Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2005年11月30日(水) 『こなす』こと

ツアコンをやっていてイタリア周遊を毎月のように担当していた時に出会った今のアジェンダ(システム手帖)。
一度Romaの店先に並んでいたのをチラッと見て「ふーん、いいなぁ、可愛いかも」と思いつつ、過ぎ去った。日本に戻れば似たような可愛い手帖はいくらでも見つかると思っていたのだ。

しかし、大概にして、逃した魚はでかい。
散々探して見つからず、翌月のツアーでイタリアに舞い戻った時に見かけた店にかけこむが売り切れ。得てして、人生など、そんな処だ。がっくりと肩を落とす私の姿を見兼ねて、シニョーラは「待ってて、他の店にないかチェックしてあげるから!」と。何本か電話をかけて調べてくれた。愛しい手帖は何と倉庫にひとつだけ残っていたらしい。
そんな紆余曲折のうえ、入手した手帖だ。付き合って、既に10年以上になる。

毎年この季節になると手帖に入れる新しい年のリフィールを買うのだが、この数年は決まったメーカーのものをずっと愛用していた。
来年も迷うことなく、其のリフィールを買おうと店に行ったが見つからない。おかしいと思ってネットで調べてみたら、なんと今年から廃盤になってしまったとのこと。ガーン。
お気に入りのものが廃盤になるということが過去にも何度かあったが、これほどまでに脱力しつつも腹立たしいことはない。
仕方なく他のメーカーのものは手に入れたが、落ち着かない。

ふと立ち寄った書店で見つけたのがこれ。なんとなく気になって、手に取ったのだが、なかなか面白い。


ひとの手帖やカバンの中を見るのって興味深い。
その人の人格とかが滲み出ていて、嬉しくなる。文字も人工的なフォントの文字より、ちょっぴり型くずれしているような手書きの個性的なもののほうが好きだ。
『ほぼ日手帳』なんて聞いたこともなかったのだが、この本を読んでしまうとたまらなく欲しくなってくる。皆がそれぞれ、自分のライフスタイルに合わせて手帳を使いこなしているのがステキだ。
スクラップだらけの人や、簡素にスケジュールしか記入していない人、イラストや絵を描いている人、全員がそれぞれ手帳を自分のスタイルにカスタマイズしている。
分厚くなったページやボロボロになった表紙など、見ればみるほど「使いこなされた美しさ」を見せている。


販売しているというロフトで現物を見て購入してしまった。
ネットで追加注文(数量限定)もあるらしい。
http://www.1101.com/store/techo/index.html


もしかして、来年はどの手帳にしようと決めかねている人は、是非この本を読んで、この手帳にハマって欲しい。
ちなみに、私は「使いこなしまくっている」イタリア移民アジェンダちゃんをこれからも毎日愛用するうえで、『ほぼ日手帳』はミニスクラップブック&メモ帳として活躍させるつもりだ。

どうやら私は「使いこなしたもの」が好きみたいだ。
靴もカバンも、使い続けることで味が出るものが好きでたまらない。
そして、既製品であっても、上手に使いこなすことができる人は素敵だなと思うのだ。
シンプルなブーツを何年も綺麗に手入れしてはいている人などがいると感激してしまう。

どんな小さなものであっても、愛着をもっているものというのは、他人から見ても特別なものに見える。
使い「こなす」ということは、愛情がなければできない技だと思うのだ。
「使いふるす」ことと「使いこなす」ことは別だ。
「使いふるす」は暴力的で愛を感じない。唯ただ消耗させているだけのような感じがする。それに比べ「使いこなす」は愛情だけではなく、工夫や努力も必要な感じに思える。

毎日使うものだし、最低でも1年は付き合うものだから、愛着もてるものが一番。

「こなす」については「踊りこなす」という部分でも同じようなことだと思うのだ。
リハのメンバーを見ていると、私の作った振りを、スタジオの隅で何度も反芻していたり、ポーズの微調整を鏡の前で真剣にやっていたりする。
此の子たちは、私の作った振りを精一杯愛情こめて踊り「こなそう」としてくれているんだと感じる。

「こなす」ということは、愛情をこめることで、本来のものの価値以上のものまで成長させてくれることなのだろうと思う。

私は「こなす」が好きなんだ。


2005年11月28日(月) 端文意味無し

自分ができないことは、ひとに「やりなさい」とは言えない。
自分がやりたくないことは、ひとに「やりなさい」とは言えない。
自分がわからないことを、ひとに「理解しろ」なんて言えない。

