愚痴日記

2005年11月26日(土)

はるかな友に

作詞作曲者  磯部 俶
編曲者    中山 英雄

(1) 静かな夜更けに いつもいつも
  思い出すのは お前のこと
    お休み 安らかに
    たどれ 夢路
    お休み 楽しく
    今宵もまた

(2) 明るい星の夜は 遥かな空に
  思い出すのは お前のこと
    お休み 安らかに
    たどれ 夢路
    お休み 楽しく
    今宵もまた
(3) 寂しい雪の夜は 囲炉裏の端で
  思い出すのは お前のこと
    お休み 安らかに
    たどれ 夢路
    お休み 楽しく
    今宵もまた


先の黒田慶樹さんと紀宮さまの結婚式のときの披露宴でこの曲が演奏されたそうです
題名は 『はるかな友よ』 になっていますが
遠く離れて住まいするわが子を思う親の気持ちを歌ったものと理解する人が多いようです
かく言う私もそんな思いです・・



2005年11月24日(木)

去年は奈良で そして今年は広島で小学生の女の子が学校から帰る途中に殺害されるというほんとうにおぞましい事件が起きた
広島の事件はこれからの警察の捜査を待たなければいけないが、似たような年齢の子どもを持つ親にとってみたら何とも気がかりなことだ
奈良の事件のときは 学校の通学路にあたる場所で地域のボランティアや父兄による見守りがされて、それは今も続いている
地域のボランティアは大方が年金をもらっているであろうお年寄りが多い
朝夕の登下校の子どもたちに
「いってらっしゃい」
「気をつけて帰るんやで」と声掛けをしている
子どもたちも「おはようございます」や
「さようなら」と自然に挨拶している
今年の3月以降の地域の自治会の掲示板に卒業生が書いたと思われる手書きのお礼の手紙が貼り出されていた
「登下校のときに毎日、僕たちを見守っていただいてありがとうございました」と書いてあった
それと前後するように これは強制ではないけれど父兄が各自の手提げやカバンなどに『パトロール中』と書いた黄色の腕章をつけて持ち歩いている
通学路の何軒かのおうちには、これも黄色の地で『見ているよ』と書いた旗を玄関などに掲げている
地域の子どもたちを自分の子や人の子だというそういうこととは関係なしにみんなで守ろうということにした
パート仲間の何人かがその腕章をカバンにつけて仕事に来る
事件に関係なくても今は交通事故も多い
子どもたちをすべてのことから守ろうという気持ちからだ
それにしても何でこんな時代になったかなぁ・・とつくづく思う



2005年11月22日(火)

今日は11月22日という語呂あわせの「いい夫婦の日」
コミュニケーションが下手だといわれる日本の夫婦のために設けられたという説もあるけれど、マンネリ化した夫婦関係を考えなおすいい機会かもしれない
いま テレビドラマじゃないけれど熟年離婚という言葉が流行っているそうだ
ただ ほんとうに身近で熟年離婚を見てきた私としてみれば、現実はテレビドラマのようにキレイなものではない
50を過ぎた女がいくら前から計画をたてていたとはいえ、すんなりと自身の口を養えるほど世間は甘くない
男にしたって熟年といわれる世代なら奥さんがいなくなったあとの家を維持していくのは容易なことではない
ドロドロしていろんな意味で汚い

長い結婚生活で離婚を考えたこともない夫婦はまずないだろう・・と私は思っている
だけど よほどの理由が無い限りはそうそう行動に移すことはできないものだ
夫婦のことはその夫婦にしか分からないというけれど、そこそこ長いパート生活でいろんなパート仲間との話のなかではたいていは私ら女の側からの言い分はよく似通っているように思う
よく言えばお互いの長所と短所を認めあって折り合いをつけていき、悪く言えば毎日を流されて生きていくことだろうか
私というたいして取り柄のないおのれ自身を自覚してダンナのことにも思いを馳せたらどっちもどっち、50歩100歩かな・・と改めて気づく


「だれかが言ってました。『セカンドライフの一番の理想は、夫婦は向き合っているよりも、横並びで同じ方向を見つめて寄り添っていられる関係が一番いい』と。いつまでも目と目を見つめ合っている夫婦なんて、あり得ないですから」
                新聞記事より



