愚痴日記

2006年06月30日(金)


薬の効果って飲み始めてどれくらいで出るものだろう

血圧の薬を飲みだしてもうじき2週間
下がらない・・・
昨日の夜 寝る前に計ったら171/116
ちょっと高いんじゃないの・・・と再度計ったら188/119
おいおい・・・と思って再度計ったら203/123
目の前に表示される数字を見て心臓がバクバクする
私はやっぱりストレスには弱い人間だ
情けない・・・
こうなったら眠れない・・・悪循環だ・・・

今朝も164/112
もう 完全な高血圧患者だ!!

ただ 私は蒸し暑い6月に弱い
7年前に酷い頭痛を起こしたのは6月
血圧計の保証書をみたら3年前の6月に買ってる
と 言うことは高血圧を自覚して買ったからだろう
そして今年は未だに引かない耳鳴り
正直 何もかもが癇にさわる




血圧の 薬を飲みて 高揚す

耳鳴りが 否応もなく 棲みつきて

耳鳴りと 連れ添い生きて 数十年









2006年06月24日(土)


奈良で起きた母子3人の焼死事件のことは同じ県に住む者としても、修復できない(・・・?)親子関係のこととも重なって少なからずショックを受けている
最近はこういった事件が増えていることは周知のことだけれど、何故にこうも親子関係がよじれてしまったのだろうか
私にとっては決して他人事ではない・・
少年の通っていた高校は県では一番といわれるくらいの男子の進学校で、息子のいる我が家なんかではその高校に通うような男の子は頭がいいと自然に思うような高校だ
別に自慢でここに書き出すわけではないが、高校を中退してしまったうちの娘はクラスで2番、学年で5番という成績に躊躇することもなく辞めてしまった
だれでも学校を辞めたいとか人生をやり直したいと、思うようにならない人生の中で何度か思うはずだ
そんな中で間違った道を選んでしまった多くの少年たちを思うとき、必ず重ねて思うわが娘の選択はある意味正当性をもつものかもしれないと一人で自分自身に言い聞かせている
しばらく(?????)は親と距離をもつのも必要かと・・・




         

          (おやこ)
面立ちの よく似た母子 梅雨さなか

       (こ)
手を合わせ 娘の無事祈る きょうもまた







2006年06月21日(水)


観念したというか
諦念したと言おうか
とうとう 高血圧の薬を飲むことにした
耳鳴りは山を越したようだけれど
自分自身では消化しきれないストレスを抱えてるかぎりは
いくら食事に気をつけても
休み毎にプールに行っても 気休めにもならない
ほぼ 息子の結婚が決まりかけても
娘のことを思えば 胸が張り裂けそうになる・・・
パートに行くことも
歴史教室に行くことも
好きな本をどんなに読んでも
心の中に鉛を抱えてるようでは 血圧も下がるまい・・・













2006年06月15日(木)


まだ 義母の満中陰も終わっていないけれど
歴史講座でお友達になった人と 奈良ではそこそこ有名なあじさい寺に行く
先ごろから始めた大和十三仏参りの2回目
まぁ お寺参りだし供養にはなるでしょう、と自分勝手な解釈をする
折からの雨で人出が少なくてゆっくり散策できた
20年近く前にも一度来ているこのお寺は、あじさいのシーズンは数珠なりの人だった記憶がある
その時に比べたら 今日のような雨の日はあじさいがことのほか美しい

去年 信者さんによって整備されたという『四国八十八カ所霊場めぐり』という、4,5キロのコースも歩いた
八十八体の仏さまを拝んで歩くミニお遍路さんの体験は、山道ありで少々は疲れたけれど、本堂に帰ってきたときは何故か二人して達成感を感じた

そして思ったのは お友達とふたりで話してるときは、耳鳴りはあってもそう会話に違和感がない
耳鳴りとは長いお付き合いの私だけれど、お友達に聞きのがすまいといつも張り詰めて緊張してる雰囲気を感じていたと言われて、なんだかとてもうれしかった
だけど 家に帰ってきたらダンナの言ってることが聞き取りにくい
要は 男の人の低い音が聞き取りにくいようだ
肩こりや首こりが関係しているのか、更年期のあがきなのか
もうしばらく様子を見ましょ




2006年06月13日(火)

毎度のことだけれど また耳鳴りがする
が 今回のはチト酷い
常時 すっぽりとヘルメットをかぶっているような・・
または 大きな機械音のする工場にいるような・・
頭の中で 数匹ものセミがいるような・・
人の声がほとんど聞き取れない
家にいても ダンナの言ってることがわからない
テレビの音も聞こえないので 音声のない映像だけを見ている
が これでは 接客が主なパートは勤まらない・・
360度 どこから声が掛かるか分らない環境の中では どうしよう・・
疲れ・・・
ストレス・・・
高血圧・・・
子供たちが幼かったころは
子供の声を聞き漏らしては大変だと思って病院へも行ったが
どこでも いつでも原因は分らず いつとはなしに直ったけれど
見た目にはすぐには分らない難聴もやっかいなことだ・・










2006年06月03日(土)

小さい子供がいたり、遠くに住んでいたり、そしてうちの娘のような孫がいたりで全員は参列できなかったけれど、四人の子供とその連れ合い、四人の孫、六人のひ孫に送られて義母は浄土へ旅立った

義母を偲ぶ席では誰しもが高齢の親を看取った安堵感と、一抹の寂寥感とを感じていた
それぞれに親に対する思いや感情があって、久しぶりに集まった兄弟たちの口は滑らかで私の知らない義母の姿もいっぱいあった

70歳になるダンナの長姉は 次は私の番かしら・・と言う
私の母の兄弟は下から亡くなっている
いつかはやってくるその順番は決して年の順ではない


とうとう ダンナにも私にも親はいなくなってしまった・・

少しずつ 少しずつ私の周りの情勢が変わっていく・・













2006年06月01日(木)


義母が亡くなった
あと2ヶ月で92歳
年齢的には天寿を全うしたことになるのだろうか・・
そこそこ良くなってきていてリハビリも始めていたので急変といえなくもない
先週の土曜日に面会に行ったときはそれでも何となく元気がなかった
その時に義母は ろれつの回らない口で「負けた・・」と言った
「何に負けたん?」と聞いたダンナと私に義母はじっと目を見つめたけれども、それ以上は話してくれなかった
ダンナと「いったい何に負けたんや、どういう意味やろ・・」と何回も話し合っていた
今 思うのは
義母は死期をさとったのだろうか・・
病気に負けた
人生に負けた・・という意味ではなかったのか
義母なら、義母ゆえにそう思う

お義母さん お疲れ様でした


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