結局のところ、今の自分の行いは、その程度のこと。

ひとに注意され、指導され、流されるがままに進むことは安易だ。
自由であり、此処に、自分の力で立ち、そして、先に自らの歩みを進めることの困難さよ。
更には、其所に自分以外の存在があり、其れを導くことは、言葉になし難き厳しさがある。

黙って、手を差し伸べることは容易い。
しかし、溺れかけるものを、黙って眺めることは、辛いものだ。
心の底で「頼むから沈んでしまうまえに手足を使って泳いでくれ」と反芻するだけだ。
動く手足も備わって、その動かし方も説明してあるのだから。
あとは、自分から動きだすのを待つだけのこと。
其れを只管に待つことは、気の遠くなる、そして、弱気になるものだ。
心を鬼にするとは此のようなことを言うのだ。


2005年11月21日(月) 『隣人は盗人』感覚

いろいろと厄介。

まずは治したばかりの奥歯のつめものが翌日にとれてしまって、月曜の今日歯科にリターン。
そのタイムロスも、「歯医者に行くんだー、やだなぁ」という精神的疲労も嫌で、腹立たしい。でも、放置しておけば、痛い目にあうのは自分なのだから。(週末のリハ明け、レッスン連立明けの月曜は少しくらい寝坊したいのに・・・)
悲鳴をあげる腰と右足を引きずりつつ歯科へ。
あの治療椅子に座る時の気持ちったらない。毎週此れを味わうのは本当に苦痛なのだ。

ドクター「翌日とれたの?」
私「はいー」
ドクター「何しててとれたの?」
私「朝、パン食べてて」
ドクター「それって硬いパン?」
私「硬くないです。普通です。」
ドクター「ふーん。そうか。だとしたら、麻酔して、もう少し深く削ってやらないとまたとれちゃうなぁ。」
私「・・・」(ま、ま、ますい?がーん、やだよー、そんなのー、来なきゃ良かった。しょぼーん)

麻酔をガッツリやられ、深く削られ、処置してもらいました。
もう当分とれないでくれと祈るばかり。

一難さって又一難

弁護士から連絡。
結局示談を蹴られたため、証人をたてて闘うことになる。
しかし、今さら電話口で「なんで入居時に写真の一枚を撮っておかなかったんですかっ!」と叱られ、麻酔した時以上に凹む。
自分が幼少から育った町内に、詐欺をはたらくような悪人がいるなんて誰が思う?全く知らない人なら疑う余地もあるだろうが、顔見知りだ。
実家の親だって知っている相手に自分が騙されるだなんて、想像もしていなかったのだ。
そんな自分の甘さや子供っぽさに憤慨。バカだったと。今になって悔やんだって始まらない。
NYに留学中に学んだ「隣人は盗人」の感覚をすっかり忘れていたのだ。情けないとしか言い様がないのだ。
結局「証拠」が不十分なものだから、どんなにこちらが被害を主張したって裁判官は納得するわけがないのだと。
「だったら、何故最初に『どうするべきなんでしょうか?』と相談を持ちかけた時点で、こっちが不利だということを教えてくれなかったのよ!」と弁護士に言いたくても、あの威圧感に圧され電話口で無言になっている自分も嫌だ。もう何もかも嫌。
神様は何処にいるんだ?やっぱりそんなのいないのか。想像の産物でしかないのか。単なる心の拠り所か?
証拠がなければ結局何をやったっていいということか。世の中の仕組みが少しわかった。矢張り私は愚鈍な馬鹿間抜けだったわけだ。

ひとつでいい。
明日は「しあわせ」を感じることがあればいい。


2005年11月18日(金) プライベイト・レッスン

何の呪いだろうか。
昨日「ハイチュウ慕情」などと日記を書いたせいか。

朝、パンを食べていたら「ガリッ!」また昨日直したばかりの奥歯の詰め物が・・・!忙しいのに!

アメリカの親友に送るクリスマスカードを探し、其の足で稽古へ。
欲しいと思っていたカードが見つからず、散々悩んでいたせいで駆け込むような状況で稽古場へ到着。
そこには師匠がひとり。
ひとまず荷物を置いて、師匠に挨拶。すると「今日はね、皆さんお休みでひとりなのよ。」と。本来は「ラッキ〜♪」とでも言うべきことなのだが。
私はどうも1対1のレッスンや稽古が苦手だ。
教わるのもそうだけれど、教えるほうも苦手だ。
妙に緊張してしまう。

しかし、此のところ新しく入った後輩に合わせた稽古が続いていたので、久方振りにレベルの高い稽古をつけてもらえた。
そして、自分がいかに鈍臭く、同じことを何度も間違えるかを再認識。

