新鮮に覚えている。
クラシック出身の私は、何処かでジャズへの理解を拒否していた部分があったのだ。其れを全て打ち砕く、其のような衝撃的な踊りだった。
柔らかく、しなやかで、そして、強靭な。「美しい」だとか「カッコイイ」だとか、其のような稚拙な言葉では言い表すことができぬ、何やら、凄いものを感じ取った。

その日から、彼女はずっと私の中で不変のGoddessとなった。

当初NYに渡った直後は、恐れ多くて彼女のレッスンには参加できず、窓越しにレッスンを眺めては「いつかは、このクラスに入りたい」と切望を続けた。
彼女のクラスに参加することができるようになったのは、渡米して1年近くかかっていたように思う。

夢中で日々、彼女のレッスンを受けまくった。
彼女から吸収できるものだったら、何もかも欲しかった。
此のうえない敬慕。

今の私のダンススタイルは全て彼女がルーツ。

私の帰国のあと、数カ月して、彼女は活動を西海岸に移してしまった。
そして数年、彼女の消息はつかめず。
囁かな噂のみが流れていただけ。

あれから10年以上が経過し、心の何処かで思慕は募らせど、もう二度とあの時が戻らぬように、もう二度と彼女の踊りを見ることも、そして、彼女のレッスンに参加することもないのだろうと諦めていた。

15年ぶり。
今度の旅で彼女に再会できる。

この興奮と喜びをどう表現して善いのか、其れさえもわからず戸惑うばかりだ。
渡米が本気で待ちきれない。


2006年03月06日(月) 週末は疾風怒涛

週末は疾風怒濤。

睡眠平均2時間で乗り越えた故に、我が身に残りしものは、左内転筋の捻挫、足指の靭帯損傷。
そして、抱え込んだ衣装作り。
先輩たちの本音。

今更乍ら、ジャズダンスだろうと日本舞踊だろうと、踊るということは何れも同じく、中途半端な心構えでは舞台に載ることはできないと再認識。

フルタイムの仕事をしながら、リハーサルにレッスンに、そして衣装作りに係の仕事を全てこなしたMDSの発表会メンバーの底力、情熱を思い知る。
彼女たちは、何て凄いのだろうと、感心し、感動する。

慌ただしく過ごす日々。

不意に届いた花束に驚く。
MDSラウンジが出来て、1年が過ぎた。
暫くは、その事実に実感が湧かず、何事なのだろうと思い悩んだくらいだ。
すっかりと忘れきっていた事。
当事者さえ思い出せないことを心にとめておいてくださって、お祝いのお花を贈ってくださった、こぶこ先生に感謝の気持ちを伝えておきたい。

そして、こうして無事に1年を過ごすことができたのも、私を支えてきてくれたMDSメンバーの皆様の御陰。
心より、今一度、有難うと記しておきたい。


2006年03月03日(金) 花紋と感懐

母の婚礼の時の振り袖と覚えのない私の色無地花紋の振り袖を携えて稽古場へ。
舞台で使う振り袖を師匠に決めて貰う。

母の振り袖は、私や従姉妹も成人式で着回したもので、水色の総絞。
女紋である母方の家紋、桐が錦糸で刺繍されている古くも美しいもの。
私の色無地の振り袖は、薄らと四つ上の従姉妹の披露宴の時に着たような覚えがあるが、シックな紫に傍に寄れば見て取れる繊細な刺繍で花紋が入っているものだ。

箪笥から、色無地の着物が出てきた時の感嘆の溜息。
舞踊をやらず、着物に興味を持つことがなかったら、単なる箪笥の肥になっていただろう。
「袖を直して、訪問着にしたい。」と心底切望するほどに素晴しいもので、「ならば、尚更、今度の舞台に色無地を着なさい。袖を切ってしまう前に、もう一度晴れ舞台を。」と母に提言される。
其の意味もわかるところだが、何せ、新参の下手糞舞踊手だ。
出来ることなら、地味に、目立たず、大人しく舞台を務めたい。
其のような成り行きから、師匠にどちらの振り袖を着るべきか選んで戴くことにした。

今回の役所は「舞妓」だ。胸高に帯を締めて、可愛らしく舞う。(←その時点で十分に演技力不足は否めない。)

師匠が選んだのは、意外なことに、色無地だった。

その場で振り袖を着せられる。
師匠に腰紐を締めてもらうと、身が竦むような、引き締まるような気持ちだ。
スルスルと腰紐を締め、伊達締を使う、その手さばきの美しいことと言ったらない。
今までにいろいろな方に着物を着付けてもらったりしたが、此れ程までに綺麗な動きで紐を結び、帯を締めるのを見たことがないと、只管に感懐。
杜撰(ずさん)に纏う、自分の遣り方とは大きく違う。
着付けそのものも、腰紐一本締めるのも、全てが美しい「日本の動作」なのだと今さら気付く。

私よりも、遥かに小さな身体で、母と同じくらいのお歳だと云うのにも関わらず、グイと帯を引く力など、驚くほどの力で蹌踉けてしまう。
まるで人形にでもなった気分で、ものの5分ほどで着付けが終わる。

ウン10年ぶりくらいの振り袖は、笑えるくらい踊り辛く、不格好さを増すだけの物。
胸高の帯は苦しく、軽い動作をするだけで息が詰まる。

果たして、再来週の舞台に間に合うのだろうか。

そんな今、振り袖で稽古をしたせいか、腰も背中も叫びたいほどの筋肉痛に見舞われている。
明日も早朝から稽古。
実情とは裏腹に、緊張感と疲れで眠れず、日記を執筆、今に至る。


MONIE |MAILHomePage

My追加