愚痴日記

2006年01月31日(火)

日記どころか週報かそのうち月報にでもなりそうな感じ
明日はもう2月で ふつうは寒さの底といわれるような日々のなかで、私のまわりでは何のイベントも予定されてなくて夫婦ふたりでひっそり生きている
パート先での明日の棚卸がせめてもの刺激か

きのうは 歴史教室の番外のようなもので、ある大学の先生の『天皇の陵墓を考える』という講座を聞きにいってきた
最近の私は大げさに言えばこころ奪われたかのように『いにしえのならのみやこ』に思いを馳せている
いにしえを生きていた人々にも当然、様々な思いがあったわけで最近のいろんな不祥事を前にするとどっちの世がよかったのだろうか・・なんてことも思ったりする
例えば大仏を建立した聖武天皇に代表されるようにそれぞれの時代の権力者たちは、身内の病や自身の苦悩にぶち当たったときにはそれらから逃れるように寺社を建立した
ただ そういうことによって現実が解決されるはずもなく、天皇の苦悩というよりは古代の権力者たちのいかに勝手な行動であったかを後世に知らしめたにすぎない
今 『皇室典範改正』が注目されているけれど、それについては私はどうでもいい
女性天皇であろうと女系天皇であろうとどっちでもいいけれど、脈々と受け繋がれてきたと言われている天皇家がほんとうに正しいのだろうか
あれだけ血で血を洗うようにして受け繋がれてきた天皇家のDNAに何の疑問もないのだろうか
ある作者のあとがきに歴史は壮大なロマンで引きずりこまれてしまう、とあったが正に実感している



さざんかを 見に来た寺の 賑わいよ

きょうの日は 万葉びとに いざなわれ




2006年01月23日(月)

本を読むことでずいぶんと毎日が楽しいけれど、今はその本から広がった『いにしえのならのみやこ』の世界を楽しんでいる
よく 「若いときにもっと勉強しておけばよかった」ということを言うが、
そして今までの多くの人生の場面でそのことを痛感しているがこの歴史に感してはあまり関係ないと思う
ただ 覚えが悪いだけのことだ
メモを片手に登場人物を書き出して読んでいる

『橘 三千代』
『山河寂寥』
『薬子の京』
『闇の左大臣』
『穢土荘厳』
『天翔ける白日』と 
次々に読んだ万葉の頃に夢中になってしまった
ふと 知った『奈良歴史教室』にも参加してみた
それに ありがたいことに地元に住まいしているから、その歴史の舞台に比較的に簡単に出かけられる
奈良を注意して歩いていたら(車で走っていたら)、いろんなものの発見もできる
JR奈良駅には平城京大極殿跡という石碑もあるし、先の母の法事でお寺に行く途中で平城京西の市(いち)跡という石碑もみつけた
『穢土荘厳』の本の中では この西の市で手代夏雄は晧英の沓(くつ)を買ったのだ
悲劇のヒーロー、長屋王の墓も以外なところにあるようで暖かくなったら訪ねてみようと思う
先週の歴史教室が終わってから、藤原光明子もモッコを担いで土ならしをしたという興福寺の五重の塔に行ってみた
奈良に住んでいたら当たり前のように奈良公園から五重の塔を見ることができるけれど、歴史の流れを知って見るといつもの景色のなかに万葉人の息づかいを感じてしまう
それに710年に藤原京から平城京に遷都されて、2010年には1300年たったことになる
平城京遷都1300年の行事も予定されているようで、あと4年後ということは私もその悠久の歴史の流れをこの目でみることができるのだ

気がかりを心の片隅においてきょうも掃除はパスして本を読んでいるが、情けないことに年々、目が疲れやすくて困っている



2006年01月15日(日)


きょうは母の7回忌

きのうのように雨でもないし 
いつもは底冷えのするお寺の本堂もお墓も
風もなくて暖かい過ごしやすい法要だった
それにしても 久しぶりに逢った甥や姪たちのあまりに大きくなっていることに頼もしいやらうれしいやら、でもそれは確実に私が年をとったということで・・丸6年という歳月の流れを改めて感じた(6年の間にはお寺さんも代替わりされている)