早めに自宅に戻り、昨日の口直し、、、とばかりに「ハウルの動く城」を借りて来て鑑賞。
ハウルに惚れたのは私だけではないはず?
声の出演が木村拓哉だからか?
否、違う。
ハウルの後ろ姿や横の立ち姿で頚椎の伸びがダンサーの其れで、その美しさに惹かれてしまったのだろう。
ちょっとばかり心洗われ、明日から清々しい気分で過ごすことができそうだ。歳をとっても、ソフィーのようにチャーミングでアトラクティブなおばあちゃんに成りたい。

明日より怒涛の週末。


2005年11月17日(木) ハイチュウ慕情

金属アレルギーのため、私の歯は「被せもの」ができないので、よく虫歯の詰め物がポロッととれてしまう。
特に、此処最近、そう、この2ヶ月くらいはまるでルーティンか?と思うくらい、2週間ごとに何処其所の詰め物が外れ、尖った歯の淵が口内炎を作成する。

今日も歯科へ。
「ハイチュウとガムはダメ!」と叱られたものの、私の記憶の中にはハイチュウもガムもない。キャラメルもだ。
この2〜3週間は特に「今は忙しいから歯科どこぢゃない!」と気をつけていたのだから間違いはない。(実は私、ハイチュウとかグミとかキャラメルとかって好き。なぜか「ぷっちょ」はあまり、、、)

多分、ジャンプをしたりレイアウトをしたり、そういう激しい動きの一瞬に想像以上に奥歯を噛みしめることがあるのだろうか。
それとも、いろいろと身の上に起こる、理不尽な物事に対して奥歯を噛みしめているのだろうか。

休みの日は休む。
たった2時間でも。
ということで『宇宙戦争』のDVDを借りて来て観た。
そんな「尻つぼみ」なエンディングでいいのか?
続編が企画されているのか?
兎に角「ハンパ」な終わり方に、何となく納得できず。
やっぱり『ハウル』のほうにしておけば良かったと後悔しきり。


2005年11月15日(火) 失恋記念日(嘘)

昨日、目一杯髪を切りました。
1年以上ぶりかな。ザックリと。
後ろのほうは30センチ以上いきました。
さすがにスタイリストさんが「本当にいいんですかーっ?」と3回ほど確認したくらい。

「失恋?」なんて古風なこと言う人はいないとは思いますが。

以前から計画はしてたんです。
「切るために伸ばす」
そして
「寒くなったら切る」
というように。

昔からMDSにいる人だったら、私が長い間短いボブにしていたのを知っているので「あ、もとに戻った!」と思うことでしょう。
そう、私も「ようやく元に戻った」という気分。
スポットとるのも、ヘッドロールも、頸をきるのも爽快!!!!


2005年11月11日(金) 無題

ネットラジオでショパンのノクターンを聞きながら執筆。

嫌なことというのは本当に「嘘でしょ?」と確認したくなってしまうほどベストタイミングにて折り重なるが如くやってくる。
「踏んだり蹴ったり」「泣きっ面に蜂」
こういう時は運だとしか言い様がない。

みなさんは、こういう最悪最低な事態の時をどうやって乗り越えているのでしょうか。

今日のところは、「生きていればもっともっと最悪最低なことが起きることだってあるのだから」と今起きている最悪な物事よりも、もっと最悪なパターンを想像して遣り過ごした。

失ったもの、タイムロス、傷付いたプライドと心労、あれこれ考えれば考えるほど気分は落ち込む。
もう、時間はもとには戻せないのだし、少しでも前向きに建設的にならなきゃならないと思うのだけれど、後ろばかり振り向いては後悔することしきり。
できることなら、もっと強い心の持ち主になりたい。

少なくとも自分と自分の親に恥じぬ生き方を通しているつもりだ。
私はお日さまに顔を向けて生きていける。
誠実であること、ではなく、誠実であろうとすること。
誰に認められることがなくても、私と、私を創成してくれた両親が知っていれば、たぶん、それで十分仕合わせなのだと。
世界中の人がわかってくれなくても、それでいいのだと。
明日も背筋をのばし、生きて行くつもり。


2005年11月10日(木) 駄文書きなぐり:最低人間

どうにか発表会のパンフ用原稿をあげて一息。

11月の深夜はさすがに身体の芯が冷えてきます。
オイルヒーターを稼働させても、足もとが寒い。

一段落したところで。
一部の人にはスタジで話したので、既に知っている人もいるけれど、一応報告。
コトの成り行きを知っている人ならば、どうなっているのか少し気にしているかもしれないので。