2005年11月19日(土)

午後から胃の手術で大阪の病院に入院してる義兄のお見舞いにダンナと出かける
義兄は10年前にも腸の手術で入院してる
前回と同じ病院だが、立替えをしたのかと思うくらいキレイになっていた
水曜日に手術したようだが、まだ何も食べられないらしい
明日の朝から重湯が出る予定とか
痛みますか、と聞いたら「腹が減ってるだけや」と言うので、食欲があるなら大丈夫だろうと安心する
仕事が気になるらしくダンナとは仕事の段取りばかり話してる

しばらくいたが廊下を隔てた向かいの病室からはっきりと泣き声が聞こえる
おじいさんの患者が亡くなられたとかで家族が泣いてはるんや、と同じ部屋のひとが教えてくれた
病院の玄関に土曜の午後だというのにスーツ姿の男性が大勢詰め掛けていて何事かと、ダンナと話しながら義兄の病室へやってきたけれど向かいの病室のひとに何か関係あるのだろうか・・
偉いひとが亡くなられたとか・・
帰りのタクシーでも乗るときに運転手さんが何でこんなに人がいますんかね、と話す

大阪の街はクリスマスムード満点!
スーパーのディスプレイとはやはり全然違うわ



きっぱりと 冬を感じる 空のいろ

街をゆく すべての人に アベマリア



2005年11月15日(火)

秋桜〜コスモス〜       詞  さだまさし


うす紅の 秋桜が 秋の日の
何気ない 陽だまりに 揺れている
この頃 涙もろくなった母が
庭先で ひとつ咳をする
縁側で アルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話繰り返す
ひとり言みたいに
小さな声で

こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさがしみてくる
明日 嫁ぐ私に苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更ながら わがままな私に
唇かんでいます
明日への荷造りに 手を借りて
しばらくは楽し気にしていたけれど
突然 涙こぼし元気でと
何度も 何度も繰り返す母

ありがとうの言葉かみしめながら
生きてみます 私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もうすこし あなたの子供で
いさせてください




皇室であろうと われわれ一般人であろうと
母が娘を(娘が母を・・)思う気持ちは変わらないと思う

私も娘と この詞のような関係でいたかった・・



2005年11月10日(木) 感謝

今年も地元の中学生が職場体験ということでやってきた
まだ可愛いいさかりの中学2年の男子が3人
1時間ずつくらい各売場で主に商品整理や簡単な商品の店出しを体験する
たぶん普段は書籍売場とかゲームコーナーくらいしか行かないだろうに、肌着やベビー用品の売場で慣れない商品を出したり、食品売り場では納豆やお豆腐を並べていた
ちょっぴり緊張もしているようでとても大人しい
でも 「男の子でしょ、もっと大きな声でお話してよ」という言葉は飲み込んだ
途中 学校の先生が様子を見にこられた
親ではないが 先生も生徒がちゃんと職場体験できているのだろうか、迷惑をかけていないのだろうかと案じておられるようだ
よろしくお願いしますと、私達パートにも声をかけて帰っていかれた
公立ゆえの職場体験なのか私立でも今はこういう授業もあるのか、最近の学校の事情はとんとわからない
ただ中学生ってまだまだ可愛いいんだというのが正直な感想
ちらちらと私の子供が中学生だった頃を思う
息子は・・
娘は・・



有難う御座います
ここで声をかけていただいてとてもうれしいです
ちょっとヘコんではいますが
パートに出てますので きょうのように可愛い中学生とも話せますし、何より仕事中はあまり考えないようにしています
それにコーヒーもヨーグルトも美味しいし・・でも正直なところ・・やっぱり悲しいなぁ・・
きょうは雲ひとつないいいお天気でした
空が青かった・・


晴れ渡る
空に向かいて
問いかける
娘よ何故に
こころ閉ざすや



2005年11月09日(水)

人はどのくらいかなわぬ思いを抱き続けることができるのだろうか。
どんなに思い続けても、それが無理な願いである以上、どんな人でもいつかは疲れ果ててしまうのではないだろうか。
そうして、疲れることは、許されることと似ているのではないだろうか。

         「桜姫」  近藤 史恵


母と子は別個の人格ではある。しかし、それでもなお、すくなくとも母の側からは、さらに深い意味で同一の存在なのだ。なぜなら、彼は彼女から出たものであり、その意味で、彼の生命と存在は、彼女の生命と存在そのものだからである。

         「石狩平野」  船山 馨



私も許されたいと思う日々を生きている・・・
そして本は私を癒してくれる

それでも 自分の思いを抱き続けていようと思う
私の場合 かなわぬ思いのはずがない
無理な願いでもないと思っている
でも 現実は私にとって自己を否定されたことになる
大好きなヨーグルトを食べて頑張るさ!!