二人の弟にも私にも
そして甥や姪たちにも
それぞれに母や祖母との思い出があって
とてもいい時間を過ごせた



それぞれの 母への想い 寒の月

看病に 通いし日々を 懐かしむ

手を合わせ おかあちゃんと 呼んでみる



2006年01月14日(土)


前向きに生きるとか、精一杯頑張るといったような殊勝な気持ちからではないが、ほんとにささやかな『きょうの良かったこと』を考えることにした
この思いつきのきっかけは、9日の成人式の日にスーパーのテナントに入っているある喫茶店のバイトの女の子が成人式だったらしくて、振袖姿を見せてくれたことによる
たまにしか行かない喫茶店だったけれどそのバイトの女の子は、とても愛想がよくて可愛い子で店内ですれ違ってもいつもニコッと微笑んでくれる
「おばちゃん 見て!」と言って何人かの顔見知りのパートに振袖姿を披露していたけれどほんとうにきれいだった
自分の娘には成人式をドタキャンされて親の気持ちを満足させてはもらえなかったので、その後の成人式では何気に鬱屈した気持ちでいた
でもその子にとびっきりの笑顔を見せてもらったとき、ほんとうに可愛い姿に娘が「お母さん、見て、どう」と言ってもらえたような気がした
もちろん目の前の振袖姿が娘だったら・・と思わないではないけれど自分自身の気持ちを満足させるために、ふと人のことでも何でもささやかな喜びというかきょうの良かった事をイメージしようと思った
幸い 今年もまだ始まったばかりだ
元旦からの良かった事は思い出せることも思い出せない日もあるけれど、なるべく良かった事だけをイメージしようと思った
おとといは夕方からスーパー銭湯に行ってまったりしたし、きのうはパート仲間と新年会で楽しかった
家の片付けがそこそこ出来たらそれも良かった日だし、お客さんに褒められたらそれも良かった日になるだろう
息子からメールがきたらそれはとても良かった日になるだろう

さて きょうはどんな良かったが待っているだろうか



2006年01月10日(火)


ふとしたことから 寝酒を覚えてしまった
お酒は好きだけれど たくさんは飲まない
ビールも中ビン1本くらいだし
濁り酒は好きだけれどふつうの日本酒と焼酎は苦手だし
ウイスキーだってコーラやジュースで割ったもので十分だ
だのに 
年とともに 眠れない日が増えてきたので思いついて夜中にワインを飲んだらす〜っと寝れたもんだから、時々ワインを飲むようになってしまった
これだと夜中に目覚めることもない
台所へ行くのが面倒な夜は暗闇のなかで天井を睨んでいる
味をしめて安いワインを買ってきてストックする有様
こういうことは何故か行動が早い


お正月に特養に入所している姑の面会に行ったとき
比較的 元気な入所者が百人一首を楽しんでいた
ヘルパーさんが読み上げる句にみんな笑顔で興じていた
子どもの頃や若かったころを思い出しながらなのか
みんなとてもいい顔をしていた
姑もとても機嫌がよくて
「いくつになっても 息子が可愛いいてしょうない
ヒロのこと頼むわなぁ」 と 私にダンナのことを言う
そんな姑に私自身の息子や娘に対する思いを重ねてしまって、何気に目頭があつくなってしまった
「あんたにもろた靴下がぬくいわ」と 膝をさする姑の手をそっと握った
兄弟の間でいろんな感情があるのも事実だけれど 家で見てあげられなくて特養のお世話になっていることもまぎれのない現実だ
私は姑の姿にいつも20年くらい先の自分の姿を見る
そんな姑の50代はどんなだったかなぁ、と今朝は過ぎた日々に思いを馳せている



2006年01月07日(土)