裁判の成り行き。
どうやら判事が大家サイドについてしまいました。負けそうです。
弁護士からのアドバイスで示談に持ち込むようにしてみようと、こっちが折れて「保証金は返却しなくていいから、これで相殺!」と出てみたら、大家側が強く出てきて、この示談条件を蹴っ飛ばし、結局のところ裁判です。
どこまでがめついのだろう。
ひとというのは本当に醜いものだと思う。うんざり。
そして、真実とは何だろうと思う。正義なんてないんだと思う。
法律だって結局のところ、公平ではないってことに今更ながら気付きました。手遅れだけどね。
弱いものが泣きをみるのが世の中。
意地汚く、狡猾な奴がいいめをみる。有利な立場。
結局のところ、詐欺にひっかかる、トロい私が一番ダメな奴だったということ。痛感しました。

メディアに知り合いのいる人、やくざに知り合いがいる人、是非ご連絡ください。本当に。
「ふとん叩きババア」ほどの話題性はないか。
では、せめて、「呪い」の方法を知っている人は教えてください。

本当に、この世に「神」なんていないんだね。
絶望的です。

ついでに。
先日、ビジターレッスンしたいと連絡をくださった方がいました。
事前からいろいろ質問してくれて、レッスンに来るのを愉しみにされてれいた様子。
当日待っていたのですが、いらっしゃることがなく、たまにドタキャンされる方もいるので気にしてはいなかったのですが。
自宅に戻ったらメールが。
「駒込にいるのですが、場所がわかりません!」と。
わざわざ準備をして駒込まで来てくれたのに、スタジオまで辿り着けなかったなんて〜!即刻「これにこりずにまたレッスンに来てみてくださいね!」とメールを返しました。
今日、その方からまたメールが来ていて「去年の5月にプリントアウトした地図でスタジオに行ったので移転を知りませんでした。大家さんにも移転先を聞いたのですが、知らないとのことで・・・」
!!!!!
大家、最低です。
黙って指さすだけだっていいじゃないか。訪れてくれた人に罪はないじゃないか。なんでそんな嫌がらせするんだ?
たった3軒となりだというのに。人間として最低。呆れて何も言えない。

怒りにまかせて駄文書きなぐりしてごめんなさい。


2005年11月08日(火) 雑言

発表会のパンフレットの文面を執筆中。
どうも筆が進まず。
かと言って、どうも気掛かりで眠りにつくこともできず、こうして現実逃避。

着々と準備は進行していっている中で、焦りばかりが募っていくかのよう。
今朝も何かにうなされて目覚めた。寝覚めの悪さは一日の憂鬱だ。

ブログにコメントくださった皆様ありがとう。
毎度のことですが、ブログ主がコメントにお返事書こうとすると、何故かブラウザが消滅します。いったいどうなっているんでしょうね。ニフティさん。いつになったら改善されるのやら。


2005年11月04日(金) 近況報告

なんと10日ほど日記から遠のいてしまいました。
大変ご無沙汰しております。皆様お元気ですか。
季節の変わり目。体調が芳しくないかたもおられることと思います。

今日、日舞の稽古で同じ歳の先輩に「ブログ見たわよぅ〜」と言われ、気付いたのです、最近全然執筆していないという事実に。

日々、うんざりするほどの「やらなきゃならぬこと」に埋もれ、何もかもが山積みとなっている驚愕な状況。
ひとつこなせば、3つの事柄が追加される。
常に「日常作業」となっている物事さえも端折って、それでも足りぬ時間。
「日常作業」でどうにか維持できていることと言えば、風呂にはいる、飯を食う、歯を磨く、洗濯をする、携帯メールをチェックする程度。
もっともっともっともっと時間が欲しい。

と思っている矢先、実は今週のあたまに突然倒れ、救急車にて搬送され、極度の疲労とのことで、売れっ子アイドルさながら、処置室で点滴を受けるという事態に。
メールなどの返事が遅れ「なんだよ、ムカつく!無視か?」と思われた皆様、こういう事情があったわけで御座います。どうか、お許しを。

明日から、また週末。
目も眩む程の忙しさではあるけれど、そういう時こそ「生きている」ということを実感できるというもの。
ただ、今回学んだことは今までのように「気力がありゃ体力はもつ」という私也の理論が崩れて、「無理をすりゃ身が保たない」ということになったわけで、「無理」というボーダーラインを何処に設置すりゃいいのか模索しているような状況。歳をとるということは、気力に体力がついてゆかなくなることなのだと思う。それはそれで大変哀しいこと。


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