2005年11月07日(月)

立冬

わたしはこの立冬という響きがとても好き

寒さで身も心も縮こんだ季節に春を待つ立春よりも
暑い夏にいいかげん疲れた時期に迎える立秋よりも
私の誕生日の頃の立冬という響きが好き

身体は確実に老いを感じるようになってきたけれど
たいていの人がたぶん感じるように 
私もまだまだだと思いたい
あがきにも似た感情だが これから冬を迎えるという季節と何気に重なるような気がするのだ

あす 55歳になる

誕生日だからといっても何の感慨もないけれど
明日から ヨーグルトの解禁
ある心願成就のために 約3年くらい食絶していた
私はヨーグルトが一番の好物で死んでも食べたい
でも もういい
いくら願っても お参りしても私の願いは届かない
石の上にも3年だ・・
気持ちも思いも何も変わらないし変えようはないけれど
自分を縛るのはもう辞めた
大人だっておばちゃんだって声を上げて泣きたいこともある




人は行動を起こした後悔よりも
行動を起こさなかった後悔のほうが強く感じる


人生に後悔はつきものなんじゃないでしょうか
なんで あんなことをしたんだろう・・という後悔と、なぜ あの時何もしなかったんだろう・・という後悔と・・

                ???(誰の言葉だっけ・・・)



2005年11月05日(土)

人がそれぞれの心の中で何を思うのも自由だ

少々 不遜な例えだが 吃音の方が心の中で人に語るときはスムーズに話せるそうだ
人がいろんな場面で相手に話したいことがあって それがうまく通じないときがあっても それ以前には ああも言おうとか、こうも言おうとかたいていの場合いろいろ考えている・・と思う
でも相手の思わぬ反撃や拒否にあったり それ以前に会うことも叶わなかったり・・胸の中で暖めていたことが無残な結末になることもある
うまく気持ちが伝えられるだろうか、と自分の思いを精一杯の言葉に託そうと思う一方でネガティブな考えも頭に浮かぶ
ダメかもと・・・

10月に入ったころからあと1ヶ月だ、あと3週間だ、あと10日だと祈る思いで日々を過ごしていた
きのうの夕方くらいから 明日の今頃はどんな気分でいるだろう・・とそればかり思っていた
それでも夕べはよく眠れたほうだと思う
4時半くらいに目が覚めてからはもう寝られなかったけれど

寂しいとか
虚しいとか
ジグソーパズルのピースのように今の気持ちにぴったり合う言葉は見つけられない
うつむいて歩く足元に枯れ葉がからみつく
ふと 普段ひとりでは臆しがちな喫茶店に入ってコーヒーを飲もうと思った
おいしいコーヒーだと少しは救われるのだけど・・



拒否される 親になりたる 寂しさよ

読まれたる 証も見えぬ 文を出す

きょうの日は 空に吸われて 飛びたいな



2005年11月03日(木)

土日はおろか 盆正月もないパートに出て足も痛むのに 
55歳を目の前にして思わぬダンナの大幅な給料減という状況になって、いやもおうもなく働かないといけない
人前ではそんなことはもちろん一言も漏らせるはずもなく
いろんなことで思いが伝わらないことも重なると
いくら世の中はそんなものだと理解はしていても
何気に拗ねた思いでいる

それでも 信号待ちの交差点で毎年感じるのだけれど
秋の日はつるべ落としのような薄暮の中に身をおくと
我が身が意味もなくいとおしく思えてならない


11月になった

・・・・・・・

11月だ・・・・・

・・・・・






 片隅の 菊一輪の 生き様よ

  陽がさして モザイク模様の プールかな


  




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