この3連休が終わるまではお正月気分が抜けないようにも思うけれど、私は早くからパートに行ってたからダンナのお弁当を作った今日からが本格的な始動だと感じている
得意先に挨拶に行った昨日とか一昨日とかはお弁当を持たずに出かけてくれたけれど、連休明けからだと思っていたお弁当つくりが早めに始まって夕べは寝過ごさないように気をつかってよく眠れなかった
同じような日常が続く毎日がほんとうはすごく有難いということをしっかり認識しているつもりでも、こう寒いと朝が起きにくくて辛い
眠ったのかどうかはっきりしない時間を過ごして迎えた朝はお布団から出にくい
でも いくら寒くても栓をひねれば熱いお湯もガスも出るし、雪かきや雪下ろしの苦労もないのだからほんとうに感謝せねばと思っている
それでも きのうは売れ残った子どもパジャマの福袋の解体作業をバックルームでしててずいぶん寒い思いをした
冷えたのか今日は足の具合が悪い
それにしても何故かここ最近は子ども衣料の福袋が売れ残る
紳士物や婦人物はデパートの福袋のように数時間で売り切れるということはないけれど、3が日の間にいつとはなしに売れてしまう
でも子ども用品はベビー用品も含めてそう言えば去年もかなり売れ残った記憶がある
やっぱり少子化の影響がこんなところにも出ているんだろうなぁ
子育ては苦労も多いけれど自分の子どもは本当に可愛いということを、今の若い人達に知ってほしいなぁと姑根性まんまんのおばちゃんは思います



2006年01月03日(火)

新年も早や3日
30日から帰ってきていた息子も、明日の4日から仕事だと自分のマンションへ帰っていった
でも 今年のお正月は元旦の午後から、風邪がぶり返したダンナをほっといて息子と二人で初詣に行った
道中 久しぶりにいろんな話ができて私はとても心満たされた
他所のおうちは知らないけれど、ダンナの実家も私の実家も母親が息子とうれしそうに話すと父親がやきもちを焼いて機嫌が悪くなる
我が家も確かにそういう雰囲気があって、息子が帰ってきたらダンナは何気に口が重たくなってしまう
もちろん私にも責任のあることだけれど、30年以上も連れ添った亭主にはいいかげんな受け答えをする私が息子にはそれこそ声が変ったように甘くというか優しくなるのだ
そういう空気を息子も感じているから、広島から大阪に転勤になったとき一人暮らしを始めたのだろう
でも こういう状況は私だけではない
パート仲間やスポーツクラブの仲間の話を聞いてみたら大抵が子ども命のように私には見える
子どもの側から見たらこういう母親をうっとおしいと感じつつも、適当にあしらっているかうまく付き合っているかだろう
失敗例もあろうが・・(私と娘のような・・)

息子が帰ったあとに、ダンナは「初詣に二人で行って、何の話をしたんや?」と聞く
「あんたの悪口ばっかり、いっぱい言ったわ」という私はやっぱり可愛げのない古女房だわ
それにしても ダンナの咳はしつこいなぁ



2006年01月01日(日)

あたらしき 
年の始めの 
初春の
今日(けふ)降る雪の
いや重け吉事(いやしけよごと)

           大伴 家持   『万葉集   巻二十』




明けまして おめでとう御座います
本年もどうぞよろしくお願いいたします
とても穏やかな比較的に暖かい朝になった
大伴家持の歌にあるような雪の朝ではないが、今年も吉事が重なるような良い年になりますように、とこころより願う


新年早々 慌てた
例年どうり 姪夫婦がお参りに行くついでに新年の挨拶に寄ってくれたのだけれど、姪の小学1年生の子に渡すべく買っておいたものと私の怠慢でポチ袋が探し出せなくて困った
年末に用意してあったはずなのに、これは元旦にいるものだと別に置いたのがその場所を最近にありがちなことで失念してしまった・・
今年も自身の物忘れと老いとを闘う一年になりそう・・




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